経塚山_法花寺回遊
- GPS
- 04:15
- 距離
- 9.6km
- 登り
- 659m
- 下り
- 648m
コースタイム
- 山行
- 3:46
- 休憩
- 0:32
- 合計
- 4:18
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所なし、急登多し |
写真
装備
個人装備 |
手袋
|
---|
感想
5月2日に私塾跡から経塚山に登った。その時も経塚山のミヤマキリシマもなかなかいいいと感じた。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1821855.html
周辺ルートも気になっていたのでミヤマキリシマの状況を確認がてら、豊後豊岡駅から往復することとした。特にまだ訪れたことのない奥の院と法花寺跡を確認したいと考えた。山頂のミヤマキリシマは終わった株も若干あったものの見ごろであった。2週間後に再訪したことになるが、再訪時のルートは気が楽で周辺の景色も思いの外楽しめた。往路「先達はあらまほしきことなり」という言葉が突然思い浮かんだ。
往路に写真で確認した神社は【大山積神社】かもしれない(日出町観光マップでの位置:以下で確認)。
https://hijinavi.com/files/Book/0/Book_1_file.pdf
検索したら以下の情報にたどり着いた。「大山積神社」は、森藩久留島家が改修した近代城郭風の本格的な石垣。江戸時代、神社は森藩久留島家の飛地領地となり、鳥居が建てられ、武者返しともいえる立派な石垣が3年がかりで改修されました。お城がなくても、この大山積神社も、玖珠の末廣神社も、立派にお城の機能を果たしているようですね♪確か末廣神社と大山積神社も参勤交代で石畳が繋がってたはずぅ。豊後森藩久留島家(「日本のアンデルセンと呼ばれた久留島武彦の祖先)は、石高が少ないことから築城を許されず、城郭を持たない藩として知られています。
https://ameblo.jp/oita--no--sanpomichi/entry-12210990943.html
また帆足萬里の私塾は以下にもあるそうだ。
天保13年(1842)には私塾「西?精舎(せいえんせいしゃ)」を開き、多くの子弟を教育しました。塾生は多い時は130人余りいたといわれています。 西?精舎があった場所(現・南畑地区)には、現在は記念碑が建てられており、これは明治時代に地元の人々が萬里を讃えて建立したものです。
https://hijinavi.com/hiji/hoashi-banri
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