01足守観光駐車場より
「足守まちなみ休憩処」
ここを出発点としました。休憩処(和風喫茶)前には観光マップなども置かれています。
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01足守観光駐車場より
「足守まちなみ休憩処」
ここを出発点としました。休憩処(和風喫茶)前には観光マップなども置かれています。
02旧木下権之助屋敷表門
木下権之助家は、足守藩3代藩主木下利房が養子とした権之助利古を家祖にした藩主一門の家筋で、当主が代々権之助あるいは権輔を名乗り、北木下家とも呼ばれていました。足守小学校内にあります。
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02旧木下権之助屋敷表門
木下権之助家は、足守藩3代藩主木下利房が養子とした権之助利古を家祖にした藩主一門の家筋で、当主が代々権之助あるいは権輔を名乗り、北木下家とも呼ばれていました。足守小学校内にあります。
03旧足守藩木下家陣屋跡
明治維新後に屋形構の廃止された跡地は、文教施設の場として、旧制女学校、公民学校、青年学校、新制足守中学校などに承継され、最後に使われていた足守小学校のプールと足守幼稚園が移転された後、平成7年に公園として整備されました。
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03旧足守藩木下家陣屋跡
明治維新後に屋形構の廃止された跡地は、文教施設の場として、旧制女学校、公民学校、青年学校、新制足守中学校などに承継され、最後に使われていた足守小学校のプールと足守幼稚園が移転された後、平成7年に公園として整備されました。
04イカル
木下家陣屋跡の木の枝に止まっていました。こちらには気づいているようで、動画を撮っている間中、きょろきょろしていました。シメやコイカルとは違い、頭部の黒っぽい部分の端がちょうど目の辺りにきます。
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04イカル
木下家陣屋跡の木の枝に止まっていました。こちらには気づいているようで、動画を撮っている間中、きょろきょろしていました。シメやコイカルとは違い、頭部の黒っぽい部分の端がちょうど目の辺りにきます。
05実を食べるツグミ
木下家陣屋跡で実を拾って食べていました。動画も撮りました。
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05実を食べるツグミ
木下家陣屋跡で実を拾って食べていました。動画も撮りました。
06木下利玄生家長屋門
荒壁の長屋門風の建物は、藩政期から続く木下家の残務整理のために大正時代に建てられたものです。入り口右の土蔵の中からは秀吉、秀次の関白叙任状や秀吉直筆の古文書など貴重な豊臣氏関連資料が近年発見され、大きな話題となりました。
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06木下利玄生家長屋門
荒壁の長屋門風の建物は、藩政期から続く木下家の残務整理のために大正時代に建てられたものです。入り口右の土蔵の中からは秀吉、秀次の関白叙任状や秀吉直筆の古文書など貴重な豊臣氏関連資料が近年発見され、大きな話題となりました。
07木下利玄生家井戸&中門
中門は通れませんが、左を巻いて母屋に近づくことができました。
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07木下利玄生家井戸&中門
中門は通れませんが、左を巻いて母屋に近づくことができました。
08木下利玄生家母屋
中に入ることも覗くこともできませんでしたが、奥行きのある大きな屋敷でした。
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08木下利玄生家母屋
中に入ることも覗くこともできませんでしたが、奥行きのある大きな屋敷でした。
09木下利玄生家
長屋門&離れ?
長屋門横の土蔵の中からは豊臣秀吉、秀次の関白叙任状や、秀吉直筆の古文書など、貴重な資料が発見されて大きな話題となりました。
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09木下利玄生家
長屋門&離れ?
長屋門横の土蔵の中からは豊臣秀吉、秀次の関白叙任状や、秀吉直筆の古文書など、貴重な資料が発見されて大きな話題となりました。
10近水園吟風閣
昭和34年(1959年)に岡山県指定名勝になりました。この建造物は、六代目旧足守藩主が宝永5年(1708年)に、幕府御用として京都御所の仙洞御所、中宮御所を普請した時に、その残財を持ち帰って建築したものといわれています。
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10近水園吟風閣
昭和34年(1959年)に岡山県指定名勝になりました。この建造物は、六代目旧足守藩主が宝永5年(1708年)に、幕府御用として京都御所の仙洞御所、中宮御所を普請した時に、その残財を持ち帰って建築したものといわれています。
11木下利玄歌碑
園池内につくられた鶴島にありました。明治19年(1886年)に生まれた利玄は足守藩時代最後の藩主を父にもつ歌人です。青年期から短歌革新運動に力を注ぎ白樺派の中心作家として活躍し、口語、俗語なども大胆に取り入れた写実的で平易な利玄調の歌風を完成し、歌壇に新風を巻き起こすとともに、明治大正の文学史に大きな足跡を残しました。
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11木下利玄歌碑
園池内につくられた鶴島にありました。明治19年(1886年)に生まれた利玄は足守藩時代最後の藩主を父にもつ歌人です。青年期から短歌革新運動に力を注ぎ白樺派の中心作家として活躍し、口語、俗語なども大胆に取り入れた写実的で平易な利玄調の歌風を完成し、歌壇に新風を巻き起こすとともに、明治大正の文学史に大きな足跡を残しました。
12近水園亀島&園池越しに
吟風閣
数寄屋造で階下は「さし天井」、2階は「舟底天井」となっています。また、雨戸の戸袋は、片方だけにあり、開閉するときは、部屋の角の柱の所で直角に敷居を滑らせ、回転させる仕組みです。その開閉シーンを見ることができました。動画は、無人になってから撮影しました。
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12近水園亀島&園池越しに
吟風閣
数寄屋造で階下は「さし天井」、2階は「舟底天井」となっています。また、雨戸の戸袋は、片方だけにあり、開閉するときは、部屋の角の柱の所で直角に敷居を滑らせ、回転させる仕組みです。その開閉シーンを見ることができました。動画は、無人になってから撮影しました。
13ルリビタキ♀後ろ姿
近水園(おみずえん)出口すぐ手前です。いったんは飛び立ちましたが、側の地面に近い木の枝に止まり直しただけでした。<写真13〜15>は同一個体です。
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13ルリビタキ♀後ろ姿
近水園(おみずえん)出口すぐ手前です。いったんは飛び立ちましたが、側の地面に近い木の枝に止まり直しただけでした。<写真13〜15>は同一個体です。
14風に吹かれるルリビタキ♀
動画を撮っていると、こちらが気になって仕方がないようで、風に吹かれセットが乱れるのもおかまいなしでずっとこんな感じでした。♬揺れる想い体じゅう感じて(^^♪
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14風に吹かれるルリビタキ♀
動画を撮っていると、こちらが気になって仕方がないようで、風に吹かれセットが乱れるのもおかまいなしでずっとこんな感じでした。♬揺れる想い体じゅう感じて(^^♪
15こちらを向いた
ルリビタキ♀
再び移動、動画を撮り始めると、5cmはありそうなミミズを丸呑みしました(*_*;さすがに、ちと長過ぎたようで、途中で一休みしていましたが(*^^*)食べ終わると、思い出したようにこちらを向き、「私になにか!?」満腹で体が重くなった彼女には悪いのですが、よけてもらって先に進み、やっと近水園(おみずえん)から出られました。
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15こちらを向いた
ルリビタキ♀
再び移動、動画を撮り始めると、5cmはありそうなミミズを丸呑みしました(*_*;さすがに、ちと長過ぎたようで、途中で一休みしていましたが(*^^*)食べ終わると、思い出したようにこちらを向き、「私になにか!?」満腹で体が重くなった彼女には悪いのですが、よけてもらって先に進み、やっと近水園(おみずえん)から出られました。
16飛ばないオオダイサギ
翼を広げて飛ぶのかと思いきや、走っただけ。飛ばんのかい(+_+)
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16飛ばないオオダイサギ
翼を広げて飛ぶのかと思いきや、走っただけ。飛ばんのかい(+_+)
17オオダイサギ&アオサギ
オオダイサギのほうが少し大きいのですが、アオサギが牽制しました。お互い何か狙っている(*_*)
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17オオダイサギ&アオサギ
オオダイサギのほうが少し大きいのですが、アオサギが牽制しました。お互い何か狙っている(*_*)
18魚を食べるオオダイサギ
長い首を利用して水面を見まわし、瞬時に水中に頭を突っ込み魚をくわえました。動画には、丸呑みした後、水で流し込む様子が映っています。
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18魚を食べるオオダイサギ
長い首を利用して水面を見まわし、瞬時に水中に頭を突っ込み魚をくわえました。動画には、丸呑みした後、水で流し込む様子が映っています。
19飛ぶアオサギ
こちらをにらみつけ、翼を広げて威嚇していましたが、通じないとみるや、ギャーギャー鳴きながら飛び去りました。アンタは飛ぶんかい(+_+)
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19飛ぶアオサギ
こちらをにらみつけ、翼を広げて威嚇していましたが、通じないとみるや、ギャーギャー鳴きながら飛び去りました。アンタは飛ぶんかい(+_+)
20泳ぐヌートリア
もともとは南米に住むネズミの仲間で、頭から胴体まで50〜60cm、上下各2本の大きな山吹色の前歯が特徴です。毛皮をとる目的で持ち込まれたものが野生化、生息域を広げ、世界および日本の侵略的外来種ワースト100に選ばれています。ちなみに岡山県はヌートリアの生息数が日本一といわれています。
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20泳ぐヌートリア
もともとは南米に住むネズミの仲間で、頭から胴体まで50〜60cm、上下各2本の大きな山吹色の前歯が特徴です。毛皮をとる目的で持ち込まれたものが野生化、生息域を広げ、世界および日本の侵略的外来種ワースト100に選ばれています。ちなみに岡山県はヌートリアの生息数が日本一といわれています。
21隠れようとするヌートリア
県外の方が岡山で普通に見られるヌートリアを見たら「岡山のネズミ、デカっ!(+o+)」と思うかもしれませんが、可愛い表情と仕草をします(#^.^#)動画を撮っていると、護岸の石の陰に隠れました。
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21隠れようとするヌートリア
県外の方が岡山で普通に見られるヌートリアを見たら「岡山のネズミ、デカっ!(+o+)」と思うかもしれませんが、可愛い表情と仕草をします(#^.^#)動画を撮っていると、護岸の石の陰に隠れました。
22電子基準点「岡山1」
塔のような受信機でGPS衛星が発信する電波を受信して毎日位置を観測し、測量や地震予知などに利用しています。岡山市立大井小学校の校庭の南端に設置されており、フェンスの外から撮影しました。なお、大井小学校は他校との統合のため2011年3月末に閉校、現在ここは使われていないようです。
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22電子基準点「岡山1」
塔のような受信機でGPS衛星が発信する電波を受信して毎日位置を観測し、測量や地震予知などに利用しています。岡山市立大井小学校の校庭の南端に設置されており、フェンスの外から撮影しました。なお、大井小学校は他校との統合のため2011年3月末に閉校、現在ここは使われていないようです。
23慶応二年の石灯篭
狛犬?や小さな祠もあり、かつては神社があったのでしょうか。石仏のお堂らしき建物と石灯篭がセットになっているのも周辺でたびたび見かけました。慶応2年といえば、徳川慶喜が第十五代将軍に就任した年です。足守にはこうした密かに眠る史跡が多数ありそうです。
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23慶応二年の石灯篭
狛犬?や小さな祠もあり、かつては神社があったのでしょうか。石仏のお堂らしき建物と石灯篭がセットになっているのも周辺でたびたび見かけました。慶応2年といえば、徳川慶喜が第十五代将軍に就任した年です。足守にはこうした密かに眠る史跡が多数ありそうです。
24二面橋越しに
板野酒造本店直売所
二面(ふたも)橋は足守川に架かる橋です。板野酒造本店の蔵のある大井の地はその昔「二面(ふたも)ごおり」と呼ばれていました。ちなみに、直売所「上之蔵」は、日曜日のこの日は定休日でした。
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24二面橋越しに
板野酒造本店直売所
二面(ふたも)橋は足守川に架かる橋です。板野酒造本店の蔵のある大井の地はその昔「二面(ふたも)ごおり」と呼ばれていました。ちなみに、直売所「上之蔵」は、日曜日のこの日は定休日でした。
25飛び立とうとするカワウ
ウミウとは違い、くちばし基部が鋭く突き出たように尖って見えません。動画を撮り始めると、すぐにターンして飛び立ちました。
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25飛び立とうとするカワウ
ウミウとは違い、くちばし基部が鋭く突き出たように尖って見えません。動画を撮り始めると、すぐにターンして飛び立ちました。
26カルガモ
マガモのメスに似ていますが、くちばしの先端だけが黄色です。年中いるので、我が家の近所の田んぼでは、勝手にカルガモ農法をやっています。彼らがいると安心するのか、他のカモたちもやってくることが多いです。
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26カルガモ
マガモのメスに似ていますが、くちばしの先端だけが黄色です。年中いるので、我が家の近所の田んぼでは、勝手にカルガモ農法をやっています。彼らがいると安心するのか、他のカモたちもやってくることが多いです。
27コガモ
オスを先頭にメスも含め数羽、泳ぎ去りました。動画にはかわいい行列が映っています。
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27コガモ
オスを先頭にメスも含め数羽、泳ぎ去りました。動画にはかわいい行列が映っています。
28発射するカワウ(+o+)
枯れ草の陰から見下ろして動画を撮っていると、妙にきょろきょろ、しめしめ、誰も見ていないと思ったのか、不意に尾羽を持ち上げて発射!
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28発射するカワウ(+o+)
枯れ草の陰から見下ろして動画を撮っていると、妙にきょろきょろ、しめしめ、誰も見ていないと思ったのか、不意に尾羽を持ち上げて発射!
29コガモ♂
餌を探して泳ぎ回っていました。正面から見ると覆面レスラーのようです(^^♪動画も撮りました。
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29コガモ♂
餌を探して泳ぎ回っていました。正面から見ると覆面レスラーのようです(^^♪動画も撮りました。
30弓矢地蔵堂
おそらく右端が延命地蔵、隣は不明の石仏、その左が文英様石仏、左端が名号石でしょう。文英様石仏とは、天文2年(1533)から天正10年(1582)に造立された、文英という僧侶の銘の入った石仏およびその作風に似た石仏のことです。岡山市の高松地区を中心にここ足守地区や総社市、赤磐(あかいわ)市など限られた地域のみに見られます。
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30弓矢地蔵堂
おそらく右端が延命地蔵、隣は不明の石仏、その左が文英様石仏、左端が名号石でしょう。文英様石仏とは、天文2年(1533)から天正10年(1582)に造立された、文英という僧侶の銘の入った石仏およびその作風に似た石仏のことです。岡山市の高松地区を中心にここ足守地区や総社市、赤磐(あかいわ)市など限られた地域のみに見られます。
31コガタスズメバチ?の巣
岡山県の埋蔵文化財地図では、この南に室町時代の石仏があるようですが、よくわかりませんでした。弓矢地蔵堂<写真30>にあった文英様石仏のことかもしれません。この建物は石仏を安置したお堂ではないようです。軒下に直径30cm程のスズメバチの巣がありました。小さめで軒下に作られているので、コガタスズメバチの巣でしょうか。
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31コガタスズメバチ?の巣
岡山県の埋蔵文化財地図では、この南に室町時代の石仏があるようですが、よくわかりませんでした。弓矢地蔵堂<写真30>にあった文英様石仏のことかもしれません。この建物は石仏を安置したお堂ではないようです。軒下に直径30cm程のスズメバチの巣がありました。小さめで軒下に作られているので、コガタスズメバチの巣でしょうか。
32弓矢地蔵堂前の宝篋印塔
岡山県の埋蔵文化財地図では、この東に室町時代の「弓矢馬場宝篋印塔」があるらしいのですが、道がよくわかりませんでした。この宝篋印塔も古そうなので、もしかしたら、お参りしやすいようにここにまとめて移されたのかもしれません。
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32弓矢地蔵堂前の宝篋印塔
岡山県の埋蔵文化財地図では、この東に室町時代の「弓矢馬場宝篋印塔」があるらしいのですが、道がよくわかりませんでした。この宝篋印塔も古そうなので、もしかしたら、お参りしやすいようにここにまとめて移されたのかもしれません。
33メジロ&ヒヨドリ
対岸にいる我々に気づいていないのか、柿の木にメジロの群れと1羽のヒヨドリが群がっていました。動画では、最初、メジロの背後にヒヨドリの体の一部が映っており、何だかわかりませんでした。おヒヨちゃん、デカっ!
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33メジロ&ヒヨドリ
対岸にいる我々に気づいていないのか、柿の木にメジロの群れと1羽のヒヨドリが群がっていました。動画では、最初、メジロの背後にヒヨドリの体の一部が映っており、何だかわかりませんでした。おヒヨちゃん、デカっ!
34柿の実を食べるメジロ
完熟してやっと渋が抜けた柿の実をほじくるのに必死でした。ジュクジュクでほぼ腐りかけているような気もしますが、「腐っても柿!」
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34柿の実を食べるメジロ
完熟してやっと渋が抜けた柿の実をほじくるのに必死でした。ジュクジュクでほぼ腐りかけているような気もしますが、「腐っても柿!」
35プリティなメジロ
体形が雪だるまのようです(*^^*)
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35プリティなメジロ
体形が雪だるまのようです(*^^*)
36コガモ群れ
少し遠かったのでズームしてみました。20羽くらいはいたかもしれません。翼を広げているのがオス、茶色の地味なのがメスです。
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36コガモ群れ
少し遠かったのでズームしてみました。20羽くらいはいたかもしれません。翼を広げているのがオス、茶色の地味なのがメスです。
37トキワサンザシ
&ジョウビタキ♂
トキワサンザシはピラカンサの名前で盆栽や庭木として市場に出回ることも多く、秋から早春にかけて楽しめる赤い実は野鳥の好物です。彼も最初はこちらを見ていましたが、何かたくらんでいるとしか思えない表情で足元に釘付け。やはり狙いはこれ?
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37トキワサンザシ
&ジョウビタキ♂
トキワサンザシはピラカンサの名前で盆栽や庭木として市場に出回ることも多く、秋から早春にかけて楽しめる赤い実は野鳥の好物です。彼も最初はこちらを見ていましたが、何かたくらんでいるとしか思えない表情で足元に釘付け。やはり狙いはこれ?
38実を食べるジョウビタキ♂
動画を撮っていると、2粒食べて飛び去りました。たいてい2,3粒食べると飛び去り、すぐに戻ってきてまた食べます。以前、我が家の盆栽は彼とメジロのつがい、ヒヨドリのお食事処となり、3日で坊主になりました(*_*;
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38実を食べるジョウビタキ♂
動画を撮っていると、2粒食べて飛び去りました。たいてい2,3粒食べると飛び去り、すぐに戻ってきてまた食べます。以前、我が家の盆栽は彼とメジロのつがい、ヒヨドリのお食事処となり、3日で坊主になりました(*_*;
39ルリビタキ♂若鳥
背中などの青色が薄いので、オスの若鳥のようです。こちらをちらちら見ていましたが、急に実をパクリ。動画にはどさくさに紛れて実をむしり取る様子が映っています。
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39ルリビタキ♂若鳥
背中などの青色が薄いので、オスの若鳥のようです。こちらをちらちら見ていましたが、急に実をパクリ。動画にはどさくさに紛れて実をむしり取る様子が映っています。
40鍛冶山頂上
携帯電話やテレビの中継局となっています。この少し西までが舗装道路です。
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40鍛冶山頂上
携帯電話やテレビの中継局となっています。この少し西までが舗装道路です。
41竹林の細道
一見、ヤブに見えますが、細道は明瞭で倒竹もほとんどありませんでした。普通に歩けます。
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41竹林の細道
一見、ヤブに見えますが、細道は明瞭で倒竹もほとんどありませんでした。普通に歩けます。
42防空監視哨聴音壕
直径、深さとも2m程ありそうな昭和の遺物です。コンクリートで固めることにより雑音を防ぎ、反響音などにより集音し、中に入った人が敵の戦闘機の音を聞き分けて報告、戦闘準備や住民避難に役立てていたそうです。もう二度と使われないことを願ってやみません。
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42防空監視哨聴音壕
直径、深さとも2m程ありそうな昭和の遺物です。コンクリートで固めることにより雑音を防ぎ、反響音などにより集音し、中に入った人が敵の戦闘機の音を聞き分けて報告、戦闘準備や住民避難に役立てていたそうです。もう二度と使われないことを願ってやみません。
43鍛治山城跡石積み
竹林の中の細道を辿っていると、いつの間にかこの石積みの上を歩いていました。下りて振り返ったところです。高さは1mもなく、鍛冶山城の石垣とは言い切れません。
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43鍛治山城跡石積み
竹林の中の細道を辿っていると、いつの間にかこの石積みの上を歩いていました。下りて振り返ったところです。高さは1mもなく、鍛冶山城の石垣とは言い切れません。
44鍛冶山城跡の祠
詳細は不明です。鳥の巣箱のような小さな祠は他の山中でもときどき見かけますが、これは彫刻があり立派でした。尾根からわずかに東に外れるのですが、道があったので大事にされているのでしょう。
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44鍛冶山城跡の祠
詳細は不明です。鳥の巣箱のような小さな祠は他の山中でもときどき見かけますが、これは彫刻があり立派でした。尾根からわずかに東に外れるのですが、道があったので大事にされているのでしょう。
45出丸跡より足守展望
なぜかこの一角だけ展望が効きました。南南西方面に足守の町並みや狸岩山、福山、軽部山など総社市&倉敷市境に近い山々が見えました。動画も撮りました。
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45出丸跡より足守展望
なぜかこの一角だけ展望が効きました。南南西方面に足守の町並みや狸岩山、福山、軽部山など総社市&倉敷市境に近い山々が見えました。動画も撮りました。
46出丸跡南斜面岩群
振り返ってみました。出丸跡<写真45>から木の枝を掴みながら落ち葉で滑りやすい急斜面を下っていると、途中からこのように岩が埋まった脇を歩くようになりました。もう少し上から振り返ったほうが岩が連続しているのがわかりやすかったです。これなら、敵も下から攻めにくいでしょう。
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46出丸跡南斜面岩群
振り返ってみました。出丸跡<写真45>から木の枝を掴みながら落ち葉で滑りやすい急斜面を下っていると、途中からこのように岩が埋まった脇を歩くようになりました。もう少し上から振り返ったほうが岩が連続しているのがわかりやすかったです。これなら、敵も下から攻めにくいでしょう。
47県指定史跡緒方洪庵誕生地
蘭学医として名高く、適塾を開いた緒方洪庵は、文化7(1810)年、この地に生まれました。昭和3(1928)年に除幕式が行われた記念碑の下には、洪庵のへその緒、産毛、元服の遺髪が埋められています。
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47県指定史跡緒方洪庵誕生地
蘭学医として名高く、適塾を開いた緒方洪庵は、文化7(1810)年、この地に生まれました。昭和3(1928)年に除幕式が行われた記念碑の下には、洪庵のへその緒、産毛、元服の遺髪が埋められています。
48緒方洪庵産湯の井戸
明治初年、洪庵の兄の佐伯惟正(さえき これまさ)が移住した後は、建物は取り払われ、この井戸だけ残して畑になっていたそうです。
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48緒方洪庵産湯の井戸
明治初年、洪庵の兄の佐伯惟正(さえき これまさ)が移住した後は、建物は取り払われ、この井戸だけ残して畑になっていたそうです。
49足守町並み保存地区
足守藩時代からの商家の家屋が数多く残っており、岡山県の町並み保存地区に指定されています。現在は民家のようで、表札だけの建物が並んでいました。
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49足守町並み保存地区
足守藩時代からの商家の家屋が数多く残っており、岡山県の町並み保存地区に指定されています。現在は民家のようで、表札だけの建物が並んでいました。
50藤田千年治邸帳場
醤油の醸造や販売、肥料の販売などで大きな財を得た豪商藤田家の別邸入ってすぐです。現在の建物は江戸時代末期に建てられ、明治や平成に改修が行われています。
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50藤田千年治邸帳場
醤油の醸造や販売、肥料の販売などで大きな財を得た豪商藤田家の別邸入ってすぐです。現在の建物は江戸時代末期に建てられ、明治や平成に改修が行われています。
51藤田千年治邸仕込桶
もろみをつくるために使用された桶です。背丈を超える大きなものでした(*_*;
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51藤田千年治邸仕込桶
もろみをつくるために使用された桶です。背丈を超える大きなものでした(*_*;
52藤田千年治邸搾り機
中央の滑車が付いた大きなものが醤油を搾る搾り機です。醤油醸造に使用する道具がたくさんありました。天井の巨大な梁が気になって仕方ありません(*_*;
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52藤田千年治邸搾り機
中央の滑車が付いた大きなものが醤油を搾る搾り機です。醤油醸造に使用する道具がたくさんありました。天井の巨大な梁が気になって仕方ありません(*_*;
53藤田千年治邸米蔵
米だけではなく、大豆など醤油醸造に使用する穀物なども貯蔵していたそうです。
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53藤田千年治邸米蔵
米だけではなく、大豆など醤油醸造に使用する穀物なども貯蔵していたそうです。
54藤田千年治邸米蔵内部
天井のあちらこちらに付着した泥は、瓦を葺いていた土が流れ落ちたものだろうとの説明板がありましたが、よく見るとツバメの巣がありました。泥の正体見たりツバメの巣(^_-)-☆
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54藤田千年治邸米蔵内部
天井のあちらこちらに付着した泥は、瓦を葺いていた土が流れ落ちたものだろうとの説明板がありましたが、よく見るとツバメの巣がありました。泥の正体見たりツバメの巣(^_-)-☆
55藤田千年治邸外観
藤田千年治はこの地で醤油製造業を始めた創始者で、代々の当主がその名を引き継ぎました。帳場の台帳の表紙がすべて「藤田千年治」だった謎が解けました(^^♪
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55藤田千年治邸外観
藤田千年治はこの地で醤油製造業を始めた創始者で、代々の当主がその名を引き継ぎました。帳場の台帳の表紙がすべて「藤田千年治」だった謎が解けました(^^♪
56旧足守藩侍屋敷長屋門
足守藩の国家老を務めた杉原家の居宅です。なまこ壁の長屋門の右に御成門があります。
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56旧足守藩侍屋敷長屋門
足守藩の国家老を務めた杉原家の居宅です。なまこ壁の長屋門の右に御成門があります。
57旧足守藩侍屋敷
玄関の間(式台の間)など
長屋門をくぐり最初にある部屋です。岡山市の間取り図では、ここは式台の間となっています。すぐ奥の2畳の仏間は、武家屋敷には必ず設けてあり、自刃の場となります。最奥は3畳の脇部屋です。
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57旧足守藩侍屋敷
玄関の間(式台の間)など
長屋門をくぐり最初にある部屋です。岡山市の間取り図では、ここは式台の間となっています。すぐ奥の2畳の仏間は、武家屋敷には必ず設けてあり、自刃の場となります。最奥は3畳の脇部屋です。
58旧足守藩侍屋敷
内玄関の間(玄関の間)など
左手前が合の間、正面手前から内玄関の間(玄関の間)、玄関の間(式台の間)<写真57>、二の間、一の間<写真60>となっています。
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58旧足守藩侍屋敷
内玄関の間(玄関の間)など
左手前が合の間、正面手前から内玄関の間(玄関の間)、玄関の間(式台の間)<写真57>、二の間、一の間<写真60>となっています。
59旧足守藩侍屋敷台所など
私生活用の部屋が並んでいます。手前から台所、居間(茶の間)、脇部屋、奥の間(居間)です。岡山市の間取り図とは部屋の名称が違うのでややこしいです。
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59旧足守藩侍屋敷台所など
私生活用の部屋が並んでいます。手前から台所、居間(茶の間)、脇部屋、奥の間(居間)です。岡山市の間取り図とは部屋の名称が違うのでややこしいです。
60旧足守藩侍屋敷一の間
殿様など、一番大切なお客様をお通しする格式高い部屋です。飾られている「鶴雲」の書は、足守藩第11代藩主 利徳の直筆のようです。付書院の窓は花頭窓といい、秋にはここからのぞく紅葉が人気です。
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60旧足守藩侍屋敷一の間
殿様など、一番大切なお客様をお通しする格式高い部屋です。飾られている「鶴雲」の書は、足守藩第11代藩主 利徳の直筆のようです。付書院の窓は花頭窓といい、秋にはここからのぞく紅葉が人気です。
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