鳥羽山城(静岡県浜松市)



- GPS
- 04:20
- 距離
- 8.7km
- 登り
- 195m
- 下り
- 179m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2021年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
山腹にジグザグに取りついた道沿いには昔からの石積みが残る。
本丸の西側には上段の土塁部分と下段基底部の2列にわたって石垣が巡る。下段の石垣(腰巻石垣、鉢巻石垣)では、間詰に河原石を用いた鳥羽山城特有の技法が観察できる。天竜川からの景観を意識したものと推定。
感想
【城名】鳥羽山城(静岡県浜松市)
【別名】--
【場所】静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島(鳥羽山公園)
【形式】山城
【地目】公園
【立地】丘陵
【規模】ーー
【築城】不明
【築城者】不明
【城主】徳川氏,大久保忠世
【標高(比高)】108m(60m)
【見所】石垣(大手道両側、大手門、東門、大手門から東門までの本丸土塁外側、搦手門、本丸西側に鉢巻石垣と腰巻石垣),土塁(本丸周囲),郭,堀(未確認),井戸(未確認),礎石,排水用暗渠(大手門と東門),庭園跡(本丸西端)
【訪城日】2021/12/25
【訪城時間】2時間41分 ※西鹿島駅から徒歩にて鳥羽山城を経て鳥羽山城北麓まで
【概要】東西500m以上に及ぶ標高108mの独立丘陵を巧みに加工して築城されている。各曲輪は稜線上に西から東に延びておりかなり大規模なものと推定。主郭は丘陵西端の最高地点に作られ、その形は円形で土塁をめぐらし、外側の基部には石垣をめぐらしていて良好な状態で残る。発掘調査により本丸に建物礎石や庭園跡が確認。本丸に至る幅6メートルの大手道が石垣で荘厳化されていて見所。これだけの規模の大手道は、同規模の城郭としては破格。以上の特徴により鳥羽山城は単なる軍事施設ではなく迎賓館としての機能を備えた領主の居館と推定。隣接する二俣城は天守が築かれ、瓦葺の門が建てられるなど、軍事的な機能に優れた本格的な城郭だった。以上によりこれらニ城はその性格が対照的であり、別郭一城と呼ばれる一連の城であると読み取れる。
本丸東側の石垣は鳥羽山城で最も高く積まれる。用いられた石材も大きく大手道から入城する際の景観を重視していたと推定される。
本丸の西側には上段の土塁部分と下段基底部の2列にわたって石垣が巡る。下段の石垣(腰巻石垣、鉢巻石垣)では、間詰に河原石を用いた鳥羽山城特有の技法が観察できる。天竜川からの景観を意識したものと推定。
大手門は外枡形の構造で東からのびる大手道に対して南向きに開く。城を立派に見せるため周辺の石垣は大きめの石材を使用し高く築かれており、河原石による間詰も丁寧に行われている。門跡西脇基部には排水のために暗渠が見られる。周辺から瓦が出土していないことから瓦葺の門ではなかったと考えられている。
東門は外枡形の構造で他の門と比べると間口が半分くらいの小さな出入り口で、規模や位置から通用門として使用されたと推定。門跡周辺の石垣の上部は後世の改変を受けているが、下部では河原石の間詰を用いた野面積の石垣を見ることができる。
また、門跡北脇の石垣基部には排水のために設けられた暗渠が確認されており、本丸の外側にのひる排水溝には蓋も残る。
発掘調査により本丸西側に庭園遺構が発見された。水を使わない枯山水式の庭園で石組と築山が見つかる。立石が水の流れを表現していて京都の作風と共通している。庭園奥の土塁の石垣は他の石垣とは違い、小ぶりな丸石を使うことで趣を出す。
この庭園は建物の小間から近距離で眺める坪庭のような空間だったよう。山城の本丸に庭園を設けた例は少なく、この城が迎賓機能を備えた居館であったことを示している。
主郭南端からの展望はよく開け、笹岡城、二俣城に比べ最も防御に良い地形。
今は鳥羽山城南岸を流れる天竜川は当時ニ城の間を流れていた。
【歴史】鳥羽山城と二俣城は天正18年(1590年)桶狭間の戦いを契機に今川氏によって築かれたと考えられている。永禄11年(1568年)今川氏の滅亡により家康が領有。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いで信玄に攻略された。後長篠の戦いがあった天正3年(1575年)まで徳川・武田両軍による攻防戦が展開され、武田方のこもる二俣城を家康が攻める際には鳥羽山城に本陣が置かれた。後天正18年(1590年)までニ城は徳川方が領有したが、家康の関東移封に伴い豊臣系の大名堀尾吉晴が浜松城に弟堀尾宗光が二俣城主となった。その頃ニ城は石垣が築かれるなど現在見られる姿に整備された。
関ヶ原の戦い後戦略拠点としての重要性が失われて廃城となった。
【アクセス】
天竜浜名湖鉄道「二俣本町」駅から徒歩約10分。
車は、国道152号経由。駐車場あり。
公衆トイレあり。
【備考】-
【訪城記録】
浜松駅から天竜浜名湖鉄道西鹿島駅下車徒歩にて鳥羽山城、二俣城、清龍寺、本田宗一郎ものづくり伝承館を経て訪城。
浜松からの便は西鹿島駅が終点最寄りの二俣本駅までは乗り換える必要があるが、接続が悪い。また西鹿島駅からバスも出ているが、歩いても大した距離ではないと歩いて向かう。
鹿島橋南詰から対岸の鳥羽山城が見える。
細い歩道橋を渡ってすぐのところに筏問屋田代屋の案内を見つけ前だけ通っていこうと右に道をとる。線路をくぐってすぐに田代屋があった。もともと見学する気はなかったが休館日ということで写真だけ撮る。
田代屋は家康に協力したということで筏流しに関する利権を得、明治になるまで代々庄屋を務めてきたとのこと。現存する建物は安政6年(1859年)に建てられたものとのこと。また、この建物は十分の一の税を徴収する番所としても使用され役人も詰めていたことから冠木門が設置されている。
田代屋の庭先から鳥羽山城のある裏手の山に城に通じる鳥羽山古道なる道の案内に従ってそちらに進む。江戸、明治期に鳥羽山越えの道として利用されたとのこと。
山腹にジグザグに取りついた道沿いには昔からの石積みが残る。
10分足らずで古道は尽きて車道に出、城を目指す。ほどなく大手道の案内に出会う。その先に広い駐車場があり大きな案内板が見えたのでそちらに向かう。駐車場は二箇所あり、どちらも帯曲輪跡とのこと。
案内板で概要を把握し大手道分岐に戻って大手門を目指す。両脇に石垣のある立派な石畳の道が大手門まで通じている。大手道に入ってすぐ東側にお稲荷が祀られていた。
大手門手前右手に東曲輪(二の丸広場)が、大手門正面に南曲輪1,2がある。
東門の上には橋が渡され本丸を囲繞する土塁上に道がついている。本丸南側には展望台があり南への視界が開ける。
本丸搦手門を出た北東側にわんぱく広場がある。どう見ても曲輪だが、そういった説明は見当たらない。
本丸内は公園として整備されベンチ、トイレなどが設置されている。
本丸西北に笹曲輪(見晴らし広場)があり、展望台がある。本丸西側に帯曲輪(お花見広場)まで下りられるローラーコースターがある。
いくつか俳句か何かの石碑が建つが読めない。
一通り見学して本丸西側につけられた車道を鳥羽山城北麓まで降りて二俣城に向かう。
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/8010730880
▼二俣城(静岡県浜松市)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3865491.html
▼笹岡古城(静岡県浜松市)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3865173.html
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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