🥳祝🥰 日本海へ到着(敦賀湾を目指せ)天筒山


- GPS
- 09:27
- 距離
- 27.5km
- 登り
- 630m
- 下り
- 639m
コースタイム
- 山行
- 9:24
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 9:28
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
古道 |
写真
感想
5月12日(金)「快晴」 池河内湿原から最終章が始まる。ネットで調べると滋賀県中河内から続く、敦賀道と呼ばれる古道らしい。高時川下流にも廃村集落が続くが、車道の無い時代は、此方の峠を越えるのが本道で納得する。池河内湿原から廃林道を少し登り峠を越えると、いよいよ今回の核心部が始まる。所々に三角点のような石杭やコンクリート現れ古道の痕跡がある。ピンクテープも数か所あった。上部の送電線を越えると林道が現れ、核心部を抜ける。何とか濡れずに通過出来たが、ブッシュと蜘蛛の巣が煩かった。川北集落へと飛び出ると、僅かで北陸トンネル列車火災事故慰霊碑へと到着で来た。航空、鉄道事故は多くの犠牲者を出す教訓だろう。完成時は、長さは13870mで、当時一番長いトンネルであった。此の辺りの山の標高は1000mにも満たないのに、こんなに長いトンネルだとは、少し不思議な感じだった。交通の拠点で、北陸本線、北陸自動車道、北陸新幹線も建設中だ。時代と共に交通網が変遷する。嘗ては、シベリア鉄道に繋がりヨーロッパへの玄関口だった。小牧かまぼこ工場(職場の慰安旅行などでは、必ず立ち寄った)を過ぎると町中を進む。氣比神宮に立寄り、神楽通りの商店街を進む。突如、特徴ある建造物が現れる。キッズパークつるがだ。球体がビルに挟まっていて、名古屋市科学館と似ているな。大谷吉嗣ゆかりの寺の案内を見付け、来迎寺に寄ってみる。どうやら敦賀城移築中門があるかららしい。その西側には、武田耕雲斎等の墓もあった。詳しく知らないが、幕末の大河ドラマではよく出て来る、水戸藩天狗党の党首だったらしい。天狗党の終焉の場所だった。気比の松原に到着し、日本海にタッチ。敦賀湾を目指せが終了した。左に敦賀半島の山が聳えて美しい。右に目を移せば、籾ヶ岳から河内山までの江越国境稜線が眺められた。まー、頑張ったか?。自己満足の領域ですが。それに比べ、トランスジャパンアルプスレースは長いし、連続縦走で過酷だし、とてもエントリーなどは出来ないな。創始者は先輩Iさん。一緒に行ったこともあるが、早いのなんの。何時までも元気で、やる気を持っている。少しだけ真似させてもらおう。此処からはUターン。暫く海沿いの道を進むとグーグルストリートビュー作成の車らしきとすれ違う。更新を楽しみにしよう。敦賀水産卸売市場付近の食べ処に到着するも時間が早かった。残念だが先に進もう。永賞寺の大谷吉継供養塔に立寄る。起点の桑名(桑名藩)初代藩主は、本多忠勝で関ケ原の縁を感じる。今回のコースでは、関ヶ原も通過していて、戦国時代終結の勝ち組、負け組が登場するのも面白い。此処からは金ヶ崎緑地に出て、ウオーターフロントを楽しむ。敦賀鉄道資料館 (旧敦賀港駅舎)では、ゆっくりと鉄道ビデオを楽しんだ。機関車の活躍した時代の旧路線は、何と北陸自動車道辺りのルートを通っていたのには驚いた。人道の港敦賀ムゼウムと敦賀赤レンガ倉庫も通過した。旧敦賀港駅ランプ小屋から山道に入る。金ヶ崎も、戦いがあった場所で、三英傑が出揃っている。素晴らしい展望を楽しみながら、天筒山から中池見湿地へと降りた。海から程近い場所に、大きな湿原があるのも不思議な感じだが、スタート地点の池河内湿原も含めて双方とも立派だ。中池見湿地は少し公園化されていた。湿原をぐるっと一周するが、上から見下ろした方が美しかった。余り歩かれていない中江道に入ったが、ぬかるんでいた。国道476号線へ出ると北陸自動車道、新幹線が所狭しに集中している。旧北陸本線樫曲トンネルを通り抜け楽しんだ。最後は、池河内湿原へ続く道路を登るが、途中で山抜けがあり、此方も核心部だったかも。無事、池河内湿原に到着し、太平洋から日本海へ繋げることが出来た。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する