阿弥陀山
- GPS
- 03:46
- 距離
- 7.5km
- 登り
- 357m
- 下り
- 346m
コースタイム
- 山行
- 2:54
- 休憩
- 0:53
- 合計
- 3:47
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
阿弥陀山は蛇谷ケ峰の北東の安曇川平野に突き出た形の小高い丘陵といった形態の山である。阿弥陀山登山口は安曇川平野から一段と高くなった準平原風な高台に広々とした耕作地が広がっている場所の山麓部にある。この平原は昭和の20数年に満州などから帰還された方々が入植されたとか聞いたが、その当時何も機械のない時期に開墾をされたのであろうが、さぞかし苦労の連続であったろうと推定される。今では重機もお金さえあれば自由に使えるので、何とかなったろうにと当時が偲ばれる。
今回はこの湖西の安曇川平野を見下ろす阿弥陀山に来年登ろうとしての下見である。仲間3名で車でこの登山口に来た。以前は自由に駐車ができたのであるが、今は『私有地であるので駐車禁止』との表示が沢山あった。そこで県道まで戻って道脇に駐車してハイクを開始した。登山口には東屋と椿の木があってハイクを歓迎しているように思えるが、沢山のハイカーがマイカーを連ねてきては堪らないだろうことは十二分に理解できる。昔の面影の残る東屋を後に阿弥陀山を目指して登る始める。すぐにハイク用の標識が『山頂→』と彼方此方に設置されていて、昔とは大違いで入山者の多さを想像した。植林地を歩いて阿弥陀山に向かうと『太山寺(城)址』の標識に従い左に折れて案内に引き込まれる。谷に降りると大きな看板があって『太山寺』の説明がなされている。谷のすぐ南側の尾根に築かれた山城のようで、寺址を城に活用したものであろうか?
尾根まで上がると、小広い平坦地があちこちに段々畠のようにあった。そこには杉の4〜50年ものくらいのものが多数生えている。それぞれの平坦地は役割別に広さも工夫して構築されたものと思われた。当初はここから元のコースに戻って阿弥陀山へと考えていたが、この城跡の尾根から阿弥陀山に直接登れそうではないかと、登山道はないかも知れないが行ってみようということに急遽なって藪を覚悟して登りだした。すると踏み跡が薄いながらも続いていて斜面は急ながらも登るには支障がないのでスマホのGPSを確認しながら城跡から30分ほど登ると東面に安曇川平野と琵琶湖が木々の間から見えてきた。北の阿弥陀山も目と鼻の先に手に取るようだ。そのうちに何時の間にか赤テープが継続して現れると踏み跡は完全な登山道になった。どうもこれはコースの一部ではないかと言いながら、傾斜も緩やかになったので快適に尾根道を進むと登山道に直角に合流した。ここは阿弥陀山から自衛隊の旧基地へのコースのようだ。それなら少し東に行けば阿弥陀山山頂であるはずだ。ほんの5分もたたないうちに阿弥陀山山頂の一等三角点に到達した。山頂からの眺望はあまり期待していなかったが思いのほか素晴らしい。安曇川平野と琵琶湖と湖東の大平地、さらには伊吹、霊仙、鈴鹿の山々がよく見えた。
阿弥陀山は7,8年前に2回来た記憶があるが、確か今登ってきた尾根を下降したはずなのである。GPSの軌跡の昔のものを見るとそれは確認できた。城址からの尾根道はかって下山した尾根の派生尾根のようである。GPSの記録をよく見ていれば、もっと早くに下山尾根と判ったはずであるが登ることに注力して確認まで至らなかったものである。
年末にも関わらず暖かい気候で、昼食の時間が1時間近くゆっくりと日向ぼっこであった。
表参道のコースを下降して、以前下降した尾根の末端を確認すべく『太山寺址』へ再び下降し、さらにそのまま谷に沿って下降を続けると林道にでた。そこは昔歩いた林道ではないか?と思われ、更に周辺を散策すると阿弥陀山からの下降路と思わしき赤テープを発見した。
確か尾根の下部は急傾斜であったような記憶は薄れているがそんな気がしてきた。メンバーの一人はその急傾斜にはロープがあって苦労して降りたことをよく覚えていたのである。
今回の下見はこれで満足である。今年最後のハイクが小春日和のような温かいひだまりハイクとなったことはラッキーであった。
"永","竹" M
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