清滝バス停、愛宕神社の大きな看板のある右側の車道をゆっくり下ると清滝川(桂川ー保津峡の支流)にでる。トイレあり。渡猿橋をわたり左へ少し歩くと二の鳥居がある。
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10/8 8:01
清滝バス停、愛宕神社の大きな看板のある右側の車道をゆっくり下ると清滝川(桂川ー保津峡の支流)にでる。トイレあり。渡猿橋をわたり左へ少し歩くと二の鳥居がある。
二の鳥居、表参道の現在の入口。元来、表参道は清涼寺(嵯峨釈迦堂)の門前が起点。京都市中からの街道の合流地で、ここから二尊院、祇王寺、滝口寺、化野念仏寺を通り鳥居本にある一の鳥居へ続く。なので清涼寺周辺は愛宕への参詣者の門前町として栄える、
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10/8 8:12
二の鳥居、表参道の現在の入口。元来、表参道は清涼寺(嵯峨釈迦堂)の門前が起点。京都市中からの街道の合流地で、ここから二尊院、祇王寺、滝口寺、化野念仏寺を通り鳥居本にある一の鳥居へ続く。なので清涼寺周辺は愛宕への参詣者の門前町として栄える、
道中、1丁ごとにお地蔵さんが迎えてくれる。一の鳥居から50丁で愛宕 神社となる。
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10/8 8:13
道中、1丁ごとにお地蔵さんが迎えてくれる。一の鳥居から50丁で愛宕 神社となる。
石段を登る。
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10/8 8:26
石段を登る。
燧権現跡(17丁目)
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10/8 8:34
燧権現跡(17丁目)
お地蔵さんの脇を登る。途中にお助け水という水場あり。喉を潤し、水を補給する。
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10/8 8:39
お地蔵さんの脇を登る。途中にお助け水という水場あり。喉を潤し、水を補給する。
壺割坂(18丁目)、参道の両側には平らに整地された建物跡が多くあり、往時の賑わいぶりが想像できる。
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10/8 8:42
壺割坂(18丁目)、参道の両側には平らに整地された建物跡が多くあり、往時の賑わいぶりが想像できる。
一文字屋の茶屋跡(20丁目)。又昭和4年(1929)〜昭和19年(1944)まで設置されていた愛宕山ケーブルの愛宕駅舎の跡。
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10/8 8:48
一文字屋の茶屋跡(20丁目)。又昭和4年(1929)〜昭和19年(1944)まで設置されていた愛宕山ケーブルの愛宕駅舎の跡。
ふかや茶屋跡。表参道沿いには多くの茶屋が設けられ、1町毎にあったといわれ、明治初めには19軒あった。現在参道沿いに残る石垣はその名残。
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10/8 9:20
ふかや茶屋跡。表参道沿いには多くの茶屋が設けられ、1町毎にあったといわれ、明治初めには19軒あった。現在参道沿いに残る石垣はその名残。
ふかや茶屋跡(25丁目)、現在は休憩所あり。古典落「愛宕山」にも登場する茶屋の跡。ケーブルが開通した昭和初期に渡猿橋の畔に移転した。愛宕名物「志んこ」あり。
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10/8 9:21
ふかや茶屋跡(25丁目)、現在は休憩所あり。古典落「愛宕山」にも登場する茶屋の跡。ケーブルが開通した昭和初期に渡猿橋の畔に移転した。愛宕名物「志んこ」あり。
五合目、水口屋跡(30丁目)。表参道にあったお茶屋は、昭和4年(1929)開通した愛宕ケーブルを参拝者が利用したため、殆どが清滝に移った。水口屋はケーブル山頂駅の南側に移転し、料理旅館として昭和19年の廃線まで営業した。ここ30丁目にあった建物は、嵯峨鳥居本の元伊藤家別邸へ移築。
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10/8 9:59
五合目、水口屋跡(30丁目)。表参道にあったお茶屋は、昭和4年(1929)開通した愛宕ケーブルを参拝者が利用したため、殆どが清滝に移った。水口屋はケーブル山頂駅の南側に移転し、料理旅館として昭和19年の廃線まで営業した。ここ30丁目にあった建物は、嵯峨鳥居本の元伊藤家別邸へ移築。
所々に巨木が倒れている。この後10時44分〜11時17分まで、カワラケ投げの場所で早めに昼食休み。
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10/8 10:35
所々に巨木が倒れている。この後10時44分〜11時17分まで、カワラケ投げの場所で早めに昼食休み。
巨木の中を歩く
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10/8 11:20
巨木の中を歩く
水尾の分かれ。
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10/8 11:24
水尾の分かれ。
花売り場、入母屋造銅板葺平屋の建物。愛宕さんの火伏せの神花、樒の売り場。古来樒を火災を除く神符として、参詣者はみやげとした。近年まで水尾の女性は樒を背負って水尾から愛宕神社まで上り、神前に供えてから販売した。
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10/8 11:31
花売り場、入母屋造銅板葺平屋の建物。愛宕さんの火伏せの神花、樒の売り場。古来樒を火災を除く神符として、参詣者はみやげとした。近年まで水尾の女性は樒を背負って水尾から愛宕神社まで上り、神前に供えてから販売した。
亀岡市方面の風景。サッカーJ1京都サンガのホームスタジアムも見える。戦国時代明智光秀は天正10年(1582)5月27日この亀岡市亀山城を出発、尾根道の明智越えを歩き、水尾を通って愛宕大権現に参拝した。そこで光秀は二度三度とおみくじを探ったといわれる。その夜はそこに参籠した。
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10/8 11:39
亀岡市方面の風景。サッカーJ1京都サンガのホームスタジアムも見える。戦国時代明智光秀は天正10年(1582)5月27日この亀岡市亀山城を出発、尾根道の明智越えを歩き、水尾を通って愛宕大権現に参拝した。そこで光秀は二度三度とおみくじを探ったといわれる。その夜はそこに参籠した。
光秀の続き。翌28日威徳院西坊で連歌師里村じょう巴らと連歌の会を催す。詠んだ連歌を神に奉納して戦勝祈願した出陣連歌。この時の発句が有名な「時は今 あめか下しる 五月かな」。時は光秀の出身の土岐家、あめは天で、下しるとで天下の事かと言われている。本能寺の変は、5日後の6月2日未明。
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10/8 12:00
光秀の続き。翌28日威徳院西坊で連歌師里村じょう巴らと連歌の会を催す。詠んだ連歌を神に奉納して戦勝祈願した出陣連歌。この時の発句が有名な「時は今 あめか下しる 五月かな」。時は光秀の出身の土岐家、あめは天で、下しるとで天下の事かと言われている。本能寺の変は、5日後の6月2日未明。
黒門(惣門)。愛宕山は江戸時代を通じて神宮寺の白雲寺(6つの宿坊をもつ)が実権を握る神仏習合の山だった。黒門はその白雲寺の京都側の惣門、ここから寺の境内に入る。
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10/8 12:02
黒門(惣門)。愛宕山は江戸時代を通じて神宮寺の白雲寺(6つの宿坊をもつ)が実権を握る神仏習合の山だった。黒門はその白雲寺の京都側の惣門、ここから寺の境内に入る。
黒門。形式は典型的な高麗門。本柱2本が切妻の屋根を支え、背面両側に直角に出た屋根あり、控え柱を覆う形式。全体が黒ずんで古風な印象との矢ヶ崎氏の説明。。
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10/8 12:07
黒門。形式は典型的な高麗門。本柱2本が切妻の屋根を支え、背面両側に直角に出た屋根あり、控え柱を覆う形式。全体が黒ずんで古風な印象との矢ヶ崎氏の説明。。
門の中に入ると、道の両側は石積みに囲まれ、永代常夜灯がある。
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10/8 12:12
門の中に入ると、道の両側は石積みに囲まれ、永代常夜灯がある。
参道は道幅 を広げ、平坦になり旧白雲寺の中心部になっていく。江戸時代まで境内には6つの住坊が建ち並んでいた。福寿院、威徳院、長床坊、大善院、教学院、宝蔵院。しかし慶応4年(1868)神仏分離令により白雲寺は破却される。
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10/8 12:13
参道は道幅 を広げ、平坦になり旧白雲寺の中心部になっていく。江戸時代まで境内には6つの住坊が建ち並んでいた。福寿院、威徳院、長床坊、大善院、教学院、宝蔵院。しかし慶応4年(1868)神仏分離令により白雲寺は破却される。
社務所前の参道。左側に便所、倉庫、休憩所、社務所が建つ。右側は広場になっていてベンチで参拝者が昼食をとっている。そして京都市街が一望に見渡せる景色の良い所でした。かっての白雲寺境内で江戸時代末期までいくつもの住坊が軒を並べていた所。
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10/8 12:15
社務所前の参道。左側に便所、倉庫、休憩所、社務所が建つ。右側は広場になっていてベンチで参拝者が昼食をとっている。そして京都市街が一望に見渡せる景色の良い所でした。かっての白雲寺境内で江戸時代末期までいくつもの住坊が軒を並べていた所。
社務所。白雲寺時代からあった建物のようで、正面に唐破風の玄関がある。寺院の庫裏のような建物。
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10/8 12:19
社務所。白雲寺時代からあった建物のようで、正面に唐破風の玄関がある。寺院の庫裏のような建物。
社務所前の広場から見た京都市街地の風景。京都御所や京都タワー、東山が見える。山の向こうの盆地が山科。
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10/8 13:14
社務所前の広場から見た京都市街地の風景。京都御所や京都タワー、東山が見える。山の向こうの盆地が山科。
ここから愛宕神社本殿までの急な132段の石段です。
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10/8 12:22
ここから愛宕神社本殿までの急な132段の石段です。
途中、踊り場の両脇に立つ金灯籠。こちらは右側。基礎に見事な浮き彫り、火袋には繊細な透かし彫り、手の込んだ秀作との矢ヶ崎先生の評価。
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10/8 12:25
途中、踊り場の両脇に立つ金灯籠。こちらは右側。基礎に見事な浮き彫り、火袋には繊細な透かし彫り、手の込んだ秀作との矢ヶ崎先生の評価。
基礎の浮き彫り
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10/8 12:25
基礎の浮き彫り
金灯籠の左側。刻銘から貞享3年(1686)摂州大坂住の須賀氏より寄進。
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10/8 12:26
金灯籠の左側。刻銘から貞享3年(1686)摂州大坂住の須賀氏より寄進。
132段の石段を登りきった所が銅鳥居、その奥が神門。銅鳥居の両柱には阿吽の形相をしたイノシシが浮き出されている。愛宕神社は戌亥の方向、西北にある。この方向には出雲があり黄泉への通路があると見なされ、疫病を蔓延させる風が春に吹いてくると忌み嫌われた。愛宕神社にイノシシの彫物が多い。
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10/8 12:31
132段の石段を登りきった所が銅鳥居、その奥が神門。銅鳥居の両柱には阿吽の形相をしたイノシシが浮き出されている。愛宕神社は戌亥の方向、西北にある。この方向には出雲があり黄泉への通路があると見なされ、疫病を蔓延させる風が春に吹いてくると忌み嫌われた。愛宕神社にイノシシの彫物が多い。
銅鳥居の右柱に文字が刻されている。最後に神前大工 山田甚太郎、三条釜座鋳物師大工棟梁 藤原加賀光政作とある。イノシシの続き、中世に愛宕権現の本地仏として勝軍地蔵が祀られ、戦国武将に信仰が広まる。勝軍地蔵は白いイノシシに乗って現れる。愛宕さんの神の使いはイノシシとされた。
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10/8 12:32
銅鳥居の右柱に文字が刻されている。最後に神前大工 山田甚太郎、三条釜座鋳物師大工棟梁 藤原加賀光政作とある。イノシシの続き、中世に愛宕権現の本地仏として勝軍地蔵が祀られ、戦国武将に信仰が広まる。勝軍地蔵は白いイノシシに乗って現れる。愛宕さんの神の使いはイノシシとされた。
銅鳥居の左の柱には、寛永9年(1632)壬申冬十一月十六日 中川内膳正源朝臣久盛が願出により、白雲寺の勝地院の行海法印を監事として建立したた刻まれる。
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10/8 12:32
銅鳥居の左の柱には、寛永9年(1632)壬申冬十一月十六日 中川内膳正源朝臣久盛が願出により、白雲寺の勝地院の行海法印を監事として建立したた刻まれる。
神門。切妻造銅板葺の新しい建築、正面に唐破風を付した向かい唐破風の形式と説明されている。唐破風だと豪華に見える。蟇股のデザインも凝っている。
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10/8 12:33
神門。切妻造銅板葺の新しい建築、正面に唐破風を付した向かい唐破風の形式と説明されている。唐破風だと豪華に見える。蟇股のデザインも凝っている。
本殿のある建物。本殿を保護するための覆い屋で、本殿と若宮と奥宮の全てを覆っている大きな建物。なので本殿がよくみえない。中に入ると左にお札を売っている授与所がある。
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10/8 12:36
本殿のある建物。本殿を保護するための覆い屋で、本殿と若宮と奥宮の全てを覆っている大きな建物。なので本殿がよくみえない。中に入ると左にお札を売っている授与所がある。
本殿、祭神はイザナミノミコト始め五柱を祭る。正面五間の大規模な社殿、流造りと説明にある。しかし組み物や装飾彫刻はよく見えなかった。
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10/8 12:55
本殿、祭神はイザナミノミコト始め五柱を祭る。正面五間の大規模な社殿、流造りと説明にある。しかし組み物や装飾彫刻はよく見えなかった。
若宮社、正面三間の流造り。カグツチノミコト以下三柱を祀る。愛宕神社の主祭神はこの迦遇槌命(カグツチ)、火神、火伏せの神として尊崇されている。由縁はカグツチノ命が降臨にあたり、イザナミノミコトを焼き給うたので仇子(アタゴ)といわれ神と崇められた。又平安京の王城警護の為に西北の山上に
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10/8 12:42
若宮社、正面三間の流造り。カグツチノミコト以下三柱を祀る。愛宕神社の主祭神はこの迦遇槌命(カグツチ)、火神、火伏せの神として尊崇されている。由縁はカグツチノ命が降臨にあたり、イザナミノミコトを焼き給うたので仇子(アタゴ)といわれ神と崇められた。又平安京の王城警護の為に西北の山上に
若宮社
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10/8 12:48
若宮社
水尾への下り道。この道を光秀は登った。又水尾の女たちが、愛宕神社で売る樒を毎朝背負って登った。
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10/8 14:02
水尾への下り道。この道を光秀は登った。又水尾の女たちが、愛宕神社で売る樒を毎朝背負って登った。
登山口にある看板、柚子の里 水尾。柚子が特産で、柚子風呂と水炊きを提供する店が十数軒あるそう。昔は山城と丹波を結ぶ要所で早くから開けていた。東の八瀬大原に対して、西の水尾も大宮人によく知られていた。平安時代清和天皇がご退位後、水尾に住まわれ、水尾山陵がある。
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10/8 14:42
登山口にある看板、柚子の里 水尾。柚子が特産で、柚子風呂と水炊きを提供する店が十数軒あるそう。昔は山城と丹波を結ぶ要所で早くから開けていた。東の八瀬大原に対して、西の水尾も大宮人によく知られていた。平安時代清和天皇がご退位後、水尾に住まわれ、水尾山陵がある。
ザクロ(柘榴)の実。柚子の緑の実もなっていたが、まだ少し早いそう。
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10/8 14:57
ザクロ(柘榴)の実。柚子の緑の実もなっていたが、まだ少し早いそう。
水尾の集落
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10/8 14:59
水尾の集落
水尾自治会バスが走っていて助かる。
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10/8 15:07
水尾自治会バスが走っていて助かる。
夕暮れの嵐山。桂川、渡月橋と愛宕山
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10/8 17:12
夕暮れの嵐山。桂川、渡月橋と愛宕山
楽しい道中が伺える日記ですね。さぞビールも美味しかったことでしょう。
また次回の旅案内も楽しみにしています。
コメントをありがとう。江戸時代の賑やかさとは違い、今は 静かな山歩きを楽しめます。登山道もよくあるきやすいです。調べると愛宕山は面白いです。
又ロックさんと遊びに来て下さい。見る所、
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