天皇陵巡礼23(吉野 / 後醍醐天皇陵)
- GPS
- 06:54
- 距離
- 9.8km
- 登り
- 490m
- 下り
- 454m
コースタイム
- 山行
- 1:22
- 休憩
- 3:10
- 合計
- 4:32
- 山行
- 1:56
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 3:28
天候 | 奇跡的に晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
写真
感想
吉野観光とともに、後醍醐天皇陵を参拝することに。
弟夫婦と行く予定にしていたが、弟が仕事の都合で月曜日休めなくなり、急遽 キャンセル。宿を決める直前でよかった。
旅館はメインルートである尾根道に沿ってたくさんあるが、その北東にある谷道にひっそりとたたずむ吉野温泉元湯にした。ささやきの道という名のついたその谷道は後醍醐天皇陵の参道である。
紅葉はまだまだだったものの、この時期 各寺社がちょうど特別公開をしており、貴重なものを見ることができた。
金峯山寺 (きんぷせんじ) は吉野のシンボルであり、修験道の総本山。本堂などが国宝で 世界遺産に登録されている。7世紀後半 役行者がここに修行に入り、修験道独特の本尊 金剛蔵王大権現を感得。この姿を山桜に刻んで山上ケ岳 (大峯山寺本堂) と山麓の吉野山 (金峯山寺蔵王堂) に祭祀したのが金峯山寺の開創と伝えられているそうだ。本堂 蔵王堂には多くの仏像が安置されているが、約7メートルの秘仏 本尊蔵王権現三体が特別公開されており、その姿を見ることができた。
また境内では採灯大護摩供 (さいとうおおごまく) という催し。修験道独自の護摩儀礼で、ヒノキの枝葉などを積み上げ、そこへ仏菩薩を招き、点火。その火により修験者の煩悩を焼き尽くすとともに、さまざまなことを祈願するとのこと。山伏姿の僧が法螺貝のユニゾンで音階を奏でていたのもなかなか素晴らしかった。
その先にある吉水神社も最古の書院として世界遺産に登録されている。
もとは金峯山寺の格式高い僧坊だったが、明治の神仏分離によって神社に。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成らを配祀。
一目千本と言われる山桜の眺望、源義経が静御前, 弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったこと、豊臣秀吉が花見の本陣としたなどの歴史的逸話で有名。
まずは本殿に参拝し、その後 陽気な宮司さんに御朱印をお願いしている間に書院を見学。かっこいい作りの書院に、伝 後醍醐天皇宸翰消息など、お宝と思しきものが無人で展示されていることに驚かされる。撮影禁止とは書かれていないので、遠慮なく撮らせてもらった。
さて、われわれが宿泊する旅館は、吉水神社裏の急な斜面に付けられた細い山道をジグザグに下ったところ。一応 舗装されているが、足元注意。
15時過ぎ、吉野温泉元湯 着。
昔ながらのひなびた旅館。汚れや傷みもあるが、ひっそりとたたずむ感じが最高。木々に囲まれた細い道、小川のせせらぎ、自然体の庭など、趣がある。宿泊者もわれら以外に一組の夫婦のみでラッキー。
さて私のメインの後醍醐天皇陵参拝のため 如意輪寺へ。緩やかな登りの舗装道を行くと石畳の山道に突き当り、左へ登る。
後醍醐天皇の勅願寺。創建は延喜年間 (10世紀初め) と伝えられるとのこと。
宝物殿には楠木正行にちなんだものや、桜材の蔵王権現立像(重要文化財)などが陳列されている。後醍醐天皇御霊殿特別公開で見学することができた。この日の午前中には舞楽会があったのだが、残念ながら時間が合わなかった。
御朱印をいただいた。寺でいただくのは初めてだ。
そして天皇陵 参拝。天皇親政に命を懸けられた激動の人生に思いを馳せながら。
なお手前には長慶天皇皇子 世泰親王の墓。後醍醐天皇のひ孫にあたる。
旅館に戻ると温泉に。赤茶色のお湯はすこし鉄っぽい匂い。ひとりでゆっくりと入ることができ 満足。
夕食は盛りだくさんでおいしい。ネットでメニューを見て本当にこれだけ出るのか?と疑っていたが、本当だった。すでにお腹いっぱいのところに、牛肉のしゃぶしゃぶが出るという感じ。別で注文した大和の酒3種味比べもよかった。
部屋に帰って 祝賀御列の儀を見る。トラブルがなかったようで、ホッとした。
内乱のない平和な時代を噛みしめる。
心配は午前中 雨の予報。朝方 目が覚めると、大雨の音がした。
***
7時頃 起床。朝風呂をいただく。朝ごはんも少しずつながら、品数の多いこと。
雨はやんで青空が覗いている。私はひとりでもう一度、後醍醐天皇陵参拝へ。
宿に戻って帰り支度。この旅館、島崎藤村が学生時代に宿泊したとのことで、当時の趣を残している部屋がある。お会計を済ませた後、見せていただいた。
また高浜虚子の孫である稲畑汀子女史の句が飾ってあるので、そのことについて尋ねてみると、年に1回 ここで句会を開催しているとのことだった。
10時前、宿を出る。
また如意輪寺への道を行き、石畳の道を今度は右へ折れ、車道へ上る。上千本方面に進み、分岐を右に行ってメインストリートに。
そこからケーブルまでお土産やコーヒータイムにする予定だったが、桜本坊 (さくらもとぼう) という寺の門に「天武天皇神像 特別御開扉中」とあるので、寄らずにはいられなかった。
のちの天武天皇 大海人皇子は天智天皇の後継者となるのを辞退した後、壬申の乱を起こすまでの約8か月、剃髪して吉野に下っていたとのこと。住まいとされていた日雄 (ひのお) 離宮を、壬申の乱に勝利して天皇の座に就いたのち、寺にしたと伝わるそうだ。
山伏文化の殿堂と言えるほど多くの文化財が残されているとのこと。立派な本尊 神変大菩薩は修験道の開祖 役行者。関西の山々を開いたスーパーマンだ。小さな鬼2体 (前鬼と後鬼) を従えており、奥さんはそれを気に入っていた。
その後はメインルートを下って土産物を買ったり、くずきりの喫茶店で休憩したり。
ケーブルで吉野駅に下りる。
帰りは青のシンフォニーという観光特急。
発車までの時間で写真を撮っていると大粒の雨が落ちてきた。
ちょうど私たちが観光していた時間は雨が上がっていたというラッキー。
奥さんは、お父さん (私の亡父の祭壇) にお祈りしていた効果だと。
父の葬式の日、前日まで当日は雨という予報だったのに晴れたことから、父は天気をつかさどる神になったとして、ここ一番のイベントの時には雨が降らないようにお祈りしているのだ。
楽しい小旅行だった。
次回の天皇陵参拝は、後醍醐天皇の皇子 御村上天皇陵に決めた。河内長野の観心寺だ。
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