211031の(1) 8月のリベンジに来た霊山 晴天と紅葉で大満足
- GPS
- 02:19
- 距離
- 4.9km
- 登り
- 375m
- 下り
- 386m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 次の記録に飛びます。 |
写真
感想
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(210822の(1) 信夫山から古関裕而記念館を見学して福島駅まで歩く)
今年の8月、福島県に遠征し霊山に登ろうと思い、道の駅「りょうぜん」に車中泊したが結局雨天で登ることができなかった。よってこの日は信夫山をチョイスしたのだが、この記録に地元のk-925さんから「霊山は紅葉の季節が良い、奇岩と紅葉でなかなかの景色です。」と、コメントがついた。それで、紅葉の季節にぜひ霊山に再訪したいというモチベーションが上がったのである。
この週は、土曜日の午前中は仕事、その代休が月曜日。よって、土曜午後から月曜日までの2日半の休暇だ。それだったら福島まで遠征ができる、結局土曜日の午後、東北道を北に向かった。
高速道路の深夜割り、食堂で朝食を食べてから霊山に向かいたい、土曜夜の「博士ちゃん」の「日本百名山博士ちゃん」が見たいということで、安達太良SAを選択、車中泊となった。
朝5時台に蕎麦の朝食をとり、霊山ICで高速道路を降りるが濃霧のため道の駅「りょうぜん」に一時避難。1時間ほど休憩の後現地に向かった。
霊山は「日本百景」にも選ばれておる景勝地である。登山口近くには100台程度の駐車場があるが、私は最後の3台目に滑り込んだ。そして、この時期の土日には、様々な物産販売などが行われているそうで、たくさんのテントが並んでいた。
準備をしながら、駐車場案内の地元の方に「へぇ、横浜ナンバー、昨日出発したの・・・」などと会話を交わす。きれいなトイレで用を澄まし、出発した。残念なのはログの入れ忘れに気づくのに300mほど歩いてしまったことだ。
この奇岩群が天然の要害として活用されるのは、霊視的に必然のことである。
859年(貞観元年)に慈覚大師円仁によって開山された。山の名も釈迦が修行したインドの霊鷲山にちなんで円仁によって名付けられたと伝わる。円仁が霊山寺を創建したことで東北山岳仏教の聖地となった。
南北朝時代には北畠顕家の拠点となり、1337年8月に顕家が西国に出陣した後、1347年に霊山城が落城したことで歴史の表舞台から姿を消した。
修行の地として、そしてお城として活用されていたのである。また、「国司」に関する遺跡が多数残っているので、実際にここに中央から赴任した国司が住んでいたのか、国を受領した地元の人が住んでいたのかはわからないが、非常に興味がそそられる場所である。
なお、登山道は難しいところはほとんどない。あとは、コロナ禍で増えてしまった体重、そして息苦しさとの戦いのみであった。
2時間程度で戻ってきたが、全部を味わうのであればいろいろな枝尾根や、奇岩がありそれらを巡ることもできる。地元の人が「ここは下りられるんだよ」と道もないところを下っていくのを何度も見た。
いやあ、紅葉と景色と歴史で一杯になって下ってきた。
下ってくると、横浜ナンバーであることは近くの案内人に知られており、まずは女性に声をかけられた。
「この下に温泉あるから入っていけばいいよ。お店で何か買ったら割引券がもらえるよ。」と言われたので、甘いものが食べたいと思う和菓子屋さんへ、大福と草餅を買った。しかし、温泉の割引券はもらえなかった。そして、今度は男性に声をかけられる、「お兄さん、2時間くらい?早いねぇ、せっかく横浜から来たんだったら鹿狼山に登っていけばいいよ、あそこだったら2時間で登れるし海がばっちり見えるよ。」
確かに、温泉に入るには時間はまだ早い。実は、鹿狼山は明日登ろうと思っていた山で、カーナビにももう入っている、この時間からだったら、今日登ってしまえるかもしれない、そう思って車を出した。下からまだまだ霊山を目指して車がやってきている、車の中で勝った大福などを食べている余裕はない。
温泉の駐車場もいっぱいでとても駐車できない、それも確認して一気に相馬市方面に向かった。
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