岡山県笠岡市 道通神社〜御嶽山〜カブトガニ博物館 笠岡満喫!



- GPS
- 04:17
- 距離
- 11.0km
- 登り
- 352m
- 下り
- 341m
コースタイム
- 山行
- 3:01
- 休憩
- 1:16
- 合計
- 4:17
歩行距離11km、歩行時間3時間、歩行数17,900歩、消費カロリー2,060Kcal
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
鳥ノ江峠<写真55>の駐車場には自動車10台程停めることができます。ただし、舗装道路は普通車1台分の幅しかないので、対向車があると大変です。 なお、郡堺碑「従是東淺口郡西大嶋」<写真61>から東に延びて県道47号線と交わる堤防沿いの道は、工事により3月31日まで車両のみ通行止めです。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
土道なのは、御嶽山(みたけさん)観音道ルート神社<写真42>北の標高35m辺り(道標あり)で地形図の実線の道が二手に分かれる地点から、御嶽山頂上<写真46>を経て御嶽山西国三十三所10番<写真49>までです。それ以外は池のほとりなどほんの一部を除きアスファルトやコンクリート道で、急な所もありますが濡れていなければ下りも問題ありません。 御嶽山(みたけさん)登山道は、基本、落ち葉道でたまに急な箇所があります。 石灯籠&神社<写真43>の側に赤いビニールテープがあり、ここからしばらくは大量の落ち葉が積もった急斜面の道です。リハビリ終盤の連れもなんとか登れたので大丈夫だとは思いますが、足に不安がなければズルズル滑り下りた方が楽でしょう。 ここ以外は何度か急登がありましたが、落ち葉は気になるほどではなく、滑った跡はありますが、濡れていなければ大丈夫でしょう。 |
その他周辺情報 | カブトガニ博物館&恐竜公園から自動車で西に10分程進むと、道の駅「笠岡ベイファーム」があります。「レストラン四季彩」ではランチバイキング<写真74,75>が楽しめます。イベントも盛んで、2月23日にはいちご祭りや土木フェスタが行われます。「重機de玉入れ」が気になります(*^^*) |
写真
砂漠、森林、海ゾーンに分けて代表的な恐竜模型が展示されています。15時半頃には駐車場はほぼ満車で、ファミリーで大賑わいでした。なお、恐竜公園も駐車場もカブトガニ博物館の開館時間以外は閉鎖です。
「ティラノサウルス
&プテラノドン」
ティラノサウルスとは「暴君竜」という意味で、白亜紀後期に生息した地上最大の肉食恐竜です。ティラノサウルスの後方には大きな岩山がそびえ立っており、その上からプテラノドンがこれから繰り広げられるプロトケラトプス<写真03>との死闘を見つめています。
「プロトケラトプスと卵」
オスのプロトケラトプスは、巣を守ろうとティラノサウルス<写真02>を威嚇しています。メスも巣の前に立ちはだかっています。孵化したての赤ちゃんの運命やいかに?
「イグアノドン」
この恐竜は、白亜紀前期のヨーロッパに広く生息していました。近年、福井県勝山市の杉山川からも、この種の歯の化石が発見されています。二足歩行とされてきた時代もありましたが、現在は四足歩行と考えられています。
「ディプロドクス」
&海ゾーン
「エラスモサウルス」
ディプロドクスはジュラ紀後期に生息し、水陸両方に適した体型から、生息地は草原から沿岸あるいは沼沢地に及んでいたと考えられます。手前のエラスモサウルスは、恐竜ではなく海棲爬虫(かいせいはちゅう)類で、白亜紀後期に栄えた動物です。魚を捕らえるため、首がとても長くなっています。1968年に福島県いわき市で発見されたフタバスズキリュウは、これに近い仲間です。
モニュメント
この「正十二面体の中のカブトガニ」というモニュメントは宇宙の永遠の広がりと、太古からの悠久の時間を表しています。1996年に国際ソロプチミスト笠岡の認証10周年を記念して設置されたようです。
「アパトサウルス」
以前はブロントサウルスと呼ばれていましたが、分類学的には アパトサウルスという名前が正しい呼び方です。この恐竜は、発見された足跡から群れをなして生活していたことがわかりました。
&空きペットボトルBOX
恐竜とカブトガニのデザインが入っています。子供たちは缶やペットボトルを捨てるのが楽しくなるのではないでしょうか(^_^)/売り上げの一部はカブトガニの保護費に充てられます。
道路沿いの斜面の土の表面にカキやサルボウガイなどの貝殻がたくさん見られました。岡山県の埋蔵文化財地図には載っていません。この道路には「参拝客以外通行禁止」の立札があるので、神社の所有地で発掘許可が下りなかったのかもしれません。
猿田彦命(サルタヒコノミコト)を主祭神とする神社で、商売繁盛、出世海運、交通安全の神として広く信仰を集め、遠方から参拝する信者も多くいます。また、中国・四国の瀬戸内海地方各地にある「道通様」という蛇神信仰の総本山的な地位を占めており、腹痛や神経痛に御利益があるとされています。
&奥拝殿&末社
左奥に本殿があり、本殿と拝殿を結ぶ奥拝殿、中央奥に荒神社、金刀比羅神社、右側に足王神社などの末社がありました。リハビリ終盤の連れの足がよくなるようにと祈願しておきました。
&遷乃宮
天鈿女命(あめのうずめのみこと)は岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になった「岩戸隠れ」に登場する神です。芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言われています。猿田彦神の妻であるともいわれています。
本殿の西側、龍王社を中心にした「神使の山」の周りを、奉納された道通様の家形祠がたくさん取り囲み、中央に二頭蛇が鎮座していました。正面から見るとちゃんと頭が二つ見えますが、参拝中の方がおられたので斜めから失礼しました。道通様の祠は歩きながら動画に撮ってみました。
鳴いているところを動画に撮りました。声がかわいいです!(^^)!少し離れたところにはスズメが団体で跳ねていたので、これは動画だけにしました。この一角に野鳥が多すぎてなかなか進めませんでした。
白いサギの中ではもっとも小柄で、脚は黒く足だけが黄色いのが特徴です。水面に自分の姿が映っていました。これが餌をくわえた犬だったら、大変なことに(*_*;動画を撮っていると、スタスタ歩いて川の中に入っていきました。
メス<写真11,20>に比べオスは派手な色合いです。あまりの警戒心のなさからバカビタキとも呼ばれます。確かに、我々は初対面のオスに70cmの距離で愛をささやかれたことがあります。動画に撮っているとじっとこちらを見ていました。
地元の「大島風土記」によると、文禄4年(1595年)4月15日、菜切りの器に乗った木像が漂着したので、山上に運んで祀ったそうです。ご祭神は応神天皇です。石段はかなり斜め下を向いているものもあり、リハビリ中の連れは少し怖がっていました。
木鼻&虹梁の彫刻
右端の突き出た部分が木鼻で、竜の顔であることが多いのですが、これは猪のようにも見えます。初期の物は猪の目があしらわれる程度のシンプルなものでしたが、次第に動物のシルエットを模したものに形状が複雑化していきました。
縄文時代の貝塚で、国の史跡に指定されています。170体あまりの縄文人骨が出土したことで脚光を浴びました。出土した縄文土器、石器などは、笠岡市郷土館に展示されています。周辺は民家や畑でこの案内板の一角だけが空き地になっており、遺物は見られません。
この地は、古墳とも量剛寺の一坊跡とも言われています。1716年に創設し「岡ノ御堂」と呼ばれましたが、今は「おかのおどう」がなまって「おかなん堂」と呼ばれています。お堂の右に見える石仏は旧大島村八十八か所47番熊野山妙見院八坂寺(くまのざんみょうけんいんやさかじ)です。
詳細は不明です。石灯籠は明治40年(1907年)のものです。神社の右に赤いビニールテープがあり、ここから大量の落ち葉が積もった急斜面の道を上りました。足に不安がなければ、ズルズル滑り下りた方が楽でしょう。実際に、滑った跡がありました。
&番外
右は8番豊山長谷寺(ぶさんはせでら)、左は番外豊山法起院(ぶざんほうきいん)です。たまに急登がありましたが、道は明瞭です。ここからは緩やかで山頂まであと一息です。
平安時代、叡山座主第三世円仁上人(慈覚大師)が唐から帰朝の途中に、この山頂に寺を建立し「御嶽山量剛寺」と称したとされています。現在は祈雨神社の境内地となっています。おそらく、祈雨神社とは、この神社のことでしょう。
1936年(昭和11年)に国立公園の父とも呼ばれる田村剛らが調査の際、島々が弓状に連なるさまを虹にたとえ、この無名だった丘を幻虹台(げんこうだい)と名付けたようです。東屋からは景色がよく見えないので、ここから動画も撮りました。右に大きく神島(こうのしま)にある竜王山、その背後に栂丸山(つがのまるやま)の電波塔群が見えています。
大正5年(1916年)に改築され、平成6年(1994年)まで使用されました。隣には、享保16年(1731年)に約52haに及ぶ大干拓地(入江新田・西大島新田・浜中新田)を完成させた鳥越新兵衛の頌徳碑があります。
源光山円手院明石寺 (げんこうざんえんしゅいんめいせきじ)です。堂内には西国三十三所の各札所の御本尊33体をはじめ、不動明王像など多数の仏像があります。側の墓地に笠岡市指定史跡の鳥越新兵衛成寿の墓があったらしいのですが、見落としてしまいました。
笠岡湾干拓地の菜の花畑です。セイヨウミツバチはニホンミツバチよりも赤みが強く、腹部の黒い縞模様の幅が一定ではありません。うちの庭には両方来ますが、吟味しながら蜜を集めるので効率の悪い動きをするニホンミツバチに対し、セイヨウミツバチはすんだらすぐその隣、また隣へと手当たり次第に蜜を集めてまわります。受粉に導入された理由がわかるような気がします。
臨時駐車場前菜の花畑
満開なのはここだけですが、1haあるので十分見応えがあります。3月の菜の花フェスティバルの頃にはもっと広大な菜の花畑が広がっていることでしょう。動画も撮りました。
アメリカカブトガニ
カブトガニ博物館の館内にいました。腹部の一部がヒクヒクしており、約1時間後もこの状態だったので、一応、ご報告したところ、大丈夫とのことでした。実は、20年以上前にここで起き上がるのを見たことがあります。体をくの字に折り曲げて反動をつけ、一気に元に戻りました。
カブトガニの幼体
映っている自分の姿を自分と認識しているのでしょうか(´・ω・`)よく動いていたので動画も撮りました。走り回っている子供達は、カブトガニよりもスタンプに夢中のようでしたが(-_-;)16時からはカブトガニシアターで17分間の映像を楽しみ、1階と2階の間のスロープにある動く恐竜の絵を動画に撮りました。自分が歩くのに合わせて恐竜も歩くように見えます。
うねめもみじたまご
「ザ!鉄腕!DASH!!」の0円食堂というコーナーで全国的に有名になった卵です。十数回も同TV番組で放映された采女(うねめ)社長の方が商品の卵よりも全国に知れ渡っていますが(*^^*)
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
今回は岡山県の南西端にある笠岡市を満喫するコースを設定しました。地元の信仰が篤く笠岡を代表する山の一つである御嶽山(みたけさん)、蛇の憑(つ)き物に関する信仰である道通信仰の総本山ともいうべき道通神社、絶滅危惧I類のカブトガニの繁殖地として国の天然記念物になっている笠岡湾、ミサゴなどの野鳥も多く農業が盛んな笠岡湾干拓地、そして、笠岡ラーメンやかぶとがに饅頭など地域特有のグルメ・・・今回のレコはそうした笠岡の魅力をできる限り紹介させていただきました。
最初に訪問したしたのは駐車場前にある「恐竜公園」(入園無料)です。ティラノサウルス、プテラノドン、プロトケラトプスなど、巨大な恐竜復元模型が展示されています。恐竜好きだった子供の頃に戻った気分でした。詳細は写真の説明で紹介しています。
次に訪問した道通(どうつう)神社は、道開きの神、猿田彦命(さるたひこのみこと)を御主神と仰ぎ、応神天皇を合わせ祀る神社です。
神使(しんし)の道通様は、妖怪と神様の中間に位置する妖怪神ともいうべきものです。頸部に白または薄黄色の輪のある黒い蛇、あるいは白蛇ともいわれています。主に中国地方や四国地方東部に伝わり、「トンバイ」(島根県)、「トウビョウ」(広島県)などと呼ばます。
道通神は激しく人間に祟ったり、憑(つ)いたりする一方、幸福をもたらすこともあります。ある人を殺してほしいと道通様に願掛けしたところ、相手はもだえ苦しみ亡くなりましたが、願主には2倍の呪い(死の2倍の呪いとは何なのか気になりますが)が反ってきたという伝説があります。
こうした災いを鎮めるため祀られる導通様信仰の神社の総本山的な役割を果たしているのがこの道通神社です。社の裏手には、信者によって奉納された瓦製の小さな家<動画で紹介>がたくさんあり、漫画家水木しげる氏によって、「蛇の家」として全国的に紹介されました。
次に向かったのは御嶽山です。「おんたけさん」と呼んでしまいそうですが、「みたけさん(やま)」と言います。
道通神社から今立川(いまだてがわ)を渡り、縄文時代の人骨が約170体も出土した国指定史跡である津雲(つくも)貝塚を経由し、大島川を越えてほどなく出てくるカモの生息地、住吉池を巻き、144m峰(傳兵衛山)を経由する観音道ルートで御嶽山(みたけさん)にアプローチしました。
地形図上では144m峰から御嶽山まで半分ほど道が途切れていますが、実際にはたまに急傾斜があるものの歩きやすく迷うことのない道が続きます。道中の展望は効きませんが、「御嶽山西国三十三所霊場」の石仏があるので退屈しません。そのいくつかを写真や動画で紹介しています。
御嶽山頂上からの展望は効きませんが、頂上から南西方面に舗装道路を下った幻虹台(げんこうだい)からはカブトガニ繁殖地の笠岡湾や笠岡諸島などの美観を楽しむことができます。
御嶽山からは鳥ノ江峠経由で四尋山(しびろやま)の北東を巻き、大島川沿いに河口まで出て、出発点の恐竜公園前の駐車場に戻りました。この間にも写真や動画でも紹介していますように、いくつもの史跡や野鳥の観察ができました。
山行を終えた後、旬の味と花を堪能するために近くの道の駅「笠岡ベイファーム」を訪れ、まずは施設内にある「レストラン四季彩」で食事をとることにしました。笠岡の海の幸、山の幸を中心とした「バイキングスタイル」レストランです。最終受付が14時でしたが、ぎりぎり入店できました。おかげで珍しく待ち時間なしですぐに食事ができました。時季によっては客が殺到し営業時間内でも売り切れ閉店になるそうです。ビュッフェに名物笠岡ラーメンかうどん(どちらも半人前)がついて、税込み一人1,250円です。
食事後、笠岡名物「かぶとがに饅頭」と「もち麦カステラ」を購入しました。製造元の玉利軒は笠岡駅前にあり、創業はなんと寛政5年(1793年)の老舗です。
かぶとがに饅頭は名誉金賞を受賞しており、4つで1,425円の高級菓子です。もち麦カステラは笠岡湾干拓地で栽培されたもち麦を使った無添加カステラです。ミネラル分と食物繊維が豊富で、しっとり感と弾力が強く食べ応えがあります。
饅頭とカステラ以上に目を引いたのは「うねめ(采女)もみじたまご」でした。2014年にTV番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の0円食堂という企画で采女社長とTOKIOの長瀬さんとのやりとりが話題になり、これまでにそのシーンが十数回も放映されました。今や全国の養鶏場でもっとも知られた“采女(うねめ)ファーム”の卵として有名です。
道の駅を出ると、一部の菜の花畑ではちょうど菜の花が満開でした。その様子を写真や動画で紹介しています。
最後に恐竜公園に戻りカブトガニ博物館を見学しました。この辺りに広がる笠岡湾の海岸はカブトガニ繁殖地として国の天然記念物に指定されています。カブトガニ博物館は世界で唯一、カブトガニを専門的に扱っている珍しい博物館です。
カブトガニの雄は15回の脱皮をして13年目に、雌は16回の脱皮をして14年目に成体になるとのことです。寿命は25年位です。カニの名称がついていますが、クモやサソリの仲間です。
2億年以上前からひっそりと泥の中で生息し続けているカブトガニですが、アメリカではアメリカカブトガニの血液が検査薬の原料として使用されてきました。酸化すると青くなる血液は、わずかなグラム陰性菌(細菌)でもゲル状に固める性質を持っているため、注射剤や透析液などに「菌がいるかいないかを確認する検査」に役立ちます。従来は2日ほどかかっていた検査が、血液を利用することで1時間もかからずに済むようになりました。幸い、現在は彼らの血液の代わりになる合成化合物が使用されています。
別室で飼育中のカブトガニの小さな幼体はうっかりして見学し損ねましたが、大水槽で元気に動く大きめの幼体の姿や、恐竜の骨格模型などを写真や動画で紹介しています。
この日は笠岡の魅力を十分堪能することができ、充実した一日となりました(*^^*)
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