矢筈山・風師山_JR駅から回遊
- GPS
- 06:51
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 626m
- 下り
- 611m
コースタイム
天候 | 晴れ、午前中強風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
よく整備されている |
その他周辺情報 | 門司港駅周辺、観光施設など豊富 |
写真
感想
小倉に用事があったので一泊、その後のんびりと企救自然歩道を歩くことにした。かつてふと思いついて充分な地図がないまま戸ノ上山に登った事があったが、あまりコースを覚えていない。今回事前にコースを確認した。
「山あるきガイドマップ」(門司区役所総務企画課が作成した門司区の代表的な山である風師山・矢筈山・戸ノ上山の魅力を分かりやすく紹介した
冊子)は、小倉駅観光案内所にて印刷体を入手した。おすすめモデルコースとして「風師・矢筈パノラマ満喫コース参考タイム:約5時間」・「縦走健康体力作りコース参考タイム:約8時間」・「戸ノ上山ゆっくり歴史コース:約5時間」が挙げられていた。無理のないコースであること・矢筈山の軍事遺跡を見学したいこと・下山した門司港駅周辺は散策コースに恵まれていることで「風師・矢筈パノラマ満喫コース」を選択した。
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/moji/file_0070.html
地理的にも不案内な地域であったが、帰宅後確認しながら再認識した。
『小森江駅』周辺
「関門トンネル関連施設」
駅前の駐車場には関門トンネルを作るときの名残の2つのコンクリート構造物があり、もともと関門トンネルを掘る前の、トンネルの試作品だったと言われているようだ。まず試掘坑道が掘られ、その後に本坑である関門トンネルが掘られたそうだ。
https://www.ku-hibino.com/entry/2022/01/04/203027
現在は通気孔として利用されているようにも記されているが、横を通過したのに確認しなかったので残念だった。
「ニッカ門司工場」
大正3年(1914)「鈴木商店大里酒精製造所」として始まる。その後、合併によって大正6年(1917)に「日本酒類醸造」、大正14年(1925)「大日本酒類醸造」、昭和35年(1960)「協和発酵」へと発展。平成14年(2002)9月には「アサヒ協和酒類製造」を設立、アサヒグループの焼酎乙類の主要生産工場として新たな一歩を踏み出す。平成18年(2006)1月「ニッカウヰスキー」と合併、現在に至る。レンガを縦と横に組んだヨーロッパ様式とされる倉庫が、その歴史を物語る。美しく整備された工場では、高品質の麦、米、そば焼酎の原酒や製品が多くの人たちの手で日々生み出されている。
https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/shochu/process/monji_07.html
明治・大正時代、海を隔てた貿易の利便性に突出した地域であったことを認識した。
初期の鈴木商店は山側の小森江貯水地の整備とも大きく関係しているようだ
『矢筈堡塁跡』周辺
明治20年頃、伊藤博文首相と陸相大山巌の指示により、国家有事に備え関門の要塞として、笹尾山和布刈とともに構築された陣地跡(石碑に記載)。
船と大砲が大きな戦力になった時代に、関門海峡では侵入する船に備え多くの砲台が設置されていたようだ。その後制空権と航空機活用が戦争の勝敗を左右する時代となり、要塞は必ずしも有効ではなくなった。
【まさかこんなところに…】里山に眠る“戦争遺跡”を訪ねたらとんでもないところだった!
https://yamahack.com/3927
『風頭』周辺
関門海峡の地形を実感できた。壇ノ浦・巌流島・関門橋などが見渡すことができ、その狭さから瀬戸内海に全てある日本三大潮流の場所にも思いを馳せた。反対側の明石海峡・鳴門海峡も見てみたいと思った。落ち着いて景色を楽しんだメリットだろう。
関門海峡には下関要塞があったようで本州側にも火の山砲台があるようだ。別の機会を設定し、関門トンネルを歩いて通過することも兼ねて訪れてみたい。
かつて大分・鶴見半島で砲台跡を見た事があった。確認するとパノラマ展望台として鶴見崎砲台と海軍聴測隊の鶴見崎灯台があるようだ。訪れたのは海軍聴測隊の建物で、当時地元出身の漫画家「富永一朗」の絵が飾られていたが、今は移転したそうだ。整備されているような気がした。いずれにしろ要塞の詳しい紹介は見かけない気がしている。
『門司港駅』周辺
「九州鉄道記念館」
鉄道の歴史・変遷が確認することができる。イギリスから輸入されていたレールが展示されており、当時国内で生産する事が難しかったことを知った。改めて確認すると以下のようだったことを初めて知ることが出来た。
「レールの製造は国産化が難しく、しばらく輸入の時代が続いたが、1900年(明治33年)に官営の八幡製鉄所が設立され、翌年11月からレールの生産が開始された」「1927年度(昭和2年度)の(レールの)自給率は約6割程度であったが、1930年度(昭和5年度)にはほぼすべてが国産となった」
図書館リファレンス
質問(Question)
日本は明治期から鉄道を各地に建設したが、建設に使用された鋼材がいつごろから国産化されたか知りたい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000171536
日本の近代化を実感するのにはいい地域であると感じるとともに、今まで全く知らなかったことを実感出来た。
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