《台湾》阿里山 特冨野渓


コースタイム
彰化-嘉義-石卓山-達邦村
3.15
達邦村-曾文渓・特富野橋7:30-インゼルの二俣(特富野渓に入る)8:05-神秘峡13:25〜40-玉屏水濂瀑布上14:25-滝上泊地14:30
3.16
泊地8:30-ワサビ畑(神木探勝と昼食11:00〜13:20)-拉拉喀斯神木13:45-ゴーロ手前泊地15:00
3.17
泊地8:40-森林軌道跡10:50-自忠検査哨跡12:45-塔塔咖鞍部-東埔温泉-彰化
過去天気図(気象庁) | 2005年03月の天気図 |
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写真
感想
異常な年で、3月なのに大雨と大寒波にたたられた。当初予定した大安渓の大雪渓は大安渓の増水でまったく手が出ず、前から気になっていた谷の一つのこの谷に入った。
14日:許氏と黄孟宗氏の車に乗せてもらい、嘉義県へ向かう。嘉義から国道18号を走り、阿里山手前の石卓山より国道から別れて達邦村へ行き民宿に泊まる。民宿で「明日葉」(ミンズーイェ)の天ぷらをいただく。
15日:黄氏に見送りを受けて特富野橋より曾文渓に入る。二俣を左に入ると特富野渓である。谷は明るい谷で、林道が横切りようやく滝らしい滝5mがあった。右から登る。谷は明るい河原である。どこかで犬の啼声がしてのどかだ。村があるのだろう。
竿を出して釣を試みる。榎本が20cmの「苦花」(台湾の渓流魚)を一匹あげた。魚は結局この一匹だけだった。幅広の4m、ワイドな10m滝を過ぎるとまた道が横切った。「東屋」があり、立派なトイレもある。道標には「神秘谷」とあった。溯渓意欲が削がれてしまって、遊歩道を行くと玉屏水濂瀑布60mがあった。右岸がスラブでワイドな滝である。越えて少し行った所で泊とした。
16日:右岸から支流が滝で出合うとゴーロ帯になり、乗り越しに苦労する。緩くなったので周りを見ると「ワサビ畑」があった。斜面の上で畑仕事している人がいた。声を掛けて洪木村さんが山葵を買った。周りを見渡すと大きな神木とおぼしき樹が何本も見えた。これを見に行かない手はない。畑の奥に見えた2本の大きな紅檜の神木を見に行く。わさび泥棒と思ったのか、山地民のおばさんが怖そうな顔して見つめていた。
谷を少し溯り、左岸から二つ目の支流が出合う所で左岸にまた大きな神木があったので、それを見に行く。この神木は後から分かったことだが、拉拉喀斯神木という名であることを知った。台湾の戸外生活社の出版した旅行ガイド本に出ていた。実際にあった場所とガイドブックの指示ポイントは全く異なっていたが、本の樹の写真は紛れもなく私たちが見た樹であった。どうも台湾で5指に入る樹だったようだ。
左岸の3つ目の支流は2段50mのなかなかの滝で出合う。いかにも南方の雰囲気を持つ滝だ。その少し上で伏流になり谷が荒れている。藪もひどく悲鳴を上げる。ゴーロの手前で泊とした。
17日:巨岩のゴーロはひどく滑りやすく、また蔦が絡むようになって谷通しがひどく苦痛になってきた。尾根に逃げる。台湾の2000m前後は樹林の下草が少ないので笹さえなければ楽に歩ける。尾根を直上すると杉の植林帯になった。標高2250mにある森林軌道跡に出た。軌道は水平に続いている。途中に巨大な切り株が多く見られた。戦前に伐採された物であろうか。
それを辿って国道18号の自忠検査哨跡に出た。1981年に阿里山から玉山を目指した時にここで入山手続きをした思い出がある。現在は勿論閉鎖されている。ラーメンを作って食べるうちに黄孟宗夫妻と許基滄氏が迎えに来てくれた。塔塔咖鞍部のビジターセンターで玉山を見て、東埔温泉で汗を流して下山した。玉山は純白に輝いていた。今回は真っ白の雪山と玉山を見ることができた。
18日:昼は渓頭公園へ許基滄氏の案内で出かけて、夜は彰化県登山協会を表敬訪問した。
この谷の雰囲気は初めての経験でそれなりに楽しかった。機会があれば曾文渓本流にも入りたい。
今回一緒に登った彰化の洪木村さんはしっかりしている。周林成さんはまだ荒削りだが若さがそれを補っている。経験を積めば素晴らしい沢屋になるだろう。今後の彰化の溯渓組の活躍を祈りたい。
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