記録ID: 298380
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ハイキング
富士・御坂
富士山 船津口登山道探訪
2013年05月16日(木) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.7km
- 登り
- 525m
- 下り
- 525m
コースタイム
船津口 車終点9:30 引き返し点13:00-14:00 船津口 車終点16:00
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
船津は、富士北麓、河口湖の南岸の地名。江戸時代後期に富士登山が大流行して、江戸からの参詣者が増えたため、大月→吉田のルートが主流になった。しかしそれ以前の富士北面の主要な登山ルートは甲府盆地から御坂峠を越えて川口湖畔に出て河口浅間神社を起点にお参りする船津ルートだったという。中道往還道という今も地図に名前が残る古い道からすんなり富士山を目指す道。 船津道は室町時代までは富士北面のメイン道だったようだが、江戸時代後期に編纂された「甲斐国史」には、その存在も触れられないほど廃れた模様だ。 しかしほぼ船津道に沿って昭和初期、バス道が作られ、五合目の小御岳まで運行していた。これを新船津道とここでは呼ぶ。これはスバルライン開通の昭和39年までに廃止になった。旧バス道(新船津道)は、おそらく直登していた古船津道の1500mを超えるあたりから離れてジグザグを切って桟敷山南コル(1786m・精進口ルート三合目)でロータリー跡を経て、そのまま精進ルートとともに登り2060mで元の古船津直登道と合流し、五合目の小御岳神社に至るというルート。 古船津道と思われる道は、バス道がスバルラインをくぐった先の標高1570mに地形図にも載っている。これを歩いた。 初めのうちは踏み跡がしっかりしていたが、標高差200mほど登ったあたりで不明瞭になった。今回はここで引き返し。 バス道(新船津道)の区間は、舗装こそしていないが50年近く前にバス路線があった道なので、荒れた林道くらいの雰囲気だが、やはり気候が厳しいのか、笹や藪などが全く覆っていない、快適な散歩に最適な道。これに対し古船津直登ルートは、不明瞭になったあたりから元に戻るのはかなり大変。行くなら藪こぎのつもりで上を目指すか、不明瞭になったら深追いしないか、どちらかである。 |
感想
出発して間もなく、溶岩樹型のタテ穴がいくつも出現する。そこに巨木が立っていて、溶岩に型抜きされ、朽ちて消えた跡。標高1400あたりで道が二股に分かれるところにお宮が祭ってある。大正時代のもの。右が旧バス道、左はトラバースして吉田ルートの鈴原社(一合目)に通じているようだ。
ずっとモミの植林地かカンバとカラマツの混淆林が続く。1480で道がまがるあたりは大規模に伐採したところで、この日も植林の仕事をしている人がいた。またモミを植えるのかな?この伐採地で唯一、河口湖を見下ろし、富士山を見上げることが出来た。白山岳が正面になるので、富士が三角に見える。クリュチェフスカヤのようだ。
道中はほとんどがカラマツとカンバの林だが、スバルラインをくぐる前後で、珍しくブナの巨木やサワグルミの高い木もある。シャクナゲも多い。花はまだつぼみ。あしもとにはスミレが少し咲いている。1600m付近では、地衣類の薄緑のモワモワが地表を覆っている美しい森もある。渓流が無いから富士山はあまり瑞々しくはない。しかし地表には地衣類と苔が豊かに蓄えられている。
道が怪しくなってからはテープを巻いて進むが、そろそろ引き返しましょうかというところで、その前に長く腰を下ろしてリラックスしたら、うっかり油断して降りる方向を間違え、危うく藪こぎ下山になるところだった。慣れた者だけならそれでもよいが、初心者が居る場合はまずい。次に続くトラブルの原因になる。怪しくなったら、最後に確かだったところまでなるべく早い段階で愚直に戻るのみ。
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