樽前山〜苔の洞門コース〜〈高体連札幌地区登山秋季大会〉



- GPS
- 32:00
- 距離
- 8.3km
- 登り
- 758m
- 下り
- 349m
コースタイム
【9月14日】シシャモナイ6:35-6:50沢-7:05苔の洞門入口-7:40苔の洞門終り-9:45樽前山外輪西側-10:50樽前山東ピーク-11:20七合目-13:50真駒内駅
アクセス |
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感想
■樽前山 -その人間的記録- 又は「山の迷子」
僕は学校祭の時に足に釘を刺してけがをしていたが、この高体連秋季大会に参加する事にした。
今まで全ての山行に行っていたし、風不死岳へ行ってみたかったからである。
真駒内駅に着くと、当番校の道工の人が待っていた。他の学校の人たちも来ていた。参加校は他に札工、旭ヶ丘、慈恵、札女等だった。そこで我々はバスに乗り込んで支笏湖を目指す。道工のパーティーの中に見た事がある男がいると思ったら小学校の時の同級生であった。バスのカーステレオからは、「東京ラプソディー」等のナツメロが流れていた。
湖畔で一休みすると、又、今度はシシャモナイを目指して出発する。道がほそうされていないので砂ぼこりが舞う。
キャンプ地は道から右へだいぶ入った湖畔の砂浜だった。ここは特別の許可で使わしてもらっているが、国立公園なので、キジ等は埋める様にという御達示がある。今日はここに泊るだけなので時があるので水きりなどをして遊ぶ。設営にかかる。我々の夏天は道工のカマボコ等にくらべると多少見劣りするがまあまあである。恒例の強行遠足のため朝には来られなかった旭ヶ丘が現れる。
飯の後、全員、本部テント前にあつまって集会が始まる。司会は道工の三年生だ。彼は他の学校の先生をおちょくったり、好きな事をして権力を振るっている。遠征報告になると相馬氏は前に出て、頭をかいてニヤニヤ笑うしかない(去年は遠征が中止になってしまったのだ)。そして歌会となる。道工の中野先生から明治大学ワンダーフォーゲル部部歌の『鉈目』を習う。なかなかいい歌である。我が後藤先生は「は〜るをあいするひーとーはー…」と『四季』を歌い皆の人気を集める。我々は二中応援歌を歌うが、相馬氏と大湊氏は恥しがっていつの間にかどこかに姿を隠してしまっていた。
翌日。出発する段になって、我々は唖然としてしまった。他のパーティーは皆、背負っているのがナップザックの様な感じなのである。こんなに背負っているのは、我々だけである(僕はけがの功名で少なかったが)。彼らの荷物は車で樽前の方に運ばれるらしい。我々は日高ザックしかないのだから仕方がないか。それよりも驚くべき事は、先生の中に尻皮にロングスパッツという人物がいたことだ。僕は一瞬、思わず錯覚を起こして、上はそんなに雪が深いのだろうか、とバカな事を考えてしまった。
さて、それはともかく、我々はコケの洞門を目指して出発した訳であるが、ここが僕のあまり好きでない所なのである。前に二度程来た事があるのだが、洞門の中のひんやりした感じやコケの色、感触はいいが、下が悪いのである。地面が…。砂地なのである。いくら歩いても、反動がなく、ぜんぜん足ごたえがないのである。それに、どこまでもだらだらと、真直ぐで単調で全然変化がないのである。
それを、ずらずらと大人数で歩くのだから、いい加減いやになって大キジがしたくなってしまった。しかし、これが「悲劇の誕生」にほかならなかった事を誰が知り得よう。皆待ってくれると言うので、僕はあわてて草むらに飛び込んでしたのである。
だが、もう終わった、と言うのが早すぎた。僕は巻き紙をしまうのに、以外に手こずり、草むらから出たときには、すでに彼らの姿はどこに求めようもなかった。
僕はあせった。そして飛ばした。しかし、行けども彼らは見あたらない。僕は顔をあげず、下ばかり見ていた。だが残念な事に、足跡は見ていなかったのだ。
僕が間違っているのではないかと思い始めたのは、いつまでたっても追いつけなかったためと、足跡がない様に思えたからである(足跡が残る様な地面ではないのではっきりしなかったが…)。
しかし、戻るのは大変な時間のロスになるに違いなかった。そこで僕は(どういう訳か地図を忘れていたので)そんな横道などなかったと信じる事にしたのだが、僕の前に急な岩場の現れるにいたって、その確信は音を立ててくずれ、かわりに疑惑の影がむくむくと黒雲の様に僕の中に拡がっていったのである。
僕は左側のまき道をようやく登ると、どうしようかと迷った。しかし、後からは、皆、疑う事など知らない様な顔でついてくるのである(僕が前を自信満々の様に歩いていたのだから仕方がないが…)。そこで僕は愚かにも勇気づけられて先へ進んで行ってしまったのである。
しかし、もう間違えようのない所に来ていた。前に来たときはこんな所を見た覚えはなかった。というより、こんな所はなかったと断言できた。それに方角的に段々樽前からそれていくのだ。さすがに後の三人組(旭ヶ丘)も足を止めた。
「地図さえあれば…」と僕は思ったので恥を忍んで(もうそんな事は言っていられなかった)地図を見せてくれと言った。すると彼らは困ったような、恥かしそうな表情で「実は…」と言った。彼らは誰ひとりとして地図を持っていなかったのである。
そして話によると、ただ一人地図を持っていた先生とはぐれてしまったというのである。僕は、はぐれさせたのが自分ではないと思いたかった。彼らが迷ったのには、なにか他に理由があったのだと考えたかった。しかし彼らをここに誘い込んだのは、僕である事は疑いもなかった。僕は発見された時の事を考えて恥入った。
その時、下の方から大声で叫ぶ(呼ぶ)声が聞えた。僕はあわててザックを置いたままかけ降りていた。しばらく降りると足を停めて耳を澄ました。何も聞こえない。「おーい」と叫んでみた。今度は左の方から声が聞こえてきた。僕はそこで左側の小さな尾根を越えた。すると、あの見覚えのある、樽前の外輪山の広大な斜面が目に入ってきた。僕は一度戻りかけると、旭ヶ丘パーティーはこっちへ近づいており、僕のザックを持ってくれていた。僕が彼らを案内した。
どこかの先生に会った時は恥かしかった。他の先生がうちのパーティーを呼びに降りていった。彼らは下で僕を捜していたのだった。僕は彼らに会う事を恐れた。パンチ、キックの雨が…。だが彼らを見た時、思わずニヤケてしまった。そう険悪でもなかった。しかし、僕は嫌味や公然たる非難を甘んじて受けねばならなかった。
我々は一番最後から猛スピードで急斜面を外輪山まで登ったが、その時にはもう風不死まで行く時間はなかった。行きたかったのに…と思うが、僕のせいだから何もいえない。
仕方なく飯を食うと、外輪山の最高点を目指した。肩のあたりにデポして、相馬氏と北村は上まで走る。上にいると、自衛隊がかけ登ってきたので逃げ降りる。向こう側の斜面はうじゃうじゃと人が登ってくる。七合目まで降りると、すでに来ているバスに乗って帰えった。
こうして、西高山岳部史上に大きな汚点を残す事になった山行は終わりを告げたのである。すべての責任は僕に帰する。この紙面を借りて部員諸君におわびしたい。
(札幌西高山岳部部報「熊笹」18号より)
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