熊ノ岳・三ノ岳《九州百名山》


- GPS
- 07:26
- 距離
- 25.0km
- 登り
- 1,162m
- 下り
- 1,132m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR鹿児島本線田原坂駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
車道歩きが長い、登山道は概ね整備されている、横平山への蜜柑畑は指導標少なく難関 |
写真
感想
熊本駅前のホテルを6時にチェックアウトし、駅を起点としてまだ暗い街中を歩き出した。北岡自然公園を回り込むようにして花岡山の北に出て井芹川を渡った。石神山東側の変電施設の裏を通り山に入ると北の方から遊歩道に合流した。しっかりした道があるようでコンクリート階段を登り石神山(123m)山頂に達した。女性が一人先客で毎日の散歩の雰囲気だった。折しも朝焼けの阿蘇山(1,592m)が雄大な外輪山を従えて素晴らしい。西の方にはこの先縦走を目論んでいた三淵山(285m)、金峰山(きんぼうざん665m)や外輪山の荒尾山(445m)が朝日を受けて美しい。
山頂は柵で囲われ、その先は、深い藪で迚も突破できそうにない。今日の計画は初っ端から躓き元来た道を引き返した。北に向かう遊歩道を進むと石神山の北側に出て、石神山公園のエリアに出た。山肌は断崖絶壁、梺の公園は平らで池もある。どうやら採石場の跡が公園となったようで縦走路がないのも何となく納得できた。
今日は帰りの新幹線も約済みで長距離の山行をタイトに計画していた。改めて三淵山や金峰山に登るのは難しく端折って熊野岳を目指した。用意してきた地図のエリアを食み出しGPSを頼りに三淵山と荒尾山の間の麹川を遡って行った。「草枕の道」と称する九州自然歩道の道で所々荒れた旧道を歩き荒尾山と金峰山の間の峠を越えた。峠の茶屋があり、付近は公園となっていた。「草枕の道」とは、夏目漱石の小説に登場する熊本市島崎から玉名郡天水町につながる嘗ての幹線道路で、小説の冒頭に出てくる「山路を登りながらこう考えた。」とある山路がこの峠に到る鎌研坂だと云われている。
峠を越えると熊ノ岳が姿を現し、金峰山と共に素晴らしい眺めを呈していた。県道10号線を岳本村まで下ると溝蓋に足引っ掛け転倒してしまった。山より地上の方に危険があるようだ。県道と別れ、草枕の道は、石畳の古道となり歴史の風情が漂う。軈て山麓を行く車道となり、野出集落で草枕の道はそのまま天水町に行ってしまうので北に分岐して野出西上の登山口に達した。
熊野岳南登山道は丸太階段の整備された道で一貫した登りが続く。林道との交差点は丁度中間地点で北東に向きを変えて登り続けた。熊ノ岳(686m)山頂に達すると3等三角点「熊野岳」があり、三ノ岳や有明海を挟んで雲仙岳(1,488m)が近かったが霞んでしまって一寸残念だった。此処から見る三ノ岳は単独峰かと思うほどどっしりした姿を見せ九州百名山だけのことはあると感じさせられた。熊ノ岳は現地の表示は二ノ岳で地形図にも括弧書きされている。此の山域は金峰山を中央墳丘とするカルデラの外輪山で10数万年前まで活動していたようだ。因みに一ノ岳は金峰山を指す。
熊ノ岳北稜線は静かな樹林帯で良く整備された道が続いている。軈て林道に出て3分もすると三ノ岳の取り付きで170mの登り返しとなった。山頂に近づくと傾斜が増した。三ノ岳(682m)山頂は西から北方向が開け雲仙岳や有明海、玉名市の干拓地が望めた。展望地から5m樹林に入ったピークには、4等三角点「三ノ岳」があり、東側には結界の張られた神社があった。
北に進むと電波塔群の中に三岳観音奥之院があり、無住ながら一寸した規模を誇っていた。電波塔を避けるように東側を巻いて進むとP603に到った。また電波塔がありフェンスで道が途切れているようだったが「←三ノ岳 野次峠→」の表示に従って右側に迂回して先に進んだ。樹林帯の中赤テープに導かれ藪を避けて進んだ。軈て林道に出ると展望が開け蜜柑畑の中を進んだ。半高山が見えてくるとこれまた蜜柑の山で実がたわわになっていた。半高山の梺は野次峠で駐車場があり、西南戦争の激戦地として案内板が掲げられていた。半高山も西郷軍の陣地の跡で山頂まで広い車道が続いていた。半高山(はんこうやま294m)山頂に達すると2階建の展望台櫓があり三ノ岳が望めたが周りの木が繁り中途半端な状態だった。傍らに3等三角点「半高」があり休憩していると男性が登ってきて展望櫓に上がっていた。北から女性が登って来たが山頂には目もくれず野次峠へ下って行った。
女性が来た北への道を下ると将に果樹園の中で、車道に下りるまで獣害防止柵の扉を3度も開閉して進んだ。P203から先が曲者で指導標の示す方向に進んだつもりが稜線上の広い果樹園の中に紛れ込んでしまい繋がっている筈の道が途切れ彷徨っているうちに諦めて藪に突入して脱出した。果樹園の作業道から車道に抜けると横平山(144m)で4等三角点「横平山」が設置されていた。此処も西南戦争の戦跡で塹壕跡が残っている。今は公園となり展望櫓やトイレ等も設置されていた。住宅地から切通しの古道を歩き田原坂駅に到着し長い山行を終えた。
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