岩沼志賀高原(岩と滝と古刹を巡る)
- GPS
- 03:19
- 距離
- 8.4km
- 登り
- 525m
- 下り
- 502m
コースタイム
天候 | 晴れのち曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
沢は足場が悪い。伐採地の作業道は雪解けでどろどろ。ハイキングコースは問題なし。 |
写真
装備
個人装備 |
長靴
|
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感想
岩沼の『志賀高原ハイキングコース』といっても知らない人のほうが多いと思う。近くに貞観2年(860)慈覚大師円仁が近江国志賀から薬師如来を移して開基したと伝えられる岩蔵寺があり、この岩蔵寺を中心に整備されたハイキングコースを指す。三方塚や西大森、中井や大師温泉(現在は廃業)をつなぐコースが整備されている。
名取丘陵の一部ともいえるが、大岩や滝、急崖などが随所にあり、ハイキングコースを離れて歩き回るとなかなか楽しい山域だ。今回は旧大師温泉付近の駐車スペースを起点に、巨岩の沢から天狗岩、大滝、三方塚、深山展望台、岩蔵寺と歩いた。沢と藪のルートは安全とは言えないが、いろいろ新たな発見があって充実感があった。特に、岩蔵寺について調べてみると面白い言い伝えがあることが分かった。
以下は、「宮城県の町並みと歴史建築」からの引用 https://www.miyatabi.net/
『当地に伝わる伝説によると、円仁が薬師如来を安置し一宇を設けようとすると、女官が出現し我が所有する霊地である事から固く拒みました。すると円仁は十年で良いからと低姿勢で懇願し、どうにか証文を渡し岩蔵寺を創建する事が出来ました。
十年後、女官は約束通り霊地を返して欲しいと訪ねてくると、円仁は証文には十年とは書いないと土地を返すのを固く拒否。女官が改めて証文を読み返してみると十の上に点が打ってあり、円仁はこれは千年の約定であると声高に答えました。
すると女官は、あなた様は尊い仏に仕え高僧の呼び声高いお方なのに、人の道理に外れた事を平気でするとは何事だ、このような行為は仏が許しても、深山権現の化身である私(女官)は許す事は出来ません。と大きな声を上げると、大蛇に変化し円仁に襲い掛かりました。
円仁も法力で対抗し戦いは二夜三日続き、遂に大蛇が力尽きました。円仁は大蛇を大石に封印、その上に不動尊を建立し供養したと伝えられています。伝説の真偽は判りませんが、元々地元神として信仰の中心だった深山権現が仏教の普及により追いやられた事が伝説の題材になったかも知れません。
岩蔵寺境内の前には現在も山門ではなく鳥居があるなど神仏混合の形態が今も留め、石段も苔むし当時の雰囲気を感じる事が出来ます。本堂は三間四面の宝形造りで一間の向拝を持つ素朴な建物ですが、山深く佇む様は郷愁を誘います。
建物内部には本尊の薬師如来を中心として両脇に日光菩薩、月光菩薩が安置され、運慶が彫り込んだとされる木造十二神将、狩野法眼(鎌倉時代)が描いたとされる絵馬などが納められています。宗派:天台宗。本尊:薬師如来。』
慈覚大師もひどいことをするという逸話だが、当時の奥州に仏教を布教する事業は一筋縄ではいかず、地元神を祭る人々との軋轢も多かったのだろう。この地に祭られた深山権現とはどんな「産土の神」だったのかな。
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