アイランドピーク@ネパール
過去天気図(気象庁) | 2014年03月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
飛行機
帰路:4/23 13:30カトマンズ発−18:15バンコク経由 22:45バンコク発−4/24羽田着 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・ルンゼ:ルンゼ内は岩肌に溶けた水が氷り、滑りやすい。 ・氷河の末端:アイゼン装着ポイント。雪が多い場合にはもっと手前でつける。スノープラトーではクレバス注意。箇所によっては梯子が掛けられている。クレバスの辺縁はもろいので注意。 ・氷壁手前:アイスフォールを右手に避ける。 ・氷壁:ガイドのリードにて進む。落石注意、メットの着用。 ・山頂直下のナイフリッジ:氷化している、突風による滑落注意。特に、下りはローツェ側に落ちないよう、細心の注意を払う。 |
写真
感想
3/28 日本を発つ
深夜00:20、まずはバンコクへ向かう。飛行機に乗るのはおそらく4年ぶり。緊張したが、飛び立つときのワクワク感はやはり好きだ。
早朝バンコクに到着。5時間待ちのあと乗り継いで、カトマンズのトリブバン空港へ到着。あ、暑い。臭いと肌で、異国に来たことを感じる。
空港の外にはたくさんの人だかり。みんな叫ぶようにして何か言っていて、こわい。。
「迎えが来るまで外には出るな」と事前にお達しがあったので待っていると、ガイドの方ががやっと来てくれた。一緒にタクシーで宿へ向かう。
ぼろぼろの建物。道端で何かを叫ぶおばあさん。たくさんの車やバイク。窓から見た景色は、どれも衝撃的だった。
宿にてご主人、奥さんと話し、ネパールのことについて教わる。日本人の登山者がよく訪れる宿で、お二人とも英語より日本語の方が堪能だ。
夜ごはんは他の泊り客と山の情報交換。シャワーは水しか出ず、今日は我慢。。
3/29 ルクラtoパクディン
早朝再び空港に向かう。今度は国内線乗り場へ。多くの人でにぎわっている。
チェック・インでは現地の人が横入りするのでなかなか進まなかった。なんとか済ませ、飛行機乗り場へ。
おもちゃみたいな小さなセスナ機。10人ほどしか乗れない。大きなプロペラの音とともに飛び立つ。風で時々揺れるのでスリル満点!
やがて衝撃を感じた。無事到着したらしい。
空港の外にはまたしてもたくさんの人だかり。ガイド、ポーターの勧誘だろう。
声を掛けられたので断ると、その人が約束していたPさんだった。
Pさんは21歳大学生。ガイド見習いだそうだ。日本語の勉強をしており、英語、ネパール語の3つで宿に着くまでたくさん話をした。
3/30 toナムチェ
今日もPさんと二人で歩く。私の荷物をほとんど持ってくれているのに歩みは軽い。
途中とっても大きな荷物を抱えたポーター、ゾッキョの列とすれ違う。
道端にはたくさん糞が落ちていて、踏まないように神経を使った。。
昨日よりも登りはややきつい。大きな橋を越え、さらに登るとナムチェに到着!
宿で本隊と合流。予定通り来られてよかった。
3/31 toターメ
これからは現地のガイドBさん、見習いPさん、クライミングシェルパSさん、
一緒に登る日本人の仲間Hさん、Gさん、Aさん、Tさんの8人で歩く。
仲間は登山の経験豊富な方々で、道中たくさん話を伺った。
ターモでは、かつて『小さな巨人』と称賛されたシェルパさんに出会い、温かく歓迎してくれたことがとても嬉しかった。
夜にAさんと話していて、「無事に帰れた時、山から下りると登らせて頂いてありがとうと思うよ」という言葉が印象に残った。
この時、話せて本当によかったとつくづく思う。
4/1 to ルンデ(2泊)
はじめて4000m台に到達。すでに富士山を上回る高度だけれど、周りの山が高すぎてそんなに高いと感じない。
高度順応のため2泊。軽度の頭痛。他の人も食欲不振、消化不良などの症状あり。
順応のためには寝ているよりも動いているのがよいらしく、皆でお散歩したり、一人で歩いて近場でヤクのカルカ(石を積んで作った囲い)の絵を描いたりしていた。
4/3 to レンジョパス、ゴーキョ
行動時間が13時間以上になる見込みで、早朝暗いうちに出発。動き続けているのに、日が出るまで全く体温が上がらなかった。
震えながら指先を心配する。動かし続けるしかない。
4000m台から5360mの差に驚く。
最後は石段が続く。休んで息を整えては進む。
12時ごろ、やっと到着。皆で喜びを分かち合う。
雲行きが怪しい。早々に下山開始するも、途中で吹雪となった。
行く手のゴーキョは見えるも、なかなかたどり着かない。日本の山とのスケールの違い。
一瞬にして雪がやみ、太陽の光が差した瞬間があった。きれいだ、息を飲む。
夕方ごろやっと宿に到着した
4/4 to ゴーキョピーク
全員疲労抜けず、ゴーキョピークだけ行ってステイすることに。
宿のすぐ隣、頂上も見えているのに、登れども進まない。
頂上からはチョー・オユー、タムセルク、カンテガなど、見渡せる。
横にあるエメラルド色の湖は一面氷だった。
4/5 to タンナ
3時間ほどしか歩かなかった。
散歩すると、ヤクがたくさんいた。
飼い主のお兄さんはしきりに何かを作っている。
「それは何?」と聞いた、どうやら毛糸を編んでいるようだ。
ヤクを簡単に移動させるのを不思議がっていると、「簡単さ、ヤクはお利口さんなんだよ」と。
4/6 to チョラパス、ゾンラ
呼吸は問題なかった。少し自信を持って歩を進める。
峠直下の急登はガレ場と氷、雪のミックスで、トレッキングシューズで登るのにかなり不安を覚えた。道がかなり悪い。
峠を過ぎ、チョラツェ、タウツェが見える。
さらに行くと、アマダブラムが大きく見えた。美しい山だ。
登りたい。でも、次なんてあるのだろうか。。
霧の中、ゾンラへ到着。
宿の横は切れ落ちており、霧で見えない。映画『ランゴリアーズ』のようだ。
4/7 to ゴラクシェップ
不調のメンバーと一時分かれることに。
ゴラクシェップまでの道はいわゆる『エベレスト街道』であり、今まで通った道よりもかなり人が多い。
NZ人の二人組と話が盛り上がる。エベレストを目指すそうだ。
夜はバイオリンの旅人によるバイオリンの演奏、素敵な時間だった。
話しかけたら、「今度は君がチェロを持ってくるんだよ」とからかわれた。
その場で出会った単独校の日本人男性と仲間で話をしたが、底の見えない異様な目に私は怖くなって、早々に部屋に戻った。
4/8 to カラパタール、ディンボチェ
4時出発。カラパタールも丘にしては登り応えがあった。
雲が無く、天の川、星々が本当にきれいだった。休憩の度に空を仰ぐ。
空の色が変わり始めたので頂上まで走る。
エベレストはその頭を覗かせている。左背後にはプモリ。
夢中でシャッターを切った。数分ごとに空は表情を変えていく。
日の光を浴びて、山が輝いている。なんて美しいんだ!
下ってから、仲間の待つディンボチェへ。
行く手にアマダブラムを眺め歩くこの道が一番好きだ。
4/9 ディンボチェ stay
ピーク登山前に家族や友人に最後の連絡。
親は気を付けてと。
帰ったら親友の式が控えている。私の勘違いのせいで、お互い気がかりができてしまったままwifiが切れてしまった。。
夕食時の話し合いで、明日B.C.まで行くことになった。
目指すピークは近い。
4/10 to アイランドピークB.C.
2時間半ほど歩き、チュクンに到着。さらに3時間歩きB.C.へ到着。
大きな砂利山の横を通過する。この向うにイムジャ湖が広がっているらしい。
温暖化で氷河が溶け、そのうち崩壊するかもしれないそうで、チュクン、ディンボチェにまで及ぶそうだ。
B.C.へ到着、テントは10張り以上あった。
夕食。リーダーの人といろいろ話をした。
明日を思い寝た。
4/11 to B.C. to アイランド・ピーク to チュクン
午前1:00に起床、朝食は問題なく食べられた。1:45には出発。
少し登ると岩場、かなり悪いガレ場が続く。暗い中、冬靴で登るにはきつい。
500mほど登ったところで段々と体がつらくなってくる。
ようやっと『クランポン・プレイス』と呼ばれる氷河と雪のある場所に着いたころには夜は明けていた。
ここからはアイゼンを効かせて氷の急登を登る。
ところどころ氷河はパックリ口を開けており、予め張ってあったフィックスロープとアッセンダー、ピッケルを使いながら登る。
ほんの2mほどの小高い部分を越えるだけでも、確実に体力は消耗していく。
下を見ると、底の知れない死の隙間が広がっていた。
歩いている間に崩れないとも限らない。落ちない保障などない。
それを越え、ようやっと『スノー・プラトー』(氷河の平らなエリア)までやってきた。
ずっっと先に、垂直にそびえる氷壁が見え、人が点となって張り付いていた。最後の200mの氷壁だ。
後続のメンバーが進まなくなり、自分はシェルパと二人で進む。
徐々に坂になっていく。息がとにかく苦しい。5歩進んで休みを繰り返す。
先を歩くシェルパはどんどん進む。体の疲労はこの時点でかなりたまっていた。このままで氷壁を登れるのだろうか。。
9:30、ようやく氷壁の取り付きに到着する。2口くらい昼食をとり、休んだが、体力はほぼ回復しなかった。
息は整い、氷壁を登り始める。
張ってあるロープを利用しアッセンダーを進め、片手にはピッケル、アイゼンの前爪を蹴って氷に刺し上に進む。これをひたすら繰り返す。
苦しい。息が辛すぎてすぐに動けなくなる。
少し整えて、一歩進み、休むの繰り返し。
全然進んでいる気がしない。何度上を見ても近づいている気がしなかった。
苦しくて息を吸っても、酸素は体に入ってこない。
段々と一歩ごとに1、2分休まないと動けないようになってきた。
その度、前方のシェルパは「push up!」と声を掛けてくれ、それに反応して体を動かすだけの状態になった。
もうこの時点で降りてもよいのではないかと。何十回も思った。
でも、これを越えたら何かが拓ける気がして、とにかく上を見上げた。
5ピッチほど繰り返し、ようやく最後の1ピッチ。頂上が見えた!
最後は勢いで、意地しかなかった。そして、やっとの思いで登りつめられた。心はすでに真っ白だった。
頂上まではナイフリッジを数m進み、10:50、狭い頂上へ。登頂できた。
ワッと涙がでた。
ずっと、頂上では達成感でいっぱいになるのだろうと思っていた。
でも実際は、とてもおおきな「ありがとう」という感謝の気持ちが沸き起こってきた。
生きてこれたこと。
出会ってきた人々、親や友人、仲間。いつも支えてくれた人たち。
たくさん笑ったり、泣いたりしてこられたこと。
私を私として生きている今、この心と身体。
登山はずっと、自己の満足なのかと思っていた。
でも、この時この瞬間は、すべての人やものに、感謝することができた。。
後続の仲間も無事に登頂、狭い山頂にはいられないのでわずか10分居たあと、私は退いた。
懸垂下降、下の他国チームがかなり時間がかかっている。
風が出てきて無い体力をますます消耗する。
後方の仲間も手こずっている様子、私の都合もあり、シェルパと私は先に進んだ。
ガレ場を下り、B.C.を過ぎ、吹雪き始めた中、荒涼とした土地をチュクンまでひたすら歩き続ける。脚はもう使い物にならない棒だった。
ヤクの糞を燃やす匂いがしてきた。村は近い。
17:30、チュクンに到着した。
4/12 to ディンボチェ
意外と冷静に荷物など片付け休めた。
B.C.から後続の仲間たちがやってきた、無事に合流できたことを喜ぶ。
ディンボチェまで『カントリーロード』を歌いながら歩いた。
到着後はwifiで皆に連絡。皆気にかけてくれ、すぐに返信してくれた。
有難かった。
4/13 to キャンヅマ
昼にジョン・クラカワーの『in to the wild』の青年の話が出た。
私はずっと、あの青年みたいになりたかった。
4/14 to ルクラ
昨晩の夕食時に、85歳の細いご婦人と出会う。
何十回もネパールに来て、エベレストを目指しているらしい。
なぜ山はこんなにも人を魅せるのだろうか。
エベレスト・ヴュー・ホテルを通り過ぎ、一度見たかったシャンボチェに寄り道する。苔むす静かな村で一泊したかった。
ナムチェで休憩後、ここからは一気に空港のあるルクラへ向かう。
雨が降り、随所に春の花が見られた。
まだ2000mはあるが、草木があるのはとにかくほっとする。
長い長い道を経て、最後のゲート。くぐり、にぎやな夕方のルクラへ到着した。
晩はキッチン、ポーターの子たち(殆どが10代!)にお礼。
みなで乾杯した。
4/15 to カトマンズ
天気は快晴、今日は多くのフライトが飛びそうときいた。
8時頃の便が取れ、少し外を出歩く。
甘いパンを食べられて、幸せだった。呼ばれ、焦って空港へ。
ポーターたちに別れを。
フライトの順が来た。
相変わらず転がり落ちるように、でも無事に飛行機は飛び立つ。
今までずっと眺めてきた山々が窓越しに見えた。
ジリまでの山道が細長く見えた。
カトマンズの空港へ到着、宿へ。
3週間ぶりのシャワーはとにかく最高だった。
昼は贅沢に、ムスタン製の蕎麦を食べ、仲間と別れた。
ここからは、一人で1週間ほど旅をした。
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