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Yamareco

記録ID: 29053
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
アジア

ヒムルンヒマール(ネパール)

1992年09月12日(土) 〜 1992年10月21日(水)
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saito1987 その他10人
コース状況/
危険箇所等
9/12

チャーターバスにてカトマンドゥ発、ドゥムレ経由でボテオラールまで。

9/13〜25

マルシャンディ川沿いにキャラバンを進め、モンスーンの影響で橋が流されたナル・コーラ沿いの道を諦め、ピサン上方のンガワールからカン・ラ(5322m)を越え、ナル、プーを経てベースキャンプヘ至った。

9/25

北西稜末端の放牧地(4850m)にベースキャンプ設営。当初プーコーラ右股氷河左岸の標高4900m付近のカルカにBCを設営する予定であったが、現地の状況、途中遠望できた北西稜の様子、精度の高い地図から、BCと登攀ルートの大幅な変更を行った。

9/26

花井と小泉でルート偵察。標高5250mを前進デポ地とする。その後C1予定地(5450m)を通過し、北西尾根への取り付き点である広大な雪原 (通称"野球場"、高度5650m)に達し、登攀装備をデポしてBCに帰着。ポーターによって約80kgの隊荷を前進デポ地に荷揚げ。

9/27

C1までの高度順化、荷揚げとC1設置、前進デポ地まで約200kgの荷揚げ、並びに北西稜標高5800m付近までのルート工作。ルート工作後、花井、小泉C1泊。

昨日の到達点"野球場"からはアンザイレンで稜線へ延びる200mの雪面に取り付いた。傾斜は30〜40度でときおり膝までのラッセルになるが、雪は古く、雪崩を誘発する弱層もない。稜線直下では60m程、傾斜が50度を超える雪壁になるが硬い氷は出てこない。到達した稜線は尾根形のはっきりしない広大な雪面で、クレバスは横走するが技術的に困難はない。稜線の上部6000m付近には巨大な懸垂状の氷塔が乱立するが、ルートはその間隙を特に障害もなく容易に抜けられそうだ。

9/28

花井、小泉、ニマ・シェルパ、標高5950mまでルート工作。丹羽、清水、樋口C1入り。石橋、斉藤、山口、高度順化のためBCから野球場まで往復。戸田プーまで一旦下山。

9/29

別動隊の木崎、佐藤、名越トレッキングのためBCを出発。清水、ニマ、ダヌー標高6000mまで荷揚げ。丹羽、石橋、斉藤標高5800m付近まで往復。河合BCからC1往復。樋口C1からBCに下る。

9/30

清水、斎藤ルート工作に向かうも深雪のラッセルと高度障害に悩まされ標高6150mで引き返し、BCまで下山。石橋C1からBCに下山。戸田BCに復帰。久しぶりにBCに全員終結。

今後の方針が話し合われ、以下のことが確認された。翌日から花井、小泉、ニマの3人が前線に復帰し、C2、C3を建設した後、可能であれば登頂を図る。清水、樋口、斎藤、ダヌーが後続し、1次隊登頂後直ちに2次アタックを決行する。河合、戸田、石橋、プリは6000mの順化を獲得しながら上部キャンプに登り3次アタックに備える。丹羽隊侵はこのままBCに残留し、益田、山ロドクターはそれぞれの到達高度の更新を狙う。

10/1

花井、小泉、ニマ標高6000mにC2を建設。樋口、山ロは北西尾根稜線に達し、下降路確保のため、稜線への取り付き雪面に新たに160mのロープを固定した後C1入り。河合C1往復。戸田野球場々往復。

10/2

花井、小泉、ニマは好天の中、C2を出発して清水隊の残した深いトレースを辿った。傾斜が緩く距離の割には高度の稼げない雪面が続く。ドーム状ピークヘの最後の登りにかかるあたりで清水隊のトレースは消え、ようやくアイゼンのきくクラスト斜面となる。ラッセルから解放されてペースがあがる。ドームの南側をトラバース気味に巻き、高度6200mあたりで初めてヒムルンヒマールの頂上を視野に捉える。ヒムルンヒマールからネムジュンヘは厳しく痩せた吊り尾根の稜で連なり、発達したヒマラヤ襞には容易な登攀ラインは見いだせない。辿る北西尾根は北側に雪庇を張り出し、北西の氷河に切れ落ちている。 6200mのピークからは痩せた尾根が最終コルに下降して、約1000mの急峻な雪面とたってピークに突き上げる。コルを通過して高度6250mにアタックキャンプとなるC3を建設したのは12時30分であった。C2との距離2.5km、途中コルを経るため高度差はわずか250mである。

第2次隊の清水、樋口、斎藤、ダヌーの4名はC1に集結し、翌日C2に上がることとする。山ロドクターはC1からC2付近まで登りBCに戻った。他の隊員はBCで待機した。遠征はいよいよクライマックスを迎えた。

10/3

一次隊登頂(小泉、花井、ニマ・シェルパ)

1次アタック隊の3名は5時50分、C3を出発してまだ暗く陽の当たらない急峻な雪面に取り付いた。雪は堅く、ところどころ氷結した箇所が 6600m付近まで続く。風があり、陽の当たらない斜面が続くためか、体感気温は極端に低い。出発直後からの両足指の冷感がしだいに無感覚になってしまった花井は凍傷の恐れを感じ、高度6600m付近で一旦C3に応急処置のため一人で戻った。7時15分である。花井から交信用の無線機をひきついだ小泉はニマと快調に登行を続けた。ようやく斜面に陽の射しはじめるころには、再び膝までもぐる雪面に変わり著しくペ一スがダウンした。C3から頂上まではほぼ一定の傾斜(約40度)が続くが、氷結部や雪が深いところではジグザグで登る。最後の300mはラッセルもすねままでとなって一気に直登し、10時45分小泉とニマが最初に頂上に達した。頂上は狭い雪のドームである。登ってきた北西尾根側以外はすべて鋭く切れ落ちている。ネムジュンヘ連なる南側の稜線は、身をのり出さなければ目で追うこともできないような傾斜で高度を落し、中間の無名の鋭峰に続いている。この無名峰から先の稜線は遮られて見通すことができないが、この稜線の縦走は神経をすり減らすものとなるだろう。遠くマナスル、アンナプルナ、ダウラギリの巨峰は湧き始めた雲海の上に屹立している。北方のチベット側には山なみがとぎれることなく視界を満たすが、標高が低く、乾燥のためか雪氷が後退して迫力は欠ける。頂上から登頂成功の報を下にいる各パーティに交信した2人は、下山を開始し、C3、C2、C1の各キャンプをパスして夕方17時00分にはBCに帰着した。

一方、途中でC3に戻った花井は、急いで沸かしたお湯で足指に感覚を取り戻した。真新しいソックスにはきかえて、8時30分登行を再開し、5時間でピークに達した。昼過ぎから発生したガスのため、頂上からの眺望はまったく得ることができなかった。15時00分にはC3に戻り、それ以上の下山には時間切れのため、そのまま一人でC3に滞在した。 C1を発った第2次隊の4名は13時00分、風の強まってきたC2に到着し、その直後、登頂を終えた小泉、ニマを迎えた。河合、戸田、石橋、プリの第3次隊のメンバーも予定通り昼過ぎにはC1に入り、設置された全てのキャンプに隊員が配置された。この日各キャンプ間では遅くまで無線連絡が交わされた。

10/4

C3に泊まった花井は下山を開始し、途中C2からC3に入る第2次隊と6200m付近で交差した。2次隊は13時30分にC3に入り、下山を続けた花井はC1に戻り、そのまま2次隊、3次隊への支援と交信中継のため登攀活動が終了するまで留まった。3次隊の戸田、石橋、プリはC1からC2を往復し、 BCから再び上がってきた益田と共にC1に滞在した。3次予定の河合は体調が優れず、これ以上の登行を断念してBCに下った。

10/5

C3からは思わしくない天候の中、清水、樋口、ダヌーの3名が2次アタックを開始したが、回復しない天候のため6500m付近でこの日のアタックを中断してC3に戻った。一方、斎藤は夜のうちに体調を崩し、2次アタックを諦めてこの朝、悪い視界をついて一人でBCまで帰着することになった。この帰還中、交信のための無線機をもたない斎藤の消息をめぐってBCでは若干の緊張が走った。 C2に到着した3次隊の石橋とプリの2名は、丁度C3から帰着し疲労の為かテントの中で眠っていた斎藤を発見して、下山を促した。相変わらず順化の遅れを取り戻せず調子のでない戸田は、C2を目指したが北西尾根にでたところで3次アタックを諦め、泣く泣くBCに下った。前日C1に入った益田は視界の回復しない中、戸田と共に6000mまで達して年寄り組の意地を示した。

10/6

心配した前日の悪天も回復し、6時30分にC3を出発した清水、樋ロ、ダヌーの3名は1次隊のトレースにところどころ新たに積もった雪のため再ラッセルを強いられながらも順調に高度を稼ぎ、11時15分には頂上に達し、2次アタックは成功した。晴れ渡る視界の中、頂上からのパノラマは持参したビデオで撮影された。2次アタック隊は登頂後下山を開始し、3次隊の万一のサポートのためその夜C2に滞在した。3次隊の石橋、プリの両名は途中、2次隊と交差してC3に無事到着した。

10/7

早朝、3次隊の石橋から交信連絡があった。天候は悪くないが、石橋の疲労が激しく、本日のアタックは中止して、このままC3に停滞し、体力を回復した後、翌日3次アタックを決行したいという要請である。BCの丹羽隊長、C1の花井、C2の樋口を中心に協議され、結局、高所での長期滞在に回復の見込みは無いと判断された。3次アタックの中止、全ての登攀活動の打ち切り撤収が決定され、丹羽隊長から各キャンプに伝達された。

決定後ただちに撤収作業が開始され、3次アタック隊の石橋とプリは、C2の清水、樋口、ダヌーと合流後C1へ。BCからは荷下げのためニマがC1に応援にかけつけ、すみやかに各キャンプは撤収され、BCに下山した。

10/8

前進デポ地から荷下げして、上部キャンプの撤収完了。

10/9

BC下部のカルカへ移動。

10/11

帰路用のポーターカルカ着。

10/12

帰路キャラバン開始

10/12〜10/20 

帰路キャラバン(往路と同じ) 花井、小泉、斉藤トロン・ラを超えてカリガンダキ方面のトレッキング後カトマンズに帰着

10/21

カトマンドゥ帰着
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