記録ID: 5445344
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ハイキング
京都・北摂
日野岳 方丈庵跡 醍醐寺
2023年05月03日(水) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:59
- 距離
- 11.0km
- 登り
- 473m
- 下り
- 463m
コースタイム
天候 | 快晴 巻雲が高く巻き上がる |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
泥岩が堆積する。荒れている斜面の道は滑らかに滑る。 |
写真
恵福寺の説明では、「正尊上人が、鎌倉時代に法曹界の塔頭として、創建した」創建時は「天台宗」の寺。応仁の乱では、焼ける。その後、1598年、大悦十故上人が再興し、浄土宗にあらためると書かれている。
国語の教科書には「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とあり、暗誦テストなどはお馴染みである。方丈庵跡の側には、深い切岸の様な谷があり、滝のある渓流があることは、知らなかった。
突然現れる巨石。ここが、鴨長明が大原の次に遁世していた場所である。五味文彦著『中世社会の始まり』では、そのきっかけは、後鳥羽上皇の朝恩で下鴨神社の摂社河合神社の禰宜になれそうであったところ、同族の他の者から、訴えがあり、就任が取りやめとなったことだったらしい。「後鳥羽上皇による『新古今和歌集』編纂」のさなか、「元久元年(1204年)、長明が御所を出奔した。」と五味文彦氏は書いている。三種の神器の欠如、鎌倉幕府の繁栄を凌ぐべく、和歌に打ち込んだ後鳥羽上皇は藤原定家の他に鴨長明を逸材として珍重したのである。
景色は抜群に良い。気持ちを落ち着ける為にも、昼飯とする。ポールを片付けて、手袋を装着する。この先も、ここまでも、トイレは無い。しかし、持ってきた麦茶がむやみやたらと熱い為、催すこともなかった。方丈庵を日野にある時の1212年に成立した鴨長明の『方丈記』には俯瞰的に都の様子が描かれている。
下醍醐にまで行く。醍醐寺が楽しみである。結局、鴨長明は醍醐寺や宇治など、王統とのつながりに執着しながら、遁世したのではないか。御所から出奔しながら、醍醐寺や宇治と歩いて行き来可能な距離であるのは何故なんだろう。
ゆうれい峠という峠だが、木漏れ日が美しい。30センチの厚さのコンクリート壁は、トーチカというには頼りない。トーチカは防御の陣だから、壁はもっと分厚くなくてはならない。何を目的として作られた施設なのか、知りたい。第二次世界大戦では京都は空襲に見舞われることがなかったと聞いているが、私の知人は疎開していたのである。これは語り継ぐべき歴史的遺産である。
感想
方丈庵跡と、醍醐寺を両方とも1日で楽しむ。鴨長明は遁世の後にも、この道を往来したかもしれないと思いながら、ヤマレコに乗らない道を緊張しつつ歩いた。
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