JR垂井駅。今回はここから醒井宿を目指して出発します。伊吹おろしの風があって寒い。
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4/20 7:50
JR垂井駅。今回はここから醒井宿を目指して出発します。伊吹おろしの風があって寒い。
相川にかかる鯉のぼりの群れは春の風物詩。1か月前に奥の伊吹山がかぶっていた雪はすっかりなくなっていました。
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4/20 7:54
相川にかかる鯉のぼりの群れは春の風物詩。1か月前に奥の伊吹山がかぶっていた雪はすっかりなくなっていました。
垂井宿の東見付。ここで中山道に合流し西へ向かって街道歩きをスタート。
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4/20 7:54
垂井宿の東見付。ここで中山道に合流し西へ向かって街道歩きをスタート。
垂井宿の枡形。右側には「亀丸屋」という昔からの旅籠。
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4/20 7:58
垂井宿の枡形。右側には「亀丸屋」という昔からの旅籠。
南宮大社大鳥居。下に道標があります。
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4/20 8:02
南宮大社大鳥居。下に道標があります。
道標。「南宮社江八町」。南宮大社は美濃国一宮になります。
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道標。「南宮社江八町」。南宮大社は美濃国一宮になります。
垂井の大ケヤキ。樹齢800年。この根元から垂井の泉が湧き出ています。
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垂井の大ケヤキ。樹齢800年。この根元から垂井の泉が湧き出ています。
垂井のきれいな水。鯉もおよぐ
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垂井のきれいな水。鯉もおよぐ
垂井の地名由来ともなった井戸が復元されたもの。
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垂井の地名由来ともなった井戸が復元されたもの。
奥行きの長い重厚な黒壁。
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奥行きの長い重厚な黒壁。
垂井宿西の見附。広重の浮世絵の場所でもあります。少し坂を上った所にあり、ここで垂井宿とはお別れです。
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4/20 8:17
垂井宿西の見附。広重の浮世絵の場所でもあります。少し坂を上った所にあり、ここで垂井宿とはお別れです。
道しるべ 「八尺堂地蔵尊道 従是南一丁」
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4/20 8:18
道しるべ 「八尺堂地蔵尊道 従是南一丁」
国道を渡った所に道しるべ 「南宮江近道八町」
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4/20 8:33
国道を渡った所に道しるべ 「南宮江近道八町」
日守の茶所。桃の花ですかね。青空によく映えていました。昔の旅人みたいに一服したい気持ちになります。
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日守の茶所。桃の花ですかね。青空によく映えていました。昔の旅人みたいに一服したい気持ちになります。
垂井の一里塚。南側のみですが完全に残っています。これだけのものが街道に立っていれば大きな目印になったでしょう。
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4/20 8:37
垂井の一里塚。南側のみですが完全に残っています。これだけのものが街道に立っていれば大きな目印になったでしょう。
これより天下分け目の関ヶ原町に入ります
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4/20 8:42
これより天下分け目の関ヶ原町に入ります
美濃国二宮である伊富岐神社の鳥居。神社はこここら600m先にあるので今回はご無礼
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4/20 8:49
美濃国二宮である伊富岐神社の鳥居。神社はこここら600m先にあるので今回はご無礼
野上の七つ井戸。野上は垂井と関ケ原の中間で間の宿がありました。地区内には七つの井戸がありその一つを復元したもの。
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4/20 8:53
野上の七つ井戸。野上は垂井と関ケ原の中間で間の宿がありました。地区内には七つの井戸がありその一つを復元したもの。
電信柱も関ケ原スタイル。町中に武将物語があって面白い。
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4/20 9:01
電信柱も関ケ原スタイル。町中に武将物語があって面白い。
防火ホースも関ケ原スタイル。徳川vs石田
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防火ホースも関ケ原スタイル。徳川vs石田
野上の松並木を進みます
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4/20 9:01
野上の松並木を進みます
国道に出て徳川家康最初陣跡。壬申の乱で大海人皇子が山桃を配ったのがこの桃配山。縁起のよさを買ったとのことです。
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4/20 9:11
国道に出て徳川家康最初陣跡。壬申の乱で大海人皇子が山桃を配ったのがこの桃配山。縁起のよさを買ったとのことです。
階段を上ると…こんな近くでも微動だにしないカラス。キョエちゃんみたいやなぁ。
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階段を上ると…こんな近くでも微動だにしないカラス。キョエちゃんみたいやなぁ。
石碑の前には徳川家康が座った石とテーブル用に使った石があります。
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石碑の前には徳川家康が座った石とテーブル用に使った石があります。
家康もこんな感じで見てたのかな
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家康もこんな感じで見てたのかな
関ケ原宿は古戦場アピールは沢山あれど、国道になっているので宿場の面影は少ないです
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関ケ原宿は古戦場アピールは沢山あれど、国道になっているので宿場の面影は少ないです
関ケ原本陣跡のスダジイ。今は八幡神社の境内になっています。
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4/20 9:43
関ケ原本陣跡のスダジイ。今は八幡神社の境内になっています。
西首塚。関ケ原の戦いの戦死者を祀った塚。
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西首塚。関ケ原の戦いの戦死者を祀った塚。
ここで左に入り旧道へ
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4/20 9:55
ここで左に入り旧道へ
道しるべ 「月見の宮 福島陣跡一丁」。行ってみよ。
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道しるべ 「月見の宮 福島陣跡一丁」。行ってみよ。
大きな木のある神社が福島正則の陣跡です。
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大きな木のある神社が福島正則の陣跡です。
月見宮大杉 樹齢800年。
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月見宮大杉 樹齢800年。
真ん中に道標「左旧中仙道 右中山道大谷吉継墓」。とりあえず右へ行ってみる。
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4/20 10:04
真ん中に道標「左旧中仙道 右中山道大谷吉継墓」。とりあえず右へ行ってみる。
不破関資料館を見学。関ケ原を挟んでの食文化の違いの展示が面白かった。壬申の乱ビデオを見ながら足休め。
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4/20 10:06
不破関資料館を見学。関ケ原を挟んでの食文化の違いの展示が面白かった。壬申の乱ビデオを見ながら足休め。
不破関を下ってきた所。こうやって見るとかなりの上り坂。天険の要塞っぽい感じがして関所に適した場所なのを感じます。
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4/20 10:40
不破関を下ってきた所。こうやって見るとかなりの上り坂。天険の要塞っぽい感じがして関所に適した場所なのを感じます。
藤古川(関の藤川)。壬申の乱ではこの川を分けて大海人皇子(左)と大友皇子(右)が戦ったと言われています。古代から天下分け目の地でした。
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4/20 10:41
藤古川(関の藤川)。壬申の乱ではこの川を分けて大海人皇子(左)と大友皇子(右)が戦ったと言われています。古代から天下分け目の地でした。
藤古川を渡るとまた急な坂道を登っていきます。
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4/20 10:42
藤古川を渡るとまた急な坂道を登っていきます。
中央に道標「大谷吉継墓七丁→」。 中山道は左へ。
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4/20 10:43
中央に道標「大谷吉継墓七丁→」。 中山道は左へ。
従是西不破郡山中村地内へ。
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4/20 10:46
従是西不破郡山中村地内へ。
国道の歩道橋の上から。右の旧道が山中集落。
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国道の歩道橋の上から。右の旧道が山中集落。
立場。山中村は難所の今須峠を控えた間の宿で旅人の休憩所でした。
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4/20 10:50
立場。山中村は難所の今須峠を控えた間の宿で旅人の休憩所でした。
鶯の滝。涼しげで年中ウグイスの鳴くところだったそうです。
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4/20 10:56
鶯の滝。涼しげで年中ウグイスの鳴くところだったそうです。
常盤御前の墓。源義経の母です。この付近の賊に襲われ殺されたのを地元の人によって葬られたという伝説があります。
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4/20 10:59
常盤御前の墓。源義経の母です。この付近の賊に襲われ殺されたのを地元の人によって葬られたという伝説があります。
常盤御前の石仏。今須峠の入り口です。
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4/20 11:02
常盤御前の石仏。今須峠の入り口です。
東海道本線今須トンネル。明治33年完成のレンガ造りの119年目。現役です。
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4/20 11:11
東海道本線今須トンネル。明治33年完成のレンガ造りの119年目。現役です。
今須峠を進みます。
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4/20 11:13
今須峠を進みます。
今須峠の頂上。昔は茶店があったそうです。道標には「従是東不破郡山中村地内」
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4/20 11:14
今須峠の頂上。昔は茶店があったそうです。道標には「従是東不破郡山中村地内」
今須の一里塚。今須峠を過ぎて国道に合流します。
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4/20 11:17
今須の一里塚。今須峠を過ぎて国道に合流します。
広重の浮世絵「今須宿」が描かれた小屋がありました。「卒業生一同」とあったので学生さんかな。素晴らしいです。
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4/20 11:20
広重の浮世絵「今須宿」が描かれた小屋がありました。「卒業生一同」とあったので学生さんかな。素晴らしいです。
今須橋を渡ると今須宿へ。
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4/20 11:20
今須橋を渡ると今須宿へ。
今須宿本陣跡・脇本陣跡。
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4/20 11:22
今須宿本陣跡・脇本陣跡。
国道・JRの下を潜ると妙応寺へ。ちょうど上を貨物列車が通過。
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4/20 11:22
国道・JRの下を潜ると妙応寺へ。ちょうど上を貨物列車が通過。
妙応寺。立派なお寺です。
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4/20 11:25
妙応寺。立派なお寺です。
境内にある徳川家康の腰掛石。関ケ原の戦いに勝利した次の日に今須宿で休憩した家康が座ったそうです。石に座って手を合わせ「嬉しい・楽しい・有り難い・運・鈍・根」と三回唱えると幸せになれるとのこと。
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4/20 11:26
境内にある徳川家康の腰掛石。関ケ原の戦いに勝利した次の日に今須宿で休憩した家康が座ったそうです。石に座って手を合わせ「嬉しい・楽しい・有り難い・運・鈍・根」と三回唱えると幸せになれるとのこと。
今須宿の問屋場。
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4/20 11:32
今須宿の問屋場。
問屋場の軒丸瓦は永楽通宝でした。
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4/20 11:33
問屋場の軒丸瓦は永楽通宝でした。
今須宿を過ぎて車返しの坂…っていうほど大した坂ではないのに。と疑問に思う。
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4/20 11:44
今須宿を過ぎて車返しの坂…っていうほど大した坂ではないのに。と疑問に思う。
何とわざわざ京からきてあと数キロなのに帰っちゃったのね。。
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4/20 11:44
何とわざわざ京からきてあと数キロなのに帰っちゃったのね。。
ここの細い水路が岐阜県と滋賀県の県境。美濃と近江の国境です。いよいよ滋賀県だ〜
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4/20 11:50
ここの細い水路が岐阜県と滋賀県の県境。美濃と近江の国境です。いよいよ滋賀県だ〜
寝物語の里。 国境があまりに狭いので、美濃と近江の人が寝ながら話ができたと言われています。同じ集落にありながら、別の県というのも珍しい。車のナンバーも違ってました。
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4/20 11:51
寝物語の里。 国境があまりに狭いので、美濃と近江の人が寝ながら話ができたと言われています。同じ集落にありながら、別の県というのも珍しい。車のナンバーも違ってました。
長比城跡登り口。碑の脇にある側溝の文字をよく見ると…
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4/20 12:05
長比城跡登り口。碑の脇にある側溝の文字をよく見ると…
東側は伊勢湾へ
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4/20 12:05
東側は伊勢湾へ
西側は大阪湾へ。 つまり分水嶺なんですね。楽しい看板ありがとう。
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4/20 12:05
西側は大阪湾へ。 つまり分水嶺なんですね。楽しい看板ありがとう。
中央には「旧 東山道」の道標。右の山道が古代の東山道。
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4/20 12:06
中央には「旧 東山道」の道標。右の山道が古代の東山道。
照手姫笠懸地蔵。
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4/20 12:19
照手姫笠懸地蔵。
柏原宿東見附跡。ここから柏原宿へ
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4/20 12:56
柏原宿東見附跡。ここから柏原宿へ
柏原宿から東海道本戦を挟んで伊吹山を一望。見慣れた美濃側とは形が違います。
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4/20 13:01
柏原宿から東海道本戦を挟んで伊吹山を一望。見慣れた美濃側とは形が違います。
柏原宿では一軒一軒このように昔の屋号を掲げていました。宿には22軒の旅籠屋があったそうです。
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4/20 13:07
柏原宿では一軒一軒このように昔の屋号を掲げていました。宿には22軒の旅籠屋があったそうです。
亀谷佐京商店。「伊吹もぐさ」を商う店でした。柏原宿は古い町並みが楽しめます。
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4/20 13:13
亀谷佐京商店。「伊吹もぐさ」を商う店でした。柏原宿は古い町並みが楽しめます。
「江州柏原伊吹山のふもと 亀屋左京の切りもぐさ」 ってのが元祖コマーシャルソングなのだとか。福助さんが元祖マスコットキャラかな。
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4/20 13:32
「江州柏原伊吹山のふもと 亀屋左京の切りもぐさ」 ってのが元祖コマーシャルソングなのだとか。福助さんが元祖マスコットキャラかな。
柏原宿資料館を見学。ビデオ見て休憩しつつ学べるのがありがたい。
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4/20 13:51
柏原宿資料館を見学。ビデオ見て休憩しつつ学べるのがありがたい。
「やくし道」道標。 「従是明星山薬師道」 明星山明星輪寺泉明院への道標。
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4/20 13:55
「やくし道」道標。 「従是明星山薬師道」 明星山明星輪寺泉明院への道標。
まっすぐいくと明星輪寺泉明院があったそうですが、現在はありません。
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4/20 13:56
まっすぐいくと明星輪寺泉明院があったそうですが、現在はありません。
柏原御茶屋御殿跡。 将軍が通行する際に休息する御殿がありました。
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4/20 13:59
柏原御茶屋御殿跡。 将軍が通行する際に休息する御殿がありました。
柏原一里塚。当時のものは現存せず復元されたものです。いずれは大木になるのかな。
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4/20 14:03
柏原一里塚。当時のものは現存せず復元されたものです。いずれは大木になるのかな。
このあたり鶯が原というそうです。山裾をウネウネ歩きます。
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4/20 14:11
このあたり鶯が原というそうです。山裾をウネウネ歩きます。
道しるべ「従是明星山薬師道」。往時は有名な寺院だったんですね。
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4/20 14:16
道しるべ「従是明星山薬師道」。往時は有名な寺院だったんですね。
梓河内で国道に合流。しばらく歩くと「左 中山道」モニュメント。
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4/20 14:45
梓河内で国道に合流。しばらく歩くと「左 中山道」モニュメント。
中山道ここは一色。看板うれしいです。
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4/20 14:48
中山道ここは一色。看板うれしいです。
一色の一里塚跡。名神高速道路の下だけど、松を植えてアピールしてます。
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4/20 14:52
一色の一里塚跡。名神高速道路の下だけど、松を植えてアピールしてます。
仏心水。馬頭観音の近くにあり馬の息災を祈願して掘られた水。
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4/20 14:56
仏心水。馬頭観音の近くにあり馬の息災を祈願して掘られた水。
この先の角を曲がれば醒井宿に入ります。
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4/20 14:59
この先の角を曲がれば醒井宿に入ります。
醒井宿も宿場町の面影が今に残っています。
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4/20 15:02
醒井宿も宿場町の面影が今に残っています。
居醒の清水。大変美しく冷たい水でした。鈴鹿山系から流れ出る湧水だそうです。
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4/20 15:07
居醒の清水。大変美しく冷たい水でした。鈴鹿山系から流れ出る湧水だそうです。
大和武尊の像。伊吹山の大蛇と戦い、毒に侵された日本武尊がこの醒井の水で冷やしたところ高熱が治まったという伝説があります。
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4/20 15:08
大和武尊の像。伊吹山の大蛇と戦い、毒に侵された日本武尊がこの醒井の水で冷やしたところ高熱が治まったという伝説があります。
バイカモ。ハート形をしていました。初夏からは白い梅のような花が咲くそうです。上手に写せないのが悔しい〜。
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4/20 15:12
バイカモ。ハート形をしていました。初夏からは白い梅のような花が咲くそうです。上手に写せないのが悔しい〜。
醒井宿資料館。大正4年に建てられた旧郵便局です。
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4/20 15:26
醒井宿資料館。大正4年に建てられた旧郵便局です。
郵便局の2階は電話交換局としても利用されていました。
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4/20 15:42
郵便局の2階は電話交換局としても利用されていました。
大正時代建てられた醒井楼(料理旅館)。明治時代の醒井小学校の玄関を移築した。
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4/20 15:52
大正時代建てられた醒井楼(料理旅館)。明治時代の醒井小学校の玄関を移築した。
醒ヶ井駅に到着。本日はここで終了です。気持ちよい歩きだった。
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4/20 15:53
醒ヶ井駅に到着。本日はここで終了です。気持ちよい歩きだった。
このコースは約10年前に友人と2人で折畳自転車🚲で滋賀県の能登川から関ヶ原まで中山道に沿って走りました。当時は折畳自転車🚲を買ったばかりで輪行して街道ポタリングすることにハマっており、ここが初めてのプチ遠征でした。(これでも当時の我々にとっては一大冒険行でしたが…少し童心にも帰れました😊)
寝物語の里やベンガラ建築等その他は司馬遼太郎の『街道をゆく24 近江散歩』を読んで知り、それらを再確認する旅でもありました。
まだ慣れてなかったせいか関ヶ原で日没となり、疲れ果てたので帰路は米原駅から新幹線🚅に乗換え、新神戸まで戻ったのが良き思い出となっています。こちらこそご訪問下さりありがとうございました🙏
輪行の街道ポタリングも楽しそうですね。旧道がしっかり残っていて気持ちよく走れそうな道が多いですけど摺針峠はキツそうですね😅 美濃と近江の境があんなに狭い水路だけとは驚きでしたし、仰るように滋賀県のベンガラ壁は隣の岐阜県にはない特徴で改めて文化の違いを感じました。
私も司馬さんの「街道をゆく」が好きで何冊か読みました。その中で郡上街道の話に出てきた道標がなじみのある場所にあると知り、この道標の示す先を歩いてみようと思ったのがウォーキング再開のきっかけです😄
こちらこそ再度ご訪問してコメント下さりとても嬉しいです🙏
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