【ネパール】アイランドピーク(イムジャツェ)

- GPS
- 410:00
- 距離
- 110km
- 登り
- 8,167m
- 下り
- 8,163m
コースタイム
- 山行
- 4:45
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:45
- 山行
- 7:35
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:35
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:00
- 山行
- 1:40
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:40
- 山行
- 3:20
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:20
- 山行
- 2:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:30
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 1:50
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 2:00
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:30
- 山行
- 1:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:50
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 1:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:30
- 山行
- 6:00
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 6:20
- 山行
- 8:20
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:20
- 山行
- 3:40
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:40
- 山行
- 6:10
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 6:30
- 山行
- 7:10
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 7:30
- 山行
- 3:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:00
過去天気図(気象庁) | 2006年03月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
飛行機
【帰り】4月2日カトマンズ発(バンコク経由)4月3日成田着 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
ゲイター
靴
アイゼン
ピッケル
ユマール
ハーネス
ザック
サブザック
水筒(保温性)
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
時計
サングラス
タオル
カメラ
他
|
---|
感想
2006年会社で長期休暇がとれたのでヒマラヤに行くことにした旅行会社に相談したらアイランドピークに空きがあるとのことですぐ申込んだ。ガイドはこの年エベレストの予定がなくなった尾崎隆さん。最高のガイドだ。また、シェルパはエベレスト登頂経験もあるプラチリ、この旅でいい飲み友達だった。ツアー客は私のほか3人。みんないい方で、リタイアした後の登山だった。
3月11日成田発バンコクで泊る。3月12日バンコク発カトマンズ到着ホテルに入る。午後時間があったのでツアー客だけで王宮からタメル街を散策する。
【3月13日】カトマンズのロイヤルシンギホテルを5時半出発。トリプバン空港からルクラにプロペラ機で飛ぶ。オーストラリアのトレッカーと一緒。上空は快晴。7時半ルクラ到着。ロッジでミルクティーで休憩、荷物整理をする。昼食後13時出発。13時45分パグディン到着。この日はここまで。雪をかぶったヒマラヤの山クスムカングルーが見える。
【3月14日】紅茶で起床。洗面器にお湯を入れてくれ洗顔する。7時25分発。タムセルクが見える。モンジョでランチ休憩。ドゥードコシの谷を渡り急登のあとナムチェバザールにつく。雪がある。
【3月15日】コンデリに朝日あたって神々しい。8時出発、初めてエベレストの山頂部分が見える。カンテガが正面に見ながら進む。タンボチェの寺院の前を通る。雪が激しくなってきた。雪の道を100mほど下ると宿泊地のデボチェについた。チリからの旅行者がいた。
【3月16日】一面の雪、30cmくらい積もっている。8時20分出発太陽が見え始めた。10時パンボチェにつく。この日はここまで。アマダブラムが大きく見える。エベレストも見える。
【3月17日】久しぶりの快晴。アマダブラム、エベレスト、ローツェがはっきり見えている。7時40分出発。太陽がまぶしい。暑くなった。11時ディンボチェ着。初めて登る山アイランドピークが見える。4時過ぎに雪になる。
【3月18日】快晴。タウチェ、カンテガ、アマダブラム、ローツェ、そしてアイランドピークが見える。チュクンに向かう。さみしい村ビブレを過ぎ荒野のような道を進むと観光宿泊のための村チュクンにつく。小さなソーラーパネルと鉛蓄電池で電気の生活をしていた。
【3月19日】この日はチュクンピークを途中まで登る。調子がよかったので頂上までと思ったが、尾崎さんに止められた。アイランドピークは尾崎さんが子連れで登った山。その時の宿屋の子供が今の宿の主人とのことだった。
【3月20日】この日はBCに移動する。自分以外のツアー客は調子が悪い。血中酸素濃度を測るが測定値もよくないみたい。ひとりだけ調子も測定値も落ちていない。BCは5080mで酸素は地上の半分、気温はほぼ0度だ。ライチョウが残飯をあさっていた。この日、ツアー客ひとり下山した。
【3月21日】太陽がでてくるとあたたかい。この日は登山道を少し登る。イムジャコーラ沿いに登山口へ、そこから尾根にとりつく。登りは少し苦しい。深呼吸する。5330mまででBCに降りる。
【3月22日】この日C1往復する。8時出発。12時にC1予定地についた。この日ツアー客もうひとり血中酸素濃度58になり下山した。
【3月23日】完全停滞日。ハーネス装着の確認。ユマール使用のクライミングの訓練を少し行う。ひとりテントの少し上の岩場で日向ぼっこしていた。ほかの人は誰もテントから出てこない。
【3月24日】この日はC1への移動日。10時40分出発。出発前にもう一人体調不良で下山していった。登頂するツアー客は一人になってしまった。高度順応は難しいというか体質なのかと思った。
【3月25日】3時半、スープスパゲティで朝食。4時半出発。暗いのでヘッドランプで足元を照らしながら岩場を越えていく。やがて太陽が出てきた。クレバス帯に入る前の岩の上でハーネスとアイゼンをつける。クレバス帯を回り込むように通りすぎる。のぞくと深くて暗い。雪のプラトーの向こうに頂上稜線が見える。雪壁に固定ザイルがついている。先頭はプラチリ、後ろは尾崎さんに挟まれて登る。固定ザイルにユマールを固定して登る。ずっと階段を上り続けるように雪壁を登る。6000mでこの作業は苦しい。苦しいので休むと後ろから尾崎さんに休むなとどなられる。最後の垂直の壁を乗り越えるとそこが稜線だった。稜線の向こうはローツェの雪のついていない壁が大きく見えている。あと50m上が山頂。山頂は狭いところだった。3人で握手をし、写真を撮る。周辺の写真も撮る。あー今回の山旅でここまでこられてよかったと思う。
降りは早い。1時間半でC1、さらに1時間でBCについた。
【3月26日】7時40分BCからくだる。9時40分チュクンで休憩。11時40分IMZA VALLAY LODGE到着、昼食休憩。デインボチェ、パンボチェとすぎデボチェでこの日は泊る。
【3月27日】8時出発。タンボチェ寺院をすぎ途中のロッジで山野井さん夫婦がツアー客をつれてきているのに会った。アイランドピークに登るとのこと。尾崎さんは山野井さんと一緒に写真にとってくれという。撮ってあげると満足してみたいだった。ナムチェのSONA LODGE到着。ここで半日プラチリと飲んで過ごす。
【3月28日】ナムチェからターメに向かう。尾崎さんはほかのメンバーのいるルクラに戻った。プラチリとターメコーラ沿いの登り道をターメにいく。ターモでランチ。ターメの寺院までいってターモに戻りトレッキングガイドの家に泊まる。宿ではないが家の人はもてなしてくれた。夜の更けるまで食べて飲んで疲れて眠ってしまった。
【3月29日】ターモからナムチェに戻る。ナムチェで登山家小西浩文さんとペンパツェリンに会う。プラチリは知り合いのようで話し込む。やはり8000m登山の前にアイランドピークに登るということだった。ナムチェのロッジでまた、チャンとロキシーを飲む。プラチリはのんべーだ。人のことは言えないけど。今日はパグディンで泊る。
【3月30日】ルクラに向かう。途中でプラチリの妹の家による。ビールを飲む。ルクラに戻ると久しぶりにメンバーにあった。空港まで行く。明日は飛行機に乗れるみたい。ロッジでプラチリとロキシーを飲む。プラチリはルクラの水と言っていた。
3月31日ルクラからカトマンズへ飛ぶ。午後カトマンズを散策。ひとりだけみんなと離れてしまったので現地のお茶屋で紅茶を買ってきた。ホテルに帰ったら誰も心配していなかった。尾崎さんはひとりでほっといても戻ってくるからと言われていたみたい。4月1日は予備日でカトマンズの寺院やパタンの旧王宮を観光する。4月2日帰国の日、朝早く一人でダルバール広場のカーラバイラブまで行ってきた。帰りもバンコクで乗り継ぎ。4時間近く空港内で過ごし成田に飛んだ。
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