かくてゴリラはマウンテンに挑む（富士山・吉田ルート）

2019年07月31日(水) 〜 2019年08月01日(木)

• GPS: 32:00
• 距離: 14.7km
• 登り: 1,594m
• 下り: 1,597m

コースタイム

1日目

• 山行: 6:10
• 休憩: 0:00
• 合計: 6:10

11:00 富士スバルライン五合目(河口湖口)
12:10 吉田口六合目・富士山安全指導センター
14:10 吉田口七合目
15:30 吉田口八合
17:10 須走口・吉田口登山道 本八合目

2日目

• 山行: 6:25
• 休憩: 1:35
• 合計: 8:00

1:50 須走口・吉田口登山道 本八合目
2:30 須走口・吉田口登山道 八合五勺
3:00 須走口・吉田口登山道 九合目
4:00 吉田口・須走口頂上
4:20 5:10 西安河原
5:25 5:30 富士山
6:00 6:20 吉田・須走ルート下山口
6:50 7:00 須走口・吉田口登山道 本八合目
8:15 8:25 吉田口下山道七合目
9:50 富士スバルライン五合目(河口湖口)
9:50 ゴール地点

恐らくほぼ一般的な富士吉田ルートです。
少し特殊だったのは、ご来光を大沢崩れ上で見るために、お鉢めぐりを逆周りに進んだ点でしょうか。

天候

概ね良好

アクセス

利用交通機関：

電車 バス

新宿駅西口にて7:30出発、以降はツアーに準ずる。

コース状況／危険箇所等

時折ガスに包まれるも登山道は常に乾燥しており、非常に登りやすい状況でした。
また、ガイド付きツアーに参加したら間違いなく教えてもらえることではありますが、高山病対策の腹式深呼吸は必須です。
気圧が低くなると相対的に体内気圧が高まり、肺が膨らみきった風船状態になります。息を吸っても既に空気がパンパンなので酸素を取り込めず、酸欠→高山病となります。
これを防ぐために、「まずは限界まで息を吐き、風船を萎ませてから空気を吸う」という「吸うこと」ではなく「吐くこと」を重要視した呼吸法を教わります。
おそらく、これをきちんと出来るか出来ないかが登頂成功の最大の鍵になるのではないでしょうか。

その他周辺情報

下山後、ツアーの予定に従い温泉施設「花の湯」にて入浴、浅間大社を観光。
どちらも混雑は少なく、入浴・観光ともに快適でした。

写真

7/31 11:11

富士吉田五合目。
さあ、出発です。
ツアーには19人いたようですが、うち6人（？）はフリー登山で解散。
初富士山の私はガイド付きツアーで登りました。

7/31 12:09

六合目。
天気は概ね良好。時折雲の中に入りますが、汗だくの身体にはむしろ最高に気持ちよく、晴れると景観を、ガスでは冷却と、どちらも快適でした。

7/31 13:25

七合目山小屋群が見えてきました。
道も岩場が増えてきますが、個人的には岩場は攻略感があってとても楽しめたので、疲れは殆ど気になりませんでした。

7/31 16:04

八合目より亀岩（右上の出っ張った部分が亀の頭部分）を眺めていると虹が出ました。
天気は若干気まぐれになり（いつもそうなのかも知れませんが……）、たった今まで見えていた景色が、ふともう一度見ると雲に包まれて見えない……なんてことも多々ありましたが、その反面、こんな良いことも。
この辺りで高山病の症状が出始める人もいました。
ひたすら腹式深呼吸を続けることで予防するのですが、身体の故障や疲労によって呼吸が疎かになり発症してしまうケースも多いようです。

7/31 18:06

宿泊地である本八合目に到着。
下には山中湖が見えました。某漫画でクジラだのフライドチキンだの言ってましたが、確かにそんな風に見えますね（笑）
登山中でなくとも、常に腹式深呼吸を続けるよう心がけています。

7/31 17:24

山小屋に着いたらすでに食事の準備ができていました。
中には疲れ過ぎで喉を通らないなんて人も出てくるそうですが、ガイドさんのペースが絶妙だったのか、私を含め全員が完食していました。

7/31 23:10

夜中にトイレに起き出すと、山中湖村でしょうか？周辺の夜景がきれいに見えました。
……が、私のコンデジでは撮影は難しく、これが一番まともに撮れてる一枚です（笑）

8/1 3:03

翌日の午前2時、山頂に向けて出発です。
ツアーの何人かは高山病を発症してしまい、山頂に向かったのは8人＋ガイドさん＋バス添乗員さんとなりました。
噂通りの大渋滞で、下を見るとこれも噂に聞いていた光の行列。
平日でさえこれですから、休日となると大変なのでしょうね。

8/1 3:14

山頂が見えてきました。（行列先頭のぼんやりした赤い光がそうです。左の赤い光は飛行機だと思います）
手ブレ写真ばかりですいません（汗）
この日は夜中も天気がよく満天の星空。
渋滞では嫌でも何度も止まるので、それが立ち休憩となります。その間も腹式深呼吸を続けながら、ずっと星を見ていました。
天の川なんて見たのは十数年ぶりくらいでしょうか。
バス添乗員さんに言わせると、ご来光よりも星空のほうがレアで、見れるとラッキーなのだそうです。

8/1 4:40

無事山頂に到着、ご来光を待ちます。
お鉢めぐりに参加していた私を含む5人は、暗いうちからお鉢めぐりを始め、大沢崩れを見下ろす辺りに陣取りました。

8/1 4:47

来ました。
息を呑むあまり、思わず腹式深呼吸まで止まりそうに（笑）
こういった形の雲の中から出てくるご来光も、あまり頻繁には見られないそうです。

8/1 4:49

言葉も出ません。

8/1 4:51

もう一枚ご来光を。
雲を押し分けるように登ってくるのが、なんとも不思議な感覚です。

8/1 5:12

反対側の大沢崩れを見ると、見事な影富士が。
右端には南アルプスも写ってます。

8/1 5:28

念願の剣ヶ峰。
逆光で見えにくいですが確かに剣が峰、日本で一番高い場所です（笑）
腹筋機能のない身体で登頂を志し、以降2ヶ月間ほぼ毎週のように近隣の山を登り続けて体力を作ってきたのが、ようやく実りました。

8/1 5:35

富士山の火口。
万年雪も見えます。
ロープが張ってあって立入禁止に見えますが、別に絶対禁止というわけでもなく、あくまでも自己責任だそうです。
たまにスキー板を担いで登ってきて、ここで滑っていく登山者もいるとか。
私はもちろん見るだけです（笑）

8/1 14:22

下山後、温泉で身体を解してから浅間大社へお参り。
富士山で祀っている木花咲耶姫の総本山だそうです。
天気は快晴。というか、メチャクチャ暑い！

撮影機器：

RICOH WG-60 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.

装備

個人装備

Tシャツ ズボン 靴下 グローブ 雨具 防寒着 日よけ帽子 靴 ザック サブザック 昼ご飯 行動食 非常食 飲料 地図（地形図） コンパス 笛 計画書 ヘッドランプ 予備電池 筆記用具 ファーストエイドキット 常備薬 日焼け止め 保険証 携帯 時計 タオル ストック カメラ コッヘル バーナー 細引き（5mx2）

備考

下山時、足裏の加熱が深刻に。
以前に高尾〜陣馬山縦走にて冷却スプレーを使用した際に気休めにしかならなかったので装備から外していたのですが、「気休めでもいいから持ってくればよかった」といった気分になりました。

感想

nyagicha

■1日目

　バスの中では思ったより眠れなかった。というより、途中からバス添乗員さんに「眠っちゃだめ」と言われていた。
　富士山についての説明をちゃんと聞いてもらう必要もあるのだろうが、おそらく高山病対策も兼ねているのだろう。
　一般的に、人間は眠っている間は呼吸が小さくなるらしい。そして呼吸が小さいまま標高の高い場所へ移動すると、高山病まっしぐらである。
　バスの中で眠ってしまうと、五合目に到着して起こされた途端に高山病の症状がドカーンと襲いかかってくる可能性があるのだ。きっと、過去にそういった事例が少なからずあったのだろう。
　説明の大半は、私にとっては好日山荘の登山教室で既に聞いていた内容ではあったが、添乗員さんの語りが上手かったためか、退屈はしなかった。
　バスと登山教室と、どちらで聞いた話なのか頭の中で多少ごっちゃになっているが、一応おさらいしておこう。

　富士山頂付近の夏季における日の出前の平均気温、5℃。平均風速、7．5メートル毎秒。
　なお、体感温度は1メートル毎秒につき1℃下がる。つまり、平均体感温度はマイナス2．5℃ということになる。
　あくまでも「平均」である。真夏でも気温が氷点下になることがあるし、風速10メートルなんてのも珍しくない。運悪くこれらがコンボしたら、体感温度は実にマイナス10℃以下だ。防寒着がなけりゃ軽く死ねる。
　気圧は600〜700ヘクトパスカル前後、地上のおよそ2／3と考えれば良い。
　気圧が2／3ということは、同体積の空間に含有される酸素の量も2／3。……要するに、一回あたりの呼吸で肺が取り込める酸素量も地上の2／3ということだ。
　肉体が酸素不足に陥るとどうなるか。頭痛・めまい・吐き気・脱力などの症状が現れる。高山病だ。最悪の場合、肺水腫を引き起こして死に至る可能性もあるので、断じて軽視はできない。
「高山病の子供を背負って、そのまま登山を続行する」などは、絶対にしてはいけないデンジャラスきわまりない行為と言えよう。

　富士山登頂の成功率は40〜50パーセント。実に半分以上は途中でリタイアしている。その理由のダントツトップは高山病、二番目は低体温症、その次くらいに疲労・怪我とくる。
　血気盛んな若者ほど高山病・低体温症の傾向が多く、その大半は軽装および弾丸登山だという。一方で、お年寄りは疲労・怪我が多いそうだ。
　だが、ガイド付きの場合、怪我はともかく疲労で挫折するケースはほとんどないらしい。少なくとも、このバス添乗員さんはそのケースに出くわしたことがないそうだ。体力が一番の心配の種である私としては、なんとも心強い情報である。
　そして、無事に登頂できたとしても、御来光が拝めるかどうかはお天気次第。
　ちなみに、この添乗員さんは今年に入って6回ツアーに同行したそうだが、その中で御来光を拝めたのは2回だけだったという。
　まあ、早い話が「御来光を拝めなくても怒らないでね☆」ということだろう。

　だいたいは事前に勉強した通りだが、中には意外というか、興味深い話もあった。
　富士登山に携行するグッズの定番として、しばしば「酸素缶」や「食べる酸素」が挙がる。かくいう私も「食べる酸素」を準備してある。グレープフルーツ味のタブレットだそうで、実は食べるのをちょっぴり楽しみにしていた。
　だが、これら酸素グッズはあくまでも緊急用のもので、「苦しくなったら酸素を補給して、元気になったら再度出発！」といった使い方をするものではないらしい。
　その理由も、聞いてみれば納得である。
　高山病の対策とは、端的に言えば「身体を高山に順応させる」以外にないからだ。
　少ない酸素でも活動を続けられるように、少しずつ少しずつ身体を慣らしていくのだ。
　そうやってコツコツと身体を順応させていっても、苦しいからと言って酸素缶を使ってしまうと、せっかく順応した身体が「おお、酸素足りてるじゃん」となってリセットされてしまう。
　当然、一度でも使ったら、以降は使い続ける必要が出てくる。ちなみに酸素缶一本の容量は、せいぜい5分もつかどうかと言ったところだ。「酸素缶を吸いながら登頂を目指す」となると、ザックの中に何十本も酸素缶を詰め込む必要があり、とても現実的ではない。
　ゆえに、酸素缶や食べる酸素は、高山病にかかってしまい「もう無理。リタイアします」というときに「酸素の多い標高まで下山してくるまでの間をなんとか凌ぐ」、こういった目的でしか役に立たない、というわけだ。
　うーむ。楽しみにしていたのだが、グレープフルーツ味は出番がないに越したことはないらしい。
　とかなんとか話を聞いていたら、バスが停まった。

　7月も終わろうかという某日。午前10時ちょい過ぎ。
　富士スバルライン五合目。富士吉田ルートの登山口である。
　バスを降りたら、フリープランの人たちは早々に解散してしまった。私を含め、残った13人がガイド付きプランの参加者というわけだ。
　既にここも低酸素圏、耐性の弱い人はこの高さでも高山病の症状が出るらしい。
　ここで1時間近くの休憩時間を設けられた。なんでも、この辺りでのんびりブラブラすることで、まずはこの場所の気圧に体を慣らしておくためだそうだ。
　食事は好きなものを選べるそうだが、よくわからんのでとりあえずカレーを選んでおいた。カレーを選べば間違いはないだろう。カレーは無敵である。
　だが、出された富士山カレーを食いながら、ふと思い出した。「山小屋で出される食事は異常にカレー率が高い」という話を。まあ、今となっては仕方がない。
　食事の後はお土産屋さん巡りだ。
　何故、山を降りてきた後でなく、今お土産を買うのかというと、下山は途中から自由行動になるそうで、「10時半までにここに戻ってくること」となっているからだ。
　余裕綽々で戻ってこれるのなら問題はない。しかし、力尽きて時間ギリギリに戻ってきた場合、お土産屋さんどころではなくなってしまう。ゆえに、余裕のある今のうちに買っておいて、コインロッカーに預けて登山を始めるのが良いらしい。
　こんな感じで時間を潰し、集合場所に向かうと添乗員さんとは別にガイドさんがやってきていた。この添乗員さんがそのままガイドになると思っていたが、違うらしい。
　パーティ全体をガイドさんと添乗員さんで挟むことで、はぐれる人を出さないようにするのだそうだ。

　挨拶もそこそこ、ガイドさんから高山病対策のレクチャーが始まる。
　それは、「腹式深呼吸」とでも呼ぶべき、高山独特のちょっと特殊な呼吸法である。
　ところで、魚釣りではよくある光景だが、海の底から引っ張り上げられた魚が、浮き袋をぱんぱんに膨らませて口から溢れさせてしまっている、そんな様子を目にしたことはないだろうか。
　あれと同じ原理が人間にも働くのだ。つまり、高山に登り気圧が低くなると、相対的に人間の体内気圧は高まる。肺は胸の中でぱんぱんに膨らんだ状態になってしまうのだそうだ。
　その状態で息を吸い込んでも、既に肺は膨らみきった風船状態。当然、新しい酸素が入る余地はない。一生懸命に息を吸っても、体内の酸素はどんどん不足していく。高山病コースだ。
　こうならないためにはどうするのか。
　まず、息を吐くのだ。ぱんぱんになった肺を可能な限り萎ませて、酸素を吸い込める余地を作ってやる。
　高山における深呼吸とは、「まず息を吸うのではなく、まず息を吐き切る」腹の底からすべての息を吐き出し、空気を絞り出すこと。腹式深呼吸である。
　しかし、いきなりやれと言われても、私を含め普段の生活では「息をすべて吐き切る」なんてやったことのない人が大半である。
　そのため、ガイドさんのレクチャーに倣い、みんなで練習するわけだ。

　口を窄め、ほっぺたを膨らませ、あえて唇で空気抵抗を作ってやり、その上で窄めた口から勢いよく息を吐く。こうすることで、肺は「うお、なんか空気出てかねえじゃん。もっと吐き出さんと」となり、身体が勝手にすべての空気を吐き出してくれる。これが簡単な腹式深呼吸のやり方である。
　だが、それをガイドさんが実践してみせるのだが、その顔がいけない。いわゆる「ひょっとこ」の顔である。なかなか楽しいガイドさんで面白おかしく実践してみせるが、参加者のうちの若い女の子なんかはその「ひょっとこ顔」に大ウケしてしまい、「自分でそれをやるなんてとんでもない」状態になってしまった。
　それでも、やらなければ登山は始められない。結局、13名全員がひょっとこ化するまで10分くらいかかった。

　さて、身体の準備が整ったら、次は隊列を決めねばならない。
　基本的には、ガイドさんを先頭に、自信のない人から順に2列になって、最後に添乗員さんが脱落者チェックをしつつ歩いてくると言った寸法だ。
「では、自信のない人いますか〜？」
　真っ先に挙手しようかと思ったが、先を越されてしまった。私以外にも無謀な挑戦をする人がいるものである。
　ともあれ、2列構成なので問題はない。ガイドさんにへばりついていこう。
　高山病対策ができて、隊列が決まったら、靴紐を締めてトレッキングポールを伸ばす。ハイドレーションチューブをセットすれば、準備は完了。
　時刻は11時15分。さあ、いよいよ冒険の始まりだ。

　五合目の一番奥からだだっ広いダート道が続いている。
　しばらくはほとんど平坦で、登っているのか下っているのかわからないほどだ。……どちらかというと下っている気がする。
　右手に富士山頂に至る斜面を見ながら、黙々と歩く13人のひょっとこ。勾配がゆるい道においては、ガイドさんのペースは結構速い。
　しかし、火山岩が砕けたものだろうか、足場はザラザラとした砂利道だ。足が沈み込みがちで、思ったよりも歩きづらい。速いペースだと結構体力持ってかれる。
　これは……今日まで近隣の山を何度も登っておいて本当によかった。
　ツアー申し込み時に届いたメールでも「事前に最低限の体力を作っておくように。10日くらい前に近隣の低山を登っておくことが望ましい」などと書いてあったが、なるほど、確かにこれは運動不足ゴリラが軽々しく挑んで良い世界ではない。
　時折、馬が行ったり来たりしていて、油断すると馬糞を踏みそうになる。
　分岐だ。まっすぐ行くと下り勾配で、明らかに山頂方面ではない。周囲に大勢いる登山者のほとんどすべては右に折れて登っていく。もちろん我々もだ。
　さすがに迷うべくもないが、ガイドさんの言うところによれば、富士山は下山こそが迷いやすく、ここも典型的な間違いスポットだそうだ。
　そうでなくとも、下山は自由行動なのだ。山頂から下りてくると、つい「下へ、下へ」と言った心理が働く。この分岐では、五合目方面（若干の登り坂になっている）に向かわねばならないのに、ふらふらと「下に向かってんだから、こっちか」と、徒歩で一合目に向かうルートへと進んでしまうケースが後を絶たないという。
　なるほど、道迷いスポットその1か。覚えておこう。

　さて、右に折れたらいきなり登り勾配が現れた。
　道はいつしかコンクリで固められた敷石みたいになっている。この石がつるつるしている上に、さらさらの砂が乗っているので結構滑る。わりと要注意だ。
　ガイドさんのペースもゆっくりになって、今まで以上に腹式深呼吸、つまり「ひょっとこ顔」を意識するようにと言われた。なるほど、ここから登山モードになるわけだ。
　今や私にとっては定番となった「のったり歩き」の出番である。更に、これにひょっとこ呼吸のリズムを合わせるとなお良いとのアドバイスを受ける。
　のったり、のったり。この二回目の「のったり」に合わせて、ひょっとこ顔で息を思い切り吐き出すのだ。
　結構な勾配の中、後ろからブヒヒーンといななきの声が。
　馬だ。この勾配を馬がカッポカッポと登っていく。そういえば、この辺りにもまだ馬糞が落ちている。
「馬ってどの辺りまで登るんですか？」
「最大で七合目ですね。どうしても動けなくなった人を乗せて帰ってきますよ」
　ほほう。そんな緊急措置があるのか。心強いものだ。
「3万円取られます」
　うむ、やはり自分の足で歩くのが肝心だ。
　地面はダートに変化し、少し開けた場所に出る。
　ちょっとした小屋があって、そこでは保全協力金を募っていた。名前の通り、富士山の環境や景観を維持するための費用を集めているのだ。
　今年から強制徴収にするとか噂を聞いていたのだが、素通りしていく人も多い。そもそも日本語をしゃべれない外国人登山者も多いし、実際のところ強制というのは不可能ではなかろうか。
　ちなみに私は前もってコンビニで支払い済みだ。記念品引換券？　みたいなのが付いてたので五合目の管理事務所で見せたら、木札を貰えた。削り出し＆焼印でなかなかオシャレに出来ている。自分用のお土産はこれで決まりだ。

　このすぐ先に六合目の標識があった。ガイドさんの指示でロング休憩。
　時刻は12時10分。天気は上々。たまに雲が流れてくるが、おおむね日が差している。この辺りで下を見ると、早くも「すげえ登ってきた」感が溢れて超ワクワクしてくる。だが、まだまだこれからだ。
　15分ほど休憩してから再び歩きはじめると、ほどなく下山道との合流地点が見えてきた。
　ここ富士吉田ルートは、その大半が登山道と下山道に別れており、狭い山道ですれ違わずに済むように作られている。
　ここも下山時に道を間違えやすいポイントだそうだ。
　疲れてくると判断力も鈍って「みんなが進んでいく方向が正解だろう」とか考えてしまい、下山しているにも関わらず登山道へと入り込み、めでたく富士登山2周目に突入してしまう人も一定数いるとか。
　その人たちは、いったいどうなってしまったのだろうか。ともかく、2周目突入は御免こうむる。ここも要注意、道迷いスポットその2だ。
　しばらくダートが続いたのち、突然、様相が変わってきた。
　遥か上の方に建物がちらほらと見え始めたと思ったら、道がいきなり岩場になったのである。
　ここまでてくてくと単調なダート道が続き、「ふーむ、富士山もこんなものか」と思っていた矢先のことだった。
　岩場ではまっすぐ登らずに、ジグザグにコースを選んでいく。一歩一歩、慎重に足場を確かめながら、ときにはトレッキングポールに頼らず、手で岩をしっかり掴んで登っていく。
　しんどいが、それ以上に楽しい。
　前にも大岳山で感じたことだが、岩場とは山登りの中でも屈指のワクワクスポットだと思う。
　登り続ける体力が重要なのは言うまでもないが、それに加え、周囲の地形を素早く観察してルートを決定する判断力、考えた通りに正確に足を運んでいく技術が必要とされる。
　岩場とは、自分のすべてが試される場所なのだ。
　ガイドさんはお手本とばかりにすいすい登っていくが、同じ足場が私にとっても有効とは限らない。自分なりのルートを探りながら、ときにはガイドさんとはまったく逆のジグザグを描いて登る場面もある。
　やはり岩場は良い。超楽しい。一歩一歩が攻略であり、自分の体力・判断力・技術力を試す場でもある。メチャクチャしんどいが、まったく苦にならない。
　ほとんどウキウキしながらの岩登りだが、夢中で続けているうちに、岩場が突然階段に変化した。
　さっき、遥か上に見えていた建物に到達したのだ。
　時刻は午後1時35分。七合目山小屋群の始まりである。

　休憩を挟みつつ最初の山小屋の前を抜けると、再び岩場が現れた。少し上にはまた別の建物が見えている。
　どうやら、七合目はこの繰り返しのようだ。山小屋を抜け、岩場を黙々と攻略していくと、また次の山小屋が……といった具合である。
　こうした山小屋群を5つほど抜けた頃だろうか。隣を歩いていたおじさん（例の「自信のない人」に真っ先に挙手した人である）の調子が崩れてきた。
　休憩中に話を聞くと、どうやらここまでの岩場で膝をやってしまったらしい。膝の痛みで「ひょっとこ呼吸」に集中できず、どんどん酸素が欠乏していっているようだ。
　なるほど、高山病対策は単に呼吸にだけ集中していれば済むという話でもないようだ。体力であれ筋肉であれ、あるいは関節であれ、どこかが故障するとそこに引きずられて腹式深呼吸も乱れてしまう。思った以上にシビアな世界だ。
　おじさんのペースが目に見えて遅くなり、隊列全体がおじさんに合わせてゆっくり進むことになる。
　が、おじさんを笑うことも責めることも、決してできない。
　おじさんの姿は、あるいは私の姿でもあったからだ。今回はこのおじさんが同行していたから、たまたまおじさんが足を引っ張る結果になっただけだ。
　おじさんがいなかったら、2番目に挙手した私が同じように隊列全体のペースを乱していたことだって、充分に考えられる。
　七合目における最後の山小屋を抜けるかといった辺りで、おじさんが軽く嘔吐。かなり厳しそうだ。
　高山病は酸欠が原因ではあるが、その症状は「息苦しさ」という形ではあまり現れない。頭痛に吐き気、めまいに脱力……。このおじさんは吐き気にきているようだ。
　ガイドさんがしきりにひょっとこ呼吸をするようにと言うが、高山病の恐ろしいところか、こうなると深呼吸をする余裕さえもなくなっていくらしく、10歩も歩かぬうちに立ち止まって嘔吐感に耐えている。
　結局、ガイドさんがおじさんのザックを背負うことで、どうにか脱落者を出すことなく山小屋群を通り抜けた。

　山小屋群が終わりに差し掛かったあたりで、天気が目まぐるしく変わり始めた。それまで晴れていたのに、突然、霧というか雲に包まれ、割と大粒な雨が降ってきた。雷も鳴りはじめ、結構ビビる。と思ったら、雲はあっさりと通り抜け、また見晴らしの良い晴れ間となる。
　山では夕方に近くなるほど天気が崩れやすいと言うが、これがそうなのか。
　登山道の様子も階段混じりのダート坂道になったり、また岩場がちょこちょこっと出てきたりと、変化に富んでくる。
　こうして見ると、やはり私は坂道よりも岩場のほうが遥かに楽しく感じる。疲れるには疲れるし、ふくらはぎもパンパンになっているが、そんなのまったく気にならないほどグイグイと登っていける。
　その一方で、ダートや火山岩混じりの坂道になった途端、強烈な疲労に襲われる。ダートは基本的に緩やかな上り勾配だが、単調にのったりのったり歩くのが不思議なほどしんどい。たまにひょっこり顔を出す階段など、太ももを持ち上げるのも億劫になる。
　どう考えても岩場のほうが険しいはずなのだが、「楽しい」と感じる心はなによりも疲れを忘れさせるものらしい。我が身ながら面白いものだ。

　午後4時を過ぎたころ、八合目に到着。
　ロング休憩に入った地点で、ガイドさんが左手の斜面に見える特徴的な岩を指差した。「亀岩」と呼ばれる岩だそうだ。岩の段差の具合で、この位置から見ると亀に見えるということだが……。うむ、亀か……。ちょっと微妙だが、そう見えなくもない。
　こうして亀岩を眺めている間にも、雲に包まれてまったく見えなくなったり、バラバラッと雨に降られたかと思うと、またすぐに晴れ間に戻ったりを繰り返す。
　今の雨の置き土産とばかりに、亀岩に虹がかかっていた。なるほど、雨も悪くないものだ。
　やはりと言うべきか、少々ペースは遅れているようで、ガイドさんは無線機で「今、〇〇の辺りです」などと頻繁にやり取りをしている。
　まあ、時間のことはこっちが気にしても仕方がない。ガイドさんに任せておこう。
　八合目を過ぎてからもダートと岩場が断続的に続く。やはり緩やかな勾配のダートで疲労困憊し、岩場に入った途端元気が出てくる。
　もうこの際、最初から最後まで全部岩場でも良いとさえ思えてくる。
　しかし、どんなに元気が出ても、最終的にはおじさんのペースに合わせざるを得ない。
　ツアーで登山をするということはこういうことだし、むしろ私などは「自分の代わりにおじさんが矢面に立ってくれている」くらいに考えているので、迷惑などとはまったく感じてはいない。が、参加者のうちの高校生とおぼしき男の子は体力を持て余しているらしく、このスローペースに多少苛立っているようだ。登山杖（富士山で売っている木製の杖）で地面をガシガシやっている。
　あまり険悪にならなければ良いのだが。

　もうひとつ、この辺で私の体調にも変化が現れてきた。やたらにゲップが出てくるようになってきたのだ。
　この辺りは恐らく700ヘクトパスカル前後、もう山頂と大して変わらない気圧だ。
　体内気圧が相対的に高まるので、身体が勝手に空気を排出しようとして、ゲップとなって出てくるのだ。ここまでは知識としては知っていたので問題ない。
　問題は、そのゲップに軽い嘔吐感が混じっているということだ。まだ程度は軽いが、しかし確かにゲップが出るたびに、まるで船酔いでもしたような気持ち悪さが込み上げてくる。
　間違いなく、高山病の初期症状だ。ついに来てしまったか。
「これ、大丈夫なんスかね？」
　ガイドさんに聞いてみるが、「それ以上悪化しないように祈りつつ、深呼吸をしましょう」とのことである。
　実際のところ、高山病というものは体質によって出たり出なかったりするらしい。一生懸命に腹式深呼吸を繰り返しながら登ってもなお高山病にかかってしまう人がいる一方で、ろくに腹式深呼吸なんかしないままケロッとした顔で山頂まで登れちゃう人もいる。
　自分の体質がどうなのかは、登ってみなければわからない。こればっかりは生まれ持っての才能みたいなもので、努力でどうなるものではない。ガイドさんの言う通り、こうなってしまった以上は祈るしかないのである。
　文字通り、祈りながらひょっとこ呼吸を重ね、一歩一歩登っていく。祈りが通じたのか、幸いなことに嘔吐感はこれ以上ひどくなる様子はない。
　日が傾き始め、だんだんソワソワし始めた頃、ガイドさんがとある建物の前で停まった。
　時刻は午後5時20分になっていた。

　本八合目、富士山ホテル。ここが今日宿泊する山小屋である。
　着いた……なんとか一日目は無事に登りきることが出来た……などと感慨に耽る間もなく「さあさあこっちへ入って。はいどうぞ13名様ごあんなーい」みたいなノリで食堂に連れ込まれる。
　テーブルには既に食事の支度が済んで並んでいた。
　なるほど、我々の到着に合わせて食事を準備していたわけだ。さっき、ガイドさんが無線で現在地を頻繁に連絡していたのは、こういう段取りもあるのだろう。
　目の前にあるのは、案の定カレーである。うむ、やってしまった。
　だが、良いではないか。普段カレーばっか作ってるゴリラが、念願の富士山に登って、昼も夜もカレー食ってるのだ。いったい何の不満があろうか。カレーだいすき。カレーは無敵である。
　ガイドさんの話によれば、疲労困憊でご飯が喉を通らない人も出てくるそうだ。そんな場合でも、多少無理をしてでも食べたほうが良いという。
　もちろん栄養補給の意味もあるが、ご飯をきちんと食べないと、脱水症状の原因になったり高山病の引き金になったりすることもあるようだ。
　が、危惧する必要などまるっきりなかったようで、全員があっという間に完食してしまった。

　食事の後は、すぐに別の建物にある寝床に案内される。
　話には聞いていたが、なるほど、これは狭い。私のごとき薄らごっついゴリラでは肩幅ぎりぎりで、ほぼ身動きが取れない。
　いや、それは覚悟の上だ。幸い、寝相はそれほど悪くないほうだし、そんなことは問題にはならぬ。それ以上の問題が降り掛かっていた。
　いったいどういった巡り合せか、私の両隣が女性になってしまったのだ。しかも、右隣に至っては学生かと思われる。JKまたはJDである。
　嬉しいかって？　そりゃまあ嬉しくないはずがない。だが、それ以上に申し訳ない。うら若き娘さんが、こんなむさ苦しいおっさんの隣では落ち着いて眠れまいに。
　……実際には、そうではなかった。
　眠れないのは私である。いや、別に「若い娘さんを意識して眠れなかった」とか、そういう初々しい話ではない。
　この娘さん、たいそう大胆な寝相をお持ちのようで、足を私の布団に突っ込んでくるのである。やっとウトウトしてきたかなーとか思っていたら、布団の中で娘さんのふくらはぎが私のそれに絡んでくるのだ。
　暗闇の中、ゴリラの目がギラギラと光る。
　どうすんだこれ。まじで眠るどこじゃねーぞ。ある意味、洒落にならん。蹴り戻しちまうか？　いや、こんなラッキー……じゃない、こんな環境でせっかく眠れた娘さんを起こすのは忍びない。
　だが、考えても見たら、ある意味これが若い娘さんで良かったのではないだろうか？　ああ、いや、別に変態的な意味ではない。本当だ。ゴリラ嘘つかない。
　もしも、足を突っ込んできたのがむさ苦しいおっさんだったら、いったいどうなるか。
　100パーセント、間違いなく蹴り返す。むさ苦しいおっさんに布団を侵略されて、黙って我慢する私ではない。なにがなんでも私のベッドスペースを死守すべく、徹底抗戦が始まる。
　ことによっては、ゴリラの雄同士による醜い縄張り争いが一晩中展開され、眠れないどころか、超ギスギスした雰囲気で山頂に向かうことになりかねない。
　そういう意味で、若い娘さんの寝相ならば、「まあまあ、いいじゃないの」と大人の余裕で笑って許せるというものだ。うん、隣が若い娘さんで本当に良かった。ゴリラ嘘つかない。

　実のところ、「眠れないときの対策」も教わっていた。
　ただでさえメチャクチャに狭い山小屋である。どこぞのおっさんのイビキも響き渡れば、私のように若い娘さんに足を絡められると言ったドキドキハプニングもあろう。
　明日は山頂に向かわねばならないのに、身体を休めねばならないのに、眠れない。そういうことはよくあるものだ。
　そんなときには、「もう眠るのは諦めて、ひたすらに腹式深呼吸を繰り返しなさい」とのことだ。
　実際のところ、布団の中で体を伸ばしてじっとしているだけで、体力は結構回復するものだ。眠気に関しては、富士山頂に向かうとあってはアドレナリンがドバドバなので、少なくとも下山するまではほとんど問題にならない。
　加えて、冒頭にも書いたが、人間は眠っている間は呼吸が浅くなる傾向にあるのだ。つまり、当たり前だが、眠っている間は腹式深呼吸、ひょっとこ呼吸ができない。
　ここまでピンピンしてた登山者でも、出発時間になって目が覚めた途端、いきなり高山病ドーン！　となることも少なくないそうだ。
　どうせ眠れないのであれば、完全に割り切って出発時間までの間ずっと腹式深呼吸を繰り返し、身体を高山に順応させることに専念する。これもまた、富士山で夜を過ごすテクニックのひとつらしい。
　そんなわけで、寝るのは完全に放棄して、暗闇の中で目をギラギラさせながら、ひとりひょっとこ化を続けるゴリラであった。いや、暗闇でわからないだけで、他にもひょっとこはいたのかも知れないが。

　夜中の11時くらいにポンポンがピーピー言い始める。登ってる最中にポンポンピーピー警報が鳴らないのは良い傾向だ。
　富士山のトイレは基本的に有料で、五合目では1回100円、七、八合目では200円、山頂では300円になる。
　富士山のために用意した100円玉専用のコインシリンダーを引っ掴み、トイレのある屋外へと出ていった。
　……ものすごい星空だ。最初は雲かと思ったモヤモヤは、よく見たら天の川だった。
　すげえ。天の川なんて何年ぶりだ？　はるか昔、バイクで北海道を旅したとき、屈斜路湖で見たのが最後の記憶だろうか。実に十数年ぶり、ということになる。
　写真を撮っては見たものの、私のカメラでは映るのは暗闇だけだった。さすがに星空を撮るのであれば、バルブ解放できるカメラでなければ難しいか。
　ちなみに、下山後にバス添乗員さんに聞いた話では、実のところ、富士山で星空を見れるのは、御来光を見るよりもレアなことだそうだ。なかなかラッキーだったようだ。
　起きたついでに、ハイドレを満タンにするべく山小屋の売店で飲み物を買う。ここは24時間営業だ。
　500ccのペットボトルが1本500円。流石に高い。
　富士山にこういった物資を運ぶ手段はたったひとつ、ブルドーザーのみである。下山道がブルドーザー路を兼ねていて、下山者を縫うように、ゆっくりゆっくりと運んでくるのだそうだ。
　ちなみに、ここ本八合目は標高3370メートル。
　高山の特徴でもあるのだが、山頂付近では地形効果とかそういうので乱気流が発生しやすく、ヘリコプターで近づくのが困難だという。
　かつて、遭難者を救助しようとしたヘリコプターが乱気流に巻き込まれて事故を起こして以来、標高3200メートル以上にはヘリを飛ばさないことに決まっているのだそうだ。
　である以上、大型ヘリコプターかなにかで物資をまとめてドーンと運ぶ……などということはできない。地道に、地道に、ブルドーザーで少しずつ運ぶしかない。
　ゆえに、ペットボトル1本でもこの金額。文句を言うことは出来ない。富士山に登るということは、そういうことなのだ。

　さて、再び布団に潜り込む。暗闇の中で腹式深呼吸を繰り返す。
　隣の娘さんの寝相は相変わらずだが、無心だ。心を無にして、我が身にひょっとこを憑依させるのだ。


■2日目

　午前1時。ポンポン……ではなく腕時計がピーピー言い出した。
　起床時間である。まあ、1秒たりとも眠っちゃいないが。
　狭いスペースで四苦八苦しながら足裏と太ももにテーピングを施していく。
　好日山荘の登山学校でテーピング講座を受けていたので、自分に必要なテーピングは把握している。必要なテープをあらかじめ切って用意しておいたのが、この状況ではものすごく役に立った。
　この暗くて狭い中でハサミを出してチョキチョキやっていたのでは、時間がかかってしょうがないし、布団とかにくっついてしまい、まともにテーピングできまい。
　テーピングが終わったら、加圧タイツとワークマンのクライミングパンツをはく。
　上半身はインナーとして厚みのあるメッシュシャツ、これは汗冷えを防ぐスグレモノ。その上に厚めの長袖化繊シャツを着込む。よし、完璧だ。
　集合場所を間違えて、ちょっと待たせてしまう。完璧でもなんでもない。
　見れば、昨日よりもずいぶん人が減っていた。
　私を含め8人だ。昨日の時点でグロッキーになっていた例のおじさんはまあ仕方ない。しかし、遅いペースにイライラしていた高校生の男の子もダウンだそうだ。
　あれほど元気で軽々と登っていたというのに、ひょっとこ化が甘かったのだろうか、目を覚ました途端に高山病ドーン！　激しい頭痛に苛まれ、山頂どころではなくなってしまったという。
　高校生を連れてきていたお爺さんも一緒に下山、その他2人がやはり高山病。合計5人がリタイア、ここで御来光を見て下山するそうだ。
　自分がリタイアする可能性ばかり考えていたのだが、わからないものだ。

　午前2時。山頂に向けて出発。
　真っ暗な中を、下の方から続々とヘッドライトを点けた登山者が登ってくる。
　こちらもヘッドライトを点けて、ガイドさんを決して見失わないように、へばり付くように歩き始めた。
　すぐに渋滞にぶつかった。
　どうやら宿泊した富士山ホテルは、山頂に最も近い山小屋群のひとつだったらしい。すぐ上にある他の山小屋の前を抜けると、道がいきなり細くなり、人がひとりか、良くてふたりが通れる程度の幅になったのだ。
　ここからが、話に聞く山頂前の渋滞というわけだ。
　はるか遠く、赤いランプが横一列に光って見える。あれが山頂だろうか？　そこまでは、つづら折れに連なるヘッドライト。これもまた、話に聞く光の行列だ。
　写真を撮ろうとするも、この暗さではシャッタースピードが極端に遅くなってしまい、どうにも酷い写真しか撮れないのがもどかしい。やはり夜の写真を撮るには、少しくらいはまともな機材がないと厳しいようだ。
　渋滞だけに歩みは遅い。ほんの少し歩いては停まり、また少し歩いては停まる。遅々として進まない。
「こんなペースで御来光に間に合うもんですかね？」
「ああ、このペースなら余裕でしょう」
　おお、心強い言葉。ガイドさんがそういうのなら安心だ。のんびりと構えて行こう。
　渋滞で停まっている間は、それがそのまま立ち休憩となり、星空を眺めながら腹式深呼吸を繰り返す。
　お、流れ星。さすがにこれだけ満天の星空が広がっていると、流れ星もチラホラと見えるものだ。とか言ってる間にも、また流れ星。こんなに流れ星を見るのも、屈斜路湖でキャンプしたとき以来だろうか。
　結局、まともに見れた流れ星は三つだった。

　しかし、この状況になって、改めて思う。ガイド付きプランにしておいて、大正解だった。
　もしもガイドさんがおらず、「このペースで御来光に間に合うのか」「あとどのくらい時間がかかるのか」こういったことが分からなければ、焦るのは当然である。
　どうやら天気も良いようだし、御来光をなんとしてでも山頂で拝みたいという気持ちが先に立って、余裕がなくなることもあるだろう。
　実際、渋滞を待っている間、何回か強引な追い越しをするパーティがいた。ほとんどが外国人パーティで、その全員が必死の形相で登っていったのが印象的だった。
　ガイドさんも追い抜きを苦々しく思いつつも、溜め息まじりに諦めていたようだが、何箇所か、本当に危険な場所では追い抜き登山者の行く手をふさぎ、断固として先へ進ませないようにしていた。
　中には、登山道の崖側から追い抜きを強行していった登山者が、大きな石を踏んで崩してしまい、ちょっとした落石を引き起こしかけて、ヒヤリとする場面もあった。さすがにガイドさんも大声で「岩を落とすな！」と英語で叫んでいたが、ああいった登山者もまた後を絶たないようだ。
　それもこれも、「御来光に間に合わないかも知れない」という心の焦りがそうさせるのだろう。
　こういった意味でも、やはり少なくとも最初の富士登山はガイド付きプランを選んだほうが良いように思う。

　しばらく渋滞に付き合ってのんびり歩いていると、小さな祠？　みたいなものと、やはり小さな鳥居がある。
　この鳥居をくぐれば九合目だ。
　背後がぼんやりと明るくなってきた。夜が明け始めたのだ。だが、明るくなっても太陽が登るまでには充分に時間はある。慌てない。
　そこからもしばらくは同じようなペースで進んでいたが、突然ガイドさんが停止し、休憩がてら説明を始めた。
「ここからは登山道が2列になりますが、左はゆっくり登る人のラインです。我々は右を行きますから、しっかり付いてきてください」
　マジっすか。
　しかし、ここまでずっと我々を先導して、我々のペースや体力をずっと見てきたガイドさんである。そのガイドさんが「いける」と判断したのだから、きっと行けるのだろう。
　パーティは一列になって、右ラインへと入っていく。当然のように私がガイドさんにへばり付く。なりふり構ってられん。離されてたまるか。
　九合目の後半。岩場に次ぐ岩場である。それも、今までで最も険しい。楽しい。楽しいが、楽しむ余裕がない。
　ガイドさんのペース、速い。ここに来て、全力を振り絞って登る。それでいて、腹式深呼吸を止めてはいけないというのだから、これまた厳しい。
　太ももが悲鳴を上げるのを気合で都合つけて、とにかく身体を上に上に押し上げる！
　ガツガツ登る、とでも言うのだろうか。とにかく足を止めず、現れる岩場を片っ端から登り、次に踏みしめるべき足場をひたすらに求めていくと、ふいに階段が現れた。いつの間にか、一列に並んだ赤いランプはすぐそこにあった。
　背後の空は青とオレンジのコントラストに染まり、その微妙な薄暗がりの中、鳥居と狛犬がぼんやりと佇んでいるのが見える。
　時刻は午前4時ちょうど。山頂だ。

　色々思うところはあるが、感慨に耽る時間は与えられなかった。
　ここでパーティが全員集合、この先、富士山の噴火口を一周する観光コース、通称「お鉢めぐり」に参加するかどうかを決めるのだ。
　それによって、御来光を拝む場所が変わるらしい。
　しかし、私の脚はすでに今の強行軍でかなりアガっている。というか、太ももやばい。
　さりとて、お鉢めぐりは魅力である。可能であるなら、是非とも参加したい。
　聞いた。
「あのう、お鉢めぐりのコースって、アップダウンとかあります？」
「いやいや全然、まったいらですよ」
　参加決定である。
　お鉢めぐり参加者は8人パーティのうち私を含む5人。
　この5人にはガイドさんが、残る3人にはバス添乗員さんが付くということで、ここでパーティは別れた。
　ガイドさんが言うには、お鉢めぐりの途中に絶好の御来光スポットがあるのだという。
　確かに、山頂に入ったばかりのこの付近は、とんでもない数の人でごった返していて、座る場所にも苦労しそうだ。
　のんびり落ち着いて見れる場所があるというなら、言うことはない。
　さあ、お鉢めぐりの始まりだ。

　……まったく、このガイドさん、とんだ食わせ者である。
　どこが「まったいら」だ。思いっきり登ったり下りたりしてんじゃねーか。話が違う。
　しかしまあ、これも含めて「このゴリラなら死にゃすまい」と判断してのことだろう。思いっきり騙されたわけだが、まあ始めちまったものは仕方がない。必死こいて付いていくのみだ。
　暗い中、山頂階段より右へ向かって進んでいく。説明によれば、本来のお鉢めぐりを逆周りに歩いているらしい。
　途中で噴火口の内部に残っている万年雪とかの説明を受ける。が、どうにも暗くてよく見えない。
　つーか、脚が痛い。もうだめ。さっきのラストスパートで燃焼し尽くした。ごろごろ転がっている火山岩に足を取られ、ペースがガタガタに落ちる。
　ガイドさんが停まったのは、ちょっと高くなった丘の上。右側を見ると、薄暗い中にぞっとするような急斜面が見える。
「そっちは大沢崩れです。落ちたら死にますからね」
　あっハイ。死にたくないです。
　我々の陣取った場所は、「大沢崩れ」と呼ばれる富士山屈指の巨大斜面の真上に位置するようだ。
　時刻は午前4時30分。
　登山用のコンパクトレジャーシートを敷いて、ご来光を待つ。
　止まっていると、どんどん冷えてくる。防寒着を着込む。
　空は次第に明るくなり、今にも太陽が顔を覗かせそうである。だが、中々来ない。
　ガイドさんいわく「富士山の太陽は焦らしの達人」なのだそうだ。
　確かに、なかなか焦らされる。こうしている間にも、空の色は藍色を薄くしつつあり、頭上なんてほとんど青空の色だ。
　南側には、ひときわ高い峰が切り立っている。あれが剣ヶ峰だろうか。
　さんざん焦らされること20分ほどか。
　ガイドさんがポツリと「お、来た」
　え？　どこどこ？　見えない？　どこ？
　ちょっとアワアワするが、すぐに分かった。というか、思ったよりもずっとデカイ。でかすぎて、それが太陽だと認識できなかったのだ。
　もっとこう、光り輝く点みたいなのを探すつもりでいたら、雲の中にドドーンと、ぼんやりと輝く真っ赤な半円が見えていた。
　令和元年8月の朔日。時刻は午前4時46分。御来光である。

　一同、一斉に声を失った。
　ただただ、黙って太陽を見つめる。
　押し黙るあまり、腹式深呼吸さえも忘れそうになる。
　じわじわと、じわじわと太陽は登っていく。雲の中にありながら次第に赤色の輝きを強めていく。手前にある雲の層に厚みの差があるのか、太陽には横に縞が走って、木星っぽい見かけだ。
　雲の上の端に触れた途端、取り巻いていた雲を一気に押し開き、赤みがかっていた輝きはギラギラとした黄金色に変化した。
　もう木星の名残はない。半分以上も雲から抜け出した頃には、太陽は完全な黄金色の塊となっていた。
　ガイドさんに促され、後ろの大沢崩れも見てみる。
　これもまたすごい。下界をうっすらと覆う雲に、綺麗な三角形が映り込んでいる。見事な影富士だ。
　はるか彼方には南アルプス。手前にあるのは……身延山と毛無山だろうか？
　今頃になって、ようやく実感が湧いてきた。
　どこかのサイトで「小学三年生でも富士山に登れる」とか書かれてるのを見て、いけないスイッチが入ってから2ヶ月とちょっと。
　やれるものである。右腕がまともに使えないのは、岩を掴む際に若干のもどかしさがあった。腹筋がないことに関しては、まったくと言って良いほど問題とはならなかった。
　どちらも、他人に迷惑をかけるような要因にはならなかった。それがなによりも嬉しいことだ。
　むしろ、問題になるのは純粋な体力。そして高山病対策の腹式深呼吸、いわゆる「ひょっとこ呼吸」をどれだけ確実に続けられるか。これに尽きていた気がする。
　……まあ、その、なんだ。色々と思うところはあるが、こんな身体でも、なかなかやるもんである。

　太陽がそれなりの高さに登ると、いつもの見慣れた姿になっている。
　影富士のほうは、もうしばらく見ていられそうだ。
　気分も落ち着いてきたところで、昨日のうちに山小屋でもらったお弁当を食べることに。牛丼らしきレトルトだが、なかなか美味い。
　せっかく持ってきたのだから、バーナーとコッヘルを使って温かいコーヒーでも淹れようかと思ったら、水を常備している予備ハイドレには、昨日飲みきれなかったお茶を入れておいたのだった。
　なんということだ。装備重量のうち550グラムを占めていたバーナーとコッヘル、出番なし。
　腹も落ち着いた頃、そろそろ行きましょうかねという雰囲気になり、弁当の後を片付けてレジャーシートも撤収する。
　考えてみたら、まだお鉢めぐりは半分くらい残っていたのだった。
　ここ大沢崩れ上部からさほど遠くないところに、先程薄暗がりの中で見た剣ヶ峰がそびえている。標高3775．5メートル、日本で一番高い場所だ。
　平日ではあるが、さすがに人が多い。まあ、そりゃそうか。
　剣ヶ峰の標識と一緒に記念撮影している人が順番待ちをしている。なんか、私もガイドさんに撮ってもらえるらしく、撮影する流れに。うん、まあ、一枚くらいは自分が写ってる写真があってもいいか。
　剣ヶ峰は人が多くて、あまりゆっくり出来る場所じゃない。写真を撮ったらすぐに移動しなきゃいけない雰囲気なのが、なんとも残念だ。
　さっき登ってきたのとは反対側に下りていくと、「馬の背」と呼ばれる急坂が広がっていた。
　お鉢めぐりを逆に回ってくると下り坂になるが、順当な方向で回ると、この馬の背が最後の難関になるらしい。
　たしかに、凄まじい急勾配に加えて、地面は畑かよと思うくらいにふっかふかの土だ。ああ、これはお鉢めぐりを逆周りで来て本当に良かった。
　というか、「まったいら」とは一体なんだったんだ。まったくお茶目なガイドさんである。

　この後、宝永山の上を通って、ふたつほど丘を超えたところで富士吉田ルートの下山口に辿り着いた。
　ここでロング休憩、トイレを済ませておく。日本で最も高いところにあるトイレ、使用料300円である。
　あと、お土産というか、ここにはやはり日本で最も高い標高の郵便ポストがある。友人などに送るのもいいが、あえて自分宛てに送るのも人気らしい。時間差で届くお土産というわけだ。
　ただし、使えるのは隣接するお店で買ったポストカード限定だそうな。なかなか上手いことやりやがるものだ。

　さあ、ここから下山が始まる。
　話によれば、下山の標準コースタイムは休憩を含めても3時間30分ほどだという。
　ほんとにそんな時間で下りれるんかいな……？
　半信半疑で下り始める。
　ところで、「富士山の下山で膝をやられる」というのを聞いたことがある人もいるのではないだろうか。
　吉田ルートの下山道はブルドーザー路も兼ねていて、キャタピラで掘り返された地面は結構ふかふかで、砂利と土が混ざったドライサンドと言った感じだ。
　ただでさえ下り坂は膝を壊しやすい。まして、この柔らかな地面だと、足がどんどん滑るのでブレーキを掛けつつ歩くような格好になってしまう。
　このブレーキをかける動作というのが曲者で、急勾配でこれを続けると、あっという間に膝をやられてしまうのだ。
　そうならないための「楽な歩き方」を、ガイドさんが手本を見せてくれるが……なにそれむずい。
　トレッキングポールを最大に伸ばし、前を前を突くように心がける……ここまでは良い。
　体幹を斜面に対して垂直にするような心持ちで……いや、それ無理。
　脚も斜面に対して垂直に立てて、足裏全体で踏みしめる……無理。無理だってば。
　そのまま、小走りになるくらいの速歩きで、一気に駆け抜ける……！　鬼かよ。
　まあ、馬鹿正直にアドバイスを聞くのは私の良いところだ。とりえあず、騙されたと思ってやれるだけやってみよう。
　斜面に対して垂直に……怖いが、トレッキングポールにより掛かるくらいの気持ちでやってみる。
　そのまま、足が滑らないように、というか、滑る前に次の足を出して、足裏で踏みしめる！　踏みしめても、やっぱり足がふかふか地面に沈み、滑りそうになる。小刻みに、小刻みに、次々に足を出していき、ちょっ……これ、止まらない……！
「お、その調子」
　その調子じゃなくて、これ、止まんない……！　というか、太ももやばい。あっという間に太ももの筋肉がオーバーヒートして、その場で膝をついてズザザーと強制停止。
　無理。無理だってば。
　他の人達はどうしているのかと思いきや、なんか普通の小刻み歩きで下りてるご様子。
　こっちもそれでいこうかな。膝さえ壊さなきゃいいんだし……。
　レクチャー？　が終わって、道迷いスポットの注意を受ける。ここからは解散して自由下山だ。
「私はここで一服して、しばらくしたら追いかけますから。追いついたら背中突っつきますからねー」心強いお言葉である。
　10時半までに五合目のバス停に集まること。本当に間に合うんかいな……？
　最後の最後でバスに遅れて大迷惑かけるんじゃないかと不安でしょうがない。不安でしょうがないが、とにかく下りるしかない。

　最初はそれでもレクチャーされた歩き方を実践しようと悪戦苦闘して、2，3回ずっこける。が、少しずつ掴めてきた。
　膝を常に曲げた感じで、ひょこひょこと小走りする感覚、とでも言うのだろうか。あえて形容するならば、唐草模様のほっかむりをした泥棒が、ひょこひょこ歩いてる姿でも想像してもらえば、なんとなく近いかも知れない。
　ひょっとこ＋唐草模様の泥棒＋ゴリラ。完璧な布陣である。行ける、これなら行けるぞ！
　しかし、途中のチェックポイントである七合目トイレに到達した辺りで、太ももがもう限界。仕方ない、普通の小刻み歩きで下りて行こう。
　足裏が焼け付くのに耐えながら、ひたすら下へ下へ。やはり、いつもながら下山は苦行である。
　この足裏が焼ける原因も、薄々分かっていた。この登山靴の横幅が、若干足りない。私の足では、できれば4Eが欲しいところだが、このグレードの靴では3E＋までしか手に入らない。4Eの靴を買うためには、1ランク上の、少なくとも3万円前後の靴でなければそもそも選択肢に入ってこないのだ。
　目標の富士山は登ったが、この先も登山は続けることになるだろう。そのためには、いずれは避けては通れない命題になりそうである。
　とかなんとか考えながら苦行を続けてたら、馬だ。馬がいる。そういえば、ガイドさんが「どうしても動けなくなった人を乗せて帰ってきますよ」とか言っていたような気がする。
　なんだか、ひどく魅力的な提案に思えてくる。
「3万円取られます」
　却下である。だいたい、五合目では先行したメンバーが待っているのだ。その中へ、どんな顔して馬に乗ってカッポカッポと帰っていけというのだ。リタイア組の人たちにも指差して笑われてしまう。
　だが、馬を過ぎたあたりで昨日の道迷いスポットその2、登山道と下山道の合流地点が見えてきた。

　助かった……。ようやくふかふかの道が終わったのだ。砂利道だが、これでもふかふか地面よりはずっと良い。
　大勢の人が登ってくるのが見える。なるほど、「人がたくさん行く方へ」という感覚でついていくと、ここで富士登山2周目が始まってしまうというわけだ。今となっては悪い冗談である。
　六合目と、その先の保全協力金の小屋を過ぎ、ようやくコンクリの地面になった。
　時間は……うん、充分に余裕はある。この際、休憩でもしていくか。
　だけど、もうちょい先に進んでから……。などと考えてているうちに道迷いスポットその1もクリアし、富士スバルライン五合目が近づいてきてしまった。
　あと少し……あと少し……。そろそろ駐車場が見えてくるか、と言ったところで、昨日の高山病おじさんと合流した。二人揃って疲労困憊のゴールインである。
　時刻は午前9時45分。終わってみれば、余裕も余裕、45分も余らせてのクリアだった。
　なお、ガイドさんとはさっき自由行動になった時点でお別れだったようだ。直接感謝を伝えられなかったのが残念でならない。
　初回の富士山に際して、素晴らしいガイドさんに当たったと思う。色々な意味で。
「まったいら」には一杯食わされたが（笑）

　さて、一応ツアーはこのあと富士山を下りてから山麓をぐるりと回って温泉、食事、浅間大社（富士山の神様、木花咲耶姫の総本山である）までお参りして帰路につくことになるのだが、バスや観光のことなど書いても仕方ないので、とりあえずこの辺りでまとめるとしよう。
　今回は天気もよく、風速に至ってはほぼ無風。夜には満天の星空まで見えるというおまけ付きで、文句のつけようのないほどの幸運に恵まれた。
　人に言わせれば、「富士山5回分くらいの体験」だそうだ。そうかも知れない。
　だが、せっかく富士山の過酷な環境のために揃えた登山グッズの大半は、ほんのちょっぴりしか出番が回ってこなかった。
　こんなことをいうとバチが当たりそうだが、一度くらいは、悪天候の富士山を体験しておくのも悪くないのかも知れない。
　……そういえば、こんな言葉がある。

「富士山に、登らない馬鹿、二度登る馬鹿」

　なんとなくだが、私の場合は来年とか再来年とか、2度どころか3度も4度も登る馬鹿になりそうな気がしてならない。
　そんな馬鹿なら大歓迎だ。謹んで拝命しようではないか。


　ところで、今この文章を書いている時点で、父親には「次の目標は穂高と槍だな」と言われている。
　いったい私にどうしろというのだ。