野根山から全山巨木山へ
- GPS
- --:--
- 距離
- 14.0km
- 登り
- 982m
- 下り
- 993m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
尚、ここに高知市方面から向かう場合、かなりの時間を要する。一旦、室戸市東部の海岸に出た後、佐喜浜から佐喜浜川を遡って内陸深くに入らないといけないからである。しかし全国的にも稀な巨木群の山があるから、時間をかけて行く価値は十分ある。 国道の佐喜浜の分岐には道路標識は出ていない。根丸谷川橋を北に渡った先の十字路を西に県道368号に折れる。 県道は民家がなくなると未舗装林道になる。特に迷い易い分岐はないが、地図は頭に入れておくように。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
本来予定していたコースは、段林道から段の谷山(林野名)の巨木群を巡り、野根山街道から野根山に登頂後、岩佐峠から、段林道起点より西に延びる林道に下り、段林道入口の駐車場に戻る、という回遊だった。そのコースタイムは徳島新聞記者の著書によると、5時間弱。 尚、段の谷山には前回の投稿でも触れたように、四国第二の巨杉を始め、巨木や大木が30本以上あり、全てに簡易案内板が設置されている。これだけ多くの大木群があるのは全国的にも稀ではないだろうか。 しかし、往路の段林道の歩きが長時間になるため、段の谷橋から北に尾根を上がって、直接、段の谷山登山口に出ようとした。が、尾根を取り違えて西に進んだため、仕方なく国有林と民有林との境界道を直上して野根山街道に出て、野根山に登頂後、岩佐峠から段の谷山分岐へと引き返し、本来、往路に利用しようと思っていた段の谷山登山道を下って段林道へと出た。 国有林と民有林との境界道は、段林道入口に至るまで(車での移動中)にある室戸ジオパーク案内板には登山コースの一つとして記載されているが、これは元々境界を明瞭にするために尾根上を刈り分けただけのものであり、「登山道」と呼ぶには語弊がある。ヤマケイの「高知県の山」(旧版)でも難路として記載されている。 |
写真
感想
[段林道~段の谷橋~国有林境界尾根~野根山街道~野根山~岩佐関所跡~段の谷山~段林道]
四国第二の巨杉を始め、30本以上の大木を擁す段の谷山は室戸ジオパーク「段ノ谷山サイト」と林野庁の「佐喜浜躍動天然杉郷土の森」に指定されており、登山道や道標、駐車場、トイレ(駐車場と登山口手前)が整備されており、登山道は野根山街道・地蔵峠の東方に繋がっている。
ただ、登山口に至る段林道入口にはゲートが設けられているため、林道を一時間以上歩かなければならない。公共交通機関を利用することが多い、都会の登山愛好家やハイカーにとってはたいした時間ではないかも知れないが、地方の者にとっては、これは耐え難い時間と言える。
そこで段の谷橋袂から尾根を北上して、林道をショートカットしようと思ったのだが、途中から斜面を西に進んでしまい、気が付けば高度計高度が580mになっていた。もうここまで西に進んでしまったら、引き返すことはできないので、933m独立標高点と野根山の中間地点から南に派生する尾根に乗ることにした。この尾根は国有林と民有林の境界になっているので、森林官が数年に一度、刈り分けているはずである。しかし地形図の等高線がつんでいるように、最初は急登が続く。
地形図の破線やジオパークの案内板に記載されているこのコースは、標高770m地点で尾根を逸れ、北東にトラバースしていくようになっているが、明確な分岐には気付かなかったので、野根山街道に出るまで尾根を直上することにした。
尾根の向きが北西から北に変わった地点から先は、尾根の西斜面一帯が伐採されており、展望が開ける。ツツジも見られる。眼前には鋭角的なピークが見えているが、この後、同様のピークが連続する。
やがて北西方向に野根山街道の尾根越しに野根山が見えてくる。
街道に出て、西へと下ると南方向が開け、土佐湾から太平洋まで遠望できる。しかし紫外線の影響か、陸地と海との境が混然となっている。
野根山から南西に伸びる尾根が街道に接する地点から、野根山登山道が分岐しているものと思っていたが、赤テープ一つない。なぜこの最短ルート(東方から登る際)がコースになっていないのか、不思議に思うが、構わず藪をかき分け、尾根上を目指す。すると間もなくスズタケを刈り分けた正規の登山道に出た。
上部に行くに従い、スズタケは姿を消し、下草の生えた植林になるが、山頂が近づくと、倒木だらけで、くぐったり、乗り越えたりと若干厄介になる。
そんなこともあり、当初、街道から十分台で登頂できると思っていた野根山は、20分かかってしまった。確か、'90年代前半以前に出版された各書籍では、野根山山頂からの展望は悪いように記述されていたと思うが、現在は三角点の裏へ回れば、胸のすく展望が得られるようになっている。遠望する陸地と海との境界は、やはりはっきりしない。
復路はコースとされている道を下って行った。この道はピークを越えて下り、三叉路に突き当たる。ここには香川県の山岳会の手製のプレートが設置されている。ここは右折した。左に行く道は街道に繋がっているようである。
今日分かったことだが、これらの道や分岐は販売されている地形図には記されていないのに、ヤマレコの地形図には記載されている。恐るべしヤマレコ。
山肌を辿るようになると、ほどなくして岩佐関所跡の岩佐峠へ出た。
関所跡に出た地点の左手に四国のみちの道標が立っており、その側に自然石の手水鉢が放置されているが、これはその北上にあった日吉神社のもの。明治3年、関所が廃止され、役人やその家族たちが佐喜浜や野根に移ったので、二年後、氏神である日吉神社も野根の押野に移転することになった。ところが作業する人数が少なかったため、手水鉢がそのまま放置されることになった。
休憩舎が建つ、石垣上の広場は番所頭・木下家屋敷跡。木下家の先祖は豊臣秀吉の元家臣で、家臣だった頃、秀吉から元の姓「木下」を賜っている。そういう家柄ということもあり、土佐藩主・山内氏から土佐三大番所(関所)の一つ、岩佐関所の番頭を代々任されることになった。
この木下家に藩政時代後期、由里という美しい娘がいた。由里は年頃になると、佐喜浜の大庄屋・寺田家へ嫁ぎ、二人の男児にも恵まれたのだが、ある時、不治の病にかかった。寺田家では、病が家族に伝染するのを恐れ、離縁した。
由里は木下家に戻ってからも我が子のことが忘れられず、特に乳飲み子の下の子には、乳を飲ませてあげたいと思っていた。が、そんな思いも虚しく、文政4年12月23日、天に召された。
それから、夜な夜な、由里が亡霊となって寺田家に通う姿が見かけられるようになった。そんなある夜、由里の元夫の親類、寺田伝良が家の近くで由里に呼び止められる。由里は伝良に、寺田家に入ろうと思っても玄関に神札が貼ってあるから入れないので、剥がしてくれという。最初は怖がっていた伝良だったが、あまりの懇願に遂に寺田家の神札を剥がしてしまう。その直後、寺田家の中から乳飲み子の悲鳴が聞こえ、その由里の子は息絶えたという。
由里の墓は木下家墓所にあり、道標も出ている。墓石は少し傾いているが、これは昭和18年、東京在住の木下氏の子孫が墓を東京に移そうと掘り起しかけたためかも知れない。掘り起こそうとすると突然風雨となり、作業を中断した。しばらくして再開してもまた突然風雨が起こる。遂に諦めて木下氏は帰ったという。由里は今でも寺田家で身まかった我が子を見守っているのだろうか。
関所の木戸が復元されてある箇所の一段下も広場になっているが、ここは番所役人・川島家屋敷跡。陸援隊長・中岡慎太郎の姉の一人、縫はここに嫁いでいる。慎太郎自身も数度の脱藩の内、二回はここに宿泊している。
また、元治元年の野根山騒動で打ち首になった二十三士にこの家の川島惣次とその弟・慎之助(15歳)、前述の木下家の木下喜久次も含まれている。
川島家跡の西には「岩佐の清水」の道標が出ている。これは承久3年、土御門上皇が配流になり、幡多へ向かう道中、この付近の清水を飲み、旅の疲れを癒され、「岩佐の清水」と命名したもの。但し、昔は岩佐に清水が三ケ所、湧いていたというから、道標の清水を上皇が飲んだとは限らない。
川島家屋敷跡の東の役人等の屋敷跡の一角にはトイレが設置されてある。木下家墓所の上り口奥にあったトイレは、内部に入ると床が抜けたが、こちらは大丈夫のようである。
川島家跡からは東へと進むが、道沿いには役人とその家族たちの住居や施設跡の石垣が延々と続いている。野根山からの下山路より下方を並行して走っている。
933m独立標高点の北東のピーク下辺りに地蔵峠があり、標柱の奥に地蔵が佇んでいる。この周辺に地蔵杉、兄弟杉、木化け杉等の矢印入り簡易プレートが設置されている。書いたのは地元の小学生。どれも巨木ではないが、趣がある。尚、これらの名称は昭和63年当時の森林管理署の署員が愛称としてつけたもの。
そこから10分ほど下ると具同寺分岐道標があり、その十数メートル先に段の谷山分岐道標が建てられている。具同寺への道は、847m独立標高点西を北へ下る破線のことだろう。
段の谷山は林野名だから「山頂」というものはないが、道沿いには次々と大木や巨木が現れ、気が付けば夢中になっている。
最初に現れる象杉は、幹の下部の表皮のシワが象の鼻のように見えるから命名された。
次の江戸杉は根回り6.6m。それから未来杉、オンブ杉と続き、カーブの所に大魔王杉が立つ。根回り8mで樹高は38m。枝を四方に広げた姿が「魔王」のようだというのだが、魔王のイメージとは如何なるものや。
そこから少し下ると道は二手に分かれるが、西側の道の方に名のついた杉が多い。姉妹杉は幹が二つに分かれているから、大魔王杉より根回りは長い。火炎杉は枝の張り方が火炎のようだから。仁王杉は幹が分かれてないのに根回りは9mある。
変形の四差路に至ると、そこが前述の分かれた道が合流する地点。北西方向に「大杉」の道標があるが、その道の突き当りにあるのが、四国第二位の巨杉と言われるもの。樹高35m、根回りは12mもある。幹は何本も枝分かれしているが、枝分かれしている木は木材としての商品価値が低いため、伐採を免れてきたのである。
ただ、私はもっと大きな木を想像していた。馬路村魚梁瀬の雁巻山山頂にある巨杉もこれ位の大きさだったように記憶している。その記憶が正しいかどうか、来月か再来月、再登頂する予定。
大杉の鑑賞を終えると四差路まで引き返し、下っていくが、この道沿いにも根回り5~8mの大木が5本ほど現れる。
段林道に下り立つと、往路、本来登ってくるはずだった尾根を探ってみた。森林管理署の施業図に記されている造林作業道は廃道化して久しいらしく、尾根に道の痕跡は皆無。少し下ってみたが、下方でヤブに阻まれる可能性もあるため、大人しく林道を下ることにした。
次回は野根山街道の五里塚から東をまる一日かけて大回遊するルートを探ってみる予定。
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