01阿弥陀山38号墳
牛窓には阿弥陀山古墳群があり、横穴石室墳が50基以上あります。駐車場近くでいきなり巨大な石室が見られました。牛窓オリーブ園内にもたくさんありますが、木の保護のため道以外は立ち入り禁止なので探索は無理です。前回(2016年11月28日)、帰宅後にオリーブ園のホームページで知りました。申し訳ございません。
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01阿弥陀山38号墳
牛窓には阿弥陀山古墳群があり、横穴石室墳が50基以上あります。駐車場近くでいきなり巨大な石室が見られました。牛窓オリーブ園内にもたくさんありますが、木の保護のため道以外は立ち入り禁止なので探索は無理です。前回(2016年11月28日)、帰宅後にオリーブ園のホームページで知りました。申し訳ございません。
02ベンチより南東方面景観
手前に前島、その背後に小豆島が見えました。これから訪問する牛窓天神社<写真68〜71>の裏にある牛窓天神山古墳なども確認できました。
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02ベンチより南東方面景観
手前に前島、その背後に小豆島が見えました。これから訪問する牛窓天神社<写真68〜71>の裏にある牛窓天神山古墳なども確認できました。
03ツグミ
周辺にはベンチやテーブルがいくつかあり、ゆっくり休憩できます。ツグミはあまり警戒心がないので、動画を撮っていても平気で捕食行動をしていました。おとなしいためか、冬場には、泣く子も黙るカワラヒワの親分たちが、こいつらとならいいかと仲良く群れていることもあります。
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03ツグミ
周辺にはベンチやテーブルがいくつかあり、ゆっくり休憩できます。ツグミはあまり警戒心がないので、動画を撮っていても平気で捕食行動をしていました。おとなしいためか、冬場には、泣く子も黙るカワラヒワの親分たちが、こいつらとならいいかと仲良く群れていることもあります。
04八重桜
8分咲きです。フリフリの花弁が可愛らしく心が和みました。園外でも同じような花を何度か見かけました。
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04八重桜
8分咲きです。フリフリの花弁が可愛らしく心が和みました。園外でも同じような花を何度か見かけました。
05阿弥陀山頂上三角点
<点名:牛窓山>
標高166.5mです。展望台近くのロープで囲まれた植え込みの中に隠れるようにして設置されていました。なお、三角点名が牛窓山なので、山名も牛窓山になっていることがありますが、地元では阿弥陀山と呼ばれているようです。
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05阿弥陀山頂上三角点
<点名:牛窓山>
標高166.5mです。展望台近くのロープで囲まれた植え込みの中に隠れるようにして設置されていました。なお、三角点名が牛窓山なので、山名も牛窓山になっていることがありますが、地元では阿弥陀山と呼ばれているようです。
06シバザクラ&チューリップ
シバザクラにしては大輪の花はちょうど見頃でした。1株だけのチューリップとのコントラストが最高です。隣の花壇には白いシバザクラが満開でした。
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06シバザクラ&チューリップ
シバザクラにしては大輪の花はちょうど見頃でした。1株だけのチューリップとのコントラストが最高です。隣の花壇には白いシバザクラが満開でした。
07頂上広場より
桜越しに前島&小豆島
開園前に入ってしまったようで、8時半過ぎにはこんな素晴らしい休憩スポットが貸し切りでした。この桜は微妙に枝垂れており、開花と同時に葉が出るようです。ちょうど満開でした。園内には同じ品種が数本ありました。
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07頂上広場より
桜越しに前島&小豆島
開園前に入ってしまったようで、8時半過ぎにはこんな素晴らしい休憩スポットが貸し切りでした。この桜は微妙に枝垂れており、開花と同時に葉が出るようです。ちょうど満開でした。園内には同じ品種が数本ありました。
08牛窓町太陽光発電所
一瞬、海かと見間違うほど、広大なソーラーパネルが設置されていました。動画も撮りました。
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08牛窓町太陽光発電所
一瞬、海かと見間違うほど、広大なソーラーパネルが設置されていました。動画も撮りました。
09曾禰好忠の歌碑&桜
万葉歌人曾禰好忠(そねの よしただ)の歌『上り船 東風(こち)吹く風を過すとて よを牛窓に 泊まりてぞ経る』 都をめざす船が、強い東風を避けるため、牛窓に泊って物憂い一夜を過ごすとの意味です。歌碑の背後には<写真07>と同じ品種の桜が満開でした。
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09曾禰好忠の歌碑&桜
万葉歌人曾禰好忠(そねの よしただ)の歌『上り船 東風(こち)吹く風を過すとて よを牛窓に 泊まりてぞ経る』 都をめざす船が、強い東風を避けるため、牛窓に泊って物憂い一夜を過ごすとの意味です。歌碑の背後には<写真07>と同じ品種の桜が満開でした。
10桜越しに
黒島&前島&小豆島
前島はシーカヤックなどのアクティビティや瀬戸内海に沈む美しい夕日で知られています。その西(右)横の黒島は、干潮時には「黒島ヴィーナスロード」と呼ばれる砂の道で中ノ小島、 端ノ小島とつながります。
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10桜越しに
黒島&前島&小豆島
前島はシーカヤックなどのアクティビティや瀬戸内海に沈む美しい夕日で知られています。その西(右)横の黒島は、干潮時には「黒島ヴィーナスロード」と呼ばれる砂の道で中ノ小島、 端ノ小島とつながります。
11頂上広場桜大木
展望台近くの桜の大木がほぼ満開でした\(^o^)/これも<写真07>と同じ品種のようです。小走りするツグミ<写真03>の動画も撮りました。
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11頂上広場桜大木
展望台近くの桜の大木がほぼ満開でした\(^o^)/これも<写真07>と同じ品種のようです。小走りするツグミ<写真03>の動画も撮りました。
12モチツツジ
山梨県・静岡県から岡山県(旭川)までの本州と四国に分布するツツジです。一輪だけ咲いていました。
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12モチツツジ
山梨県・静岡県から岡山県(旭川)までの本州と四国に分布するツツジです。一輪だけ咲いていました。
13スノーフレーク
赤屋根<写真14>の裏です。スノーフレークは、スズランのようなベル形の花を下向きに咲かせます。白い花弁の先端に緑色の斑点があり愛らしいです。よく見ると、スノードロップとは花の形が違います。
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13スノーフレーク
赤屋根<写真14>の裏です。スノーフレークは、スズランのようなベル形の花を下向きに咲かせます。白い花弁の先端に緑色の斑点があり愛らしいです。よく見ると、スノードロップとは花の形が違います。
14赤屋根(清風亭)
昭和34年から約40年間、牛窓オリーブ園の風景に魅せられた佐竹徳画伯は、この赤屋根のアトリエを拠点に絵を描き続けました。オリーブの緑と瀬戸内海を愛し、牛窓を「日本のエーゲ海」と称賛したのはこの方だそうです。
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14赤屋根(清風亭)
昭和34年から約40年間、牛窓オリーブ園の風景に魅せられた佐竹徳画伯は、この赤屋根のアトリエを拠点に絵を描き続けました。オリーブの緑と瀬戸内海を愛し、牛窓を「日本のエーゲ海」と称賛したのはこの方だそうです。
15ダッチアイリス
元は地中海沿岸地方原産でしたが、オランダで品種改良が進んだため、「ダッチ(オランダのこと)アイリス」の名前になりました。道から少し離れた所に1株だけでした。
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15ダッチアイリス
元は地中海沿岸地方原産でしたが、オランダで品種改良が進んだため、「ダッチ(オランダのこと)アイリス」の名前になりました。道から少し離れた所に1株だけでした。
16謎の神社
オリーブ園マップにもなく、詳細は不明です。拝殿がなくなり、本殿だけが残されたのでしょうか。
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16謎の神社
オリーブ園マップにもなく、詳細は不明です。拝殿がなくなり、本殿だけが残されたのでしょうか。
17頂上広場謎のオブジェ&桜
頂上広場の外から見ると『入』に見えましたが、広場内から見ると『人』です。意味深です。背後の桜は<写真07>と同じ品種のようです。園内のソメイヨシノのほうは、3割ほど花が残っていました。
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17頂上広場謎のオブジェ&桜
頂上広場の外から見ると『入』に見えましたが、広場内から見ると『人』です。意味深です。背後の桜は<写真07>と同じ品種のようです。園内のソメイヨシノのほうは、3割ほど花が残っていました。
18ヒメアカタテハ
大陸間の長距離を移動する蝶です。5月から6月、9月から11月にかけてよく見られます。ここからオリーブ並木を歩きながら動画を撮りました。
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18ヒメアカタテハ
大陸間の長距離を移動する蝶です。5月から6月、9月から11月にかけてよく見られます。ここからオリーブ並木を歩きながら動画を撮りました。
19マツバウンラン
アメリカ原産の帰化植物です。唇形をした青紫色の小さな花をつけ、ウンラン(海蘭) に似ていることからこの名がつきました。リナリアによく似た1cm足らずの花が我が家の敷地内でも咲き始めました。
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19マツバウンラン
アメリカ原産の帰化植物です。唇形をした青紫色の小さな花をつけ、ウンラン(海蘭) に似ていることからこの名がつきました。リナリアによく似た1cm足らずの花が我が家の敷地内でも咲き始めました。
20オリーブ並木
オリーブの木が約2000本も栽培されています。毎年10月下旬にオリーブ収穫祭があります。ここからオリーブ並木越しに前島などを動画に撮りました。
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20オリーブ並木
オリーブの木が約2000本も栽培されています。毎年10月下旬にオリーブ収穫祭があります。ここからオリーブ並木越しに前島などを動画に撮りました。
21ローマの丘タンポポ花畑
「ローマの丘」は、まるで本当の遺跡のような佇まいで、在来種のカンサイタンポポが周囲を彩っていました。動画も撮りました。
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21ローマの丘タンポポ花畑
「ローマの丘」は、まるで本当の遺跡のような佇まいで、在来種のカンサイタンポポが周囲を彩っていました。動画も撮りました。
22オリーブ越しに前島
&黒島&中ノ小島&端ノ小島
中央に見える黒島・中ノ小島・端ノ小島は、干潮時に繋がり歩くことができます。これを「黒島ヴィーナスロード」といいます。
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22オリーブ越しに前島
&黒島&中ノ小島&端ノ小島
中央に見える黒島・中ノ小島・端ノ小島は、干潮時に繋がり歩くことができます。これを「黒島ヴィーナスロード」といいます。
23セイヨウカラシナ
平安時代の書物に記載されているほど古くから、日本にはカラシナがありました。しかし明治時代、辛子を作るための植物として入ってきたのがセイヨウカラシナです。セイヨウアブラナほどは花が密につかず、葉は茎を抱きません。
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23セイヨウカラシナ
平安時代の書物に記載されているほど古くから、日本にはカラシナがありました。しかし明治時代、辛子を作るための植物として入ってきたのがセイヨウカラシナです。セイヨウアブラナほどは花が密につかず、葉は茎を抱きません。
24ホオジロ♂&アオジ♂
ホオジロのオス<写真26>が捕食行動をしていたので動画を撮っていると、アオジのオス(左)がやってきました。アオジのオスは、メスとは違い、くちばしの付け根周辺が黒いです。
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24ホオジロ♂&アオジ♂
ホオジロのオス<写真26>が捕食行動をしていたので動画を撮っていると、アオジのオス(左)がやってきました。アオジのオスは、メスとは違い、くちばしの付け根周辺が黒いです。
25牛窓ジェラート工房コピオ
のヤギ
店は12時開店でしたので、留守番(?)のヤギが愛嬌を振りまいていました(*^^*)あまりにも人恋しかったのか、金網越しにスリスリし、しまいには、うれションしてしまいました(*_*;
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25牛窓ジェラート工房コピオ
のヤギ
店は12時開店でしたので、留守番(?)のヤギが愛嬌を振りまいていました(*^^*)あまりにも人恋しかったのか、金網越しにスリスリし、しまいには、うれションしてしまいました(*_*;
26ウグイスと張り合って
鳴くホオジロ♂
体をヒクヒクさせながら、ウグイスに負けまいと必死で鳴いていました。動画で傑作な掛け合いが視聴できます。連れがツボにハマってしまい、癒されると毎晩楽しんでいます(^^♪
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26ウグイスと張り合って
鳴くホオジロ♂
体をヒクヒクさせながら、ウグイスに負けまいと必死で鳴いていました。動画で傑作な掛け合いが視聴できます。連れがツボにハマってしまい、癒されると毎晩楽しんでいます(^^♪
27オドリコソウ花畑
文字通り、花のつき方が、笠をかぶった踊り子達が並んだ姿に似ています。濃いめのピンクから白に近い淡いピンクまでさまざまなので、動画を撮って楽しみました。
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27オドリコソウ花畑
文字通り、花のつき方が、笠をかぶった踊り子達が並んだ姿に似ています。濃いめのピンクから白に近い淡いピンクまでさまざまなので、動画を撮って楽しみました。
28ナガミヒナゲシ
オレンジ色でポピーにそっくりな花ですが、 原産は地中海沿岸で爆発的な繁殖力から悪者扱いされています。
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28ナガミヒナゲシ
オレンジ色でポピーにそっくりな花ですが、 原産は地中海沿岸で爆発的な繁殖力から悪者扱いされています。
29スズメ
可愛いテイクオフシーンを動画に撮りました。フワフワだったので、おそらく子育て中のメスでしょう。我が家の屋根の居候たちも現在、大忙しのようです。
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29スズメ
可愛いテイクオフシーンを動画に撮りました。フワフワだったので、おそらく子育て中のメスでしょう。我が家の屋根の居候たちも現在、大忙しのようです。
30牛窓神社玉垣
中屋、福田屋など、昭和4年(1767年)当時に牛窓に軒を連ねた廻船問屋の旦那衆の名が刻まれています。鎌倉・室町時代の石清水八幡宮の古文書によれば、当時牛窓は石清水領で、この神社も格式が高かったようです。
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30牛窓神社玉垣
中屋、福田屋など、昭和4年(1767年)当時に牛窓に軒を連ねた廻船問屋の旦那衆の名が刻まれています。鎌倉・室町時代の石清水八幡宮の古文書によれば、当時牛窓は石清水領で、この神社も格式が高かったようです。
31牛窓神社境内社
向かって左が祇園神社、右が稲荷神社です。
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31牛窓神社境内社
向かって左が祇園神社、右が稲荷神社です。
32牛窓神社本殿
弘治元年(1555年)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失いましたが、文化9年(1812)に再建されました。特に本殿は近世の社寺建築の粋を凝らしたもので、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根はかなり珍しい形をしています。瀬戸内市の重要文化財です。
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32牛窓神社本殿
弘治元年(1555年)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失いましたが、文化9年(1812)に再建されました。特に本殿は近世の社寺建築の粋を凝らしたもので、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根はかなり珍しい形をしています。瀬戸内市の重要文化財です。
33牛窓神社拝殿
縁結びにもご利益があるそうで、拝殿には奉納された婚礼写真が多数飾ってあります。
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33牛窓神社拝殿
縁結びにもご利益があるそうで、拝殿には奉納された婚礼写真が多数飾ってあります。
34牛窓神社随身門
振り返ってみました。右側に左大臣:奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)、左側に右大臣:豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)が祀られています。
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34牛窓神社随身門
振り返ってみました。右側に左大臣:奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)、左側に右大臣:豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)が祀られています。
35亀山公園
コバノミツバツツジロード
この一角だけはコバノミツバツツジに満ちていました。例年なら、まだ見頃のはずですが、今年は早かったので、傷んだ花が多く見られました。遠目には綺麗だったので、歩きながら動画を撮りました。
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35亀山公園
コバノミツバツツジロード
この一角だけはコバノミツバツツジに満ちていました。例年なら、まだ見頃のはずですが、今年は早かったので、傷んだ花が多く見られました。遠目には綺麗だったので、歩きながら動画を撮りました。
36亀山公園望洋亭
展望台(東屋)があり、瀬戸内海方面の優美な景観を望むことができます。樹高1m程の「鬱金(うこん)桜」越しに牛窓天神社<写真68〜71>の裏にある牛窓天神山古墳を望みました。地元の方らしき7〜8名が談笑中でした。
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36亀山公園望洋亭
展望台(東屋)があり、瀬戸内海方面の優美な景観を望むことができます。樹高1m程の「鬱金(うこん)桜」越しに牛窓天神社<写真68〜71>の裏にある牛窓天神山古墳を望みました。地元の方らしき7〜8名が談笑中でした。
37亀山公園
コバノミツバツツジ
コバノミツバツツジ越しに前島&小豆島を望みました。風景全体が春色で心が安らぎます。
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37亀山公園
コバノミツバツツジ
コバノミツバツツジ越しに前島&小豆島を望みました。風景全体が春色で心が安らぎます。
38シロハラ
何か食べています(*^^*)今年は逃げられっぱなしで、やっと動画が撮れました。あまり警戒心は強くないはずなので不思議でした。たまにうちの庭で、落ち葉を跳ね飛ばして餌を探していることがあります。
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38シロハラ
何か食べています(*^^*)今年は逃げられっぱなしで、やっと動画が撮れました。あまり警戒心は強くないはずなので不思議でした。たまにうちの庭で、落ち葉を跳ね飛ばして餌を探していることがあります。
39亀山公園ベンチより西島
40余りの島で構成されている家島諸島の中でもっとも大きな島です。先土器・縄文・弥生時代の遺構や石器など多数出土しています。
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39亀山公園ベンチより西島
40余りの島で構成されている家島諸島の中でもっとも大きな島です。先土器・縄文・弥生時代の遺構や石器など多数出土しています。
40キジバト
何か食べていたので動画も撮りました。彼らの警戒心のなさはあきれ返るほどで、連れはしつこく言い寄られ、小枝のプレゼント攻めに遭ったことがあります。結局、ちゃんとメスのキジバトとつがいになりましたが、二羽とも巣作りが下手ポッポで、一日で頓挫しました(-_-;)
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40キジバト
何か食べていたので動画も撮りました。彼らの警戒心のなさはあきれ返るほどで、連れはしつこく言い寄られ、小枝のプレゼント攻めに遭ったことがあります。結局、ちゃんとメスのキジバトとつがいになりましたが、二羽とも巣作りが下手ポッポで、一日で頓挫しました(-_-;)
41ハマダイコン越しに
牛窓断層帯地層群
この断層面は堆積岩(水成岩)の砂岩や頁岩などと、火成岩の花崗岩とが交互に接し、同じ位置関係が三ヶ所に並列状態に繰り返してある様子が見られますが、今回はくつろぎ中の方がおられたので、見学は遠慮しました。
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41ハマダイコン越しに
牛窓断層帯地層群
この断層面は堆積岩(水成岩)の砂岩や頁岩などと、火成岩の花崗岩とが交互に接し、同じ位置関係が三ヶ所に並列状態に繰り返してある様子が見られますが、今回はくつろぎ中の方がおられたので、見学は遠慮しました。
42宿井の浜
万葉の歌碑越しに前島
牛窓海水浴場は別名「宿井の浜」と言い、明治22年開設の岡山で2番目に古い海水浴場でした。4年前に閉鎖しましたが、この日は釣り客で賑わい、駐車場は満車で路駐もありました。歌碑は「牛窓の 波の潮騒 島響(とよ)み 寄さへし君に 逢はずかもあらむ」牛窓の波が立って潮騒が島を響かせるように噂高く言い寄り続けたあなたに(このまま)逢わずにいることでしょうかという意味で、あれほど言い寄ってきた男がもう会いに来なくなり、このまま自然消滅させられそうな恋を嘆いたものです。「恋人の聖地」牛窓にふさわしい、もう少し幸せそうな恋の歌があればよかったのですが・・・
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42宿井の浜
万葉の歌碑越しに前島
牛窓海水浴場は別名「宿井の浜」と言い、明治22年開設の岡山で2番目に古い海水浴場でした。4年前に閉鎖しましたが、この日は釣り客で賑わい、駐車場は満車で路駐もありました。歌碑は「牛窓の 波の潮騒 島響(とよ)み 寄さへし君に 逢はずかもあらむ」牛窓の波が立って潮騒が島を響かせるように噂高く言い寄り続けたあなたに(このまま)逢わずにいることでしょうかという意味で、あれほど言い寄ってきた男がもう会いに来なくなり、このまま自然消滅させられそうな恋を嘆いたものです。「恋人の聖地」牛窓にふさわしい、もう少し幸せそうな恋の歌があればよかったのですが・・・
43愛宕宮
お堂の中に祠が設置されている珍しい造りでした。
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43愛宕宮
お堂の中に祠が設置されている珍しい造りでした。
44若葉屋(東服部邸)
文政元(1818)年、梶屋の木材部門が分家してできた店でしたが、材木問屋として発展しました。また、名主を務めるなど、この地で大きな影響力を持っていた商家でした。
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44若葉屋(東服部邸)
文政元(1818)年、梶屋の木材部門が分家してできた店でしたが、材木問屋として発展しました。また、名主を務めるなど、この地で大きな影響力を持っていた商家でした。
45バビアナ
1輪の寿命は、3〜4日ほどですが、分岐した枝から次々花が咲くので、1ヶ月くらい花を楽しむことができます。いくつか品種があり、中心部が赤や紫など濃い色のツートンカラーの花が多いのですが、これは単色で気品がありました。
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45バビアナ
1輪の寿命は、3〜4日ほどですが、分岐した枝から次々花が咲くので、1ヶ月くらい花を楽しむことができます。いくつか品種があり、中心部が赤や紫など濃い色のツートンカラーの花が多いのですが、これは単色で気品がありました。
46牛窓燈籠堂跡
&恵比須宮&竜王宮
燈籠(とうろう)堂は江戸時代、唐琴の瀬戸を航行する船舶が多くなってきたため、延宝年間(1673〜1681)に、夜間通行の標識として備前藩主池田綱政の命により建設され、明治維新後に基壇を残して取り壊されましたが、昭和63年に復元されました。これは海側から見たもので、逆サイドには石段の上に鳥居と三光稲荷のミニ祠があり、そちらもおもしろかったです。
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46牛窓燈籠堂跡
&恵比須宮&竜王宮
燈籠(とうろう)堂は江戸時代、唐琴の瀬戸を航行する船舶が多くなってきたため、延宝年間(1673〜1681)に、夜間通行の標識として備前藩主池田綱政の命により建設され、明治維新後に基壇を残して取り壊されましたが、昭和63年に復元されました。これは海側から見たもので、逆サイドには石段の上に鳥居と三光稲荷のミニ祠があり、そちらもおもしろかったです。
47牛窓港灯台&前島展望台
灯台は牛窓港ではなく、前島の城ヶ鼻にあります。牛窓本町の海岸堤防から、対岸の灯台までは、340mほどしか離れておらず、狭い水道になっています。牛窓の町と前島の間のこの水路は、牛窓瀬戸と呼ばれています。前島展望台は3階建ての立派な木造建造物です。
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47牛窓港灯台&前島展望台
灯台は牛窓港ではなく、前島の城ヶ鼻にあります。牛窓本町の海岸堤防から、対岸の灯台までは、340mほどしか離れておらず、狭い水道になっています。牛窓の町と前島の間のこの水路は、牛窓瀬戸と呼ばれています。前島展望台は3階建ての立派な木造建造物です。
48纜石(ともづないし)
神功(じんぐう)皇后がこの石に船をつないだとされています。牛窓神社<写真30〜34>の御神石です。あまり大きくはなく、囲いがなければスルーしてしまいそうです。
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48纜石(ともづないし)
神功(じんぐう)皇后がこの石に船をつないだとされています。牛窓神社<写真30〜34>の御神石です。あまり大きくはなく、囲いがなければスルーしてしまいそうです。
49五香宮より幡(はた)港
&東町&蕪(かぶら)崎
港町らしい風景です。周辺は猫だらけだそうですが、この日は2匹でした。
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49五香宮より幡(はた)港
&東町&蕪(かぶら)崎
港町らしい風景です。周辺は猫だらけだそうですが、この日は2匹でした。
50五香宮本殿&拝殿
八つ頭をもつ怪物との戦いで命を落としてしまった仲哀(ちゅうあい)天皇の遺志を継ぎ、神功(じんぐう)皇后は、この地から男装し出発する前に「住吉大明神」に参拝されました。それが、ここ五香宮(ごこうぐう)です。
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50五香宮本殿&拝殿
八つ頭をもつ怪物との戦いで命を落としてしまった仲哀(ちゅうあい)天皇の遺志を継ぎ、神功(じんぐう)皇后は、この地から男装し出発する前に「住吉大明神」に参拝されました。それが、ここ五香宮(ごこうぐう)です。
51海岸山妙福寺観音院本堂
五香宮と境内を共有しているような位置にあります。神功皇后ゆかりの高野山真言宗の寺で、地元では東寺と呼ばれています。瀬戸内三十三観音霊場第6番札所で、現在の本堂は延享3(1746)年の再建とされています。ソメイヨシノは3割程残っていました。
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51海岸山妙福寺観音院本堂
五香宮と境内を共有しているような位置にあります。神功皇后ゆかりの高野山真言宗の寺で、地元では東寺と呼ばれています。瀬戸内三十三観音霊場第6番札所で、現在の本堂は延享3(1746)年の再建とされています。ソメイヨシノは3割程残っていました。
52御茶屋跡
朝鮮通信使の接待場として使われていたお茶屋跡です。
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52御茶屋跡
朝鮮通信使の接待場として使われていたお茶屋跡です。
53街角ミュゼ牛窓文化館
大正4年、旧牛窓銀行本店として、建設されました。金融合併を繰り返し、昭和5年、中国銀行牛窓支店になり、昭和55年に牛窓町に寄贈されることになりました。そして、平成9年、現在の「街角ミュゼ牛窓文化館」になりました。また、同年、牛窓町初の国の登録有形文化財になりました。館内は牛窓の歴史や文化を伝える展示場として使われています。内部の動画を撮りました。
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53街角ミュゼ牛窓文化館
大正4年、旧牛窓銀行本店として、建設されました。金融合併を繰り返し、昭和5年、中国銀行牛窓支店になり、昭和55年に牛窓町に寄贈されることになりました。そして、平成9年、現在の「街角ミュゼ牛窓文化館」になりました。また、同年、牛窓町初の国の登録有形文化財になりました。館内は牛窓の歴史や文化を伝える展示場として使われています。内部の動画を撮りました。
54牡丹
花が咲いてから20日程、開花する事から別名で「二十日草」とも呼ばれています。とても綺麗でした。
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54牡丹
花が咲いてから20日程、開花する事から別名で「二十日草」とも呼ばれています。とても綺麗でした。
55御茶屋井戸
(朝鮮通信使ゆかりの井戸)
岡山藩の外交使節であった御茶屋で朝鮮通信使を迎えるために、承応3(1654)年に岡山藩により掘られたと井戸枠の側面に刻まれています。井戸の底は、深く、丸く大きく掘られており、他の井戸が涸れてもここだけは涸れなかったと伝えられているそうです。
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55御茶屋井戸
(朝鮮通信使ゆかりの井戸)
岡山藩の外交使節であった御茶屋で朝鮮通信使を迎えるために、承応3(1654)年に岡山藩により掘られたと井戸枠の側面に刻まれています。井戸の底は、深く、丸く大きく掘られており、他の井戸が涸れてもここだけは涸れなかったと伝えられているそうです。
56フリージア
金毘羅宮の石段脇の広場に多数咲いていました。傷みかけた花が多かったのですが、まだいい香りがしていました。カラフルで可愛い花を咲かせるフリージアは菖蒲や水仙に似ていることから、別名「菖蒲水仙(しょうぶすいせん)」とも呼ばれています。
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56フリージア
金毘羅宮の石段脇の広場に多数咲いていました。傷みかけた花が多かったのですが、まだいい香りがしていました。カラフルで可愛い花を咲かせるフリージアは菖蒲や水仙に似ていることから、別名「菖蒲水仙(しょうぶすいせん)」とも呼ばれています。
57藤棚
藤の花が開花し始めました。
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57藤棚
藤の花が開花し始めました。
58金毘羅宮鳥居越しに拝殿
嘉永元年の鳥居越しに、散り残ったソメイヨシノと拝殿が見えています。漁業不振や海難事故が相次いだため、金毘羅大権現を勧請したものです。
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58金毘羅宮鳥居越しに拝殿
嘉永元年の鳥居越しに、散り残ったソメイヨシノと拝殿が見えています。漁業不振や海難事故が相次いだため、金毘羅大権現を勧請したものです。
59金毘羅宮歌碑&桜
藤原定家の歌「忘れぬは 波路の月に 愁へつつ 身を牛窓に 泊まる船人」忘れないのは故郷の人、波路に映る月に歎きを訴えながら、我が身を憂しと、牛窓の港に泊っている船中の人よという意味です。ソメイヨシノは花が半分近く残っていました。
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59金毘羅宮歌碑&桜
藤原定家の歌「忘れぬは 波路の月に 愁へつつ 身を牛窓に 泊まる船人」忘れないのは故郷の人、波路に映る月に歎きを訴えながら、我が身を憂しと、牛窓の港に泊っている船中の人よという意味です。ソメイヨシノは花が半分近く残っていました。
60金毘羅宮境内より
黒島&中ノ小島&端ノ小島
手前に干潮時に砂浜が繋がり「黒島ヴィーナスロード」を形成する黒島、中ノ小島、端ノ小島の三島、その背後に小豆島が見えました。飛翔するトビを動画に撮りました。
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60金毘羅宮境内より
黒島&中ノ小島&端ノ小島
手前に干潮時に砂浜が繋がり「黒島ヴィーナスロード」を形成する黒島、中ノ小島、端ノ小島の三島、その背後に小豆島が見えました。飛翔するトビを動画に撮りました。
61三宝荒神&かまどの神
本殿の裏です。金毘羅大権現を勧請する以前から、ここに祀られていました。
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61三宝荒神&かまどの神
本殿の裏です。金毘羅大権現を勧請する以前から、ここに祀られていました。
62ガザニア
勲章菊とも呼ばれ、春から秋に開花します。比較的寒さに強いようで、暖地では冬でもたまに見かけます。黄色い鮮やかな花がポピュラーですが、ここのは落ち着いたいい色でした。
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62ガザニア
勲章菊とも呼ばれ、春から秋に開花します。比較的寒さに強いようで、暖地では冬でもたまに見かけます。黄色い鮮やかな花がポピュラーですが、ここのは落ち着いたいい色でした。
63最一(さいいち)稲荷鳥居
『由来記』によれば、明治4(1871)年、北側の山にいた老狐がここで天寿を迎えました。霊狐は神のように人の願いを叶えるようになり、明治7(1874)年、京都伏見稲荷から神璽(しんじ)を賜ったといわれています。
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63最一(さいいち)稲荷鳥居
『由来記』によれば、明治4(1871)年、北側の山にいた老狐がここで天寿を迎えました。霊狐は神のように人の願いを叶えるようになり、明治7(1874)年、京都伏見稲荷から神璽(しんじ)を賜ったといわれています。
64最一稲荷本殿
もうすぐ撤去されるそうですが(´・ω・`)ここで、連れが神社で何も祈願していないことに気づきましたが、結局、花や風景に夢中になり、これほど多数の神社に参詣しながら、何もせずに帰ってしまいました(-_-;)
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64最一稲荷本殿
もうすぐ撤去されるそうですが(´・ω・`)ここで、連れが神社で何も祈願していないことに気づきましたが、結局、花や風景に夢中になり、これほど多数の神社に参詣しながら、何もせずに帰ってしまいました(-_-;)
65桜越しに火の見櫓
牛窓天神社<写真69〜71>との分岐です。花が半分程残ったソメイヨシノ越しに火の見櫓を見上げてみました。ソメイヨシノはもう完全に散ってしまっていると思っていたのですが、まだ各地で頑張っていました。
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65桜越しに火の見櫓
牛窓天神社<写真69〜71>との分岐です。花が半分程残ったソメイヨシノ越しに火の見櫓を見上げてみました。ソメイヨシノはもう完全に散ってしまっていると思っていたのですが、まだ各地で頑張っていました。
66高祖酒造発祥蔵
「千寿」のブランドで知られる高祖酒造の発祥の地です。天保元年(1830年)創業、木造二階建て本瓦葺きの主屋は、正面一階は出格子で、二階はなまこ壁と黒漆喰でつくられており、明治25(1892年)年頃に改装されました。登録有形文化財です。
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66高祖酒造発祥蔵
「千寿」のブランドで知られる高祖酒造の発祥の地です。天保元年(1830年)創業、木造二階建て本瓦葺きの主屋は、正面一階は出格子で、二階はなまこ壁と黒漆喰でつくられており、明治25(1892年)年頃に改装されました。登録有形文化財です。
67サツキ
牛窓天神社の石段を上っていると、右側の八重桜の奥に見えたのでズームしてみました。以前は広場があったのかもしれません。
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67サツキ
牛窓天神社の石段を上っていると、右側の八重桜の奥に見えたのでズームしてみました。以前は広場があったのかもしれません。
68キリシマツツジ越しに
瀬戸内海
牛窓天神社の鳥居前です。色とりどりのキリシマツツジは、木によっては満開でした。
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68キリシマツツジ越しに
瀬戸内海
牛窓天神社の鳥居前です。色とりどりのキリシマツツジは、木によっては満開でした。
69牛窓天神社拝殿
菅原道真公が大宰府流罪の際、ここに立ち寄り腰掛けた岩の跡に建てられたのが始まりです。
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69牛窓天神社拝殿
菅原道真公が大宰府流罪の際、ここに立ち寄り腰掛けた岩の跡に建てられたのが始まりです。
70牛窓天神社鳥居越しに
桜&&中ノ小島&端ノ小島
拝殿前から振り返ると、ソメイヨシノや中ノ小島、端ノ小島が見えました。海の見える神社はいいものです。
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70牛窓天神社鳥居越しに
桜&&中ノ小島&端ノ小島
拝殿前から振り返ると、ソメイヨシノや中ノ小島、端ノ小島が見えました。海の見える神社はいいものです。
71牛窓天神社本殿
わかりにくいですが、屋根の背後にもソメイヨシノが咲き残っています。「港牛窓天神ロード」で全長84mの前方後円墳「牛窓天神山古墳」の外周を一周し、途中にあった分岐から本蓮寺<写真83〜88>に下りようかとも思いましたが、上ってきた石段を引き返しました。
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71牛窓天神社本殿
わかりにくいですが、屋根の背後にもソメイヨシノが咲き残っています。「港牛窓天神ロード」で全長84mの前方後円墳「牛窓天神山古墳」の外周を一周し、途中にあった分岐から本蓮寺<写真83〜88>に下りようかとも思いましたが、上ってきた石段を引き返しました。
72古い看板
「和洋船用品商 木崎商店 電話十二番」と書かれていました。
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72古い看板
「和洋船用品商 木崎商店 電話十二番」と書かれていました。
73映画「カンゾー先生」
ロケ地跡
終戦間近の岡山県を舞台にした、今村昌平監督の作品「カンゾー先生」のロケ地です。
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73映画「カンゾー先生」
ロケ地跡
終戦間近の岡山県を舞台にした、今村昌平監督の作品「カンゾー先生」のロケ地です。
74長屋門
旧松屋本家の明治時代の建築物です。上には新年にお寺から授与される護符がかかっています。
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74長屋門
旧松屋本家の明治時代の建築物です。上には新年にお寺から授与される護符がかかっています。
75上之町井戸
昭和34年に上水道が完成するまで使用されました。背後は稲荷神社と水神社の祠です。
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75上之町井戸
昭和34年に上水道が完成するまで使用されました。背後は稲荷神社と水神社の祠です。
76「牛転」(旧牛窓郵便局)
昭和初期(昭和10年とも)に建てられた旧牛窓郵便局の建物で、現在は画廊喫茶「牛転」(うしまろび)となっています。神功(じんぐう)皇后がこの地で牛鬼に襲われた際、住吉明神が角を掴んで投げ倒したことから、「牛転(うしまろび)」という地名が生まれ、訛って「牛窓」になったと言われています。
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76「牛転」(旧牛窓郵便局)
昭和初期(昭和10年とも)に建てられた旧牛窓郵便局の建物で、現在は画廊喫茶「牛転」(うしまろび)となっています。神功(じんぐう)皇后がこの地で牛鬼に襲われた際、住吉明神が角を掴んで投げ倒したことから、「牛転(うしまろび)」という地名が生まれ、訛って「牛窓」になったと言われています。
77海遊文化館
明治20(1887)年の建造物で、国の登録有形文化財です。背後に本蓮寺の三重塔<写真83>が見えています。
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77海遊文化館
明治20(1887)年の建造物で、国の登録有形文化財です。背後に本蓮寺の三重塔<写真83>が見えています。
78海遊文化館ソテツ
玄関脇のソテツは、江戸時代に牛窓村の大庄屋だった奈良屋の庭にあったもので、なかなかの大木でした。
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78海遊文化館ソテツ
玄関脇のソテツは、江戸時代に牛窓村の大庄屋だった奈良屋の庭にあったもので、なかなかの大木でした。
79御船だんじり
&だんじり飛龍丸
海遊文化館館内です。牛窓のだんじりは船形で海に入るという珍しいものです。岡山県の重要有形民俗文化財に指定されています。手前の御船だんじりは、牛窓のだんじりの中で最古のものと考えられています。
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79御船だんじり
&だんじり飛龍丸
海遊文化館館内です。牛窓のだんじりは船形で海に入るという珍しいものです。岡山県の重要有形民俗文化財に指定されています。手前の御船だんじりは、牛窓のだんじりの中で最古のものと考えられています。
80だんじり飛龍丸後部
飛龍丸の後部は鳳凰のようです。この後、見せていただいた映像によれば、牛窓神社の秋祭りには、参加できない女性の代わりに女装した男性もだんじりを引くそうです。館内には朝鮮通信使の衣装なども展示されていました。
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80だんじり飛龍丸後部
飛龍丸の後部は鳳凰のようです。この後、見せていただいた映像によれば、牛窓神社の秋祭りには、参加できない女性の代わりに女装した男性もだんじりを引くそうです。館内には朝鮮通信使の衣装なども展示されていました。
81スパラキシス
南アフリカ原産の球根植物で、このような派手なツートンカラーが多いようです。
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81スパラキシス
南アフリカ原産の球根植物で、このような派手なツートンカラーが多いようです。
82ノースポール&ネモフィラ
寒さに強く秋に植え付ければ春にまた開花するノースポールと、青い花畑が各地で話題となるネモフィラが仲良く並んで咲いていました。
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82ノースポール&ネモフィラ
寒さに強く秋に植え付ければ春にまた開花するノースポールと、青い花畑が各地で話題となるネモフィラが仲良く並んで咲いていました。
83桜越しに本蓮寺三重塔
本蓮寺は朝鮮通信使の宿館として利用されたことから、境内が朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されています。三重塔は岡山県の重要文化財です。
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83桜越しに本蓮寺三重塔
本蓮寺は朝鮮通信使の宿館として利用されたことから、境内が朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されています。三重塔は岡山県の重要文化財です。
84本蓮寺中門
本堂<写真85>と同じく明応元年頃の建立とされ、国の重要文化財に指定されています。
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84本蓮寺中門
本堂<写真85>と同じく明応元年頃の建立とされ、国の重要文化財に指定されています。
85本蓮寺本堂
明応元年(1492年)の再建で、室町時代の建築の特徴が見られます。国指定重要文化財です。
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85本蓮寺本堂
明応元年(1492年)の再建で、室町時代の建築の特徴が見られます。国指定重要文化財です。
86本蓮寺祖師堂
再建時期は不明で、元禄4(1691)年と明和6(1769)年の二説あります。こちらは県指定重要文化財ですが、祖師堂としては県下最大級の規模をもちます。最初はこれが本堂かと思っていました。
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86本蓮寺祖師堂
再建時期は不明で、元禄4(1691)年と明和6(1769)年の二説あります。こちらは県指定重要文化財ですが、祖師堂としては県下最大級の規模をもちます。最初はこれが本堂かと思っていました。
87本蓮寺番神堂
室町時代後期の建築と考えられ、国の重要文化財に指定されています。内部には三棟のお堂があります。手前の門が傾いているのが気になり近づいてみると・・・<写真88>へ
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87本蓮寺番神堂
室町時代後期の建築と考えられ、国の重要文化財に指定されています。内部には三棟のお堂があります。手前の門が傾いているのが気になり近づいてみると・・・<写真88>へ
88本蓮寺番神堂
傾いた門&切り株
直径1m近い巨大な切り株がありました。周辺のコンクリートもひび割れています。この巨木の根が周辺の地面を押し上げ、門を傾かせてしまったようです(*_*;
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88本蓮寺番神堂
傾いた門&切り株
直径1m近い巨大な切り株がありました。周辺のコンクリートもひび割れています。この巨木の根が周辺の地面を押し上げ、門を傾かせてしまったようです(*_*;
89ツルニチニチソウ
道沿いに群生していました。蔓性なのでよく茂ります。動画も撮りました。
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89ツルニチニチソウ
道沿いに群生していました。蔓性なのでよく茂ります。動画も撮りました。
90瀬戸内観音第五番
真光院石灯籠
瀬戸内三十三観音霊場第五番の室谷山金剛頂寺真光院<写真92〜94>の石灯籠です。背後にはセイヨウカラシナ<写真23>が群生していました。
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90瀬戸内観音第五番
真光院石灯籠
瀬戸内三十三観音霊場第五番の室谷山金剛頂寺真光院<写真92〜94>の石灯籠です。背後にはセイヨウカラシナ<写真23>が群生していました。
91ハナミズキ
この1本だけでした。花弁のように見えるのは総苞片(そうぼうへん)で、花は中央の緑色の粒々です。
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91ハナミズキ
この1本だけでした。花弁のように見えるのは総苞片(そうぼうへん)で、花は中央の緑色の粒々です。
92室谷山金剛頂寺真光院
地元では西寺と呼ばれ、向かいには「西寺駐車場」がありました。なぜか庭にミッキー&ミニーの石像が(*_*;
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92室谷山金剛頂寺真光院
地元では西寺と呼ばれ、向かいには「西寺駐車場」がありました。なぜか庭にミッキー&ミニーの石像が(*_*;
93真光院本堂
奈良時代、報恩大師の創建と伝えられる真言宗の寺院で、瀬戸内三十三観音霊場第五番札所です。本堂は改修中でした。
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93真光院本堂
奈良時代、報恩大師の創建と伝えられる真言宗の寺院で、瀬戸内三十三観音霊場第五番札所です。本堂は改修中でした。
94真光院鐘楼(宝暦堂)
寛文6(1666)年に宗教政策により破壊されましたが、宝暦12(1762)年に新造されました。
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94真光院鐘楼(宝暦堂)
寛文6(1666)年に宗教政策により破壊されましたが、宝暦12(1762)年に新造されました。
95前島&小豆島
牛窓オリーブ園<写真01〜24>に向かいながら、振り返ってみました。ちょうど日差しが強まり、木々の緑が鮮やかでした。
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95前島&小豆島
牛窓オリーブ園<写真01〜24>に向かいながら、振り返ってみました。ちょうど日差しが強まり、木々の緑が鮮やかでした。
96黒島&中ノ小島&端ノ小島
背後に四国の屋島もはっきり見えます。オリーブ園の展望台からの風景が楽しみになってきました。
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96黒島&中ノ小島&端ノ小島
背後に四国の屋島もはっきり見えます。オリーブ園の展望台からの風景が楽しみになってきました。
97紫キャベツの花
道沿いの畑に種採り用の紫キャベツが花を咲かせていました。
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97紫キャベツの花
道沿いの畑に種採り用の紫キャベツが花を咲かせていました。
98牛窓ジェラート工房コピオ
のジェラートダブルコーン
ダブルコーンは500円です。ミルク、オリーブ、抹茶、さくらにしました。どれも甘さ控えめ、素材の味も弱くあっさりです。抹茶は渋みがまったくないので、子供でも食べられそうです。オリーブはかすかに素材の味がし、マイルドですが、好みが分かれるかもしれません。
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98牛窓ジェラート工房コピオ
のジェラートダブルコーン
ダブルコーンは500円です。ミルク、オリーブ、抹茶、さくらにしました。どれも甘さ控えめ、素材の味も弱くあっさりです。抹茶は渋みがまったくないので、子供でも食べられそうです。オリーブはかすかに素材の味がし、マイルドですが、好みが分かれるかもしれません。
99ムラサキカタバミ
イモカタバミとは違い、花の中心部は黄緑色です。この道沿いにところどころ咲いていました。観賞用として持ち込まれ野生化した帰化植物です。
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99ムラサキカタバミ
イモカタバミとは違い、花の中心部は黄緑色です。この道沿いにところどころ咲いていました。観賞用として持ち込まれ野生化した帰化植物です。
100牛窓オリーブ園
展望台より西島
オリーブ園まで戻り、入園時には開いていなかった展望台に上りました。オリーブ園越しに瀬戸内海、白っぽく見える家島諸島の西島<写真39>、その上には空が広がっていますが、海と空の色が溶け合って雲まで島のように見え、幻想的でした。
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100牛窓オリーブ園
展望台より西島
オリーブ園まで戻り、入園時には開いていなかった展望台に上りました。オリーブ園越しに瀬戸内海、白っぽく見える家島諸島の西島<写真39>、その上には空が広がっていますが、海と空の色が溶け合って雲まで島のように見え、幻想的でした。
101展望台より
黒島&中ノ小島&端ノ小島
もうすっかり見慣れた黒島などの奥に、四国の屋島なども見えました。動画も撮りました。
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101展望台より
黒島&中ノ小島&端ノ小島
もうすっかり見慣れた黒島などの奥に、四国の屋島なども見えました。動画も撮りました。
102じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」その1
極旨柔らかカルビ、豆富サラダなど、約100品からタッチパネルにて自由に注文ができます。豚タンや鶏ももなどがおいしかったです。
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102じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」その1
極旨柔らかカルビ、豆富サラダなど、約100品からタッチパネルにて自由に注文ができます。豚タンや鶏ももなどがおいしかったです。
103じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」その2
ナムル盛り合わせ、枝豆など、ヘルシーにバランスよく食事ができます。今回はワケあってヘルシー路線にしました。
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103じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」その2
ナムル盛り合わせ、枝豆など、ヘルシーにバランスよく食事ができます。今回はワケあってヘルシー路線にしました。
104じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」その3
お寿司、ビビンバなどのご飯もの、キムチのチゲラーメンやもりおか冷麺などの麺ものも充実しています。
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104じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」その3
お寿司、ビビンバなどのご飯もの、キムチのチゲラーメンやもりおか冷麺などの麺ものも充実しています。
105じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」デザート
アツアツのサツマイモにバニラアイスを乗せたいもっ娘など、デザートもおいしいです。アイスバーのアイスは8種類ほどあり、日によっては「黒蜜きなこ」や「カルピス」など変わったものもあります。ドリンクバーの健康茶も豊富です。
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105じゅうじゅうカルビ
「大感激コース」デザート
アツアツのサツマイモにバニラアイスを乗せたいもっ娘など、デザートもおいしいです。アイスバーのアイスは8種類ほどあり、日によっては「黒蜜きなこ」や「カルピス」など変わったものもあります。ドリンクバーの健康茶も豊富です。
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