岡山市 沖田神社〜百間川&旭川河口 リハビリin江戸時代の干拓地


- GPS
- 04:51
- 距離
- 11.4km
- 登り
- 12m
- 下り
- 12m
コースタイム
- 山行
- 4:14
- 休憩
- 0:37
- 合計
- 4:51
歩行距離11.5km、歩行時間4時間15分、歩行数17,900歩、消費カロリー1,690Kcal
天候 | 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
すべてアスファルト道で平坦です。 |
その他周辺情報 | 沖田神社から国道2号線を自動車で西に15分程進むと、露菴(ろあん)岡山古新田店があります。野菜中心のバイキング<写真57,58>に追加でしゃぶしゃぶも楽しめます。 |
写真
道通宮は備中高松城水攻めで有名な武将、清水宗治とゆかりが深く、寛政12年(1800年)に子孫が当地に社殿を遷し、沖田神社の末社となりました。本殿の周りをまわると願いが叶うそうなので、動画を撮りながら一周しました。
本殿の下です。天正10年(1582年)、備中高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男・長九朗が道通宮の使いの白蛇に導かれて浅口郡西大島御滝山(現在の笠岡市西大島)に逃れられたため、お祀りしたものです。
沖新田ができる前は、広大な潟のある遠浅の海だったようで、これを利用して沖新田がつくられることとなりました。ここならばきちんとした堤防をつくり、排水をすることで、大がかりな埋立をしなくても、広大な土地が得られると考えられたようです。
ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)は1981年に食用目的で輸入されましたが、野生化したものが稲を加害したことから有害動物に指定されました。一つの卵塊に200〜300の卵が入っており、産卵からわずか10日ほどで孵化します。成貝になると大きさが5cm以上にもなります。米ぬかとペットボトルを使った捕獲法がテレビで話題となりました。
沖田神社は当初、御野郡(現在の岡山市福島)住吉宮に鎮座していましたが、元禄7年9月3日にここに遷されました。しかし、境内の土地が低いため、大風・高潮・洪水の被害を受け、宝永6年(1709年)、現在の沖田神社の地に移転しました。連れが石段を下りる自信がないと言うので、土手の上からズームしました。
カモの仲間は日本で30種を越えますが、ほとんどが冬鳥です。一年中いて普通に繁殖するのはカルガモだけです。鳴き声はアヒルに似ています。我が家の近所の田んぼでは勝手に「カルガモ農法」をやっています。
一年中、干潟や水田、湖沼、河川などあらゆる水辺で見られるシギ科はこの鳥だけです。お尻を上下に振り、チーリーリーと細くのばす声で鳴く姿が可愛いです。動画も撮りました。この少し南から泳ぐオオバン<写真19>の群れを動画に撮りました。
600m地点ユリカモメ
ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬になると渡ってきます。「海まであと600mですよ!」とつぶやいているようでした。もっとそばで見たいと連れが必死で急な土手を登りました。左足首は大丈夫でした(*^^*)
芥子山
百間川の前景にユリカモメ、そして背景に標高233mの芥子(けしご)山が見えました。素晴らしいロケーションです。動画はユリカモメからの芥子山、少し北で甲羅干し中のユリカモメとカワウ<写真34>です。\(^o^)/
なぜか我々の1m先に全員集合、人が通るたびに飛び立ちますが、また戻ってきます。右端にいる一羽の動きが怪しかったので、動画で追ってみました。詳細(楽しみ)は動画で(^^♪急な土手を登った甲斐があったと連れが大喜びでした。
岡山市南区と玉野市の境界にある児島半島の山が背景に見えています。今は陸続きですが昔は島でした。少し南で飛翔するカワウ<写真34>とユリカモメ<写真25〜28>の動画を撮りました。
百間川の下流で沖新田の干拓が進むと、洪水の遊水池として大水尾(おおみお)を設けるとともに、そこに溜まった洪水を速やかに海に排水するため、沖堤に石樋(いしひ)・唐樋(からひ)を設置しました。明治以降の相次ぐ洪水や戦後の岡山の発展に伴い、より高い洪水への安全性が求められ、昭和49年から本格的な改修が開始されました。
&高島越しに貝殻山
中央に見えている高島には有名な磐座(高さ約3.5mの巨石)があり、古代祭祀が行われていました。神武天皇がこの島に3年(あるいは8年)も滞在したという説があります。
カワウの表情がひょっとこのようで笑えます。ドジョウすくいかとツッコんでしまいました( *´艸`)写真をクリックして別ウィンドウを開き、右下の「詳細」の文字をクリック、さらに写真をクリックすると拡大します。オカヨシガモ共々このポジションが気に入っているようでした。飛翔するオカヨシガモの群れの動画も撮りました。
明治天皇は1910年8月に三蟠(さんばん)港から岡山へ上陸しました。歓迎を受けながら旭川沿いに小橋町〜西大寺町〜表町と進み、岡山後楽園でその日は休みました。右奥に見えているカイヅカイブキは見上げて動画を撮ってみました。
江戸時代から近代まで岡山の外港として繁栄した三蟠(さんばん)港と国清寺(門田屋敷)および桜橋とを結んでいた軽便鉄道で、1923年に開通し、1931年に廃線となりました。館内入場はできませんでした。
ハシブトガラスが餌を安全な場所に運んで食べるのに対し、ハシボソガラスはその場で食べます。また、おでこが出っ張っておらず、足を交互に前に出してスタスタ歩くなどの違いがあります。動画も撮りました。
総菜&サラダ
沖新田を西に自動車で十数分進んだ古新田にある「露菴」で食べ納めをすることにしました(*_*;新鮮な野菜料理が人気で、パクチーやワイルドライスなど珍しいものが食べられます。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
例年ですと、年末は登山(登り)納めをするはずでした。しかし、2週間前に連れが佐伯天神山の登りで足を痛めました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2145343.html
そのため、この日は連れのリハビリと年末のお参りと海抜ゼロメートル地帯の自然探勝を兼ねて、沖田神社から沖新田(百間川沿い〜旭川沿い)コースを周回しました。リハビリなので、いつでもどこでも歩行を中断できる碁盤目道のコースでした。海抜ゼロメートル付近の平坦なアスファルト道が大半とはいえ、気が付くと約11kmも歩いていました(´・ω・`)
連れ自身が計画を立てたとはいえ、痛みを忘れるほどの魅力は何だったのか⁉以下の感想および写真や動画で紹介していきます。
出発点としたのは沖田神社<写真01〜08>です。備前国藩主池田綱政(光政の長男)の時代に、新しく開拓された沖新田の産土神(うぶすながみ)として建立されました。
沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠<写真48>が、綱政の命を受けて元禄5年(1692年)の正月11日に着工しました。彼は土木建築の天才として知られ、沖新田の干拓、幸島新田、百間川の開削、後楽園(日本三名園の一つ)の造営、(和気)閑谷学校(日本遺産第1号)の建築と、藩政改革・財政再建にめざましい業績を遺しました。
現在の岡山平野の耕地面積は約25,000ヘクタールですが、そのうち約20,000ヘクタールは干拓によって生み出されたと言われ、岡山の地図は時代によってどんどん書き替えられていきました。小学校の授業で古地図と現在の地図を見比べ、江戸時代に我が家が海の底だったことを知り驚く子供もいるそうです。ちなみに20,000ヘクタールは東京ドーム4,278個分に相当します。津島、津高、楢津、吉備津・・・江戸時代以前に遡れば、岡山駅周辺も元々は海だったのです(*_*;特に沖新田の工事は驚くべき短期間で潮留め築堤・疎水・検地を終え、干拓面積は約1,918ヘクタールと、前代未聞のスケールとなりました。
この堤防工事で、最後の潮止め工事がうまくいかず、“おきた”という女性が自ら人柱となって龍神に捧げられたという伝説があります。人柱とは、生きた人間を自然の神への捧げ物として海や川に沈めることで、龍神は、雨や水の神といわれています。つまり、堤防工事がうまくいかないのは、海に住む龍神が怒っているためだと考え、人柱を立てることで荒れる海を静めようとしたのです。この伝説には確たる証拠がありませんが、小学校で習いショックを受ける子供もいるそうです。今でも、地元の人々は自分たちがあるのは“おきたさん”の犠牲のおかげだと信じ、語り継いでいるそうです。沖田神社の末社にはその“おきた”を祀る「沖田姫神社<写真02>」もありました。
沖田神社は当初、御野郡(岡山市福島)住吉宮に鎮座していましたが、元禄7年9月3日に、旧沖田神社<写真17>へ遷宮しました。しかし、境内の土地が低く、大風・高潮・洪水の被害を受け、拝殿にまでも水が入り込む事があったので、宝永6年(1709年)現在の沖田神社の地に移転しました。この場所もほぼ海抜ゼロメートルに近い標高3メートル地点なのですが・・・(*_*;
ちなみに、百間川沿いには三角点が二ヶ所ありました。一つは標高2.4m<点名:宮地>でもう一つは標高2.3m<点名:沖元>です。最も高い地点は旭川沿いの道で標高3〜4mです。内地はほとんど標高1〜2mです。海とほぼフラットな地形で、大きな水害にほとんど遭っていないその治水技術にただただ感心するばかりです。
今回のコースは干拓地に関連する史跡を巡ることがメインになると考えていましたが、川や用水路沿いを歩き続けたこともあり、たくさんの野鳥を見ることができました。留鳥や渡り鳥など、多種多様な野鳥の宝庫でした。ほとんどの野鳥は近づくと、すぐ逃げていきましたが、百間川のユリカモメ<写真25〜28>とひょうたん川のオオバン<写真19>だけは、こちらに関心があるのか、我々に近づいてきました(*^_^*)
連れがまだゆっくりとしか歩けず、土手を登るのも四苦八苦という状態だったせいもありますが、バードウォッチングが途切れることなく続き立ち止まってばかりだったので、普通に歩くと2時間程で歩ける道を5時間もかかってしまいました。後で写真や動画を見返すと、途中から目的がバードウォッチングとなっていました(^^♪
2020年の干支は庚子(かのえ・ね)です。庚子が表す意味は、新たな芽吹きと繁栄の始まりです。つまり、新しいことを始めると上手くいくということです。皆様の多種多様な山行記録を参考に、新たなエリアや山域、新たな活動領域を切り拓いていきたいと考えています。
新年もよろしくお願いします。
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