剱岳 2998m
コースタイム
天候 | 曇り、晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2004年09月の天気図 |
コース状況/ 危険箇所等 |
9/9(木) 桑園11:06―11:10札幌―11:46千歳12:35―14:05松本―松本駅15:23―16:28大町(七倉荘)(泊) 9/10(金) 大町6:20−扇沢―黒部ダムー黒部湖−黒部平−大観望―9:25室堂10:00―一ノ越―雄山―大汝山―富士ノ折立―真砂岳―剱沢―17:30剱山荘(泊) 9/11(土) 剱山荘5:00―一服剱―前剱―8:40剱岳9:00―前剱ー一服剱―12:40剱山荘13:10―別山乗越19:00―雷鳥平―19:00室堂(室堂山荘)(泊) 9/12(日) 室堂山荘9:00―室堂ターミナル10:00一美女平−立山―12:37富山(泊) 9/13(月) 富山駅―富山空港―千歳―札幌 |
写真
感想
9/11(土) 4時に目が醒め、水、行動食、カメラ、雨具をリックに詰め、残りは纏めて廊下に置く。弁当を食べ、大も2回ですっきり出して外に出る。
まだ暗い。曇っているようで星も見えない。風はなく、雨は大丈夫のようだ。
14,5人の団体が出発して行ったので後に付いて行く。団体がバラケたので間に入った。
するとリーダーが、中に入られたら困る、先に行ってくれ、と。先に行って、暫らく登ったが、僕の方がペースが遅そうなので、道を譲る。通り過ぎてからリーダーがぶつぶつと「自分でルートが読めるようになってから来い」と。プロの案内人だろう。案内人も雇わず、1人で来やがって。俺の後にくっついて来るとはむしが良すぎる、ということのようだ。団体にくっついて行けば安心、という甘えがあったことは確かである。ルート泥棒と言われても仕方ない。僕としては事前にガイドブックやINで調べた上で来ているのだが・・・
段々明るくなってきたが、東の空は厚い雲に覆われていて、ご来光は拝めそうにない。
一服剣に着く。コルを挟んで、岩山が高く険しく聳えている。前剣だ。圧倒されそうだ。不安半分、元気半分である。
急な坂を下る。武蔵のコルから愈々前剣への登りとなる。岩礫帯の急登が、登っても登っても続く。去年登った槍ヶ岳の穂先を、規模を大きくした感じである。
高年男性が1人降りて来る。「早いですね」と言ったら「体調が悪いから引き返す」と。
悪戦苦闘の末、前剣山頂に着く。本当の前剣山頂は右に少し入った所だ。大きな石がゴツゴツした山頂は大勢の人で満員だ。引き返して先を急ぐ。
この辺は、いろんな場面が次々現れて、特に前後関係ははっきりは憶えていない。
広くて長い、滑らかな岩の下り斜面が現れる。見下ろすと足がすくむ。鎖に掴まり、四つん這いで後ろ向きに1歩1歩降りて行く。次に横断だ。この部分は鎖がついていない。ゆっくり、慎重に。渡りきって、また鎖に掴まって降りていく。平坦な尾根に出る。
この次辺りに、カニのタテバイ、ヨコバイがあったようだが、順序は怪しい。
カニのヨコバイは垂直な断崖の横腹を横断する。水平に鎖が張ってあり、足場のない所は鉄のホールドが打ち込んである。鎖に掴まり、足場を探しながら、岩壁にしがみ付く格好で横歩きするのである。
カニのタテバイは鉛直に近い断崖を、鎖と鉄のホールド、主にホールドに掴まりながら四つん這いで攀じ登って行く。
ここを過ぎると平坦な尾根に出る。左に鋭いぎざぎざの早月尾根が見える。
左から巻くように登って行くと、やがて早月尾根ルートと合流し頂上に着く。
剣山荘から単純標高差は550mだが、途中かなりの高さのアップダウンが何ヶ所もある。3時間40分かかって8:40に着いた。ここも濃いガスで、残念ながら何も見えない。
頂上は狭くて、祠がある。祠に手を合わせ、登頂を感謝する。数人の人が休んでいる。
登る途中、顔見知りになった大久保さん父子も休んでいる。祠の前で一緒に写真を撮ってもらう。大久保さんは、79歳、鹿児島から来た。韓国岳にはしょっちゅう登っている、と。
間もなく、団体の人達が登って来て狭い山頂がごった返してきた。
一休みして帰りの準備にかかる。登ってきた道が頭に浮かぶ。あの何箇所もの難所を、果たして無事降りれるだろうか。とんでもない所まで来てしまったものだ、と思う。
山頂でこんな思いをするのははじめてである。
大久保さんが、「今日のうちに東京の息子の所まで帰る」と言って、降りて行った。
僕も後を追うようにして出発した。13も若い僕が、元気を分けてもらったという格好である。登って来れたのだから、ゆっくり慎重に降りれば大丈夫だ、と自分に言い聞かす。
少し下った平坦な尾根で小休止していると、3人の若者が降りて来て、親しそうに声をかける。早月尾根をバックに写真を撮ってあげ、僕も撮ってもらう。
急な岩場は、下を見る分だけ、登りより緊張する。基本に忠実に、三点確保を守り、ゆっくりゆっくりである。
予想していた難所を通らなかったり、見覚えのない難所を通ったりする。ここの難所では、登り専用、下り専用に分かれている所があるのだ。
井上さんの息子が1人で追い越して行った。この人は凄い健脚で、すぐ家族から離れてしまう。山登りの原則に反しているのだが。「何か運動してるの?」と聞くと、「別に!」という返事だった。
濃いガスが時々切れるようになった。剣沢の大きくえぐられたカールが見える。
剣岳下り来たれば剣沢 カール滑らかモレーン残して
前剣の急斜面を下り武蔵のコルに立った時には、「生きて帰れた」と思った。
下りは写真も沢山撮ったので、結局登りと同じ3時間40分かかった。
剣山荘に立ち寄り、荷物をまとめ、お昼を食べる。
受付で、昨日は150人ぐらい泊まったか、と聞いてみたら、「そんなには」と言葉を濁した返事。僕の感じでは、100人はくだらなかった、と思う。
井上さん一家、昨夜夕食の時には、自信なさそうだったが、全員無事登って来れたようである。受付から室堂山荘へ、「おそくなる」と電話を入れて出発。
今度は剣沢の山側の道を登って行く。晴れてきて、振り返ると、剣岳がはっきり見える。あそこまで登ってきたのだ、という実感が湧いてくる。
ここでまた、井上さんの息子が1人で追い越して行った。間もなく井上さんたちが追い越して行った。
ソロの中年男性が降りて来る。前剣を指して、あれが剣岳か、と。剣岳はあれから小ピークを2つ越えた右端だ、と言ったが、すぐには納得いかないようだった。なるほどここから見ると、前剣の方が高く、然も険しく見える。
剣か?と 前剣だと答えれど 納得せぬまま向かい行きたり
岩礫の斜面が続き、今朝からの歩き詰めで疲れてきた。休みながらゆっくり登って行く。
上を見ると尾根の上に建物が見える。剣御前小屋だ。左手剣沢には少しだが雪渓も残っている。
剣御前小屋に着く。ここまで来れば後は下りだけだ。
雷鳥沢をゆっくり降って行く。5,6人の若者のパーテイとすれ違う。
まだこの沢の中間点だったろう、足が痛くなってきた。ストックにもたれながらゆっくり歩く。3年前、丹沢に行った時、下山途中足が痛くなったが、あの時は右の膝だけだった。
今回は足全体、筋肉が疲れているという感じである。
雷鳥平が遠く感じる。キャンプ場やホテル、その向こうに地獄谷が霞んでいる。
雷鳥沢を降り切り、浄土川を渡って雷鳥平へ。平地はそんなに苦にはならない。
室堂山荘へは、ここからまた一登りしなければならない。日が暮れてきた。この坂が、足が痛いのと疲れで本当に辛かった。室堂平に上がってからも、室堂山荘は見えない。
雷鳥荘に立ち寄って道を聞く。夕食の最中のようだった。
遠く、室堂山荘らしい所に灯が見える。すっかり暗くなった。キャップランプを取り出して、ゆっくり歩く。やっと室堂山荘に着いた。丁度7時だった。
今日の行程はガイドブック通りだが、結果的に、僕にとっては無理だった。
剣山荘にもう1泊するか、別山乗越の剣御前小屋に泊まるべきだった。
部屋は定員4人だが今日は1人占めだ。バス、トイレは共用で、テレビはないが、空調が付いている。いい材木を贅沢に使っていて、名前は山小屋みたいだが、ビジネスホテル並みである。車が上がって来れるから、材木を車で運ぶことが出来るのだろう。
風呂に入る。ここは標高が2450mもあるが、水が豊富だから、風呂も、水道、トイレも下界並みである。
布団を敷いて寝る。心臓がドキドキして、疲れているはずなのに眠れない。こんなことは初めてだ。脈拍を測ると96である。不安になってくる。このままドキドキが続いて眠れなかったらどうしよう、などと考えているうちに眠ったようで、尿意で目が覚め、トイレに行って、また眠った。
9/12(日) 目が醒めたのが6:20、動悸は治まっている。脈拍は78、正常の範囲だ。
気分も爽快とまではいかないが、悪くはない。脚は痛くて立ち居が辛い。
ブラインドを開けると、昨日とは打って変った快晴、立山連峰が朝日に輝いている。
今日の行程はここから富山まで行くだけだ。朝食は残っていた予備の食料(ソーセージ、煎餅、ビスケット、干し無花果など)片付けてしまう。荷物を整理してリックに詰めると、意外に小さくまとまった。これなら脚への負担も軽い。
9:00のチェックアウトまでもう一休みと思って布団に横になると、廊下でゴトゴト音がする。掃除が始まったようだ。9時までゆっくりしたかったが、ここの仕事のスケジュールだろうから仕方がない。
リックを背負って外に出る。雲1つない快晴である。空気はひんやりして、山の紅葉も少し目立ってきた。目の前の道を、リックを背負った人が、三々五々一ノ越の方へ登って行く。今日登る人が羨ましい。
時間があるので、せめて地獄谷など散策したいところだが、痛い脚を引きずってまで行く元気はない。写真を撮りながらゆっくり室堂ターミナルへ。
10時のバスに乗る。弥陀ヶ原を蛇行しながら美女平へと降って行く。弥陀ヶ原は広い広い高原台地である。立山火山の溶岩が流れた跡だろうか。
バスが途中、称名ノ滝が見える所で一時停止してくれた。遥か下の方に小さな滝が見える。実際には落差350mは日本一だそうである。
ブナ坂という地名があったが、道端にブナの大木が聳えている。
美女平からはケーブルカーで立山へ。1番前の入り口から入って前方の景色を眺めていた。肩を突っつかれたので振り返ってみる。かすかに見覚えのある3人の笑顔。
「去年、槍ヶ岳で会いませんでしたか」と。そう云えば風雨の中、槍沢を登った時、ガスで見通しが利かず、雪渓を左の方にそれてしまった、あの時一緒だった3人だ。
思わず、手が出て握手する。あの時は焦ったが、3人が一緒だったので心強かった。
全く奇遇である。僕は気がつかなかったが、昨日、早月尾根で写真を取り合ったのもこの3人だったようだ。男2人、女性1人ということが少し気になる。
話しを聞けばこの3人(男、平田君、片岡君、女性、庄司さん)は今回、僕と同じコースだったようだが、昨夜は別山乗越の剣御前小屋に泊ったそうである。
立山に着いて、駅で一緒に写真を撮る。住所、メールアドレスを知らせ合う。
立山からは電車で富山に向かう。先日の台風のためだろう、田圃の稲がなぎ倒されている。農家の人は、機械で刈るわけにいかないから、大変だろう。
富山駅が近づいたので挨拶に行く。この3人、飛行機はバーゲンか超割しか使わないそうだ。僕と同じだ。となると期間は限られている。行くのは山である。今後また一緒になる可能性は高い。互いに「また何処かで会いましょう」と云って別れた。
富山に着くと、予約していた、ビジネスホテルに荷物を置いて駅前まで買い物に出る。
近くには店がないし、チェックイン開始までまだ時間あるのだ。
3時過ぎに帰り、早めにチェックインしてもらう。
風呂に入ってゆっくり休む。
9/13(月) 富山駅発9:00のバスで富山空港へ。富山空港発10:50、ANA377で12:15千歳に着いた。こんな時間に千歳に降り立つのは滅多にないことだ。
念願だった剣岳に登ることが出来、7月白馬岳ではあと少しのところで、頂上を踏むことが出来なかっただけに、感慨無量である。
ガスで頂上からの眺望は望めなかったが、雨が降らず、風も吹かなかった天気に感謝、である。雨が降ったり、風が強かったら、登頂は出来なかっただろう。
昨年、槍ヶ岳と穂高岳に登り、凄い山だと思ったが、剣岳は1ランク上だと思う。
終わってしまえば「案ずるより、生むが易し」と言えなくもないが、体力的にも、技術的にも「易く生める」山ではない、と思う。
反省点もある。先ず、11日の日程である。あるガイドブックを参考にして計画を立てたが、登り返しの多さと難度を考え、当日は剣山荘にもう1泊するか剣御前小屋に泊まるのが無難だった。
次に、立山黒部アルペンルートは、富山からだと、この時期でも、おそくはなるけど、その日のうちに立山まで行ける。これだと次の朝、室堂に8時に着く筈である。
今回、9月に入っていること、3000mの山であることを考え、フリースを1枚余分に持った。嵩張るけど、凄く重宝した。1日目、雨だったが、雨具の下に着ると暖かくて快適だった。剣岳往復の時も、荷物は少ないのだし、少しは嵩張っても、軽いのだから、苦にはならない。朝早いから、出発時には着て、体が温まってきたら脱げばいいのだ。
出会いもあった。去年、槍ヶ岳で一緒になった3人と再会したのは、全く奇遇であり、愉快であった。
大久保さんは、僕より13も年上なのに、僕の方が元気を頂戴した。
草間社長は、この人がそんな一流企業の社長かと思うほど気さくな人だった。
その後、平田君からの年賀のメールによれば、庄司さんと結婚するそうである。
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