保口岳《九州百名山》
- GPS
- 03:13
- 距離
- 7.4km
- 登り
- 793m
- 下り
- 792m
コースタイム
- 山行
- 2:51
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 3:14
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
稜線に取付くまでは保口の廃屋を辿る 作業道が絡み分かり難い、稜線も笹が煩い |
写真
感想
熊本駅でレンタカーを借りたがカーナビのセットに手間取り、出発が遅くなってしまった。八代市泉町柿迫の保口岳登山口手前の鬼山御前の案内板のあるところに車を止め道路脇の急斜面に付けられた鉄の階段を登った。踏板が錆びて穴が開きおっかない。10m程上に鬼山御前堂があり傍らには名水が湧いていた。鬼山御前は、元は平家の女官玉虫御前と云い、屋島の合戦のひと時、平家が戦場に船を浮かべ扇を掲げ、それを那須与一が射落とし敵味方の喝采を得た。扇の的を掲げていたのが玉虫御前で柿迫村岩奥に隠れ棲んでいた。那須与一の子の那須小太郎宗治が平家残党狩の為この地にやって来た。玉虫御前は五家荘に棲む一族を守るためこの地に引き留め軈て二人は恋に落ち夫婦となりこの地で一生を過ごした。
堰堤の前を横断し斜面に取り付いた。何が祀られているのかお堂があり、その次には若宮と扁額の架かる神社が現れた。拝殿従えた本格的な神社だが車道から山道を歩いて達するより行く方法がなく、里の神社ではなく山頂にある神社の趣だった。登山道沿いに3軒の廃屋を見て縁側を通って先に進んだ。舗装道路に飛び出すと道路標識にあった正規の保口岳登山口で標識が設置されていた。さらに登ると標高890m地点で最奥の民家に到った。何処から来るのか車道があり、此処だけは生活感があった。庭先を通って登山道に入ると笹が生い茂った箇所があった。
作業道の跡を何度か横断したりしながら高度を上げて行くと北から来た作業道に飛び出した。この作業道は保口岳の帰りに歩く予定の道のようだ。登山道はこの作業道の続きを辿り尾根の先端を折り返しても作業道はまだ続いている。作業道は尾根の東側に巻いていくようで稜線上に登山道が分岐した。笹藪の濃い部分があるが稜線の東西で植生が分かれ西が広葉樹で下は笹藪、東は植林の針葉樹で下草は略ないので東側に外すと藪を逃れる。
急登で登り返すと普賢峰(1280m)に到り普賢菩薩であろう石仏が鎮座していた。山頂からは国見岳が望めた。50m程下り、略同じだけ登り返して保口岳(1281m)に達した。2等三角点「保口山」があり、北側が伐採作業中で展望が素晴らしい。山深い九州脊梁山地の白山(1,073m)、雁俣山(1,315m)、大金山(1,310m)等が望めた。
帰路はピストンを避け普賢峰の西側を巻く作業道で戻る。道はないが西尾根を少し下ると思惑通り作業道が現れた。此れは作業道保口線と云われるもので歩いていると平成16年の災害復旧の標識が立っていた。普賢峰が一望できる処があり色付いた山肌が素晴らしい。尾根の出っ張りを二つ越えると登ってきたときに乗り上がった登山道に戻った。
来た道を下るがルートは結構難しい。最奥の民家に戻って来ると軽トラックがあり住人がいた。生活臭があると思ったらやはり住んでいる人がいたのだ。気のいい小父さんで平成16年の雨で登山道が崩れ、自分が修復したと仰っていた。この方も平家落人の子孫なのだろうか。5分程話して庭先を通してもらい下山し、鬼山御前堂の名水を汲んで登山口に戻った。明日の国見岳登山に備え五勇谷の登山口に向かった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する