記録ID: 1855608
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ハイキング
東海
伊勢神宮 外宮〜倭姫宮〜内宮
2019年05月19日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:25
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 47m
- 下り
- 32m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:57
- 休憩
- 0:28
- 合計
- 3:25
距離 7.2km
登り 47m
下り 41m
天候 | 曇り一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
今回は貸切バスで移動。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
市街地歩きなので目立った危険はありません。 ただし、古市参宮街道は道幅が狭く歩道がないうえに車の通りが多いので、大人数で連れ立って歩くには少し心配です。 今回はウォーキングイベントの事前調査として、道中にお弁当を広げられそうな場所がないかを探しましたが、五十鈴公園のみでした。 |
その他周辺情報 | 外宮、内宮周辺にお土産物屋や飲食店が立ち並んでいます。 とくに内宮前のおはらい町、おかげ横丁は有名です。 ただし当然というか、あまりウォーカー向けの施設はありません。 |
写真
伊勢神宮の外宮からスタート。
駐車場到着直後、急に大粒の雨が降ってきましたが、外宮の正宮にお参りした途端に雨が上がるという、まさに神威。
道中の無事を願いつつ、いざ内宮に向けて歩き始めます。
駐車場到着直後、急に大粒の雨が降ってきましたが、外宮の正宮にお参りした途端に雨が上がるという、まさに神威。
道中の無事を願いつつ、いざ内宮に向けて歩き始めます。
近鉄宇治山田駅の東。
宇治山田駅は、皇室や要人が伊勢参宮の折に使うことから、内部に貴賓室が備わっているそうです。
ほとんどの参拝者がここからバスで内宮を目指す一方、今回の私たちのように歩いて外宮から内宮に向かう人の割合は、今や全体のどれくらいなのでしょうか。
宇治山田駅は、皇室や要人が伊勢参宮の折に使うことから、内部に貴賓室が備わっているそうです。
ほとんどの参拝者がここからバスで内宮を目指す一方、今回の私たちのように歩いて外宮から内宮に向かう人の割合は、今や全体のどれくらいなのでしょうか。
日蓮聖人誓願の井戸。
一見すると宮内庁管理陵墓の制札のように見えますが、これは「正法護持財団」という民間団体が昭和3年に掲げたもの。
伝承によれば、日蓮が伊勢参宮の折、ここにあった井戸で百日間の水垢離を経て、のちの日蓮宗開宗のきっかけとなる三大誓願をうち立てたとされています。
一見すると宮内庁管理陵墓の制札のように見えますが、これは「正法護持財団」という民間団体が昭和3年に掲げたもの。
伝承によれば、日蓮が伊勢参宮の折、ここにあった井戸で百日間の水垢離を経て、のちの日蓮宗開宗のきっかけとなる三大誓願をうち立てたとされています。
美術館のすぐ向かいが神宮徴古館(ちょうこかん)。
式年遷宮の折に撤下された御装束神宝を展示するほか、伊勢神宮が所有する文化財などを収蔵している博物館です。
西洋風のお洒落な外観の建物は明治42年に建てられたもの。戦時中、宇治山田空襲で炎上したものの、焼け残った建物外壁を利用して再建されています。
式年遷宮の折に撤下された御装束神宝を展示するほか、伊勢神宮が所有する文化財などを収蔵している博物館です。
西洋風のお洒落な外観の建物は明治42年に建てられたもの。戦時中、宇治山田空襲で炎上したものの、焼け残った建物外壁を利用して再建されています。
倭姫は第11代垂仁天皇の娘で、内宮を創始したとされる人物。
その甥っ子、倭建(ヤマトタケル)は東国の豪族を平定する折、伊勢神宮の倭姫から餞別の神剣と火打石を受け取ります。
これがのちに駿河国を舞台とする「草薙」「焼津」の地名由来神話のきっかけとなる出来事です。
その甥っ子、倭建(ヤマトタケル)は東国の豪族を平定する折、伊勢神宮の倭姫から餞別の神剣と火打石を受け取ります。
これがのちに駿河国を舞台とする「草薙」「焼津」の地名由来神話のきっかけとなる出来事です。
参道を抜けて、再び御幸道路に合流します。
正面の古めかしい門は、江戸時代の御師(おんし)の邸宅にあった門を移築したもの。
現在は皇学館大学に隣接する伊勢神宮の古文書収蔵施設(図書館)、神宮文庫の門として使われています。
正面の古めかしい門は、江戸時代の御師(おんし)の邸宅にあった門を移築したもの。
現在は皇学館大学に隣接する伊勢神宮の古文書収蔵施設(図書館)、神宮文庫の門として使われています。
かつて外宮と内宮を結ぶ最大の街道だった古市街道。
街道資料館の職員さんの話では、往時は1日5000人が行き来したといわれています。
道幅も当時からほとんど変わらないようですが、裏道として利用する自動車の往来が激しく、今や徒歩参宮者にはやや厳しい道になってしまいました。
街道資料館の職員さんの話では、往時は1日5000人が行き来したといわれています。
道幅も当時からほとんど変わらないようですが、裏道として利用する自動車の往来が激しく、今や徒歩参宮者にはやや厳しい道になってしまいました。
古市の道中にある長峯神社。
祭神のアメノウズメは猿田彦の妻で、天岩戸神話では岩戸の前で踊ったという芸能の神様。
この神社でも御朱印を受けることはできますが、このときは神職不在。一応、電話で呼ぶこともできるそうですがお昼時なので遠慮しておきました。
祭神のアメノウズメは猿田彦の妻で、天岩戸神話では岩戸の前で踊ったという芸能の神様。
この神社でも御朱印を受けることはできますが、このときは神職不在。一応、電話で呼ぶこともできるそうですがお昼時なので遠慮しておきました。
今やただの住宅地となってしまった古市にあって、唯一、往時をしのぶことができるのがこの麻吉旅館。
かつて妓楼だった建物で、創業200年経った今でも現役で旅館として営業している建物です。
崖の途中にあるため、非常に複雑な構造をしています。
かつて妓楼だった建物で、創業200年経った今でも現役で旅館として営業している建物です。
崖の途中にあるため、非常に複雑な構造をしています。
古市街道と御幸道路、そして御木本道路の交差点に鎮座する猿田彦神社。
天孫降臨の際に道案内を務めた神、サルタヒコを祀っています。
代々の宮司は猿田彦の子孫とされる宇治土公(うじとこ)家。境内に隣接して宇治土公家出身の女流画家、伊藤小坡の美術館もあります。
天孫降臨の際に道案内を務めた神、サルタヒコを祀っています。
代々の宮司は猿田彦の子孫とされる宇治土公(うじとこ)家。境内に隣接して宇治土公家出身の女流画家、伊藤小坡の美術館もあります。
「現代のおかげ参り」とはよく言ったもので、内宮周辺はいつ来ても人であふれかえっています。
ただ、せめて時間が許せば、外宮との両宮参りには来てもらいたいものです。それだけ外宮との活気の違いを実感します。
ただ、せめて時間が許せば、外宮との両宮参りには来てもらいたいものです。それだけ外宮との活気の違いを実感します。
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
飲料
レジャーシート
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
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---|
感想
毎年秋の団体ハイキングのイベント立案として、今年は伊勢外宮から内宮へのウォーキングを企画しました。
その実地下見として
1.団体で歩いても安全か?
2.お弁当を広げられる場所はあるか?
を調べるために歩きました。
1については御幸道路はともかく、古市街道は難しい、と判断。
2についても、せいぜい五十鈴公園が利用できるか? くらいなところ。
総じて修正点が多いのですが、これも実際に歩いたからこそわかるもの。
秋の本番に向けて、検討を重ねていくことにします。
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