記録ID: 51396
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ハイキング
九州・沖縄
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)57・高良酒造訪問、そして鹿児島へ。
2006年12月28日(木) 〜
2006年12月31日(日)
- GPS
- 80:00
- 距離
- 72.1km
- 登り
- 743m
- 下り
- 741m
コースタイム
12/28 川辺町突入。
12/29 高良酒造訪問、夜の鹿児島へ。
12/30 年の瀬、鹿児島見物。
12/31 夜の船、前半戦終了。
12/29 高良酒造訪問、夜の鹿児島へ。
12/30 年の瀬、鹿児島見物。
12/31 夜の船、前半戦終了。
過去天気図(気象庁) | 2006年12月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
12/28 朝から強い風が吹いている。天気予報は「ひねもす曇り。」と言い張っているが、小雨混じりの何とも寒々しい空模様。気圧配置としては、台湾沖の低気圧が日本の南岸を抜けて冬型が決まっているハズだ。冬型の影響って鹿児島ではどうなんだろう?冬の九州は初めてなので、その辺の塩梅がよく分からない。目の前の状況を見る限り、わりと敏感に影響が出るとしか思えんな。せめて気温が上がるのを待とう、ということで近所のコンビニで立ち読みしながら様子を伺ってみる。「エブリワン」という九州ではよく見かけるチェーン店。エブリワンでは店内でパンを焼いていて、焼きたてのパンが買える。1個50円の小さな菓子パンなどもあって、おやつに丁度いい。ついつい手が出てしまう。 30分ほどたそがれてから出発。今日はラジヲをポケットに突っ込んで、ひねもすFM放送を聴きながら歩く。年末らしく今年度のランキング特番などをやっている。年の瀬ムードも15%増量の気配。 時折思い出したやうにバラバラと落ちてくる雨粒に震えながら、トボトボと濡れた路面を辿っていく。別に急ぎもしない。今日は川辺町まで移動したら行動終了の予定。そしていよいよ明日は憧れの「高良酒造」訪問である。高良酒造の主要銘柄は『八幡』。かつては愛飲したものであるが、焼酎ブームが加熱するにつれて入手が困難になってしまった銘柄である。 僕が初めて知った芋焼酎は、屋久島帰りの友人が手土産に持ち帰って来た『三岳』である。彼の地では五合瓶が自販機で売られているという話もビックリだったが、その旨さにも衝撃を受けた。日本にもこんなに旨い蒸留酒があったとは・・・。当時は芋焼酎というと「臭い」の一言で敬遠されてしまう存在だった。札幌では扱う店も無かったので、友人と共同購入で鹿児島の酒屋から取り寄せては飲み比べごっこをして遊んだものである。往時、我が家の古ぼけたコタツの上には『佐藤(白、黒)』や『魔王』などが当たり前のように並び、今にして思えば贅沢だったのだが、その中でも『八幡』はダントツに美味かった。その後、ブームが来て幾つかの焼酎がプレミア焼酎としてもてはやされるようになった。まさか『八幡』には関係あるまいと時流を傍観していたのだが、その『八幡』もいつしか手に入らなくなってしまった。ネット通販で色々な銘柄を取り寄せては飲んで見たものだが、それはすべて『八幡』に代わる銘柄を探すためだったと言っても過言ではない。そして思い知った。八幡に代わる酒などこの世にはないのだ。その憧れの高良酒造を明日は訪問することが出来る。きっと余程素敵なところに相違ないよ。僕としては珍しく周到なことに、事前にアポを取ってある。門前払いされる心配はない。あとはちゃんと歩いていけば良いのだ。 それにしても冷える一日である。寒気でも入っているのだろうか?南九州でこんなに冬型の影響が如実に現れるとは意外だ。シャッターを降ろした商店の軒先で缶コーヒーなど啜ってみるも一向に暖まらない。休んでいると却って消耗だな。川辺町には温泉があるようなのでゆっくり暖まりたいものよ。 日暮れ前、川辺市街に突入。道端に立つ消火栓の標識に「八幡」の看板が風に揺られているのが目に入る。感動的な光景。聖地にたどり着いた巡礼者の心境ってのは、こんな感じなのかもしれない。さらには「高良酒造」の看板を掲げている酒屋をも路傍に見出す。も、もしやあるのか?八幡・・・。と、期待にはち切れそうになりながら店内に躍り込むも、高良酒造の酒は見当たらない。訊けば完全予約制になっているとのこと。残念。しかしさすが地元だな。この分なら何処かで手に入るんじゃないのか? さらにもう一軒、今度はディスカウントの量販店があったので探ってみる。店の人に訊いてみるも、 「ああ、あれはねえ、滅多に入ってこないから。」 と心なしか素っ気ない態度であしらわれる。やはり地元でも手に入らないのだろうか。もしかしたら 「あーあ、また出やがったよ、にわか焼酎ファン。おまいらのせいでこっちは地元の焼酎が飲めなくなっちまったんだぜ?」 などと思われているのかもしれない。思ってないか。ともかく凄く寂しい気分になってしまったので、温泉に入って温まっておくことにする。ということでその辺を歩いている買い物帰りのおばちゃんをつかまえて、温泉の所在を確認。歩いて五分くらいの所にあるそうで、丁寧に教えてくれる。曰く、 「いいお湯だよぉ。」 そいつは楽しみだ。 教えられた道をトボトボと辿っていくと、道端にデイリーヤマザキを見つける。この店は表向きコンビニだが、店の裏手には酒造所の看板などが置かれている。かつての酒屋さんがコンビニに商売換えしたものに違いない。念のためこの店も覗いておくことにする。我ながら見上げたガッツだぜ。 店内に入るとすぐに、山吹色を基調にした懐かしいラベルが目に飛び込んでくる。何てこった、八幡じゃねえか・・・。一升瓶が「吹上」や「小松帯刀」と抱き合わせの二本セットになって飾られている。こ、これは売り物なのか?待て待て、ここで急いては事をし損じるぞぃ・・・などと意味不明な警句を自分に言い聞かせながら、さらに店内を物色してみる。奥のお酒コーナーを検めると、あるある、八幡の五合瓶が黒伊佐錦と並んで、健気にも950円で売られている。軽い眩暈を覚えつつ、一本手に取ってレジへ。一升瓶はないのかと訊いてみる。やはり完全予約制になっていて、購入には半年ほど待たねばならぬとのこと。 「じ、じゃあ、あの、あれもまさか・・・」 先程目にした抱き合わせの一升瓶を指差す。まさか、予約の品を並べてるだけなのか? 「ああ、あれね。年末っつーことでたまたま入ってきたんですよ。」 地元でも普段はまずお目にかかれないそうで、ここでめぐり逢えたのはラッキーとのこと。 「2セットとも買っちゃってよろしいですか?」 「あい。」 ということで、地元の人には申し訳ないが陳列されていた2セットとも購入。一つは岐阜のMacchanへ。もう一本は札幌のアフターダークカフェに送る。(ちなみに焼酎を共同購入して利き酒ごっこをして遊んだ友人というのがMacchanなので。)宅配便の手続きなどしていると、 「『田倉』もありますよ、四合瓶ですけど。」 との声が。なんと、俺を殺す気か?むーん、背負えないので今回のところは見送っておいた。もお、八幡が一本あれば充分です、僕は。この店では県外の者でも予約さえ入れておけば購入が可能だとのことだった。それってつまり「適当な頃合いに予約を入れておけば札幌帰着の祝杯を八幡で挙げる事も可能」ってこと?やはり川辺町に足を運んで正解だった。価格は一本1800円。定価である。(ちなみに、後にこのお店に連絡を入れてみたところ、予約は受付なくなったとのこと。理由は不明。この記事を執筆現在、「八幡」は楽天市場で四〜五千円で購入可能の様子。ま、買えない値段じゃないな。) そんなこんなでホクホクとした気分で温泉へ。「わくわく館」というところ。ちょっと硫黄臭のする湯である。なるほど、おばちゃんの言う通り、いい湯である。湯上がり、休憩室でテレビを見ていると、夏の集中豪雨で川内川が氾濫した時の被災地の、その後の復興の様子をニュースでやっていた。そうか、あの綺麗な川内川も暴れたんだなぁ。「虎居」という町である。「Try、トライ、虎居!」とかってキャッチコピーが付いてそうだな。 新聞で天気図を確認してみると、やはり冬型がガッチリ決まっている。明日以降晴れが続くとの予報だが、冷え込みそうだ。 温泉の近くに運動公園があったので、陸上競技場に忍び込んで野営。地鶏の煮物を相手に、久々の八幡を嘗める。相変わらず旨いよなぁ。このコクは他には無いよ。今夜はシュラフの中に抱いて一緒に寝ることにしよう。うっかり割ってしまったら大変だからね。 12/29 空はカラリと晴れ渡ったが、放射冷却で気温はグッと低い。風も強く寒い一日になりそうな予感。つい2日前、シャツを脱いで歩いていたのがウソのようだ。朝っぱらから昨夜の残りの地鶏鍋を無理やり平らげて出発。運動公園脇の神社を抜けて行く。急な石段でトレーニングする少年とすれ違う。 町外れの大きい病院の公衆電話から高良酒造さんに電話を入れて、これから向かう旨を伝えておく。世はまさにケータイ花盛りなので、公衆電話を探すのも一苦労なのだ。病院の駐車場の一角では、何故か焼き芋売りのおっちゃんが軽トラの店舗を構えている。こんなところで商売になるのかなぁ?などと思いつつ通り過ぎようとしたら捕まった。焼き芋やミカンを貰うが、代わりに何か面白い話でも聞かせろ、とのことである。むーん、無茶ぶり。しかし安納芋の焼き芋は旨いよなぁ。 ピューピューと寒風の吹き荒ぶ田圃の中の一本道を行く。如何にも年の瀬って感じの北風である。「宮」のバス停を路傍に見やりつつしばらく行くと、あったあった。高良酒造の青い看板が見えてくる。なんとも地味な田舎家で、看板が無かったら気付きそうにもない。人の気配がないので勝手に突入を敢行する。トコトコと奥の方へ入っていくと、作業場から奥さんが出てくる。フリースの着こなしなど、何処となく山系な雰囲気を漂わせている。このニュアンス、分かる人には分かると思う。 「あれ、歩いて来たんですね。遅いからどうしたのかと思ってたんですよ。」 などと言われた。ちゃんと歩いて行く旨は伝えておいたハズだが、徒歩旅行をしているってとこから説明しないと通じないのかもしれない。「いや、電話を借りた病院の駐車場で、焼き芋屋のおじさんに捕まってしまいまして・・・。」などと言い訳しておいた。 奥さんは気さくな方で作業場の方へ案内しながらあれこれと説明してくれる。なんでも、高良酒造では芋の裁断と瓶詰以外はすべて家族でやっている、とのこと。本格的な小規模経営なのだ。道理で品薄な訳である。今年の仕込み作業はすべて終了してしまったとのことで、蔵の甕も見せてもらったが、空っぽだった。よく芋焼酎のラベルに「かめ壷仕込み」などと書かれているのを見かけるが、あれを始めたのは高良酒造さんだという記事を何処かで読んだことがある。芋焼酎を甕で仕込むのは自明のことだから、昔は誰もラベルに明記したりしなかったそうだ。 庭には清水を湛えた池がある。背後には小高い丘。風情のある構えである。なんでも敷地の真下が地下水の巨大な水瓶になっているそうで、池の水は湧水だという。 「いくらでも湧いて出るんでね、仕込み水に使うんですよ。」 奥さんはそう言いながら、びゃーっとホースで水を撒き散らして見せてくれた。 池の背後の丘には、昔々神社があったそうで。今は訳あって別の場所に移転しているが、高良さんの家系はそもそもそこの神主さんだったとのこと。「田倉」はその神社から採った名前だそうである。そう聞くと「八幡」の名にも納得がいく。むーん、神々しいぜ高良酒造。 昨今の焼酎ブームでは「黒麹」を有り難がる風潮があるように思う。しかし高良酒造のラインナップに黒麹を謳った銘柄はない。あくまで白麹というのが高良酒造のこだわりなのだ。まったく同感だ。佐藤の黒など個性的で面白いとは思うが、芋の優しい甘さは白麹でこそ引き立つというもの。その高良さんも一度黒麹を仕込んだことがあるそうだ。世間があまりにも「黒麹、黒麹」ともて囃すので試してみたとのこと。しかし完成品は納得のいくものとは程遠く、「こらあかん、とても出荷出来るやうな代物やないでぇ。」と思い悩んだ挙句、たいした妙案もないまま甕はそのまま放置された。さて、数年が経つ頃、ふとその甕を思い出して飲んでみると、なんじゃこりゃ?美味いじゃないの・・・。というのが古八幡の始まりだそうだ。奥さんがそう言うんだから間違いない。ちゃんと調べた訳ではないが、芋焼酎の古酒みたいなものを商品化したのは高良酒造が最初ではないかと思う。高良酒造というと朴訥な骨太の酒、というイメージが強いが、高良さんは案外アイデアマンなのである。 名残惜しい高良酒造を後にする。短い時間だったが実に有意義な訪問だった。ご主人の話を聞けなかったのが残念だが、年末のことで何かと忙しかったのかも知れない。訳の分からん珍客を敬遠したのかもしれない。その両方ってのが実際のところだろう。それでも僕は非常に満足した。お土産に湯呑を持たせてもらう。これは年末年始の挨拶に業者さんなどに配るものだそうで、白地に青く「八幡」と書かれている。わわわ、超うれすい。さすがのヤフオクでもこいつばかりは手に入らないと思うよ。高良酒造、神秘の酒蔵である。 田圃の中の道を引き返す。風除けもなく異常に寒い。チ○ポが縮み上がって、千切れそうだ。エブリワンで買ったサータアンダーギー(沖縄風ドーナツ)を齧りつつ歩いていると、清水磨崖仏というのがあったのでしばし見物していく。なるほど崖に沢山の仏様が掘られている。凄いのかなぁ。凄いんだろうなぁ。別にあまり興味ないかも。とてつもなく静かな公園である。野営地としてうってつけだ。行動を打ちきりたい誘惑を抑えて出発。今日中に峠を越えて鹿児島市街に入るつもりだ。 上り坂を辿っていくと、峠の近くに温泉がある。「鏡石湯」という鉱泉である。別にここで無理に湯を使う必然性は一切無かったが入浴してみる。別に何ということもない鉱泉である。 湯上がり、峠に向かってトボトボ歩いていると、誰やら後ろから呼び止めるものがいる。例によってラジヲを聞きながら年末気分を盛り上げていたところなので、ザックを叩かれるまで気付かなかった。斯くも見事に俺様の背後を取るとは只者ではないな・・・?振り返ると、果たして高良さんの奥さんであった。なんでも年末の買出しに鹿児島まで行く途中で、道端に妙なのを見つけたので声を掛けてくれたそうだ。良かったら鹿児島まで乗って行かないか、言って頂いた。ここから鹿児島まで、車で行けば一時間弱ってとこだろう。その間、お酒造りの話など伺いつつ同行させて頂けば、さぞや良いおもひでになったに違いない。しかし札幌から半年余りを掛けて歩いて来た旅の、最後の締めくくりである。この20数キロは自分の足で歩かない訳には行くまい。折角の申し出であったが断ってしまった。思い返すも惜しいことをしたものだ。 川辺峠のトンネルを抜けると、眼下に錦江湾が見えてくる。西陽に伸びた山影が鹿児島の街を半分被っているのも見える。その向こう、洋上には桜島がちゅどーんとそそり立っている。実にいい眺めである。はひーん。たうたう来たんだ。 東側斜面に入った途端に、道はグネグネと曲がりくねった狭い道になる。日当たりが悪く寒さ倍増。特に何の趣向もなく、黙々と坂を下って行くとやがて道は町中へ突入。さて今夜の寝床はどうしたものか。別にどうでもいいか。何の策も無いまま適当に中心街へ向かって歩いていく。もうすっかり日も沈んで真っ暗である。ここまで来ればもはや明日のことなんて何の心配もない。ナイトハイク上等である。取り敢えず洗濯でもしとくか?ということに相談が決まって、目についたボロっちいコインランドリィにしけこむ。ソファを修繕するガムテープなど、仲々の侘び寂びが滲んでいる。古ぼけたテレビが女子フィギュアスケートの全日本選手権の模様を映している。ショートプログラムで出遅れた浅田真央がフリーで大逆転。ぶっちぎりの優勝である。アナウンサーの実況も 「これが真央の青春だっ!」 などと大変な盛り上がり様。僕はこう見えて案外真央ちゃんLOVEだったりする。トリプルアクセルのあとのガッツポーズ、しびれたなぁ。夜のコインランドリィでヒゲのむさい男が 「まお〜、まお〜。」 と号泣しながら連呼する様は、さながら地獄絵図だったろうね。 そうこうするうちに、時計はとっくに8時をまわった。真っ暗な夜道を歩いていく。海沿いに出てみたが工業地帯が続いており、テントをおっ立ててみようという感じでもない。ラジヲを聞きながらアテもなく歩いていく。木村拓哉がさんまとお正月番組の収録をした時の話などしている。しかし行けども行けども、野営適地が見付からない。まあ、だったら歩けばいいさ。時計はそろそろ12時をまわったろうか?いい加減疲れたので、堤防の上のヘンテコなところで寝ることにする。こういうのを「へなとこビバーク」という。 12/30 人の気配で目が覚める。テントから顔を出してみると、例によって釣り師である。何なんだろうね、釣り師って。向こうも「何だ?」って顔をしている。ま、無理もないかな。へなとこビバークだからね。 明るくなって、ようやく現在地がはっきりする。昨夜はどうやら南港という所で寝たらしい。鹿児島の中心街はもう目と鼻の先である。ゆっくり朝食を食べてから出発。 取り敢えず鹿児島中央駅に行くことにする。予約したフェリーは明日の便なので、今日はひねもす鹿児島くゎんこうと洒落る余裕がある。朝の街並みが妙によそよそしく見えるのは気のせいだろうか。沖縄へ向かう前にいらない荷物を東京のSの所に送っておくことにする。Sは大学時代の後輩であるが、大変無気力な男である。「やがてSは一本の棒であった」といった新感覚派風のフレーズが似合いそうな、ひょろ長い人物である。実は僕の携帯しているカメラはSから譲り受けたものである。Sは高校時代から写真ごっこを嗜んでいたそうで、カメラに関しては僕なんかより余程詳しい。無気力な男ではあるがフィルムの保管などについては信頼が置けるような気がする。札幌の僕の部屋は雨漏りのする物置みたいな部屋なので、フィルムを保管するのはちょっと不安という事情もあって、撮り貯めたフィルムや日記帳なんかはSに保管してもらうことにしているのだ。真砂町のダイエーでダンボールを貰って荷造り。撮影済のフィルムが40本くらいと、日記帳、レベルブック、高良さんから頂いた湯呑など。それから文化鍋も送ってしまうことにした。ちょっとでもお米を美味しく炊きたいという願いから、僕はここまで、あの重たい文化鍋を担いで来たのだった。本来、軽量化の名の元に真っ先に除外されて然るべき装備である。文化鍋を使って焚き火で炊いたご飯は相当に美味しい。道中、至る所で活躍してくれた鍋ではあるが、冬になって焚き火をしなくなってからというもの出番がメッキリ減ってしまっていた。復路ではまた活躍してもらおうとも思っていたのだが、鹿児島市街に突入するや否や、何故か急にこの鍋の存在が疎ましくなってしまった。文化鍋を抜いてしまうと、荷物は一回り軽くコンパクトになった印象。初めから持ってくるべきではなかったな。気付くの遅過ぎ。 街の中心に近づくにつれ、どっちへ行っていいやら分からなくなる。鹿児島大学のキャンパスを右手に見やりつつ、市電沿いの道を歩いていくと無事鹿児島中央駅に到着。着いたのはいいが、別にこれといって駅に用事がある訳でもない。さて、これからどうしたものかな?一応ここを往路のゴール地点と考えても良さそうな気もする。しかし不思議と別段の感慨も湧いてこない。気分的には関門海峡を渡った時の方が余程盛り上がったように思う。半年もかけたんだから着いて当然という気がしただけである。 僕は10年近い以前、一度鹿児島を訪れたことがある。その時の記憶だと、ここ中央駅より「鹿児島駅」の方が風情があって楽しげだった印象がある。フェリーターミナルにも近いし。ということで、鹿児島駅の方へ移動してみる。「鹿児島中央駅」は特急発着などの都合から鹿児島の玄関口となっているが、駅前の街並みは何となくよそよそしい感じがする。 天文館に差し掛かるあたりで、犬を連れたおっちゃんに呼び止められる。見るからに浮き世離れした御仁である。変な荷物を背負って歩いていると、様々な人に呼び止められるものだ。少し話したところ、やはり放浪癖のあるお方のようで、今も旅行で鹿児島に滞在中とのことだった。なんか寝床を世話してくれそうな話の流れになったが、あまり深入りせずに別れる。都会ではルーズにやりたかったもので。 天文館の「山形屋」というデパートのクロークで無料で荷物を預かってくれるというので利用してみる。もちろんこれは買い物客に対するサービスな訳だが、僕の薄汚いザックでもちゃんと預かってくれる。さすが山形屋、太っ腹だぜ。何も買わないのでは申し訳ないような気もするので、ステーショナリィ売り場を見にいく。モールスキンのノートがあれば買っておくつもりだったが置いてなかった。他にはデパートで買うようなものは何も思いつかない。ま、いいか。 身軽になってアーケードをうろついてみる。年越しそばやら天ぷらやら、年の瀬グッズを売る出店も多く、町は年末ムード満点である。鹿児島駅に行ってみるも、10年前とはだいぶ様変わりしている。確か駅の下にサラリーマンが楽しげにお酒を飲んでる店があったはずだが潰れてしまったようだ。今夜はここで一杯と思っていたので残念。しかも駅にザックが入るようなサイズのコインロッカーが無いことが判明。中央駅に預けてくれば良かった。 桜島フェリーのターミナル方面へ歩いて行ってみる。なんだか妙にキラキラしたデカい建物が見えてるけど、あれがフェリー乗り場なのか?もっと侘び寂びの滲んだ施設だったように記憶しているが、改築したのだろうか。ちょっと興醒めな気がしたのでクルリと踵を返して再び天文館へ。今日も耳にはラジヲのイヤホン。図らずも土曜日の夕暮れ。今年最後のアヴァンティである。 山形屋が閉まる前にクロークから荷物を受け出す。なんだかとっても恥ずかしかった。中央駅まで戻ってコインロッカーを使うってのも面倒なので、荷物を背負ったまま夜の天文館を彷徨く。町は120%年の瀬モード。浮かれ騒ぐ人の波。煌めくネオン。しかしこの繁華街には、行けども行けども僕が落ち着けそうな場所がない。何処かこじんまりとした居酒屋の隅っこで地鶏の炭焼きでも齧ってみたいところだが・・・。土台、ザックを背負って繁華街を彷徨くのが間違っているのだ。ちょっと煤けた赤提灯の店に入ってみる。狭いカウンターに腰を落ち着ける。何処からかしおしおと有線が流れている。生憎地鶏は無かったので、カツオのハラカワと蔵の神をロックで。隣にいたサラリーマンの3人組が仲々陽気に飲んでいる。何故か一緒に乾杯したりする。何の乾杯なのか今ひとつ分からないまま盃を重ねる。まあ、この際何でもいいか。年末だし。 12/31 今日も性凝りも無くデパートに荷物を預けて町を散策する。昨日は山形屋だったので今日は三越。フィルムを補充しておこうとカメラ屋を物色。今日び、モノクロフィルムは大きい街でないと手に入らない。某大手チェーン店で訊ねた所、モノクロフィルムは郊外の大型店舗でしか扱っていないとのこと。地図をコピーして渡してくれたが、市電に乗って行かねばならず、結構面倒なことになりそうだったので止めておいた。うっかり船の時間に間に合わなかったりしたら大変だ。フィルムは節約することにしよう。 船で読む本でも仕入れておこうかと、古本屋を物色。流れ的に林芙美子の『放浪記』あたりが宜しかろうと思ったのだが、林芙美子ない。古本じゃなくてもいいか、ということでジュンク堂にいってみるもやはり林芙美子ない。鹿児島には林芙美子ないのか?別に林芙美子じゃなくてもいいか。また宮沢賢治か遠藤周作でも読むとするかね。 三越で荷物を受け出して、フェリーターミナルへ。出港までにはまだ間があるが、待合室は既に一杯の人出。洋上で年を越そうという粋な人たちが集まっている。みんな何処から来て何処へ行くのだろう。ささやかな贅沢としてヱビスビールなど飲んでいるうちに乗船時間になる。 二等船室は満員である。家族連れの姿も多い。繁忙期のフェリーに乗ったことのある人なら分かると思うが、満室の二等客室というのは結構しんどいものである。隣に乗り合わせたおっちゃんと少し話をする。奄美出身の方で、正月は毎年実家で過ごすんだとか。バプティストだというから敬虔なクリスチャンに相違ない。遠藤周作を読んでいたせいか、クリスチャンに妙な親近感を覚える。 「実家に着いたら屋根のペンキを塗り替えないといけない。」 などとおっしゃっていた。僕もほろ酔いだったせいか多少口が軽い。 「船ってのは、全然関係ない人たちが寄り集まってきて、同じ方向に運ばれてる感じがしていいですよね。」 みたいなことを喋ったと思う。 出港は夜。とうに日は沈んで、夜の帳が鹿児島の港を包んでいる。出港の風景をデッキから眺める。寒さでビールのほろ酔いなどあっという間に醒めてしまう。見下ろすと、10人程の子供達が埠頭に集まっているのが見える。多分、友達が乗っているのだろう。船が埠頭を離れると、一生懸命走って追いかけてくる。頻りと手を振ったり、口々に何か叫んだりしている。 「ばいばーいっ。」 「よいおとしをーっ。」 遠ざかる街の灯を眺めながら、僕はあのネオンの中に何かとても大事なものを忘れてきてしまったような気分になる。こんな場面では有りがちなことだ。しかし、僕の忘れてきた大事なものって一体何なんだろう。そんなものないのか。 夜の海に無限のサウダージが広がってゆく。 ソレデハ ミナサン ドウゾ ヨイオトシヲ・・・。 |
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俺等はあの夫妻の造る酒を飲み下していたのかぁ。。。御両人共雰囲気在るなゃ。芋焼酎は何たって白だ。だがしかし、古八幡の正体が黒麹だったとは知らなんだ。今度ウチに来る時ゃ八幡湯呑持ってこいや。
当時から三年経って、今どうよ?
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