二俣城(静岡県浜松市)



- GPS
- 04:20
- 距離
- 8.7km
- 登り
- 195m
- 下り
- 179m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2021年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
【城名】二俣城(静岡県浜松市)
【別名】蜷原城
【場所】静岡県浜松市天竜区二俣町二俣(城山公園)
【形式】山城
【地目】公園
【立地】台地
【規模】ーー
【築城】文亀年間(1501年〜1504年)か
【築城者】二俣昌長か
【城主】
二俣にはこの城を含め城址が三か所ある。この城のすぐ南にある鳥羽山城、現在区役所がある笹岡城である。当時この一帯は二俣郷と言われていたため、当時の文献に二俣城とあってもどの城を指すのか特定は難しい。
ここでは笹岡城を斯波・今川両氏の抗争期から永禄期(1500年前後〜1560年)までと考え、二俣城・鳥羽山城を徳川・武田両氏の抗争の場となった永禄期から元亀・天正・慶長初年(〜1600年前後)までと考え、歴代二俣城主をまとめる。
笹岡城
文亀 1501〜3 斯波義雄(斯波領)
永正(3) 1506 瀬名一秀(今川領)
永正18 1521 (朝比奈時茂)(同上)
永正末〜 ー 二俣昌長(同上)
享禄初年 ー (斉藤四郎右衛門)(同上)
享禄末 ー 松井貞宗(同上)
天文初
永禄2 1559 松井宗信(同上)
二俣城
永禄3 1560 松井宗恒(同上)
永禄11 1568 鵜殿氏長(徳川領)
元亀3 1572 青木又四郎 中根正照(同上)
元亀3 1572 三浦馬助 小原宮内亟 小山田六左衛門(武田領)
天正2 1574 依田信蕃(同上)
天正3 1575 大久保忠世(徳川領)
天正12 1584 酒井重忠(忠世出陣につき)(徳川領)
天正18 1590 堀尾氏(豊臣秀吉家臣)
慶長5 1600 廃城
以上案内板(『天竜市史上巻』より)より
【標高(比高)】90m(40m)
【見所】天守台、曲輪(北曲輪、本丸、二之曲輪、蔵屋敷、南曲輪、西曲輪)、堀切(二之曲輪南、蔵屋敷南、北曲輪南と西)、虎口(本丸北、二之曲輪南北、蔵屋敷南)、桝形門跡(本丸東)、石垣(本丸、二之曲輪、蔵屋敷)、土塁(本丸周囲、二之曲輪)
【訪城日】2021/12/25
【訪城時間】1時間30分 ※城山南麓から清瀧寺まで
【概要】
台地上に築かれた二俣城は北から北曲輪、本丸、二之曲輪、蔵屋敷、南曲輪がほぼ一直線上に配置されている。天守台のある本丸の南北にそれぞれ虎口が開いている。北虎口は喰い違い虎口である。本丸西側には小さめの野面積みの天守台が残る。二之曲輪跡には桝形門の跡が残る。二之曲輪と蔵屋敷の間、蔵屋敷と南曲輪の間には堀切が残る。
【歴史】
永禄11年(1568年)12月から天正3年(1575年)12月までの7年間、二俣城は徳川・武田両軍の攻防の舞台となった。二俣城は天竜川と二俣川の合流点に位置する要害であり、遠江の平野部と北遠の山間地方とを結ぶ交通の要衝であったからである。
〈元亀3年の攻防〉
元亀3年(1572年)10月、信玄は大軍を率い、信濃を経て遠江に侵入し二俣城を攻撃した。武田軍は力攻めの方法を取らず、城の水の手を断つ作戦を選んだ。徳川軍の城兵が岸に櫓を建て、つるべで天竜川から水を汲み上げているのを知り、武田軍は上流から筏を流してこれを破壊した。こうして二ヶ月ほどで二俣城は陥落した。※清瀧寺の井戸櫓はこれを移設したものか?
〈天正3年の攻防〉
天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで勝利を得た徳川軍は武田勢を一掃すべく二俣城の攻撃に着手した。鳥羽山に本陣を置き、毘沙門堂、蜷原、渡ヶ島に砦を築き二俣城を包囲した。武田軍は7ヶ月で兵糧が底をつき城を明け渡した。そして二俣城には大久保忠世が入城し、徳川氏が関八州へ移封する天正18年(1590年)まで在城した。
この間大規模な修築が行われ天守台をはじめとする諸施設を構築したと考えられている。
大久保忠世が在城中に起こった事件として家康嫡子信康自刃事件がある。母築山と武田氏に内通した疑いを信長に持たれ、天正7(1579年)9月15日この城で切腹させられた。
信康が21歳で自刃した際その遺骸は清瀧寺に葬られた。天正9年家康が清瀧寺を訪ねた時、清水の湧き出るのを見て清瀧寺と命名。他に城主であった大久保忠世、三方原の戦いで討ち死にした中根正照、青木又四郎らの墓もある。
【アクセス】
鉄道利用
・浜松駅から遠州鉄道新浜松駅→ 西鹿島駅から山東方面行きバスで約10分、「城下通」下車、徒歩15分
・天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」から徒歩約10分
車利用
東名高速道路を利用する場合:浜松ICから約35分
新東名高速道路を利用する場合:浜松浜北ICから10分
※城山北西麓に駐車場あり
【備考】-
【訪城記録】
浜松駅から天竜浜名湖鉄道西鹿島駅下車徒歩にて鳥羽山城を経て、二俣城、清龍寺、本田宗一郎ものづくり伝承館を訪ねる。
浜松からの便は西鹿島駅が終点最寄りの二俣本駅までは乗り換える必要があるが、接続が悪い。また西鹿島駅からバスも出ているが、歩いても大した距離ではないと歩いて鳥羽山城に向かう。
鳥羽山城北麓側に降りて天竜川左岸堤防道を北上し、城山南麓から訪城。
遊歩道を上り詰めると二之曲輪の南西虎口につきます。右手に蔵屋敷との間に掘られた堀切があります。見ごたえがあります。
二之曲輪には稲荷神社が祀られています。神社を右手に見て左手に進むと立派な天守台が目に入ります。天守台に登れます。天守台のある本丸と二之曲輪周囲には土塁が巡っています。本丸北側には喰い違い門があります。門の右手に詳細な縄張り図のある案内板があります。縄張り図は上が北ではないので位置関係が分かりにくく苦労しました。
最大の見どころは天守台跡です。荒々しい野面積みの石垣がよかった。本丸、二之曲輪、蔵屋敷の周囲に石垣が残ります。二之曲輪東側の虎口の石垣も立派でした。
縄張り図には一之門、二之門、馬出、桝形門、腰曲輪など描かれていましたが、それらの跡があったというだけでそこを示す案内や遺構そのものはありませんでした。
西曲輪と南曲輪は行けたのかもわかりませんが未確認です。
二之曲輪東の虎口から続く階段を下りて北東側に降りていくとそちらが正式の登り口のようで登城口の案内板があり、数台駐車できるスペースがありました。
そのまま北方向に道をとり案内に従って二俣城の遺構である井戸櫓と信康の廟がある清瀧寺に向かいました。
遊歩道は竹藪を抜けて二俣小学校の北側を抜けて信康通りと名付けられた車道に出ます。少し北に進むとすぐに本田宗一郎ものづくり館と隣接する清瀧寺に出合います。二俣城北麓から10分ほどでつきました。
井戸櫓は武田軍の流した筏で破壊されたはずですが、清瀧寺にあったのはその後二俣城に再び作られたものが移されたのか、破壊されたものを修理して移築したのか、復元したものなのかわかりません。
境内の奥に信康廟はありました。二俣城と鳥羽山城の縄張り図がここで買えるとありましたが、寺は無人で買えませんでした。
ついでにものつくり館に立ち寄って無料で見学しました。ここで御城印がもらえるという情報もありましたが、限定販売だったとのことで入手できませんでした。
この後笹岡城に向かいました。
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/8010730880
▼鳥羽山城(静岡県浜松市)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3865485.html
▼笹岡古城(静岡県浜松市)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3865173.html
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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