5月28日(木)加藤文太郎の故郷、兵庫県美方郡新温泉町浜坂を訪れた。自宅から、普通列車を乗り継いで6時間弱、遠かった。
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5月28日(木)加藤文太郎の故郷、兵庫県美方郡新温泉町浜坂を訪れた。自宅から、普通列車を乗り継いで6時間弱、遠かった。
浜坂駅前の商店街の様子。浜坂は温泉街だが、あまり観光化されていない静かな街だった。
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浜坂駅前の商店街の様子。浜坂は温泉街だが、あまり観光化されていない静かな街だった。
昼食に入ったうどん屋で、早速見かけた文太郎のパンフレット。気分が揚がる。
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昼食に入ったうどん屋で、早速見かけた文太郎のパンフレット。気分が揚がる。
温泉塔。新温泉町の岸田川河口から香美町伊笹岬までは、但馬御火浦(たじまみほのうら)と呼ばれ、約8kmに渡って続く岩石海岸で、国の名勝・天然記念物に指定されている。この岩の後ろには足湯があった。
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温泉塔。新温泉町の岸田川河口から香美町伊笹岬までは、但馬御火浦(たじまみほのうら)と呼ばれ、約8kmに渡って続く岩石海岸で、国の名勝・天然記念物に指定されている。この岩の後ろには足湯があった。
まずは観音山を目指し、田園地帯を抜ける。
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まずは観音山を目指し、田園地帯を抜ける。
観音山麓の相応峰寺(里坊)に参拝、山行の無事を祈願。入口の石碑に刻まれた「一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」、私の好きな言葉。
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観音山麓の相応峰寺(里坊)に参拝、山行の無事を祈願。入口の石碑に刻まれた「一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」、私の好きな言葉。
相応峰寺(里坊)。綺麗な庭、そして最高の天気!
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相応峰寺(里坊)。綺麗な庭、そして最高の天気!
観音山登山道に入る。整備されているとはいえ、なかなかの急登。山全体が信仰対象の山らしく、至る所に石仏像やベンチがあった。
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観音山登山道に入る。整備されているとはいえ、なかなかの急登。山全体が信仰対象の山らしく、至る所に石仏像やベンチがあった。
観音山山頂付近にある相応峰寺 奥の院「圓通殿」。天平9年(737)に行基菩薩によって創建。中には「国宝十一面観音菩薩立像」が安置されている。
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観音山山頂付近にある相応峰寺 奥の院「圓通殿」。天平9年(737)に行基菩薩によって創建。中には「国宝十一面観音菩薩立像」が安置されている。
観音山山頂(245m)に到着。広場のように開けている。
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観音山山頂(245m)に到着。広場のように開けている。
観音山山頂から見た浜坂港と城山文太郎は、結婚式のため神戸から帰郷途中に、この山に登り結婚式に遅刻したと、「孤高の人」には描かれている。以下引用「観音山のいただきには無人寺があった。そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおろした。」「(花子さん、いま行くぞお)と呼んでみたいと思った。実際にはそんなことは恥ずかしくて言えなかったが、言ってみたかった。」
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観音山山頂から見た浜坂港と城山文太郎は、結婚式のため神戸から帰郷途中に、この山に登り結婚式に遅刻したと、「孤高の人」には描かれている。以下引用「観音山のいただきには無人寺があった。そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおろした。」「(花子さん、いま行くぞお)と呼んでみたいと思った。実際にはそんなことは恥ずかしくて言えなかったが、言ってみたかった。」
下山には、西側を周り海岸線に降りるルートを選んだ。海の青さが素晴らしく美しい。
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下山には、西側を周り海岸線に降りるルートを選んだ。海の青さが素晴らしく美しい。
海岸線に辿り着いた。青い空と海、城山の緑が映える。
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海岸線に辿り着いた。青い空と海、城山の緑が映える。
こちらは岸田川河口付近。暑かったので、水に浸かりたかった。
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こちらは岸田川河口付近。暑かったので、水に浸かりたかった。
浜坂の街に戻る途中の白馬公園。近くに浜坂温泉保養所があったが、立派。
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浜坂の街に戻る途中の白馬公園。近くに浜坂温泉保養所があったが、立派。
浜坂の街、なぜか黒い屋根の家が多い。
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浜坂の街、なぜか黒い屋根の家が多い。
加藤文太郎記念図書館。浜坂の街にあっては、かなり目立つ建物。山をイメージした外観らしい。1階は一般図書館だが、2階が文太郎資料館。残念ながら、この日(木曜)は休館日。しかし翌日10時に資料館見学を予約しているので、再訪予定。
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加藤文太郎記念図書館。浜坂の街にあっては、かなり目立つ建物。山をイメージした外観らしい。1階は一般図書館だが、2階が文太郎資料館。残念ながら、この日(木曜)は休館日。しかし翌日10時に資料館見学を予約しているので、再訪予定。
源泉塔。海に近いせいか、舐めたら塩辛かった。浜坂温泉は昭和53年、消雪用水源の掘削ボーリング工事中に突然湧出した発見された温泉。浜坂の各家庭は全長18キロメートルのパイプでつながれ、風呂の蛇口を捻れば自宅で温泉に入れるとのこと。
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源泉塔。海に近いせいか、舐めたら塩辛かった。浜坂温泉は昭和53年、消雪用水源の掘削ボーリング工事中に突然湧出した発見された温泉。浜坂の各家庭は全長18キロメートルのパイプでつながれ、風呂の蛇口を捻れば自宅で温泉に入れるとのこと。
西光寺煉瓦塀。1911年(明治44)に完成した山陰線桃観トンネルの関係者から贈られたらしい。
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西光寺煉瓦塀。1911年(明治44)に完成した山陰線桃観トンネルの関係者から贈られたらしい。
以命亭。町立の博物館・文学館。 建物は、江戸時代に活躍した俳人・森周一郎(森梅園)と森近三郎(森藍尾)の生家である森家(庄屋・酒造業)の七釜屋屋敷を記念館として改修したものらしい。
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以命亭。町立の博物館・文学館。 建物は、江戸時代に活躍した俳人・森周一郎(森梅園)と森近三郎(森藍尾)の生家である森家(庄屋・酒造業)の七釜屋屋敷を記念館として改修したものらしい。
そして墓地へ向かう。迷いまくって地元の方に案内してもらう。
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そして墓地へ向かう。迷いまくって地元の方に案内してもらう。
やっと辿り着いた加藤文太郎の墓。ありがとうと一言述べたかった。
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やっと辿り着いた加藤文太郎の墓。ありがとうと一言述べたかった。
浜坂県民サンビーチ。日差しが強く、暑い。早くも真夏のようだ。
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浜坂県民サンビーチ。日差しが強く、暑い。早くも真夏のようだ。
山陰海岸ジオパーク館。山陰海岸国立公園の自然を背景とした文化・歴史を体験・学習できる資料館。時間があれば覗いて見たかった。
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山陰海岸ジオパーク館。山陰海岸国立公園の自然を背景とした文化・歴史を体験・学習できる資料館。時間があれば覗いて見たかった。
新田次郎文学碑。碑には「孤高の人」の一節、観音山から見下ろした浜坂の街の様子が刻まれていた。周囲には飛砂防備の松林が広がる。
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新田次郎文学碑。碑には「孤高の人」の一節、観音山から見下ろした浜坂の街の様子が刻まれていた。周囲には飛砂防備の松林が広がる。
渡辺水産。新田次郎文学碑の交差点の向かい側にある。
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渡辺水産。新田次郎文学碑の交差点の向かい側にある。
渡辺水産。カニやホタルイカなど豊富な品揃え。しかし客は私一人だった。
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渡辺水産。カニやホタルイカなど豊富な品揃え。しかし客は私一人だった。
矢城ヶ鼻灯台。矢城ヶ鼻岬の先端にある白い灯台。浜坂漁港から遊歩道を登って10分程度。汗もかかない。
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矢城ヶ鼻灯台。矢城ヶ鼻岬の先端にある白い灯台。浜坂漁港から遊歩道を登って10分程度。汗もかかない。
矢城ヶ鼻灯台のベンチに座って、しばし日本海を眺める。高台に灯台のある場所は、どこでも景観が素晴らしい。
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矢城ヶ鼻灯台のベンチに座って、しばし日本海を眺める。高台に灯台のある場所は、どこでも景観が素晴らしい。
矢城ヶ鼻灯台から見た千賊(千束)断崖。180m崖を構成する安山岩の模様が積み上げられた藁束のようであることが名称の由来。
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矢城ヶ鼻灯台から見た千賊(千束)断崖。180m崖を構成する安山岩の模様が積み上げられた藁束のようであることが名称の由来。
良く見ると洞窟になっている。諸寄東ノ洞門と言うらしい。
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良く見ると洞窟になっている。諸寄東ノ洞門と言うらしい。
さらに城山を目指す。左手の急階段が恐ろしそう。
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さらに城山を目指す。左手の急階段が恐ろしそう。
かなり急で段幅の狭い階段。右も左も断崖絶壁。
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かなり急で段幅の狭い階段。右も左も断崖絶壁。
城山手前のピークに到着。ここに加藤文太郎ふるさとの碑がある。
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城山手前のピークに到着。ここに加藤文太郎ふるさとの碑がある。
加藤文太郎ふるさとの碑。岸田川から採取した3個の石で北アルプスの山を型取り、周りに石を敷き詰めて心を表しているとのこと。ここから浜坂の街日本海、観音山、そしてが一望できる。
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加藤文太郎ふるさとの碑。岸田川から採取した3個の石で北アルプスの山を型取り、周りに石を敷き詰めて心を表しているとのこと。ここから浜坂の街日本海、観音山、そしてが一望できる。
城山山頂(176m)に到着。
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城山山頂(176m)に到着。
城山山頂付近には、その昔、芦屋城があったそうだ。因みに浜坂の隣に芦屋という地名がまだ残っている(新温泉町芦屋)。
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城山山頂付近には、その昔、芦屋城があったそうだ。因みに浜坂の隣に芦屋という地名がまだ残っている(新温泉町芦屋)。
城山山頂付近、現在はアンテナ小屋が2つあるのみ。
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城山山頂付近、現在はアンテナ小屋が2つあるのみ。
城山山頂付近から。それでも景観は素晴らしい。
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城山山頂付近から。それでも景観は素晴らしい。
少し降りて来て、城山園地から見た新温泉町諸寄港。諸寄港は古くから和歌などにも読まれている名勝地で、江戸時代には、北前船の寄港地”風待ち湊”としての役割を果たしていたそうだ。
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少し降りて来て、城山園地から見た新温泉町諸寄港。諸寄港は古くから和歌などにも読まれている名勝地で、江戸時代には、北前船の寄港地”風待ち湊”としての役割を果たしていたそうだ。
浜坂に戻る途中、この辺りは、小さいが急な山が多い。
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浜坂に戻る途中、この辺りは、小さいが急な山が多い。
新温泉町芦屋。芦屋市民としては親しみを覚える。
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新温泉町芦屋。芦屋市民としては親しみを覚える。
宇都野神社。「孤高の人」では、文太郎と花子が出会った場所とされる。
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宇都野神社。「孤高の人」では、文太郎と花子が出会った場所とされる。
宇都野神社の石段。ここで文太郎が花子に切れた下駄の鼻緒を付け替えたそうだ。残念ながら、この石段は昨年新しく造り替えられたいた。
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宇都野神社の石段。ここで文太郎が花子に切れた下駄の鼻緒を付け替えたそうだ。残念ながら、この石段は昨年新しく造り替えられたいた。
宇都野神社。山行の無事を感謝し、翌日からの挑戦成功を祈願して参拝。
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宇都野神社。山行の無事を感謝し、翌日からの挑戦成功を祈願して参拝。
宇都野神社。本日の山行はこれまで。名残惜しいが、早めに宿に向かうとする。
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宇都野神社。本日の山行はこれまで。名残惜しいが、早めに宿に向かうとする。
カワナツ別館。畑の中にある小さい旅館。温泉はややぬるめで最高。酒の燗と風呂はぬるめに限る(猫舌、猫肌)。
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カワナツ別館。畑の中にある小さい旅館。温泉はややぬるめで最高。酒の燗と風呂はぬるめに限る(猫舌、猫肌)。
宿での夕食。なかなか豪勢。刺身と但馬牛のステーキが最高だった。翌日からの挑戦に向けて、がっつり食した。
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宿での夕食。なかなか豪勢。刺身と但馬牛のステーキが最高だった。翌日からの挑戦に向けて、がっつり食した。
Kumainkobeさん、こんにちは。
六甲縦走の回数、半端ないですね。
ご存じだとは思いますが、『孤高の人』は新田次郎による創作部分が多いので、より文太郎を感じたければ、『単独行』を精読する必要がありますよね。
今回残念ながら休館していた加藤文太郎記念図書館は、こんな感じです。ぜひ再訪してください。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-130746.html
また、壮絶な最期は北鎌尾根でした。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-283970.html
クマ
kuma-sanさん、初めまして。
お言葉ありがとうございます。
kuma-sanのレコもお気に入りに入れて、参考にさせていただきました。
「単独行」は読了済です。
「孤高の人」の創作部分で問題になっている部分も多いのは承知しております。
加藤文太郎記念図書館は、翌日の開館日に予約し見学して来ました。
失礼ながら、あの装備で昭和初期、良く命懸けの登山ができたと感心しました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2372295.html
いつか私もアルプスデビューを果たしたいと思います。
コメントありがとうございました。
Kumainkobe ฅʕ·ᴥ·ʔฅ
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