記録ID: 1785082
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ハイキング
東海
桜咲く美濃路 〜JR垂井駅から名鉄竹鼻線須賀駅〜
2019年04月07日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 08:41
- 距離
- 35.8km
- 登り
- 13m
- 下り
- 22m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
美濃路をできるだけ忠実にたどるには、ガイドブックが欠かせない。 今回は、一宮市尾西歴史民俗資料館発行の「美濃路 散策ルートマップ」を参照した。 揖斐川の佐渡の渡し跡から現在通行可能な道路で揖斐川を渡るのに苦労した。 |
写真
感想
美濃路は、中仙道垂井宿から東海道宮宿(熱田)までの脇街道で、途中大垣、墨俣、起、萩原、稲葉、清洲、名古屋の7宿があった。桑名への海上の七里の渡しや鈴鹿峠などの厳しい峠路を迂回できることから、将軍や朝鮮通信使など大量の人員の通行時や、象や宇治茶の運搬にも利用された。その際、最も難題だったのが、木曽三川をいかに安全、迅速にわたるかということであったであろう。
今回は、それを追体験すべく、垂井宿から起宿まで歩こうと考えたが、残念ながら木曽川の起の渡しは後日となった。
桜の満開の季節であったので、各地の堤は桜が咲き乱れ、所によっては地元の花見客で大変なにぎわいを見せていた。
なお、参考とした一宮市尾西歴史資料館発行の「美濃路 散策ルートマップ A~D」は、以前岐阜の竹鼻から濃尾大橋を渡り愛知県の富田の一里塚まで歩いた時に買い求めたものである。
また、揖斐川の左岸の結神社付近に町屋という地名があるが、説明板によると「西結町屋は鎌倉時代からの交通の要所で揖斐川渡船場もあり住家も並び街道の宿場として賑わい村となりました。 何時のまにかこの地を、渡船を「待合う」ことから「町屋」と言われるようになった伝えられています。」とある。
榎原雅治著「中世の東海道をゆく」(中公新書2008)によると、木曽三川は時代により川筋を変え、中世の頃は、揖斐川本流は今の杭瀬川、木曽川は南宿あたりを流れる足近川が本流だったようである。このようなことを知って歩くと、一層興趣がますと思われる。
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