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Yamareco

記録ID: 2671580
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
東海

【奥美濃】失われた「美濃峠」を探して

2020年10月31日(土) [日帰り]
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GPS
--:--
距離
17.1km
登り
916m
下り
916m

コースタイム

日帰り
山行
9:10
休憩
0:50
合計
10:00
6:30
100
櫨原集落記念碑のある広場
8:10
160
滝尾根取り付き地点
10:50
30
越美国境稜線
11:20
12:10
140
美濃峠(比定地)
14:30
120
滝尾根取り付き地点
16:30
櫨原集落記念碑のある広場
天候 晴れ時々曇り
過去天気図(気象庁) 2020年10月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
・国道417号線の扇谷姫街道橋の北詰から伸びる細い道を上がったところにある櫨原集落記念碑のある広場に駐車(7〜8台くらいは停められるスペースあり)。
・扇谷右岸には地図にない林道が谷奥に続いている。駐車地から細い道を少し戻ったところに林道入り口があるが,車止めゲートがあり一般車両の進入は不可。
コース状況/
危険箇所等
※感想欄に「森本次男『樹林の山旅』の中の美濃峠」を追記(2020.11.15)
※2020.11.21に越前・温見集落側の杉ヶ谷側から美濃峠に再訪し、もう少し詳しい探索と考察をしています。もし関心がおありの場合はそちらの記録も合わせてどうぞ。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2749493.html

 徳山ダムに沈んだ旧徳山村と外界をつなぐ著名な峠として,馬坂峠,ホハレ峠,桧尾峠,高倉峠,冠峠などがあるが,その中でも,越美国境稜線の若丸山とスギクラの間にかつて存在し、美濃側の櫨原集落と越前側の温見集落を結んでいたとされる「美濃峠(越前越,杉の谷峠,徳山峠とも)」は,早くに廃絶したとされ,記録も少なく,忘れられた峠となっている。今回,その失われた道を辿り,いにしえの峠の痕跡を探った。

【滝尾根(扇谷本流と滝ノ又谷の中間尾根)】
※「滝尾根」という呼称は、「樹林の山旅」及び「秘境・奥美濃の山旅」から引用
・ 意外に藪はそれほどでもなく,薄い踏み跡(獣道)が続いており,現在でも登路として耐えうる印象。おそらく,人が通らなくなった後も古い峠道を獣が使い続け,それで最低限の踏み跡が維持されているものと思われる(また,すぐに廃道化したわけではなく,その後もある時期までは断続的に山仕事の人や登山者が使っていたのかもしれない)。ただし,マーキングの類は一切なく,藪っぽい区間も断続的に現れ,しかも紛らわしい尾根の分岐もいくつかあるため,特に下降時には慎重な読図が必要。
・ この尾根はクマのテリトリーのようで,今回の山行中,クマと至近距離で2回遭遇(どちらもじっとしていたらクマが逃げてくれたので事なきを得た)。ブナやミズナラの木にはクマの爪痕やクマ棚が頻繁に見られた。入山時には注意。熊鈴など対策必須。

【美濃峠周辺】
・ 越美国境稜線は概ね藪が濃く,滝尾根を登り切った辺りの稜線上は踏み跡などは一切ないが,そこから少し東へ進むと比較的明瞭な道形が出てきて,それを辿ると,明瞭な峠状地形に出るので,この箇所が恐らく美濃峠ではないかと考えている(地図上でいうと,標高点1167mの東側の,北から谷状地形が切れ込んだ部分)。峠の前は小広い広場のようになっていて,古い枝打ちの跡が残っている。また,この箇所の稜線は二重山稜のようになっているが,真ん中の尾根部分を貫くように恐らく人工のものと思われる小さな掘割も走っている。
櫨原集落記念碑のある広場に駐車。今日は,登山者というよりは,美濃から越前への山越えにかかる旅人の気持ちだ。
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櫨原集落記念碑のある広場に駐車。今日は,登山者というよりは,美濃から越前への山越えにかかる旅人の気持ちだ。
扇谷右岸の林道は,相変わらず綺麗で歩きやすい。
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扇谷右岸の林道は,相変わらず綺麗で歩きやすい。
右手の徳山湖を眺めつつ行く。この下に,ダム湛水前の扇谷林道(更に古い時代で言えば,越前越えの古道)も沈んでいるのだろう。
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右手の徳山湖を眺めつつ行く。この下に,ダム湛水前の扇谷林道(更に古い時代で言えば,越前越えの古道)も沈んでいるのだろう。
林道は扇谷の河床に降りて尽きる。静かに流れる扇谷を渡渉し,対岸の廃林道に上がる。
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林道は扇谷の河床に降りて尽きる。静かに流れる扇谷を渡渉し,対岸の廃林道に上がる。
左岸側の廃林道は,崩れたり藪に覆われたりしている部分もあるが,概ね問題なく歩ける。
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左岸側の廃林道は,崩れたり藪に覆われたりしている部分もあるが,概ね問題なく歩ける。
藪の中から突き出たカーブミラー。
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藪の中から突き出たカーブミラー。
カラカン谷出合の「狂小屋」に到着。廃橋で扇谷の右岸側に渡り返す。写真の左手が扇谷本流,右手がカラカン谷。周囲は小広い平地が広がっており,住居の跡か,畑の跡かわからないが,整地された跡が広がっている。
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カラカン谷出合の「狂小屋」に到着。廃橋で扇谷の右岸側に渡り返す。写真の左手が扇谷本流,右手がカラカン谷。周囲は小広い平地が広がっており,住居の跡か,畑の跡かわからないが,整地された跡が広がっている。
狂小屋から少し歩くと扇谷本流と滝ノ又谷の出合に到着。廃橋を渡ると廃屋が立っており,その裏手から滝尾根(扇谷本流と滝ノ又谷の中間尾根)に取りつく。尾根に取りつく前に周囲をぐるりと回ってみたが,古い峠道の入り口を示すような石仏や石碑の類は残っておらず,そもそも道の痕跡自体が見当たらない状況。適当な斜面から藪をかき分けて尾根上に登った。
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狂小屋から少し歩くと扇谷本流と滝ノ又谷の出合に到着。廃橋を渡ると廃屋が立っており,その裏手から滝尾根(扇谷本流と滝ノ又谷の中間尾根)に取りつく。尾根に取りつく前に周囲をぐるりと回ってみたが,古い峠道の入り口を示すような石仏や石碑の類は残っておらず,そもそも道の痕跡自体が見当たらない状況。適当な斜面から藪をかき分けて尾根上に登った。
滝尾根は濃い藪が続くものと予想しており藪漕ぎ覚悟で来たのだが,実際に尾根上に上がってみると藪はそれほどでもなく,しかも薄い獣道が走っていて,意外にも快適に登っていくことができる。これには驚いた。
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滝尾根は濃い藪が続くものと予想しており藪漕ぎ覚悟で来たのだが,実際に尾根上に上がってみると藪はそれほどでもなく,しかも薄い獣道が走っていて,意外にも快適に登っていくことができる。これには驚いた。
ところどころ,浅い道形も残っており,古い峠道の風格を感じさせる区間もある。美しいブナの森を眺め,足の下に古道の感触をしみじみと確かめながら登っていく。
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ところどころ,浅い道形も残っており,古い峠道の風格を感じさせる区間もある。美しいブナの森を眺め,足の下に古道の感触をしみじみと確かめながら登っていく。
標高600mくらいで,古い炭焼き窯の跡にぶつかる。この尾根は,徳山の人たちの山仕事の場としても機能していたのだろう。
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標高600mくらいで,古い炭焼き窯の跡にぶつかる。この尾根は,徳山の人たちの山仕事の場としても機能していたのだろう。
炭焼き窯跡を後にすると,明瞭な道形は消えてしまい,少し藪が濃くなる。おそらく,峠道が使われなくなった後も,炭焼き窯までは後年まで人が入っていたのだろう。
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炭焼き窯跡を後にすると,明瞭な道形は消えてしまい,少し藪が濃くなる。おそらく,峠道が使われなくなった後も,炭焼き窯までは後年まで人が入っていたのだろう。
こんな風にかなり藪が濃い区間もあるが,それほど長くは続かない。
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こんな風にかなり藪が濃い区間もあるが,それほど長くは続かない。
少しすると,再び獣道が出てきて,少し楽になった。
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少しすると,再び獣道が出てきて,少し楽になった。
尾根が広くなる辺り。ブナの巨樹が点在する,気持ちの良い平となっている。往時の峠越えの旅人も,腰を下ろして一服したかもしれない。
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尾根が広くなる辺り。ブナの巨樹が点在する,気持ちの良い平となっている。往時の峠越えの旅人も,腰を下ろして一服したかもしれない。
ヌタ場多数。この界隈はシカがかなり多く,逃げていく姿を何回も見かけた。
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ヌタ場多数。この界隈はシカがかなり多く,逃げていく姿を何回も見かけた。
尾根が広くなった箇所の中間あたりで踏み跡を見失ってしまい,短時間だが藪こぎ。(ただ,下山では慎重に獣道を辿るようにしたら,藪区間はほぼ避けることができた。)
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尾根が広くなった箇所の中間あたりで踏み跡を見失ってしまい,短時間だが藪こぎ。(ただ,下山では慎重に獣道を辿るようにしたら,藪区間はほぼ避けることができた。)
ところどころモミジが美しく朱に染まっていた。
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ところどころモミジが美しく朱に染まっていた。
あるかなきかの踏み跡が,笹薮の間に続いている。おそらく,古い峠道を獣たちが使い続けることで,かろうじて踏み跡が維持されているのだろう。
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あるかなきかの踏み跡が,笹薮の間に続いている。おそらく,古い峠道を獣たちが使い続けることで,かろうじて踏み跡が維持されているのだろう。
最後の急登を登っていく。もうすぐ越美国境だ。稜線に近づけば近づくほど,笹薮が濃くなっていく。
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最後の急登を登っていく。もうすぐ越美国境だ。稜線に近づけば近づくほど,笹薮が濃くなっていく。
越美国境稜線に登り上げた…が,予期してはいたことだが,濃い藪に包まれている。踏み跡もぱったりなくなってしまい,峠道の痕跡は全く感じられない。
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越美国境稜線に登り上げた…が,予期してはいたことだが,濃い藪に包まれている。踏み跡もぱったりなくなってしまい,峠道の痕跡は全く感じられない。
周囲は高い木々が鬱蒼と生い茂るばかり。例えば石仏や古い道形など、峠の痕跡が何かあるのではないかと期待していたが,やはりそう生易しくはなかった。しかし,古い地図では峠道は稜線上を少し東側に辿ってから北側の杉ヶ谷に降りているように描かれているため,ダメもとで稜線を東へ少し歩いてみることにした。
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周囲は高い木々が鬱蒼と生い茂るばかり。例えば石仏や古い道形など、峠の痕跡が何かあるのではないかと期待していたが,やはりそう生易しくはなかった。しかし,古い地図では峠道は稜線上を少し東側に辿ってから北側の杉ヶ谷に降りているように描かれているため,ダメもとで稜線を東へ少し歩いてみることにした。
藪漕ぎしながら少し進むと,急に比較的明瞭な道形にぶつかった。まさか,峠道だろうか。
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藪漕ぎしながら少し進むと,急に比較的明瞭な道形にぶつかった。まさか,峠道だろうか。
道形は藪の中に見え隠れしつつもさらに東へと続いており,それを辿っていく。
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道形は藪の中に見え隠れしつつもさらに東へと続いており,それを辿っていく。
と,急に広場のように開けたところに出た。北側はちょうど温見側に降りる杉ヶ谷の源頭部に当たっており,峠状の切れ込みとなっている。(標高点1167mの東側の,北側から谷が切れ込んだ部分)
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と,急に広場のように開けたところに出た。北側はちょうど温見側に降りる杉ヶ谷の源頭部に当たっており,峠状の切れ込みとなっている。(標高点1167mの東側の,北側から谷が切れ込んだ部分)
振り返って広場を撮影(奥が歩いてきた道形)
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振り返って広場を撮影(奥が歩いてきた道形)
北側の杉ヶ谷に降りる切れ込み。自然な源頭部の谷状地形とも見えるが,峠の掘り込みにも見えなくもない。
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北側の杉ヶ谷に降りる切れ込み。自然な源頭部の谷状地形とも見えるが,峠の掘り込みにも見えなくもない。
杉ヶ谷側に少し降りたところ。歩きやすそうな谷状地形が続いている。本当はもっと下まで降りてみたいのだが,時間の制約もあるので引き返す。
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杉ヶ谷側に少し降りたところ。歩きやすそうな谷状地形が続いている。本当はもっと下まで降りてみたいのだが,時間の制約もあるので引き返す。
と,何と,峠状の切れ込みのある広場で,古い枝打ちの跡を発見。周囲には他にも何か所か枝打ちの跡が残されている。地元の方によるものか,登山者によるものかはわからないが,この場所を特別なものとして整備しようとした意図が感じられる。やはり,ここが美濃峠なのだろうか。
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と,何と,峠状の切れ込みのある広場で,古い枝打ちの跡を発見。周囲には他にも何か所か枝打ちの跡が残されている。地元の方によるものか,登山者によるものかはわからないが,この場所を特別なものとして整備しようとした意図が感じられる。やはり,ここが美濃峠なのだろうか。
さらに興味深いことに,この箇所は二重山稜のようになっているのだが,稜線の真ん中を走る尾根状部分に明らかに人為的な掘り込みが見られ,尾根の向こう側に通れるようになっている(しかもその先には,道形が続いている)。
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さらに興味深いことに,この箇所は二重山稜のようになっているのだが,稜線の真ん中を走る尾根状部分に明らかに人為的な掘り込みが見られ,尾根の向こう側に通れるようになっている(しかもその先には,道形が続いている)。
掘り込み部分を南側に通り抜けた後,振り返って。(この箇所も,右上に写っている灌木がやはり枝打ちされている。)
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掘り込み部分を南側に通り抜けた後,振り返って。(この箇所も,右上に写っている灌木がやはり枝打ちされている。)
総合的に考えると,やはりここが美濃峠なのではないか。明治42年の陸地測量部の地図に描かれた峠道に照らしても,位置的に近いように見える。もちろん,断言はできないが…。
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総合的に考えると,やはりここが美濃峠なのではないか。明治42年の陸地測量部の地図に描かれた峠道に照らしても,位置的に近いように見える。もちろん,断言はできないが…。
本当はもっと東側も探ってみたかったのだが,時間的制約と下山への不安(藪尾根は,登りより下りのほうがルートファインディングが格段に難しい)から,ここで探索を切り上げ,引き返すことにした。しかし,道形がまだ東に続いているように見えるんだよなぁ…気になるな。(実際,古い地図では,越美国境稜線のこの箇所にスギクラの手前まで点線路が描かれている)
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本当はもっと東側も探ってみたかったのだが,時間的制約と下山への不安(藪尾根は,登りより下りのほうがルートファインディングが格段に難しい)から,ここで探索を切り上げ,引き返すことにした。しかし,道形がまだ東に続いているように見えるんだよなぁ…気になるな。(実際,古い地図では,越美国境稜線のこの箇所にスギクラの手前まで点線路が描かれている)
藪の中に断続的に続く道形を辿り,西へ引き返す。
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藪の中に断続的に続く道形を辿り,西へ引き返す。
標高点1167mの上まで戻ると道形は不明瞭となり,やはり濃い藪なのだが,行きよりは楽に進んでいける。やはり,微かに峠道の痕跡が残っているのだろうか。
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標高点1167mの上まで戻ると道形は不明瞭となり,やはり濃い藪なのだが,行きよりは楽に進んでいける。やはり,微かに峠道の痕跡が残っているのだろうか。
下山で最も心配していたのが,滝尾根に無事乗れるかどうかということだったのだが,慎重に読図を重ねて問題なく尾根に乗ることができた。(尾根上の藪が濃すぎる場合は,帰路は沢を下降することも考えて沢登りにも対応できる装備で来たのだが,杞憂に終わった。)
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下山で最も心配していたのが,滝尾根に無事乗れるかどうかということだったのだが,慎重に読図を重ねて問題なく尾根に乗ることができた。(尾根上の藪が濃すぎる場合は,帰路は沢を下降することも考えて沢登りにも対応できる装備で来たのだが,杞憂に終わった。)
美しいブナの森。標高が高いところは秋色に色づき始めている。
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美しいブナの森。標高が高いところは秋色に色づき始めている。
木の間から,若丸山の堂々とした山体がガスにかすんで見えた。
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木の間から,若丸山の堂々とした山体がガスにかすんで見えた。
立派なブナの木。
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立派なブナの木。
帰路は,慎重に獣道を辿るようにしたところ,登りで激しい藪漕ぎとなった区間も,ほとんど藪漕ぎを回避することができた。やはり,獣道に姿を変えながら,古い峠道の痕跡が生き続けているのだろうか。
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帰路は,慎重に獣道を辿るようにしたところ,登りで激しい藪漕ぎとなった区間も,ほとんど藪漕ぎを回避することができた。やはり,獣道に姿を変えながら,古い峠道の痕跡が生き続けているのだろうか。
気持ちの良い尾根。
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気持ちの良い尾根。
慎重に読図を重ね,心配していたルートミスもなく,無事林道跡に降り立った。
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慎重に読図を重ね,心配していたルートミスもなく,無事林道跡に降り立った。
【おまけ…というか注意喚起】クマがドングリを食べた跡。今回の山行中,2回もクマに至近距離で遭遇。うち一度は,地図を見ようとして立ち止まったところ,頭上の木の上にクマがいて,唸り声を上げながら飛び降りてきた。じっとしていたところ,そのままクマが逃げて行ってくれたのでよかったが,本当に危なかった。この時期にこの辺りに入山される方,ご注意ください。
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【おまけ…というか注意喚起】クマがドングリを食べた跡。今回の山行中,2回もクマに至近距離で遭遇。うち一度は,地図を見ようとして立ち止まったところ,頭上の木の上にクマがいて,唸り声を上げながら飛び降りてきた。じっとしていたところ,そのままクマが逃げて行ってくれたのでよかったが,本当に危なかった。この時期にこの辺りに入山される方,ご注意ください。

感想

 徳山ダムに沈んだ旧徳山村は,周囲を深い山々に囲まれた地であったが,その旧徳山村と外界をつなぐ道として著名な峠がいくつかある。馬坂峠,ホハレ峠,高倉峠,冠峠などがそれであるが,それらの峠の多くが車道や登山道に姿を変えて命脈を保っているのに対して,若丸山とスギクラの間の稜線上にかつて存在し、徳山村の櫨原集落と越前側の温見集落をつないでいたと言われる美濃峠(越前越,杉の谷峠,徳山峠とも呼ばれていたらしい)は,早くに廃道化したとされ,記録も少なく,失われた峠となっている。
 この美濃峠に関する数少ない記録の一つとして,民俗学者・橋浦泰雄が大正13年に温見からこの峠を越えて徳山村に入った記録を残しており,それによると越前側の杉ヶ谷沿いはこの当時にして道が不明瞭でそのまま谷沿いを登るような形だが,美濃側ははっきりした道があり,途中に焼畑も見られたことが記載されている。また,渓流釣りの釣行記で知られる山本素石の随筆「ホハレ峠」には,この峠の美濃側が戦後まもなくして先に廃道となり,温見集落が昭和30年代に廃村化すると峠全体が自然に還ったことが述べられている。少なくとも大正時代までは細々と使われていて道が通じていたようだが,その後次第に使われなくなり,戦後間もないころまでには完全に廃道化した経緯がうかがわれる。(また,森本次男の「樹林の山旅」にも美濃峠越えの話が出てくる。下の「後日追記」参照。)
 奥美濃登山について扱った本の中にも,付録の地図などにこの峠の名前が記載されているものや,扇谷本流と滝ノ又谷の中間尾根(滝尾根と呼ばれているらしい)に旧峠道が点線で記載されているものもあり,個人的に気になっていた。何より,「美濃峠」というまさに奥美濃らしい名前にも惹かれるものがあった。
 今回,藪も落ち着いたかと思われる秋日に機をとらえて,美濃峠の痕跡を探すために扇谷に分け入り,滝尾根に取りついた。濃い藪が続くことを予想して藪漕ぎの覚悟で来たのだが,尾根上は薄いながらも踏み跡(獣道)が続いており,ほぼ問題なく登路とすることができたことに加え,ところどころに古道の雰囲気を感じさせる道形も残っていたりして,驚かされた。この道跡が当時の峠道そのままだとはもちろん思わないが,おそらく,人が通らなくなった後も古い峠道を獣たちが使い続け,それで部分的に踏み跡がかろうじて維持されてきたのではないだろうか。また,わずかに期待していた石仏や道標などの峠道を示す遺物が見つからなかったのは残念だったが,自分なりに美濃峠と思われる場所にもたどり着くことができ,興味深い山行となった。峠の比定地の周辺に残された古い枝打ちの跡からしても,この峠がかつて存在していたことを知っている地元の方,もしくは登山者の方が,何年か前に(あるいは,何十年か前に?)私と同じようにこの峠を訪れたことを示しているような気がして,この峠がまだ完全に埋もれてしまったわけではないことを感じることができた。
 また,今回たどり着いた美濃峠の比定地は,滝尾根を登り上げてから越美国境稜線を少し東に進んだところにあるが,これも,徳山村史の中に収録されている地図に描かれた峠道の形と一致しているし(maasuke1様が日記の中で画像を公開してくださっているのを参考にさせていただきました。本来は自分で原典に当たるべきなのですが…。maasuke1様,ありがとうございます。),明治42年の陸軍参謀本部陸地測量部の地形図でも,やはり峠道の点線は滝尾根を登り上げてから稜線を東に辿り,そこから北側の杉ヶ谷に降りている(「地図蔵」様のHPの「冠山と根尾周辺の古地図」というページで明治42年測量図の画像を見ることができます。ただし,この明治42年の地図では,峠道は滝尾根ではなく,扇谷の枝谷に付いているのが非常に興味深い)。また,森本次男「樹林の山旅」の付図(能郷白山付近図)でも,同様に描かれている。
 なお,この峠道の名残は,旧徳山村が徳山ダムに沈んだ後も,ダムの付け替え道路として整備された国道417号線の橋の名前に姿を変えて残されている。扇谷に架かる国道417号線の橋の名前は「扇谷姫街道橋」というが,(独)水資源機構がホームページで公表している解説によると,その昔,姫君が美濃峠(越前越)を越えて扇谷の街道を通り,越前国から美濃国にやって来たという伝承を由来として名付けた名称であるという。この伝承に関する詳細は分からないが,なんとも奥ゆかしい言い伝えではないか。いにしえの姫君が越えた峠道は,越美国境の深い藪の中に,今もかすかに続いていた。

<後日追記:森本次男「樹林の山旅」の中の美濃峠>
 奥美濃の古典である森本次男「樹林の山旅」(昭和15年刊)の中にも「国境の峠」という章で美濃峠越えの山旅が描かれている。「美濃と越前の峠の旅をいつも私は夢見て居た。」−森本先生も,美濃峠に憧れを抱き,峠を目指されたようだ。
 それによると,美濃峠への主要な道はやはり滝尾根(滝ノ又谷と扇谷本谷の中間尾根)に付けられていたようで,古い地図にあるタラガ谷の途中の枝谷(「越前ギ」というらしい。恐らく「越前越え」が訛ったものか)から峠に登る道は当時にして廃道になっていたようだ。森本先生は誤って地図に記されたこの道(廃道)に向かおうとして作六ツシまで行き,そこで出会った木こりの男に案内されて滝尾根に登り返し(確かに,越前ギをそのまま谷沿いに登れば,滝尾根の中間地点に出る),最終的には滝尾根を登って美濃峠に至っている。
 「橡と山毛欅につつまれた薄暗い小道,下生へは丈高く生茂つて北も南も景観はない。何處か湿原を思はせて,乾いた山頂の小池等の残つた平,此処が美濃峠であつた。」−「樹林の山旅」の中では,美濃峠はこのように描写されている。今回の山行でたどり着いた美濃峠らしき場所の前にある小広い広場は,確かに浅い窪地状で水が溜まってぬかるんでおり,「何處か湿原を思はせて,乾いた山頂の小池等の残つた平」のようになっていた。森本先生の描写は,今回見た峠の比定地の光景に近いように思える。
 「美濃峠,此處は越前と美濃の國境尾根である。…此の分水嶺で別れる水の一滴は,日本海へそして太平洋へと流れるのだ。」
 峠を後にした森本先生は,杉ヶ谷に降り,途中の小屋で若い木こりの男と談笑したり,木地師の老婆に出会ったりしながら,温見へと降りている。杉ヶ谷にも美しい渓道がつけられていたようだ。もう今では遠い昔の話となってしまったが,こんな奥美濃の旅がしてみたい,と思わせる一編である。

※なお,「樹林の山旅」によると,狂小屋には大きな藁屋があって,道路工事の人夫が賑やかに歓談しており,作六ツシには真ん中の平に出作り小屋があったそうだ。まさに今は昔,遠い幻となってしまった光景である。また、狂小屋という地名の由来についても書かれているので、関心がおありの方はご一読を。
 

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