記録ID: 5300736
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ハイキング
京都・北摂
山科を歩く 旧三条通、渋谷街道、大石道
2023年03月24日(金) [日帰り]


- GPS
- 03:13
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 44m
- 下り
- 27m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
26疏水煉瓦工場跡碑
琵琶湖疏水工事に伴い大量の煉瓦が必要になり、田辺朔郎の指示 で天智天皇陵周辺に疏水用煉瓦製造所が開設されました。 東野森野町に良い土がありそれを運搬したといいます。現在の地下鉄東西線御陵駅の二番出口に記念碑が建っています。
(山科検定テキスト)
琵琶湖疏水工事に伴い大量の煉瓦が必要になり、田辺朔郎の指示 で天智天皇陵周辺に疏水用煉瓦製造所が開設されました。 東野森野町に良い土がありそれを運搬したといいます。現在の地下鉄東西線御陵駅の二番出口に記念碑が建っています。
(山科検定テキスト)
このお地蔵さんは違うと思いますが・・・。
近くに亀の水不動尊があるはずですが見つかりません(-_-;)
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27亀の水不動尊
木食正禅は日ノ岡峠改修のため住居を近くに移し「木食寺梅香庵」と名付けました。そして境内に井戸を掘り、その湧水で旅人に湯茶の接待や牛馬の水飲場を設けました。これを「量救水」といいます。旧三条通の日ノ岡峠に差しかかる日ノ岡ホッパラ町辺りにあります。亀の形をした石の口から落としたため、以降 「亀の水」と呼ばれるようになり、後に「亀の水不動尊」が奉られました。 少し西に行くと「酔芙蓉の寺」として知られる大乗寺があります。
(山科検定テキスト)
近くに亀の水不動尊があるはずですが見つかりません(-_-;)
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27亀の水不動尊
木食正禅は日ノ岡峠改修のため住居を近くに移し「木食寺梅香庵」と名付けました。そして境内に井戸を掘り、その湧水で旅人に湯茶の接待や牛馬の水飲場を設けました。これを「量救水」といいます。旧三条通の日ノ岡峠に差しかかる日ノ岡ホッパラ町辺りにあります。亀の形をした石の口から落としたため、以降 「亀の水」と呼ばれるようになり、後に「亀の水不動尊」が奉られました。 少し西に行くと「酔芙蓉の寺」として知られる大乗寺があります。
(山科検定テキスト)
24陵ヶ岡みどりの
一九九七(平成九)年一〇月 二日、市営地下鉄東西線の開通に伴い、京阪電車京津線の廃線跡を利用して造られた公園です。三通の踏切のあった場所から御陵跡までが散策路となっています。自治連主催の「陵ヶ岡みどりのふれあいまつり」が開催され、各種団体による模擬店、ブラスバ ンド演奏など多彩なプログラムが組
まれて地域住民のふれあいの場なっています。
(山科検定テキスト)
一九九七(平成九)年一〇月 二日、市営地下鉄東西線の開通に伴い、京阪電車京津線の廃線跡を利用して造られた公園です。三通の踏切のあった場所から御陵跡までが散策路となっています。自治連主催の「陵ヶ岡みどりのふれあいまつり」が開催され、各種団体による模擬店、ブラスバ ンド演奏など多彩なプログラムが組
まれて地域住民のふれあいの場なっています。
(山科検定テキスト)
37吉田初三郎墓碑
吉田初三郎は、大正時代から昭和時代前期にかけて活躍した人で、観光絵図作家あるいは優れた鳥瞰図作家として全国的にも有名で、「大正広重」などとも呼ばれていました。
當麻寺岡之芝墓地南側にある墳墓は東面に「初三郎(よしだ)家 墳墓」と書かれており、西面には「昭和十四年六月十四日建之」と
書かれています。
(山科検定テキスト)
吉田初三郎は、大正時代から昭和時代前期にかけて活躍した人で、観光絵図作家あるいは優れた鳥瞰図作家として全国的にも有名で、「大正広重」などとも呼ばれていました。
當麻寺岡之芝墓地南側にある墳墓は東面に「初三郎(よしだ)家 墳墓」と書かれており、西面には「昭和十四年六月十四日建之」と
書かれています。
(山科検定テキスト)
38 華山寺
中世に衰退した慈徳寺の旧跡をしのび、妙心寺の愚堂国師が江戸 時代の一六五八年に創建しました。「愚堂国師入定之地」としても知 られ、区民誇りの木(ケヤキ) もあり、境内周辺には地元の方が作られたお地蔵さんも多数並んでいます。
(山科検定テキスト)
中世に衰退した慈徳寺の旧跡をしのび、妙心寺の愚堂国師が江戸 時代の一六五八年に創建しました。「愚堂国師入定之地」としても知 られ、区民誇りの木(ケヤキ) もあり、境内周辺には地元の方が作られたお地蔵さんも多数並んでいます。
(山科検定テキスト)
39元慶寺(がんけいじ・がんぎょうじ)
山科には平安時代に多くの貴族の寺院が造られました。その一つ が元慶寺で、陽成天皇の誕生に際 し、僧正遍昭(照)が発願したも のと言われています。天台宗の寺 で、八六八年に建立され、年号(元慶)を寺名とした年号寺です。応仁文明の乱で荒廃しましたが、そ の後再建され、そのことを記念した石碑も境内に残っています。 また、本堂の扉には「菊」の紋が付けられており、天皇家との深いつながりを伺わせます。 「花山天皇出家の地」としても有名です。 本尊は薬師如来で、お堂には遍昭僧正の木像や、花山天皇の画像も安置されています。また門は「竜宮造りの門」として知られています。
(山科検定テキスト)
山科には平安時代に多くの貴族の寺院が造られました。その一つ が元慶寺で、陽成天皇の誕生に際 し、僧正遍昭(照)が発願したも のと言われています。天台宗の寺 で、八六八年に建立され、年号(元慶)を寺名とした年号寺です。応仁文明の乱で荒廃しましたが、そ の後再建され、そのことを記念した石碑も境内に残っています。 また、本堂の扉には「菊」の紋が付けられており、天皇家との深いつながりを伺わせます。 「花山天皇出家の地」としても有名です。 本尊は薬師如来で、お堂には遍昭僧正の木像や、花山天皇の画像も安置されています。また門は「竜宮造りの門」として知られています。
(山科検定テキスト)
78福應寺
創立年代は不詳ですが、僧正遍昭により創立されました。遍昭が この寺にたくさんの僧侶を集め、 講義を行ったことが、この地が「講田町」となった由来となっています。 また平重盛の念持佛と伝えられる安産地蔵尊も安置されており、梵鐘には遍昭の銘があ
ります。
(山科検定テキスト)
創立年代は不詳ですが、僧正遍昭により創立されました。遍昭が この寺にたくさんの僧侶を集め、 講義を行ったことが、この地が「講田町」となった由来となっています。 また平重盛の念持佛と伝えられる安産地蔵尊も安置されており、梵鐘には遍昭の銘があ
ります。
(山科検定テキスト)
79清水焼団地
一九六八 (昭和四三)年、清水焼 団地は完成し、京焼・清水焼の陶 芸家、窯元、関連業者がこの地に移転しました。京都の陶器、やきものの文化を守り、毎年「陶器まつり」、「楽陶祭」などのイベントが盛大に行われています。
「陶器まつり」とは毎年七月に三日間開催されるイベントです。陶器はもちろん、郷土産品の販売なども行われるなど、毎年全国各地から多くの人が集まる、京の夏の風物詩として親しまれています。 「楽陶祭」は毎年十月に二日間開催される、伝統を踏まえた文化イ ベントで、清水焼の魅力とともに、 清水焼団地の楽しさに触れること ができます。この楽陶祭には京都橘大学の学生も多数参加しており、産学連携により取り組んでいるのが特徴です。
(山科検定テキスト)
一九六八 (昭和四三)年、清水焼 団地は完成し、京焼・清水焼の陶 芸家、窯元、関連業者がこの地に移転しました。京都の陶器、やきものの文化を守り、毎年「陶器まつり」、「楽陶祭」などのイベントが盛大に行われています。
「陶器まつり」とは毎年七月に三日間開催されるイベントです。陶器はもちろん、郷土産品の販売なども行われるなど、毎年全国各地から多くの人が集まる、京の夏の風物詩として親しまれています。 「楽陶祭」は毎年十月に二日間開催される、伝統を踏まえた文化イ ベントで、清水焼の魅力とともに、 清水焼団地の楽しさに触れること ができます。この楽陶祭には京都橘大学の学生も多数参加しており、産学連携により取り組んでいるのが特徴です。
(山科検定テキスト)
42北花山水路記念碑 (東山用水) 山科疏水が完成し、その分水路 が三カ所(四ノ宮・音羽地域、 安朱・ 竹鼻地域、日ノ岡花山地域)に つくられることにより、琵琶湖の水が山科の田畑を潤すことになりま した。こうした諸工事のおかげで、 山科地域は永年の水不足から解放 されて、農業生産量も新たに向上していくことになったのです。 この工事を記念して「北花山水 路記念碑」が一八九六(明治二九)年建立されました。それによれば、 水路建設は、日ノ岡・北花山・上 花山・川田・西野山地域の五村に 農業用水を得るために、一八九一(明治二四)年七月から翌年一二月にか けての大工事であったといいます。 この北花山水路は、現在も花山地 域を北から南へと流れ、田畑を潤しています。
(山科検定テキスト)
(山科検定テキスト)
41六所神社(北花山)
北花山の六所神社は、平安時代の八八七年に遍昭の勧請によって 造られました。六所神社は平成になって大改築が行われ現在に至っています。
この六所神社から東方を見ると東海道線の線路がS字形カープを 描くすばらしい景観が広がっています。S字形にしたのは長い貨物列車などがスムーズに止まれるように工 夫されているからだそうです。 区民誇りの木(スダジイ)も見られます。
(山科検定テキスト)
北花山の六所神社は、平安時代の八八七年に遍昭の勧請によって 造られました。六所神社は平成になって大改築が行われ現在に至っています。
この六所神社から東方を見ると東海道線の線路がS字形カープを 描くすばらしい景観が広がっています。S字形にしたのは長い貨物列車などがスムーズに止まれるように工 夫されているからだそうです。 区民誇りの木(スダジイ)も見られます。
(山科検定テキスト)
40JR東山トンネル洞門石額
JR東山トンネルの花山側洞門に 「古今相照」「山紫水明」の石額が掲げられています。この東山トンネル を掘り進めるのには、なかなかの難工事だったらしく、一九一四(大正 三)年三月から工事が始まったに もかかわらず、貫通したのは、一九 一二(大正10)年で、現線路開通の寸前に間に合ったものです。
(山科検定テキスト)
JR東山トンネルの花山側洞門に 「古今相照」「山紫水明」の石額が掲げられています。この東山トンネル を掘り進めるのには、なかなかの難工事だったらしく、一九一四(大正 三)年三月から工事が始まったに もかかわらず、貫通したのは、一九 一二(大正10)年で、現線路開通の寸前に間に合ったものです。
(山科検定テキスト)
撮影機器:
感想
お昼から時間があいたので山に登ろうかと思ったが・・・。
山に登るにはちょっと時間が(-_-;)
山科を歩くことにする。
ここだったら乗換なし、自宅から直通♫
山科検定対策!
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