【奥美濃】失われた「美濃峠」を探して


- GPS
- --:--
- 距離
- 17.1km
- 登り
- 916m
- 下り
- 916m
コースタイム
- 山行
- 9:10
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 10:00
天候 | 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
・扇谷右岸には地図にない林道が谷奥に続いている。駐車地から細い道を少し戻ったところに林道入り口があるが,車止めゲートがあり一般車両の進入は不可。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
※感想欄に「森本次男『樹林の山旅』の中の美濃峠」を追記(2020.11.15) ※2020.11.21に越前・温見集落側の杉ヶ谷側から美濃峠に再訪し、もう少し詳しい探索と考察をしています。もし関心がおありの場合はそちらの記録も合わせてどうぞ。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2749493.html 徳山ダムに沈んだ旧徳山村と外界をつなぐ著名な峠として,馬坂峠,ホハレ峠,桧尾峠,高倉峠,冠峠などがあるが,その中でも,越美国境稜線の若丸山とスギクラの間にかつて存在し、美濃側の櫨原集落と越前側の温見集落を結んでいたとされる「美濃峠(越前越,杉の谷峠,徳山峠とも)」は,早くに廃絶したとされ,記録も少なく,忘れられた峠となっている。今回,その失われた道を辿り,いにしえの峠の痕跡を探った。 【滝尾根(扇谷本流と滝ノ又谷の中間尾根)】 ※「滝尾根」という呼称は、「樹林の山旅」及び「秘境・奥美濃の山旅」から引用 ・ 意外に藪はそれほどでもなく,薄い踏み跡(獣道)が続いており,現在でも登路として耐えうる印象。おそらく,人が通らなくなった後も古い峠道を獣が使い続け,それで最低限の踏み跡が維持されているものと思われる(また,すぐに廃道化したわけではなく,その後もある時期までは断続的に山仕事の人や登山者が使っていたのかもしれない)。ただし,マーキングの類は一切なく,藪っぽい区間も断続的に現れ,しかも紛らわしい尾根の分岐もいくつかあるため,特に下降時には慎重な読図が必要。 ・ この尾根はクマのテリトリーのようで,今回の山行中,クマと至近距離で2回遭遇(どちらもじっとしていたらクマが逃げてくれたので事なきを得た)。ブナやミズナラの木にはクマの爪痕やクマ棚が頻繁に見られた。入山時には注意。熊鈴など対策必須。 【美濃峠周辺】 ・ 越美国境稜線は概ね藪が濃く,滝尾根を登り切った辺りの稜線上は踏み跡などは一切ないが,そこから少し東へ進むと比較的明瞭な道形が出てきて,それを辿ると,明瞭な峠状地形に出るので,この箇所が恐らく美濃峠ではないかと考えている(地図上でいうと,標高点1167mの東側の,北から谷状地形が切れ込んだ部分)。峠の前は小広い広場のようになっていて,古い枝打ちの跡が残っている。また,この箇所の稜線は二重山稜のようになっているが,真ん中の尾根部分を貫くように恐らく人工のものと思われる小さな掘割も走っている。 |
写真
感想
徳山ダムに沈んだ旧徳山村は,周囲を深い山々に囲まれた地であったが,その旧徳山村と外界をつなぐ道として著名な峠がいくつかある。馬坂峠,ホハレ峠,高倉峠,冠峠などがそれであるが,それらの峠の多くが車道や登山道に姿を変えて命脈を保っているのに対して,若丸山とスギクラの間の稜線上にかつて存在し、徳山村の櫨原集落と越前側の温見集落をつないでいたと言われる美濃峠(越前越,杉の谷峠,徳山峠とも呼ばれていたらしい)は,早くに廃道化したとされ,記録も少なく,失われた峠となっている。
この美濃峠に関する数少ない記録の一つとして,民俗学者・橋浦泰雄が大正13年に温見からこの峠を越えて徳山村に入った記録を残しており,それによると越前側の杉ヶ谷沿いはこの当時にして道が不明瞭でそのまま谷沿いを登るような形だが,美濃側ははっきりした道があり,途中に焼畑も見られたことが記載されている。また,渓流釣りの釣行記で知られる山本素石の随筆「ホハレ峠」には,この峠の美濃側が戦後まもなくして先に廃道となり,温見集落が昭和30年代に廃村化すると峠全体が自然に還ったことが述べられている。少なくとも大正時代までは細々と使われていて道が通じていたようだが,その後次第に使われなくなり,戦後間もないころまでには完全に廃道化した経緯がうかがわれる。(また,森本次男の「樹林の山旅」にも美濃峠越えの話が出てくる。下の「後日追記」参照。)
奥美濃登山について扱った本の中にも,付録の地図などにこの峠の名前が記載されているものや,扇谷本流と滝ノ又谷の中間尾根(滝尾根と呼ばれているらしい)に旧峠道が点線で記載されているものもあり,個人的に気になっていた。何より,「美濃峠」というまさに奥美濃らしい名前にも惹かれるものがあった。
今回,藪も落ち着いたかと思われる秋日に機をとらえて,美濃峠の痕跡を探すために扇谷に分け入り,滝尾根に取りついた。濃い藪が続くことを予想して藪漕ぎの覚悟で来たのだが,尾根上は薄いながらも踏み跡(獣道)が続いており,ほぼ問題なく登路とすることができたことに加え,ところどころに古道の雰囲気を感じさせる道形も残っていたりして,驚かされた。この道跡が当時の峠道そのままだとはもちろん思わないが,おそらく,人が通らなくなった後も古い峠道を獣たちが使い続け,それで部分的に踏み跡がかろうじて維持されてきたのではないだろうか。また,わずかに期待していた石仏や道標などの峠道を示す遺物が見つからなかったのは残念だったが,自分なりに美濃峠と思われる場所にもたどり着くことができ,興味深い山行となった。峠の比定地の周辺に残された古い枝打ちの跡からしても,この峠がかつて存在していたことを知っている地元の方,もしくは登山者の方が,何年か前に(あるいは,何十年か前に?)私と同じようにこの峠を訪れたことを示しているような気がして,この峠がまだ完全に埋もれてしまったわけではないことを感じることができた。
また,今回たどり着いた美濃峠の比定地は,滝尾根を登り上げてから越美国境稜線を少し東に進んだところにあるが,これも,徳山村史の中に収録されている地図に描かれた峠道の形と一致しているし(maasuke1様が日記の中で画像を公開してくださっているのを参考にさせていただきました。本来は自分で原典に当たるべきなのですが…。maasuke1様,ありがとうございます。),明治42年の陸軍参謀本部陸地測量部の地形図でも,やはり峠道の点線は滝尾根を登り上げてから稜線を東に辿り,そこから北側の杉ヶ谷に降りている(「地図蔵」様のHPの「冠山と根尾周辺の古地図」というページで明治42年測量図の画像を見ることができます。ただし,この明治42年の地図では,峠道は滝尾根ではなく,扇谷の枝谷に付いているのが非常に興味深い)。また,森本次男「樹林の山旅」の付図(能郷白山付近図)でも,同様に描かれている。
なお,この峠道の名残は,旧徳山村が徳山ダムに沈んだ後も,ダムの付け替え道路として整備された国道417号線の橋の名前に姿を変えて残されている。扇谷に架かる国道417号線の橋の名前は「扇谷姫街道橋」というが,(独)水資源機構がホームページで公表している解説によると,その昔,姫君が美濃峠(越前越)を越えて扇谷の街道を通り,越前国から美濃国にやって来たという伝承を由来として名付けた名称であるという。この伝承に関する詳細は分からないが,なんとも奥ゆかしい言い伝えではないか。いにしえの姫君が越えた峠道は,越美国境の深い藪の中に,今もかすかに続いていた。
<後日追記:森本次男「樹林の山旅」の中の美濃峠>
奥美濃の古典である森本次男「樹林の山旅」(昭和15年刊)の中にも「国境の峠」という章で美濃峠越えの山旅が描かれている。「美濃と越前の峠の旅をいつも私は夢見て居た。」−森本先生も,美濃峠に憧れを抱き,峠を目指されたようだ。
それによると,美濃峠への主要な道はやはり滝尾根(滝ノ又谷と扇谷本谷の中間尾根)に付けられていたようで,古い地図にあるタラガ谷の途中の枝谷(「越前ギ」というらしい。恐らく「越前越え」が訛ったものか)から峠に登る道は当時にして廃道になっていたようだ。森本先生は誤って地図に記されたこの道(廃道)に向かおうとして作六ツシまで行き,そこで出会った木こりの男に案内されて滝尾根に登り返し(確かに,越前ギをそのまま谷沿いに登れば,滝尾根の中間地点に出る),最終的には滝尾根を登って美濃峠に至っている。
「橡と山毛欅につつまれた薄暗い小道,下生へは丈高く生茂つて北も南も景観はない。何處か湿原を思はせて,乾いた山頂の小池等の残つた平,此処が美濃峠であつた。」−「樹林の山旅」の中では,美濃峠はこのように描写されている。今回の山行でたどり着いた美濃峠らしき場所の前にある小広い広場は,確かに浅い窪地状で水が溜まってぬかるんでおり,「何處か湿原を思はせて,乾いた山頂の小池等の残つた平」のようになっていた。森本先生の描写は,今回見た峠の比定地の光景に近いように思える。
「美濃峠,此處は越前と美濃の國境尾根である。…此の分水嶺で別れる水の一滴は,日本海へそして太平洋へと流れるのだ。」
峠を後にした森本先生は,杉ヶ谷に降り,途中の小屋で若い木こりの男と談笑したり,木地師の老婆に出会ったりしながら,温見へと降りている。杉ヶ谷にも美しい渓道がつけられていたようだ。もう今では遠い昔の話となってしまったが,こんな奥美濃の旅がしてみたい,と思わせる一編である。
※なお,「樹林の山旅」によると,狂小屋には大きな藁屋があって,道路工事の人夫が賑やかに歓談しており,作六ツシには真ん中の平に出作り小屋があったそうだ。まさに今は昔,遠い幻となってしまった光景である。また、狂小屋という地名の由来についても書かれているので、関心がおありの方はご一読を。
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