東高野街道との追分よりスタート。立派な常夜灯や大木があったので迷う人は少なかったと思われます。大坂中心部からは恩智川を利用した舟での参詣もあったそうです。
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2/21 9:24
東高野街道との追分よりスタート。立派な常夜灯や大木があったので迷う人は少なかったと思われます。大坂中心部からは恩智川を利用した舟での参詣もあったそうです。
今回は石切神社参詣ルート(A)を歩きました。本道(B)としては別にあり近鉄奈良線と交差した先で合流します。恩智川の舟を利用した人々はBルートを利用した人が多かったのではないでしょうか。
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今回は石切神社参詣ルート(A)を歩きました。本道(B)としては別にあり近鉄奈良線と交差した先で合流します。恩智川の舟を利用した人々はBルートを利用した人が多かったのではないでしょうか。
石切神社は「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれています。
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2/21 9:31
石切神社は「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれています。
この日もお百度参りの人々で賑わっていました。いつ見ても凄いです。ぐーるぐる、ぐーるぐる。見てて飽きません。
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2/21 9:31
この日もお百度参りの人々で賑わっていました。いつ見ても凄いです。ぐーるぐる、ぐーるぐる。見てて飽きません。
石切神社への丁石。丁石とは昔の街道沿いに距離を示すために建てられた標識です。
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2/21 9:36
石切神社への丁石。丁石とは昔の街道沿いに距離を示すために建てられた標識です。
朝の石切神社参道はとても静かなものでした。
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2/21 9:37
朝の石切神社参道はとても静かなものでした。
今回はAppleWatchにはスーパー地形の古地図を主に表示しています。とっさに旧道を知りたいときに便利です。
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2/21 9:39
今回はAppleWatchにはスーパー地形の古地図を主に表示しています。とっさに旧道を知りたいときに便利です。
この付近から勾配が急になっていきます。生駒山の峠道全般に言えることですが大阪側が奈良側よりも急なのが特長です。辻子越えも同様で奈良側から登ったほうが楽に歩けるかもしれません。
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2/21 9:42
この付近から勾配が急になっていきます。生駒山の峠道全般に言えることですが大阪側が奈良側よりも急なのが特長です。辻子越えも同様で奈良側から登ったほうが楽に歩けるかもしれません。
近鉄奈良線と交差します。ここは旧石切駅の跡。新生駒トンネル開通まで使用されていました。右手に階段が残っています。
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2/21 9:43
近鉄奈良線と交差します。ここは旧石切駅の跡。新生駒トンネル開通まで使用されていました。右手に階段が残っています。
旧駅に降りた多くの人の目に入ったであろう巨大な丁石。左千手寺西一丁。右興法寺東十丁。面白いのは石切神社と書いてない点で建立者の意向もありますが当然のことなので表示するまでもなかったのでしょう。
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2/21 9:44
旧駅に降りた多くの人の目に入ったであろう巨大な丁石。左千手寺西一丁。右興法寺東十丁。面白いのは石切神社と書いてない点で建立者の意向もありますが当然のことなので表示するまでもなかったのでしょう。
階段を上ります。
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2/21 9:44
階段を上ります。
車一台がやっと通れるような道筋が続いていきます。
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2/21 9:45
車一台がやっと通れるような道筋が続いていきます。
ここで本道(B)と合流します。この写真は振り返って撮ったものなので右側の道が(B)になります。
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2/21 9:50
ここで本道(B)と合流します。この写真は振り返って撮ったものなので右側の道が(B)になります。
ここには追分らしく大きな石仏があり、爪切地蔵と呼ばれています。室町時代の作品だそうですが一説には弘法大師が一夜のうちに爪で刻んだと言われています。
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2/21 9:47
ここには追分らしく大きな石仏があり、爪切地蔵と呼ばれています。室町時代の作品だそうですが一説には弘法大師が一夜のうちに爪で刻んだと言われています。
(B)ルートは音川沿いに恩智川へと下っていきます。水車の地図記号が多いですね。
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(B)ルートは音川沿いに恩智川へと下っていきます。水車の地図記号が多いですね。
道なりに進みます。
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2/21 9:51
道なりに進みます。
文政年間の丁石。興法寺十八丁、宝山寺二十六丁。
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2/21 9:51
文政年間の丁石。興法寺十八丁、宝山寺二十六丁。
かつての音川には大量の水車がありました。薬種問屋や製粉業など大坂の商業発展に大変な役割があったといいますが大軌が開業し電力事情が良くなると衰退していきます。現在も水車時代の流れを汲む会社が点在しているようですが昭和50年頃を最後に機械化になったそうです。
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2/21 9:52
かつての音川には大量の水車がありました。薬種問屋や製粉業など大坂の商業発展に大変な役割があったといいますが大軌が開業し電力事情が良くなると衰退していきます。現在も水車時代の流れを汲む会社が点在しているようですが昭和50年頃を最後に機械化になったそうです。
参詣道らしく一定の距離間隔で興法寺まで石仏が置かれています。表情豊かな二体一組が特長のようです。
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2/21 9:54
参詣道らしく一定の距離間隔で興法寺まで石仏が置かれています。表情豊かな二体一組が特長のようです。
このような立派な祠があるのもあれば野ざらしの状態のもあります。石仏の数は多いので道中の疲れを癒してくれます。
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2/21 9:56
このような立派な祠があるのもあれば野ざらしの状態のもあります。石仏の数は多いので道中の疲れを癒してくれます。
随分と上ってきました。振り返ると大阪平野を一望できますが眺望が良いのはここまで。峠の手前までは草木に覆われ眺めることができないのです。
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2/21 10:03
随分と上ってきました。振り返ると大阪平野を一望できますが眺望が良いのはここまで。峠の手前までは草木に覆われ眺めることができないのです。
復元の水車。ゆうに直径は5mはあるでしょうか。これがぎっしりと谷沿いにあったことを思うと実に壮観ですよね。ここは広場になっていて椅子もあり休憩に良い場所です。
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2/21 10:06
復元の水車。ゆうに直径は5mはあるでしょうか。これがぎっしりと谷沿いにあったことを思うと実に壮観ですよね。ここは広場になっていて椅子もあり休憩に良い場所です。
ここは左が旧道っぽい雰囲気があったのですが右が正解です。おそらく左は水車小屋への道だったのでしょう。
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2/21 10:13
ここは左が旧道っぽい雰囲気があったのですが右が正解です。おそらく左は水車小屋への道だったのでしょう。
ここは左。
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2/21 10:16
ここは左。
音川を渡ります。
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2/21 10:19
音川を渡ります。
ここには指差し道標があります。鷲尾山とは興法寺のこと。
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2/21 10:19
ここには指差し道標があります。鷲尾山とは興法寺のこと。
ここから先は関係者以外の車は進入禁止。この舗装は暗峠の道にもありましたね。それだけ同じような急坂が続いてるということになります。
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2/21 10:24
ここから先は関係者以外の車は進入禁止。この舗装は暗峠の道にもありましたね。それだけ同じような急坂が続いてるということになります。
崩れの跡。
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2/21 10:27
崩れの跡。
ここは左へ。石段のある道を進みます。ここからは車は完全に不可です。
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2/21 10:33
ここは左へ。石段のある道を進みます。ここからは車は完全に不可です。
石畳が続きます。
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2/21 10:34
石畳が続きます。
この石段を上れば興法寺です。
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2/21 10:38
この石段を上れば興法寺です。
興法寺の山門。辻子越えの峠ピークは暗峠に比べると100m高く大変ですが宝山寺と最短距離であることや石切神社や興法寺もあることで人気がありました。
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2/21 10:41
興法寺の山門。辻子越えの峠ピークは暗峠に比べると100m高く大変ですが宝山寺と最短距離であることや石切神社や興法寺もあることで人気がありました。
西の聖天さんとも呼ばれる興法寺は役行者の開基によるもので弘法大師が堂を建立されたと伝えられます。ところが中世に戦火などで焼失などをしますが本尊である十一面千手観世音菩薩は平安後期のもので大阪府の有形文化財に指定されています。
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2/21 10:42
西の聖天さんとも呼ばれる興法寺は役行者の開基によるもので弘法大師が堂を建立されたと伝えられます。ところが中世に戦火などで焼失などをしますが本尊である十一面千手観世音菩薩は平安後期のもので大阪府の有形文化財に指定されています。
興法寺から先は先ほどまで目を楽しませてくれていた石仏がいないので少し寂しい気分にもなります。
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2/21 10:51
興法寺から先は先ほどまで目を楽しませてくれていた石仏がいないので少し寂しい気分にもなります。
歩きやすいハイキング道といった雰囲気です。
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2/21 10:52
歩きやすいハイキング道といった雰囲気です。
らくらく登山道と交差し、しばらく平行します。
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2/21 11:00
らくらく登山道と交差し、しばらく平行します。
旧道は石畳が残り良い雰囲気です。
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2/21 11:01
旧道は石畳が残り良い雰囲気です。
視界が広がりました。この辺りの勾配はそれほどでもありません。
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2/21 11:01
視界が広がりました。この辺りの勾配はそれほどでもありません。
ここを左へ入ります。この付近は広場になっていてちょっとした休憩場所になっています。
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2/21 11:03
ここを左へ入ります。この付近は広場になっていてちょっとした休憩場所になっています。
大阪平野の眺めもなかなか良いものでした。ちなみに池がありますが古地図を確認する上では昔はなかったようです
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2/21 11:03
大阪平野の眺めもなかなか良いものでした。ちなみに池がありますが古地図を確認する上では昔はなかったようです
らくらく登山道と再び交差。
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2/21 11:06
らくらく登山道と再び交差。
峠ピークの手前の図。らくらく登山道と並行しているのがよくわかります。
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峠ピークの手前の図。らくらく登山道と並行しているのがよくわかります。
誤侵入防止用のロープがあります。この先は概要にも書いたとおり土砂崩れがあった影響で昭和の水害でのものなので随分と時間が経っています。ところが辻子越えのハイキングコースは人気なので大勢歩いてもらうには危険という判断なのでしょう。それでも行く人は自己責任で進みましょう。
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2/21 11:10
誤侵入防止用のロープがあります。この先は概要にも書いたとおり土砂崩れがあった影響で昭和の水害でのものなので随分と時間が経っています。ところが辻子越えのハイキングコースは人気なので大勢歩いてもらうには危険という判断なのでしょう。それでも行く人は自己責任で進みましょう。
少し進むと廃道と旧ハイキングコースの分岐となります。この廃道こそが昔からある辻子越えの峠へと続く道筋となります。
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2/21 11:12
少し進むと廃道と旧ハイキングコースの分岐となります。この廃道こそが昔からある辻子越えの峠へと続く道筋となります。
有志の方々によって綺麗に刈り取られた藪。おかげでスムーズに歩くことができました。
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2/21 11:13
有志の方々によって綺麗に刈り取られた藪。おかげでスムーズに歩くことができました。
わかりづらい場所もリボンを目印通りに進めばバッチリ。
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2/21 11:14
わかりづらい場所もリボンを目印通りに進めばバッチリ。
この先に信貴生駒スカイラインが見えますが丁度この辺りが辻子峠でしょう。
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2/21 11:17
この先に信貴生駒スカイラインが見えますが丁度この辺りが辻子峠でしょう。
信貴生駒スカイラインは自動車専用の有料道路なので横断には細心の注意が必要です。
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2/21 11:18
信貴生駒スカイラインは自動車専用の有料道路なので横断には細心の注意が必要です。
経塚。江戸中期のもので案内看板には宝山寺の文字があったので既に宝山寺の山域なのかもしれません。
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2/21 11:19
経塚。江戸中期のもので案内看板には宝山寺の文字があったので既に宝山寺の山域なのかもしれません。
経塚の右手に旧道があるのでそこを進みます。
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2/21 11:24
経塚の右手に旧道があるのでそこを進みます。
この付近は道筋が不鮮明な場所が多いですがリボンを見失わないように確実に進んでいきましょう。
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2/21 11:26
この付近は道筋が不鮮明な場所が多いですがリボンを見失わないように確実に進んでいきましょう。
真冬でこの状態ですから夏場はある程度覚悟は必要でしょう。
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2/21 11:27
真冬でこの状態ですから夏場はある程度覚悟は必要でしょう。
この区間でのAppleWatch表示はヤマレコで。両手フリーで歩けるのは利点な上に先人の足跡がオレンジの点で見れるので不安が解消されます。
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2/21 11:29
この区間でのAppleWatch表示はヤマレコで。両手フリーで歩けるのは利点な上に先人の足跡がオレンジの点で見れるので不安が解消されます。
滑りやすい場所にはトラロープがあり先人の方々に感謝です。
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2/21 11:32
滑りやすい場所にはトラロープがあり先人の方々に感謝です。
宝山寺と書かれた石柱。
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2/21 11:34
宝山寺と書かれた石柱。
おそらく崩れ箇所というのはこの辺りでしょう。リボンに沿って迂回します。
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2/21 11:34
おそらく崩れ箇所というのはこの辺りでしょう。リボンに沿って迂回します。
崩れ区間を迂回した先からは道の状態が良くなります。
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2/21 11:36
崩れ区間を迂回した先からは道の状態が良くなります。
丁石もありました。所々には古い治水の跡もあり昭和の水害まではハイキング道としても機能していたことが伺えます。
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2/21 11:37
丁石もありました。所々には古い治水の跡もあり昭和の水害まではハイキング道としても機能していたことが伺えます。
茶屋か何かだった石積みでしょうか。
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2/21 11:38
茶屋か何かだった石積みでしょうか。
綺麗に伐採してくれてるので歩きやすいです。
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2/21 11:39
綺麗に伐採してくれてるので歩きやすいです。
ここにも丁石。宝山寺が近いことを実感します。
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2/21 11:43
ここにも丁石。宝山寺が近いことを実感します。
右手から登山道と合流。この先で左に曲がりましたが直進方向には10mほど廃道が残っているのではと思います。
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2/21 11:44
右手から登山道と合流。この先で左に曲がりましたが直進方向には10mほど廃道が残っているのではと思います。
ここから先は歩きやすい道です。
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2/21 11:45
ここから先は歩きやすい道です。
この東屋は宝山寺側から登った場合の廃道入り口の目印になります。こちら側にも誤進入防止のロープがありました。
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2/21 11:45
この東屋は宝山寺側から登った場合の廃道入り口の目印になります。こちら側にも誤進入防止のロープがありました。
ケーブルカーの線路と並行して進みます。
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2/21 11:48
ケーブルカーの線路と並行して進みます。
丁石。この辺りの奈良盆地の眺望はとても良いです。
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2/21 11:50
丁石。この辺りの奈良盆地の眺望はとても良いです。
丁石。
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2/21 11:53
丁石。
ここを左に曲がって宝山寺境内へ。
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2/21 11:55
ここを左に曲がって宝山寺境内へ。
生駒の聖天さん宝山寺。詳しくは感想の項にブログ記事リンクを貼りましたのでご覧ください。
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2/21 11:57
生駒の聖天さん宝山寺。詳しくは感想の項にブログ記事リンクを貼りましたのでご覧ください。
この先は宝山寺から奈良側への道筋になります。かつてメインとなったのは近鉄生駒線菜畑方面に至る正面参道という道筋です。一方、生駒駅周辺は江戸時代においては小さな集落があるのみで特に需要もなかったことから大きな道筋はなく発展は大軌の開通を待たねばなりません。
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2/21 12:11
この先は宝山寺から奈良側への道筋になります。かつてメインとなったのは近鉄生駒線菜畑方面に至る正面参道という道筋です。一方、生駒駅周辺は江戸時代においては小さな集落があるのみで特に需要もなかったことから大きな道筋はなく発展は大軌の開通を待たねばなりません。
大正5年の鳥居。ちなみに大軌の開通は大正3年です。
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2/21 12:12
大正5年の鳥居。ちなみに大軌の開通は大正3年です。
かつては遊郭などがあり今も旅館が点在していますがどの施設も閑散としているように見えます。これらは交通機関が発達してなかった昔の名残りといえるものかもしれません。
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2/21 12:14
かつては遊郭などがあり今も旅館が点在していますがどの施設も閑散としているように見えます。これらは交通機関が発達してなかった昔の名残りといえるものかもしれません。
大正4年の鳥居。この区間は新参道と呼ばれケーブルカーができた大正7年まで非常に賑わっていました。この4年ほどの間が新参道の一番輝いていた時期といえます。
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2/21 12:20
大正4年の鳥居。この区間は新参道と呼ばれケーブルカーができた大正7年まで非常に賑わっていました。この4年ほどの間が新参道の一番輝いていた時期といえます。
やがてアスファルト道になり生駒駅へ。
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2/21 12:27
やがてアスファルト道になり生駒駅へ。
生駒駅でゴールとしました。
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2/21 12:32
生駒駅でゴールとしました。
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