記録ID: 5179946
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無雪期ピークハント/縦走
東海
【中濃】和良岳 (716m)
2023年02月15日(水) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 02:30
- 距離
- 4.6km
- 登り
- 398m
- 下り
- 396m
コースタイム
下洞には陣屋跡があった。領地の年貢米の取り立てや、治安の維持にあたっていたと言う。近くの余地に車を停めた。
夜が明けるのを待って下洞の集落まで道路を下る。民家の横を抜け、茶畑跡から登山道に入る。急な山道をひと登りすると、明るい尾根道となった。展望は樹間程度だが、高賀三山や大洞山がかすんで見えた。
和良岳はあっという間で、三角点には何と、松ぼっくりが置いてあった。ホンドリスの食痕だ。何ておしゃれなヤツだろう。花こう岩の標石をテーブル代わりにするなんて。
山頂には、和良小学校の学校登山の登頂記念のプレートがいくつも立っている。山間の学校なので、クラスの人数は十数人か。プレートには「最高の絆」「助け合う仲間」などと書かれている。結束の強さを感じさせるプレートが、過疎の村の若いエネルギーを伝えてくれる。
ただ、気になったのは、その年号は平成最後の年度ばかり。令和のものは、まったくない。平成31年に、和良小は美山の西和良小と統合している。山間部の小学校は子どもの数が減るばかり。複式学級も少なくない。
山頂から北に向かった。鹿倉峠まで歩いても良かったが、下山してからの予定もあるので、真那洞に向かう道を拾った。
少し下ると、鉄塔分岐だった。鉄塔に寄り道する。「おや」と思ったのは、峠に祠があったことだった。
ここが土京峠(580m)か。土京や畑佐の子どもたちは、ここを毎日越えて、和良町沢の学校へと通った。鹿倉峠もそうだ。鹿倉の子供たちもまた、たくましく峠を越えて通学した。
時代の移り変わりに思いを馳せながら、真那洞に降りていく。防獣ネットに囲まれた耕作地から木橋を渡る。ここには、狭いながらも、牛馬を使い、生活の糧を得る水田があったと聞く。しかし、それも今は昔だ。
人影の見えない寒村。遠くに、おばあさんの姿が視野に入った。「元気で過ごしてね」と、思わず心の中で呼びかける。
夜が明けるのを待って下洞の集落まで道路を下る。民家の横を抜け、茶畑跡から登山道に入る。急な山道をひと登りすると、明るい尾根道となった。展望は樹間程度だが、高賀三山や大洞山がかすんで見えた。
和良岳はあっという間で、三角点には何と、松ぼっくりが置いてあった。ホンドリスの食痕だ。何ておしゃれなヤツだろう。花こう岩の標石をテーブル代わりにするなんて。
山頂には、和良小学校の学校登山の登頂記念のプレートがいくつも立っている。山間の学校なので、クラスの人数は十数人か。プレートには「最高の絆」「助け合う仲間」などと書かれている。結束の強さを感じさせるプレートが、過疎の村の若いエネルギーを伝えてくれる。
ただ、気になったのは、その年号は平成最後の年度ばかり。令和のものは、まったくない。平成31年に、和良小は美山の西和良小と統合している。山間部の小学校は子どもの数が減るばかり。複式学級も少なくない。
山頂から北に向かった。鹿倉峠まで歩いても良かったが、下山してからの予定もあるので、真那洞に向かう道を拾った。
少し下ると、鉄塔分岐だった。鉄塔に寄り道する。「おや」と思ったのは、峠に祠があったことだった。
ここが土京峠(580m)か。土京や畑佐の子どもたちは、ここを毎日越えて、和良町沢の学校へと通った。鹿倉峠もそうだ。鹿倉の子供たちもまた、たくましく峠を越えて通学した。
時代の移り変わりに思いを馳せながら、真那洞に降りていく。防獣ネットに囲まれた耕作地から木橋を渡る。ここには、狭いながらも、牛馬を使い、生活の糧を得る水田があったと聞く。しかし、それも今は昔だ。
人影の見えない寒村。遠くに、おばあさんの姿が視野に入った。「元気で過ごしてね」と、思わず心の中で呼びかける。
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