天城山 1406m

コースタイム
去年は11月裕三の所に泊まり、縦走すべく、二階滝まで送ってもらって、八丁池口まで行ったが、「崖崩れのため、通行止め」との張り紙。何でこれを二階滝に出してくれないのだ、と恨みながら引き返す。
落ち合う約束の、天城高原ゴルフ場へ時間までに行くのがまた大変。伊東からはタクシーでとばす。着いても裕三の姿は見えない。暗くなるし、焦ってくる。寒いのでゴルフ場事務所の玄関で待つ。1時間ぐらい待って、何回目か様子を見に外に出た時、裕三がやって来た。彼は、少し下った登山口で待っていたのだ。彼にすれば、山から降りて来る筈だから、登山口が最も確実と考えたのだ。相手の考えそうな事に思いを巡らす事が大事なのだ。それと、携帯を持っておれば、何のことはなかったのだ。
4/16(金) 千歳-羽田-品川-小田原―箱根園―駒ケ岳―箱根園―小田原―三島―修善寺(泊)
4/17(土)修善寺温泉―修善寺―八丁池口―八丁池―八丁池口―二階滝―河津―伊東(泊)
4/18(日)伊東―天城高原ゴルフ場―万二郎岳―万三郎岳―天城高原ゴルフ場―伊東―東京・南千住(泊)
4/19(月)南千住―北千住―館林―佐野―館林―北千住―西日暮里―尾久―田端―浜松町―羽田―千歳
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2004年04月の天気図 |
コース状況/ 危険箇所等 |
この山は一昨年12月天城峠から入って、霙のため八丁池の手前で引き返した。 去年は11月裕三の所に泊まり、縦走すべく、二階滝まで送ってもらって、八丁池口まで行ったが、「崖崩れのため、通行止め」との張り紙。何でこれを二階滝に出してくれないのだ、と恨みながら引き返す。 落ち合う約束の、天城高原ゴルフ場へ時間までに行くのがまた大変。伊東からはタクシーで跳ばす。着いても裕三の姿は見えない。暗くなるし、焦ってくる。寒いのでゴルフ場事務所の玄関で待つ。1時間ぐらい待って、何回目か様子を見に外に出た時、裕三がやって来た。彼は、少し下った登山口で待っていたのだ。彼にすれば、山から降りて来る筈だから、登山口が最も確実と考えたのだ。相手の考えそうな事に思いを巡らす事が大事なのだ。それと、携帯を持っておれば、何のことはなかったのだ。 4/16(金) 千歳-羽田-品川-小田原―箱根園―駒ケ岳―箱根園―小田原―三島―修善寺(泊) 4/17(土)修善寺温泉―修善寺―八丁池口―八丁池―八丁池口―二階滝―河津―伊東(泊) 4/18(日)伊東―天城高原ゴルフ場―万二郎岳―万三郎岳―天城高原ゴルフ場―伊東―東京・南千住(泊) 4/19(月)南千住―北千住―館林―佐野―館林―北千住―西日暮里―尾久―田端―浜松町―羽田―千歳 |
写真
感想
o4/17(土) 修善寺から八丁池口行きのバスは、土、日、祝だけだ。
二階滝からは去年歩いた道だ。運転手さんが鎖を外し、去年喘いだ坂道をすいすい登って行く。帰りの時刻を確認、少々忙しい。
バス停に荷物を置き、空身で出発。空身は有難い。八丁池は山の上の湖水で、天城の瞳といわれているだけあって綺麗だ。それよりも広さに驚いた。こんな山の上にこんな大きな池が・・・
帰りのバスの中で、運転手さんに聞くと、伊東へなら河津を廻った方がいいと。
二階滝で暫らく待って、河津行きのバスに乗る。途中、螺旋状に降って行く陸橋があった。伊東の宿、湯の国屋旅館は昔ながらの和風の宿屋だった。
4/18(日)バスで天城高原ゴルフ場へ。此処は既に標高1040mである。
登山口の張り紙では、通行止め、ともあるし、注意して登りなさい、ともあって、数人の登山者がワイワイやっている。通行止めだったら引き返せばいいや。
不要物はビニール袋に詰めて、看板の陰に置く。出発して間もなく道の真ん中に財布が落ちている。先に行った人たちの姿はもう見えない。預かっておくとしよう。
道は万二郎岳の方へ分かれ、川を渡って、枝沢を登って行く。
やがて沢が涸れ、傾斜が急になる。
万二郎岳に着く。10数人が休んだり、ワイワイ写真を撮り合ったりしている。
財布のことを尋ねると、ふざけて手を挙げた人はいたが、該当者はいない。
写真を撮って、万三郎岳を目指す。緩やかな起伏の高原漫歩だ。ただし、アセビやブナが生い茂っていて見晴らしは利かない。処々、ツツジが鮮やかに咲いている。
アセビのトンネルは面白い光景だ。ブナが枝を広げた姿が逞しい。
天城峠から縦走してきた人とすれ違う。通れるようだ。半年で状況が変わったようだ。
事前に問い合わせなかったのがいけないのだ。
万三郎岳に着く。ここも樹林の中の平坦な尾根で頂上らしくない。
此処から真直ぐ行けば、八丁池の方への縦走路。右、崖の下の方へ踏み跡があるが、木の枝を編んで縛り付けてある。此処を降りるとしよう。樹林の中、急な下り斜面である。
やがて、広い、姫紗羅の疎林となり踏み跡があちこちにある。うっかりすると、とんでもない方向へ行く。赤テープも、間隔が広く、なかなか見付からない。やっと道らしい所に出る。人が作業をした跡や焚き火の跡があり、人の匂いがして、一安心。
これからは万二郎岳の中腹を巻いて登山口へ出るのだ。樹林の中の気持ちいい遊歩道だ。
かなりの距離だったが、やっと今朝通った万二郎岳への分岐点に着く。
中高年のパーテイが賑やかに休んでいて、 の方、通れたか、と不思議そう。
この人たち、万三郎岳から往路を引き返して来たのだ。
先ほどのパーテイが駐車場にいたので、財布のことを尋ねる。心当りなし。
リーダーらしき人が、余裕があるから乗って行け、と。有難く便乗させてもらってツツジの公園で降ろしてもらう。ツツジを観賞。此処からはバスで伊東へ。
駅前交番に行って財布を届ける。
後日のことだが、警察からは、本人に返した、という連絡が届いた。だが、本人からは音沙汰なし。運転免許証、色々なカードが10枚ばかり、現金1万円余が入っていた。お礼のはがきぐらいはあって然るべきだ。山を愛する人であれば尚更そうあって欲しい。
東京へは鈍行で行く。宿は南千住の福田屋だ。
4/19(月) 今日は大貫さんの智恵子さんの墓参りである。彼女の葬式には礼子だけ参列して、僕は失礼したのだった。
北千住から東武線で館林へ。線路が錯綜していて不安だったが無事館林着。ここで葛生行きに乗り換える。暫らく行くと「次は佐野市」というアナウンス。はて、降りるのか?
「佐野市」に着くと、次が「佐野」だった。
改札口を出ると、広くて明るい階段である。改装されたばかりのようだ。階段を下りていくと、車が止まっていて、大貫さんが出てこられた。7(?)年前、陽太郎のお食い初めの時より、頬の肉が少し落ちてはいるが元気そうである。
早速家へ。8年前と変わらない。居間のソファーに通され、積もる話し。
それにしても、大貫さんの口の滑らかさ、頭の回転の速さは、胃を全摘した人とは思えない。そして「お墓に案内する」と。由美子さんからは、お墓までは無理だから、家の仏壇だけにして欲しい、といわれていたが、大貫さんの張り切りように、断りそびれ、お墓へ行くこととなった。お墓は慈現寺というお寺にあり、10分ほどで着く。
裏に廻ると、座敷に奥さんが居られて、大貫さんとはごく親しそうだ。立派な本堂があり、市の文化財に指定されている、と。
線香をもらい、桶と柄杓を借りてお墓へ。墓石の台座に、横穴があり、其処に線香をおくようになっている。これなら雨風を防げて合理的だ。
大貫さんは長く立っていると、足が浮腫んで辛い、と。
お寺を出て、そば屋に立ち寄る。この辺は麦の産地で、そばも美味しいそうだ。
2人とも小食なので、定量の半分にしてもらう。大貫さんは汁も全部食べられた。
車の運転は少しも苦にならない、館林まで送る、と。ハンドル捌きも軽快である。
日清製粉の前を通ったが、ツツジの鉢植えが綺麗だった。
館林に近づいた。僕は「陽太郎と結梨が一人前になるまで元気で長生きしましょう」と言った。賛同の返事を期待していたが、ウう!と返事に詰まった、という感じだった。
今思えば、この時既に、1月後のことを予感しておられたのだ。見かけの元気さだけを見て、送り迎え、お墓まで案内してもらった、自分の身勝手さを申し訳なく思う。
大貫さんは1月後に容態が急変し、5月24日に亡くなられた。
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