記録ID: 5037311
全員に公開
ハイキング
近畿
日程 | 2022年12月28日(水) ~ 2022年12月29日(木) |
---|---|
メンバー | |
天候 | 晴れ |
アクセス |
利用交通機関
●行き= 天王寺/大阪阿部野橋 7:35/7:50 (近鉄南大阪線急行・吉野行・990円) 大和上市 9:17 (タクシー・2390円) 吉野運動公園 9:40
電車、
タクシー
●帰り= 壷阪山 13:53
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|




地図/標高グラフ


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歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
過去天気図(気象庁) |
2022年12月の天気図 [pdf] |
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写真
感想/記録
by ふじ
竜門岳は20年ほど前に 山口から登り、大峠〜多武峰 (不動滝) というコースで登ったことがあるが、かねてからまた登ってみたいと思っていた。ヤマレコのらくルート機能で、高取山へ続く縦走路があることを知り、キャンプにちょうどいいと。幕営地は龍在峠付近。ただし水の確保は確実ではない。国地院地図に、龍在峠から滝畑集落へ下る道に川を示す青線が数本あることに期待して。もしすでに枯れていれば残雪を利用。どちらかはあるだろうというちょっとした賭けでもあった。
関西も寒波に見舞われたが、年の瀬もいよいよ押し迫った頃 収まった。「お天気ナビゲータ」の竜門岳は夜10メートル以上の暴風の予報だったが、おそらくまた大袈裟に違いないと。先日購入したナンガの冬用シュラフの威力を試す時が来た。
20年前は大和上市駅から山口神社へのバスがあったが、残念ながら廃線になってしまっていたのでタクシーを利用。デジカメのSDカードを忘れたため コンビニに寄ってもらった。また行き先を山口神社とすればいいところ、吉野運動公園としてしまったので わずかながら遠い位置からの出発となってしまった。
山口神社 (高鉾神社並立) で登山の無事を祈念。境内を掃除しているかたと少しお話をしたが、先週 竜門岳には10センチほどの積雪があったということを聞き、少しビビる。
長い舗装道を登っていく。植林帯で殺風景だが、下段に滑滝を持つ竜門滝は立派だ。
やがて山道らしくなってくると同時に積雪も多くなってくる。
私の山靴はつま先あたりに水が染み込むので、靴下を二枚履き、上の靴下の外と内のつま先に小さなビニール袋を施して、水濡れの不快感を軽減するという対策をしたのだが、さらに百均で購入した使い捨てのビニール靴カバーの底面を切り取って靴にかぶせ、ゴムバンドで固定するという対策もした。見た目がカッコ悪いので人の少ないところでないと使いにくが、幸いにも (?) 翌日の高取山まではひとりのハイカーにも会わなかった。
どんどん積雪は深くなっていき、しばらくしてゲイター (コーナンで購入した800円くらいの安物)、その後 簡易スパイク (アマゾンで1080円) を装着。
急登をこなして山頂到着。高皇産霊尊 (たかみむすびのかみ) を祀る祠が鎮座しており、手を合わせる。「お天気ナビゲータ」の竜門岳山頂、昼でも風速5mほどの予報だったと思うが、ほとんど風はない。
腹ごしらえ。雪をすくい お湯にするのは初めて。簡単には溶けないことを初めて知った。また杉などの細かい木の葉などが入り、気持ちのいいものではない。茶こしかなにか持って来たほうがいいようだ。
さて北へ。予想以上の積雪だが、なんとか簡易・安価な対策の許容範囲内。
鉄塔からは前方に熊ヶ岳、左手 (西) に高取山、その奥に金剛山地が望まれた。
「楽しい〜」とウキウキする気持ち。それと同時に重い荷物せたろうてひとりで山に登り、一晩過ごすことがなぜそんなに楽しいのだろうと自問したりもする。
三津峠を過ぎ、大峠方面との分岐。ここからは初めての道となる。とはいえこれまでの20年ぶりの道もほとんど覚えていなかったが。逆に竜門岳の山頂の前に「久米仙人が修行した窟跡」の案内板があったことを覚えていたが、それを見なかった。見逃しただけかもしれないが。
細峠は松尾芭蕉 (吉野紀行) が通った峠。峠には松尾芭蕉の「ひばりより空にやすらう峠かな」の歌碑と五輪塔がある。本居宣長 (菅笠日記) も通った道と思っていたが、宣長は多武峰から龍門の滝へ行きたいと考えていたものの、案内人に遠くて険しいと言われて諦め、滝畑へ下りたようだ (千股で宿泊し その後 吉野へ)。ただ宣長は後にリヴェンジを果たし、龍門の滝を見たとのこと (紀見のめぐみ)。ルートは明らかではないようだが、細峠を通っただろう。とはいえ私が歩いた道を逆にたどったわけではなく、細峠から南へ下りる道 (現在 道標に「吉野方面」とある) を通り、山口の集落から登ったのかもしれないとのこと。
その後 しっかりした道の右手にある細道を行かないといけなかったのだが (らくルートに「冬野方面分岐」と記載)、「冬野」と書かれた私製道標を見逃してしまい、そのまままっすぐ進んでしまった。おかげで城ヶ峰山頂を踏むことができたが 道に迷ってしまった。北西方面が開けていて夕暮れ間近の金剛山地はきれいだったが、焦って周辺をウロウロ。
「冬野方面分岐」を見つけ、細いトラバース道を進んで休憩所に到着。多武峰・冬野方面の下り口 (登り口) で 茶屋跡とのこと。古い道標がかつての旅人の往来をしのばせるが「通行禁止」の看板があるのには興をそがれる。帰宅後 ネットで調べてみると、道を荒らすバイクへの警告で 人は通行可能と書いているサイトがあった。
残雪が結構あったのでここにテントを張るかとも考えたが、雪より川の水ということで龍在峠へ。滝畑方面に下りて行くと、昔 旅館や茶店を含む10軒の集落があった名残で今も石垣が残る。かつて建物があったであろう平坦地を幕営地と決め、水を求めてザブザックを背負って下っていく。
ところが水の流れが現れる気配はなく、諦めて戻る。その登りのなんとしんどいこと…。休憩所まで戻ってテン場とし、雪を溶かして水にすることにした。
休憩所に戻ってきた。疲れた…。植林帯の中ですでに薄暗いとはいえ、日没まで50分ほどある。
休憩所のすぐ裏、小さな崖との隙間にテントを張ったが いかにも狭い。ふとその崖の上部が平坦地であることに気づいた。荷物を少しづつ上げ、テントも張ったまま担いで急な坂を登って上げた。
スパイク, 靴カバー, ゲイターはドロドロだった。靴, 靴下は濡れていたが、足先に濡れをほとんど感じなかったし、ズボンは少し濡れていたものの 汚れはない。簡易・安価なガードでなんとかなってよかった。
雪を溶かしての調理。簡易濾過装置を使えば 木くずなどのごみをほとんど取り除くことができることに気づいた。
しかし大きな反省点。夜が更けてからはテント内の入り口付近で氷を溶かして水を作っていたが、沸かしている間 別の作業をするために動いたことが原因でフライシートやズボン、床に敷いたシートに穴をあけてしまった。テント内で火を使う時は充分 中で、しかも沸かしている時はじっとしていることを誓った。
意外にもテント内は10℃くらいあった。厚着しているし、足裏に使い捨てカイロを貼ったこともあってナンガのシュラフはさすがに暖かい。
風ほとんどなし。何が風速11mだ。「〇天△ナ◇ゲ※タ」のPROコ−スを解約することを決意。
0時を過ぎてライトを消した。ほどなく眠ったようだ。
***
5時頃 寒さで目が覚めた。気温は4℃くらい。ナンガ ちょっと期待外れ。保温シートを体に巻く。
次に目が覚めたのは7時前。鳥の鳴き声。日の出。ちょうど起床の時間だった。
昨日までは朝 氷点下の中 テント撤収するの辛いだろうなと想像していたが、これほど寒くないとは。
さて出発。しかしトラブル発生。電池が寒さに弱いようで、デジカメが使えない。
仕方なくガラケーのカメラで撮るが、こんなにひどい画像しか撮れないとは。風景は苦手なのだろうか。幾度となくデジカメでの撮影を試みるが、結局 最後まで写すことができず、ガラケーで撮るしかなかった。
植林帯を行く。古い道標などの古道の名残もほとんどなく やや単調。積雪もなくなっていった。
ただ滝畑三角点からの長い急下りには肝を冷やした。スパイクを外し その後 平坦な道となったところで ゲイターと靴カバーも外した。
その後 芋峠に下る寸前で道を間違ったと勘違いして引き返し、無駄な体力を使ってしまった。家に帰って夜飯をどうしようかとあれこれ考えていたことが原因だ。
芋峠の手前で右に延びる均された道に下り着き、道標に「行者」と書かれている。なんのこっちゃと困惑するが、そのまままっすぐ下る道があり、すぐに車道に下り着いた。「芋峠」の案内板には犬養孝の「万葉の旅」の一節が書かれている。その内容から類推すると、車道が通されたことで本来の芋峠 (芋ヶ峠) が無くなってしまったのかもしれない。
車道を横切り、高取山へ向かう。自然林となり明るくなる。林道が寄り添っているのが興をそぐが、かなり肩が痛いので林道を歩こうかという誘惑にかられもする。
やがて道は林道歩きとなり、その終点からは再び山道。
しばらく進むと空堀が現れ 驚かされる。高取城の敷地は思ったより大きかったようだ。
やがて堂々たる石垣が現れ、大手門跡前に合流。4回目の高取城址。ハイカーがチラホラ。
本丸跡にある三角点にタッチしてあずまやで腹ごしらえ。あずまやで食べたいから早くどいてくれと言いたげな3人組のプレッシャーに耐えながら。
さて下山。壺阪寺経由の道ではなく、猿石経由。
城下町の面影を残す道を通って壷阪山駅へ。
川がない、カメラが使えない、フライシートなどに穴をあけてしまうなどのトラブルもあったが、天気予報よりも寒くなく、楽しい “山キャン” ができた。
雪山はやらないが、1月, 2月も1回ずつは冬山キャンプに行きたいものだ。
いいコースを考えないと。
***
1日目 昼= おかゆ2, あぶり焼きチキン
同 夜= カレーめし, たまご, あぶり焼きチキン
同 夜食= 菓子パン
2日目 朝= おかゆ2, たまご, さばで健康しょうゆ味
同 昼= スティックパン, アンパン
予備, その他= ブラン
関西も寒波に見舞われたが、年の瀬もいよいよ押し迫った頃 収まった。「お天気ナビゲータ」の竜門岳は夜10メートル以上の暴風の予報だったが、おそらくまた大袈裟に違いないと。先日購入したナンガの冬用シュラフの威力を試す時が来た。
20年前は大和上市駅から山口神社へのバスがあったが、残念ながら廃線になってしまっていたのでタクシーを利用。デジカメのSDカードを忘れたため コンビニに寄ってもらった。また行き先を山口神社とすればいいところ、吉野運動公園としてしまったので わずかながら遠い位置からの出発となってしまった。
山口神社 (高鉾神社並立) で登山の無事を祈念。境内を掃除しているかたと少しお話をしたが、先週 竜門岳には10センチほどの積雪があったということを聞き、少しビビる。
長い舗装道を登っていく。植林帯で殺風景だが、下段に滑滝を持つ竜門滝は立派だ。
やがて山道らしくなってくると同時に積雪も多くなってくる。
私の山靴はつま先あたりに水が染み込むので、靴下を二枚履き、上の靴下の外と内のつま先に小さなビニール袋を施して、水濡れの不快感を軽減するという対策をしたのだが、さらに百均で購入した使い捨てのビニール靴カバーの底面を切り取って靴にかぶせ、ゴムバンドで固定するという対策もした。見た目がカッコ悪いので人の少ないところでないと使いにくが、幸いにも (?) 翌日の高取山まではひとりのハイカーにも会わなかった。
どんどん積雪は深くなっていき、しばらくしてゲイター (コーナンで購入した800円くらいの安物)、その後 簡易スパイク (アマゾンで1080円) を装着。
急登をこなして山頂到着。高皇産霊尊 (たかみむすびのかみ) を祀る祠が鎮座しており、手を合わせる。「お天気ナビゲータ」の竜門岳山頂、昼でも風速5mほどの予報だったと思うが、ほとんど風はない。
腹ごしらえ。雪をすくい お湯にするのは初めて。簡単には溶けないことを初めて知った。また杉などの細かい木の葉などが入り、気持ちのいいものではない。茶こしかなにか持って来たほうがいいようだ。
さて北へ。予想以上の積雪だが、なんとか簡易・安価な対策の許容範囲内。
鉄塔からは前方に熊ヶ岳、左手 (西) に高取山、その奥に金剛山地が望まれた。
「楽しい〜」とウキウキする気持ち。それと同時に重い荷物せたろうてひとりで山に登り、一晩過ごすことがなぜそんなに楽しいのだろうと自問したりもする。
三津峠を過ぎ、大峠方面との分岐。ここからは初めての道となる。とはいえこれまでの20年ぶりの道もほとんど覚えていなかったが。逆に竜門岳の山頂の前に「久米仙人が修行した窟跡」の案内板があったことを覚えていたが、それを見なかった。見逃しただけかもしれないが。
細峠は松尾芭蕉 (吉野紀行) が通った峠。峠には松尾芭蕉の「ひばりより空にやすらう峠かな」の歌碑と五輪塔がある。本居宣長 (菅笠日記) も通った道と思っていたが、宣長は多武峰から龍門の滝へ行きたいと考えていたものの、案内人に遠くて険しいと言われて諦め、滝畑へ下りたようだ (千股で宿泊し その後 吉野へ)。ただ宣長は後にリヴェンジを果たし、龍門の滝を見たとのこと (紀見のめぐみ)。ルートは明らかではないようだが、細峠を通っただろう。とはいえ私が歩いた道を逆にたどったわけではなく、細峠から南へ下りる道 (現在 道標に「吉野方面」とある) を通り、山口の集落から登ったのかもしれないとのこと。
その後 しっかりした道の右手にある細道を行かないといけなかったのだが (らくルートに「冬野方面分岐」と記載)、「冬野」と書かれた私製道標を見逃してしまい、そのまままっすぐ進んでしまった。おかげで城ヶ峰山頂を踏むことができたが 道に迷ってしまった。北西方面が開けていて夕暮れ間近の金剛山地はきれいだったが、焦って周辺をウロウロ。
「冬野方面分岐」を見つけ、細いトラバース道を進んで休憩所に到着。多武峰・冬野方面の下り口 (登り口) で 茶屋跡とのこと。古い道標がかつての旅人の往来をしのばせるが「通行禁止」の看板があるのには興をそがれる。帰宅後 ネットで調べてみると、道を荒らすバイクへの警告で 人は通行可能と書いているサイトがあった。
残雪が結構あったのでここにテントを張るかとも考えたが、雪より川の水ということで龍在峠へ。滝畑方面に下りて行くと、昔 旅館や茶店を含む10軒の集落があった名残で今も石垣が残る。かつて建物があったであろう平坦地を幕営地と決め、水を求めてザブザックを背負って下っていく。
ところが水の流れが現れる気配はなく、諦めて戻る。その登りのなんとしんどいこと…。休憩所まで戻ってテン場とし、雪を溶かして水にすることにした。
休憩所に戻ってきた。疲れた…。植林帯の中ですでに薄暗いとはいえ、日没まで50分ほどある。
休憩所のすぐ裏、小さな崖との隙間にテントを張ったが いかにも狭い。ふとその崖の上部が平坦地であることに気づいた。荷物を少しづつ上げ、テントも張ったまま担いで急な坂を登って上げた。
スパイク, 靴カバー, ゲイターはドロドロだった。靴, 靴下は濡れていたが、足先に濡れをほとんど感じなかったし、ズボンは少し濡れていたものの 汚れはない。簡易・安価なガードでなんとかなってよかった。
雪を溶かしての調理。簡易濾過装置を使えば 木くずなどのごみをほとんど取り除くことができることに気づいた。
しかし大きな反省点。夜が更けてからはテント内の入り口付近で氷を溶かして水を作っていたが、沸かしている間 別の作業をするために動いたことが原因でフライシートやズボン、床に敷いたシートに穴をあけてしまった。テント内で火を使う時は充分 中で、しかも沸かしている時はじっとしていることを誓った。
意外にもテント内は10℃くらいあった。厚着しているし、足裏に使い捨てカイロを貼ったこともあってナンガのシュラフはさすがに暖かい。
風ほとんどなし。何が風速11mだ。「〇天△ナ◇ゲ※タ」のPROコ−スを解約することを決意。
0時を過ぎてライトを消した。ほどなく眠ったようだ。
***
5時頃 寒さで目が覚めた。気温は4℃くらい。ナンガ ちょっと期待外れ。保温シートを体に巻く。
次に目が覚めたのは7時前。鳥の鳴き声。日の出。ちょうど起床の時間だった。
昨日までは朝 氷点下の中 テント撤収するの辛いだろうなと想像していたが、これほど寒くないとは。
さて出発。しかしトラブル発生。電池が寒さに弱いようで、デジカメが使えない。
仕方なくガラケーのカメラで撮るが、こんなにひどい画像しか撮れないとは。風景は苦手なのだろうか。幾度となくデジカメでの撮影を試みるが、結局 最後まで写すことができず、ガラケーで撮るしかなかった。
植林帯を行く。古い道標などの古道の名残もほとんどなく やや単調。積雪もなくなっていった。
ただ滝畑三角点からの長い急下りには肝を冷やした。スパイクを外し その後 平坦な道となったところで ゲイターと靴カバーも外した。
その後 芋峠に下る寸前で道を間違ったと勘違いして引き返し、無駄な体力を使ってしまった。家に帰って夜飯をどうしようかとあれこれ考えていたことが原因だ。
芋峠の手前で右に延びる均された道に下り着き、道標に「行者」と書かれている。なんのこっちゃと困惑するが、そのまままっすぐ下る道があり、すぐに車道に下り着いた。「芋峠」の案内板には犬養孝の「万葉の旅」の一節が書かれている。その内容から類推すると、車道が通されたことで本来の芋峠 (芋ヶ峠) が無くなってしまったのかもしれない。
車道を横切り、高取山へ向かう。自然林となり明るくなる。林道が寄り添っているのが興をそぐが、かなり肩が痛いので林道を歩こうかという誘惑にかられもする。
やがて道は林道歩きとなり、その終点からは再び山道。
しばらく進むと空堀が現れ 驚かされる。高取城の敷地は思ったより大きかったようだ。
やがて堂々たる石垣が現れ、大手門跡前に合流。4回目の高取城址。ハイカーがチラホラ。
本丸跡にある三角点にタッチしてあずまやで腹ごしらえ。あずまやで食べたいから早くどいてくれと言いたげな3人組のプレッシャーに耐えながら。
さて下山。壺阪寺経由の道ではなく、猿石経由。
城下町の面影を残す道を通って壷阪山駅へ。
川がない、カメラが使えない、フライシートなどに穴をあけてしまうなどのトラブルもあったが、天気予報よりも寒くなく、楽しい “山キャン” ができた。
雪山はやらないが、1月, 2月も1回ずつは冬山キャンプに行きたいものだ。
いいコースを考えないと。
***
1日目 昼= おかゆ2, あぶり焼きチキン
同 夜= カレーめし, たまご, あぶり焼きチキン
同 夜食= 菓子パン
2日目 朝= おかゆ2, たまご, さばで健康しょうゆ味
同 昼= スティックパン, アンパン
予備, その他= ブラン
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この記録に関連する登山ルート
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この記録で登った山/行った場所
登山 | 登山用品 | 山ごはん | ウェア | トレイルラン |
トレッキング | クライミング | 富士山 | 高尾山 | 日本百名山 |
もう、すっかりキャンプにはまってますね。
というか、もともと経験豊富なMOZARTさんが再び目覚めた
低山といえど、こんな寒い時期に山中でテント泊なんてすごすぎます。
フライシートやズボンに熱で穴⁉ 本体は無事でフライシートだけに穴があいたのですか?
換気用の穴をパックリと開けておいてもダメなんでしょうか。
MOZARTさんの次のキャンプ、どこに行かれるのかな〜
楽しみにしてます
ところでわたくし、どっぷりキャンプとなりました。数年前からキャンプ中心にしたかったんですが、夜の怖さや退屈がネックでした。しかし今やすっかり慣れました。寒さも対策をすれば大丈夫です。夏の歩いている時の暑さ、夜の虫の厄介さを考えれば、夏よりも大変ということはない気がします。ただし氷点下となると一層の対策が必要かもしれませんが。
フライシートに穴というのはですね、テントの出口近くでバーナーを使ったのですが、テントの出口のチャックは開けていたものの、風が入らないようにフライシートは閉めたので、クッカーの上部がフライシートに触れたわけです。しかもお湯を沸かしている間に他のことをしたいとウロウロしていたら、クッカーがズボンの裾に触れたんですね。大いに後悔と反省をしております。今後はおっしゃる通りベンチレーターを開けて、テントに触れないところでバーナーを使い、その間はじっとしているようにします。
ではでは。よいお年を〜
フライシートとズボンに穴!の謎が解けました。
そういうことですか。
これでスッキリして新しい年を迎えることができます。
夜の怖いのは克服されたのですね。
私は夜も怖いですが、熊がこわいです。か弱い元乙女ですので。
MOZARTさんも、よいお年を😊
今回は自分でも驚くほどの長文になってしまいましたが、読んでいただいたようでありがたいです。
また来年もどうぞよろしく〜🐇
フライシートは補修すればなんとかなりそうやね。靴は買い替えなあかんのかな?
「MOZART」氏の山行記録はワイの刺激にもなっているので、またどこかのお山にに行きたくなるわ。お互いに事故には気をつけよう。今年もよろしく〜。
また一緒にキャンプ行けるのを楽しみにしてまっさ〜
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