秩父札所と根小屋城ー総開帳終了まで後10日ー


- GPS
- 08:23
- 距離
- 45.5km
- 登り
- 770m
- 下り
- 771m
コースタイム
- 山行
- 5:39
- 休憩
- 2:42
- 合計
- 8:21
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
秩父札所総開帳が今月18日終了なので、残された札所をそれまでに回る算段を立てる。今回は行きそびれた6番から9番と24,25番と29、三十番札所の八カ所をつなぎ、合わせて、八番札所近くにある根小屋城址も訪問するつもり。
始発で出発し、横瀬駅に7時半過ぎに到着。まず9番札所の西善寺をめざし、西武秩父線沿いの道を進む。
三菱セラミックの入口あたりから見る武甲山が大きい。紅葉は山腹から山麓へと達しつつあるようだ。8時前に到着しそうなら根小屋城址を先に回るつもりだったが、西善寺まで結構距離がある。三菱マテリアルの巨大な工場敷地の端まで来ると道は右に曲がりこむ。その角に故人が建てたらしいいわくありがなお地蔵さんがあり、その向こう側は生川沿いの低地で、九番札所へはその低地に下っていく。車道から巡礼道に下っていく。道標に従って進むと、武甲山御岳神社里宮に出たので中を見学する。鳥居の中に入ると、最初に見る社には左右に随身倚像が配置されている。多摩市小野神社の随身倚像に似ている。これは里宮の守り神だろう。よく見ると中に神輿が置いてある。さらに境内を回ると赤く塗られた大きな舞台がある。跡で調べると5月と10月に奉納される神楽の舞台のようだ。この神楽は400年以上の歴史を持つもので「隠れ獅子」という大変特徴のある神楽だという。横瀬町の無形文化財だ。境内の端には「秩父絹発祥の地」という標柱があり、「城谷沢の井」というのはここのことだった。既に8時11分を回っていたので西善寺へ急ぐ。境内に入ると樹齢600年の巨大な「こみねもみじ」が色付きはじめている。庭の美しいお寺だ。観音堂に向かう。本尊は阿弥陀三尊像、観音様は十一面観音で、写真が出ているが、実物は奥の暗がりで、余りよく見えないのは残念。境内の端から見る武甲山が大きい。
ここから横瀬の根小屋城址に向かう。数年前、横瀬町歴史民俗資料館を見学した時に見た根小屋城址を一度見てみたいと思っていた。八番札所の東側の蕎麦屋のある道を進むと沢沿いの道になり、やがて藪の中に消えている。北側の山へは強引に登れそうだが、登っても城址に行けるとは限らない。あきらめて正規の入口を探そうと戻る。途中、行きには気が付かなかった二号鉄塔に向かう巡視路入口があった。ここからは三角山(大机山)方面には行けるかもしれない。根小屋城址への入口を探して、北側に向かうとやがて城址西口に出る。入口は西と北の二か所にあった。西口から登っていくと前に一人先行者が見える。少しこ拾い場所に出るー御殿跡と地図にある。先行者が休んでいるので話をすると、ここらの地主さんで、この城址の主は遠い先祖らしい。
城址の解説には、
「この城は、大机山(三角山)から北へ延びる尾根の末端にあり、横瀬川、生川、小島沢、城谷沢に囲まれた山城で、正丸峠と妻坂峠からの街道を監視する。「前山」とも「城山」とも呼ばれている。
本郭は石灰石の採掘により破壊され、一部が残される。これより北に延びる尾根には、小口郭・土橋を挟んで25×85mの2の郭が築かれ、麓には水の手郭や東郭・腰郭が設けられている。また、北西に延びる低い尾根の西郭には、「御殿郭」があり、35×160mに及ぶ2段の郭と大規模な構堀・腰郭が築かれ、これが本城唯一の特色といえる。
江戸後期の「新編武蔵風土記稿」によれば、北条氏直の家臣、渡辺監物、浅見伊賀守が在城したといい、往古には秩父別当武光、同十郎武綱、同重綱、同重弘、同重能まで5代にわたり居住したという。重能は男衾郡畠山(現深谷市川本)に移り、その子畠山重忠は武蔵武士を代表する武将として知られる。
天正18年(1590)鉢形城落城と共に開城し、その後廃城となった。」と書かれており、その「浅見伊賀守」の子孫が先行者の地主さんだった。家にある文書を町の歴史民俗資料館の専門家が調査に来るので、城址を見に来たのだという。ここから二人で城址の本郭に向かう。長い階段を登り、山頂の直下に出る。本郭のあった山頂への道標のある道は藪になって歩けそうもない。少し柵に進むと新しい踏み跡があり、そこから上に出る。少し小びろくなっているものの狭い場所だ。実はその南東側は石灰岩採掘で削られて立ち入り禁止になっている。以前はもう少し広い場所だったはずだ。ここらから正丸峠や妻坂峠の街道筋を監視していたらしい。地主氏とはここで分かれ、一人で北口に下る。大分寄り道したので、出口から299号線に出て六番札所に向かう。しかし299号線は鉱山関係などの大型トラックの行き来が多く、巡礼道を探す。299号線を離れて下の町道を少し戻って巡礼道に出る。このあたりは地形が複雑でややわかりにくい。ところどころで武甲山を仰ぎ見ながら、道標を頼りに六番札所に向かう。道端の菊などの花々は巡礼を応援する沿道の人々のやさしい心遣い。六番や七番札所は何年か前に日向山方面から芦ヶ久保に下るコースで歩いたことがあるが巡礼としては初めてだ。まだ少し残っている観光農園のブドウの香りを感じながら札所入口に出る。入口付近には「願い地蔵」がある。本尊の聖観音は、かつて山岳修験道の盛んだったころ武甲山頂の蔵王権現社のご本尊でもあり、故合ってこの卜雲寺の本尊となっている。また境内には卜雲稲荷もある。明治初年の廃仏毀釈の嵐から生き残り、長い神仏習合の歴史の中で造られた様々な祠、社が詰まっている日本のお寺は不思議な空間だ。納経を済ませ、境内の六地蔵や聖観音石像(宝暦12年=1762年奉納)などを見ながら、次の七番札所法長寺に向かう。
来た道を戻り、そのまま武甲山をほぼ正面に見て、沿道のもみじなども眺めながら、道標に従って進むと法長寺に着く。本尊は十一面観音像で天明年間に観音堂が消失して以来、本堂に安置されている。しかし本堂は中に入れないばかりか、網戸があり観音様はほとんど暗がりで見えず、欄間の素晴らしい彫刻も錦絵も網戸越しでしか見えないのは残念。この寺の縁起に牛伏が出てくるが、その石像が境内に新旧二体ある。本堂は江戸時代の平賀源内の設計と言われ、札所中最も大きいものだ。前回歩いた時も、その建築の立派なことに驚いたものだ。なお本堂のわきには恵比寿様と大黒天があり、本堂の中が見えないので、やむなくヱビス様を拝むーー。
再び武甲山を拝みながら進むと交通安全観音を過ぎると横瀬川を渡る。横瀬川は伊豆ヶ岳あたりに源流があり、和銅黒谷駅付近で荒川にそそぐ。また8番札所付近を流れる支流の生川は武甲山表参道を通って武甲山東面に突き上げている。9番札所の明智寺は川を渡って10分もしないうちに到着する。本尊は如意輪観音、観音堂はやや暗くて遠い上に、香煙で黒光りし、表情などよく見えない。外にある石造の如意輪観音や写真などを見ると、大変柔和で印象的なお顔だ。この悪を取り除く観音様はどういうわけか安産を願う女性たちが参拝するようだ。
この後、西武秩父駅前の観光協会で自転車を借りようとするが、ちょうど最後の自転車が出てしまい、困ったーー。すると担当者が近所の自転車屋を紹介してくださり、何とかお借りできて、残った24.25番。29.30番をまわることができた。
24.25番、29番を終え、途中武州日野駅近くで荒川歴史民俗資料館に立ち寄り、考古資料や民俗資料(白久櫛人形や歌舞伎傘鉾など興味深い展示が多数ある。館を出て白久駅によってサイクルトレインの有無を確かめ、最後の目的地である30番、法雲寺を訪ねる。恐れていたほどの急坂は少なく、1−2か所少し押しただけでなんとか寺の石段下まで出た。金色に輝く本尊の如意輪観音を拝み、紅葉の境内を楽しんで、寺を後にした。帰りはサイクルトレインでそのまま列車に乗り込み、御花畑で下車して自転車を返却し、帰路に着いた。
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