虎子山


- GPS
- --:--
- 距離
- 3.1km
- 登り
- 337m
- 下り
- 340m
コースタイム
天候 | 雨→曇り→晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
虎子山や国見岳を経る大垣新道用と思われる広い駐車場があります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
大垣新道と比較すると整備の度合いは小さいのですが、笹は切り払われており、 ひどい藪こぎはありませんでした。 当日は、遭難事件の関係か、大人数が入山しており、聞くとブンゲンまで縦走するということでした。 これを聞いた相棒は「オレもついて行く」と言い出しましたが、かなりの藪こぎを強いられるようで、みなさんGPSも持っておられました。 当然相棒の提案は却下されました。 |
写真
感想
1年2学期の初め、相棒と登りました。
熊の痕跡を複数見つけました。
伊吹山に向かう大垣新道よりも遭遇可能性は高いと思います。
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人間は、猿の仲間であるが、後ろ足が長い。
これは、森を離れ、広い草原をある程度の速度で長距離(走り)移動するための進化であろう。
これにより自由に手も使えるようになった。
手を自由に使い道具を操る。
長い後ろ足を操り長距離移動し、獲物を得るために空間、時間の認識を発達させる。
こうして大脳新皮質も拡大していった。
高速長距離移動ができる制御情報処理系を持つパワーショベルの様な生き物が人間である。
これらの機能は、当然、自然の中で最もよく発揮され、発達し、磨かれる。
ゆえに、自然と隔絶された人ほど、自然と接することを望む傾向にある。
これらの機能を発展させる契機とするためにも、自然と接するのは、まず子供時代であるべきだろう。
それも歩き始めて思春期に入る前の2〜13歳くらいがよい。
自然と接することで、この世の成り立ち、この世を支配する物理法則、怖いもの、おいしいもの、これらを避け、あるいは得るための体の動かし方考え方、これらを学んだうえで、自己確立を完成させるための思春期に臨むべきである。
ゆえに、子供とこの時期、ともに山を歩んできた。
父親である私は、私の親の自己満足のために昭和40年代の山ブームの中、山を歩き、鈴鹿の藪を漕ぎ山が嫌いになった。
しかし、私の親と山を歩くより前、私の祖父やその仲間に、猟・漁・山菜・ロープ使い・ナビゲーションなどをぼんやり教わったようで、ある程度は自然の中でのふるまいを理解している。
そんな、私が子供とともに山を歩む際心掛けたこと、
それは、子供の自主性を重んじることだ。
2歳のころ、タラの芽、チチタケ、キイチゴなどをまず教えた。
これは、子供が既製品をあまり食べず、悩んでいた時、「(お前もそうだった。)どこでどのように成っていたものをどのように調理した食べるか、がわからず警戒しているからだ。警戒する、臆病なことは自然の中で生きるために絶対必要条件だから、これを尊重した」との祖父の言を思い出したからだ。
子供に簡単な山菜を教えると、それを探し、徐々に世界を広げてゆく。
そこで、年中のころには、加減乗除の計算方法とみそじ計算を教え、山での計画を立てるようにさせた。
地図に糸を這わせ距離を測り、三角点間の距離を測って縮尺計算し、現地復元距離を割り出す。ここに、山菜を採りながら移動する速度を時速1キロとして、行動計画を立てさせた。
小1のころからは、子供をリーダーにして山での行動はすべて従った。
年長の終わりに原発事故があり、山菜採りを躊躇するようになったが、地図を通した世界観が広がっており、太平洋から日本海まで、見える山を点にして繋いで、世界観を確かめた。
どこへどのように行き、何をつかみ、どのように帰るのか?
全て子供が決めていた。決して頂上だけを目指すだけのくだらない自己満足だけで何も残らない「登山」はしなかった。
こんな中で、数理理論的思考、説明文を読み理解し加工する力、手先の器用さ、心肺能力などが育っていった。
小2で900mを三泳法で続けて泳ぎ、帽子の色を黒に変えた。
小5で数学検定3級までいった。
小6での算数の全国偏差値は70であった。
中1で中学3年まで含む全国テストを受け平均偏差値70をとり、さる塾の「特待生」(高校数学を中学生の間に終了させるプログラム)になった。
脚力が育つ頃、このサイトの中でトレランシューズを紹介され、「ヤマを走る」という別の世界観を手に入れた。
親子で走り、山の中でヤブに沈んだ古の古道を見つける中、越美山地の歴史的成り立ち、徳山氏という山賊戦闘集団を擁する地だった越美山地、これを含む海賊戦闘国家としての日本・・・などを知り、山を走りまわれるれることがすなわち暴(力)そのものであると理解して力を貯めるように親子でのめりこんだ。
(くまとも随分接触した)
今、彼は、自分で決めた目的のために着実に成果を出しながら進んでいる。
反抗的ではあるが、「甘えた反抗期」ではない。
(オレは越美のヤマでは、獣以上に自由に動ける強い人間だ。人の社会でも力を持ってやる。)
根源的な部分での自己確立は終了し、具体的な行動に移行しているようだ。
無理に小さな子供を「自信をつけさせるため」と称して高山へ連れて行く。
子供自身が何の興味も持てない山に行く。
アカの他人が、勝手に自己の価値観で作った「●●名山」に無理して登り、その記録のコレクションで「親が」社会に相手にしてもらおうとする。
高山で子供が褒められると親自身が褒められたような勘違いをする。
褒められたいがために子供を落とすような叱咤をする。
このような失敗はしないようにした。
自然の中に生きるべき人間の子供は、自然が好きである。
好きを生かすためには子供が自分で何をするかを決めなくてはならない。
親がそれをサポートすることで、子供の自尊心、目的意識、目的に向けて自己と環境を制御する力、が育つ。
自らの親に認められず受け止められず、結果大人になり切れないまま親になってしまった者が多い。
自らの空虚感や人格未熟の原因を突き詰めることもなく、あふれる情報や、承認欲求や、見栄や、そんなものに振り回されて子育てをする。
結果、虐待と同様な効果を生じるmaltreatmentが多い。
ヤマレコの中でも多くそれを見る。
ヤマの虐待連鎖
これにより家族が崩壊した例を見たときは愕然とした。
自分がひょっとしたらこの類似例に加担したのではないか?と考えるとこのサイトの使用に躊躇するようになった。
精神的・時間的・金銭的(余裕)がないから子供を持たないという選択肢はありえるのだろうが、余裕の根源は精神で、その精神的余裕が親の子供時代に生じるべきであるとすると、レジャーも教育も親が余裕を失わない範囲であるべきなのだろう。
20170831
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