年末年始アンナプルナ内院トレッキング
- GPS
- 248:00
- 距離
- 51.5km
- 登り
- 4,135m
- 下り
- 4,370m
コースタイム
- 山行
- 0:375
- 休憩
- 0:70
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:450
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:185
- 休憩
- 0:75
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:365
- 休憩
- 0:65
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:230
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 0:00
過去天気図(気象庁) | 2014年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
飛行機
(所要:4時間半+5時間18分、航空券:往復103,020円) ・Kathmandu⇒PokharaへはYeti Airlineにて。 (所要:2時間半程度、航空券:片道US$119) ・Pokhara⇒Landrukへはチャーターしたランクルにて。 (所要:2時間半程度、車代:片道US$100) ・下山後Nayapul⇒Pokharaはバス+タクシーにて。 (所要:2時間程度、バス+タクシー代:片道1,700ルピー) ・Pokhara⇒Kathmanduはタクシーにて。 (所要:6時間程度、タクシー代:片道14,000ルピー) |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山道は総じて良く整備されており、危険箇所等特になし。Sinuwa~M.B.C.間の谷間の道では時期によって一部雪崩の可能性もあるようだが、今回そのような危険はなかった。トレッキング中は怖い思いをするような所はなかったが、行きと帰りに車で通った道は舗装もガードレールもない崖っぷちの道でかなり肝を冷やした。 |
写真
感想
年末年始に3度目のネパールへ行ってきた。よく山へ一緒に行く大学の先輩のOさんが最近海外トレッキングに興味を持ち始め、私が強くネパールをお薦めしていたところ、自分も行きたくなり、ちょうど休みも合いそうだったので、一緒に行くことにした。目的地は標高4130mのアンナプルナベースキャンプ(ABC)。ABCはずっと行きたいと思っていたが、それなりに長いコースで標高も高く、ガイドブック等によると一週間以上の日程で設定されている為、長期休暇とはいえ限られた日数しかない日本のサラリーマンには難しいと当初考えていた。しかしながら、実際にABCまで行った人のブログを読むと、健脚であれば6日もあれば十分帰って来れるようである。あとは急激に高度を上げた際に発症する可能性のある高山病の問題だが、エベレスト街道に比べれば標高も低いし何とかなるだろうと考えていた。(実際には今回高山病でかなり苦しんだ。。。)
そもそもなぜ私がそれほどまでにネパールに魅かれるかと言うと、ヒマラヤを望むトレッキングの魅力はもちろんであるが、トレイルの途中の民家で脱穀しているお母さんがいたり、ヤギと戯れる子供がいたり、農作業においては未だに水牛が活躍したりと、100年前の日本を思わせるような普通の民家の生活があり、物売りとか物乞いとかアジアでありがちなしたたかさが全くなく、そこではまさにスローライフが繰り広げられており、何か落ち着いた、懐かしい気持ちになるのである。私は2008年にエベレスト街道(クーンブ山群)、2011年にプーンヒル(アンナプルナ山群)を訪れたが、景色ではエベレスト街道にはかなわないが、それぞれの集落を渡り歩いていくような庶民の生活が垣間見れるアンナプルナのトレッキングもとても好きだ。
今回3度目ということで事前に準備することも大体把握していたが、航空券は3か月ぐらい前に広州経由の中国南方航空を予約し(往復103,020円)、カトマンズからポカラの往復券は1ヶ月ぐらい前にCoopeというカトマンズの旅行会社でYeti Airlineを予約した(往復US$119×2=US$238)。あと、ポカラからランドルンまでシープで行けることを知り、1日行程を短縮できるため、OさんがEarth Travelというポカラの旅行会社で事前にジープを手配した(片道US$100)。ビザはカトマンズの空港で取れるし、ホテルも特に予約はしていかなかったし、準備したことといえばそれぐらいである。装備については基本的にいつも日本の山で使用している日帰り装備+シュラフ+夜は冷えるので防寒具は十分に持って行った。とはいえ基本ロッジ泊まりだし毛布も一応貸してくれるので、いつもの夏用の薄いダウンシュラフで十分であったし、食事は基本ロッジで食べるのでそれほど食料も持っていかなかったし、荷物はかなりコンパクトにまとまった(35リットル)。
それと、これまでもそうであったが、今回ガイドやポーターは一切雇わなかった。道は明瞭で迷うことはないし、荷物もそれほど苦にならないし、何より、自分たちのペースで歩きたかったからだ。そういえば、何年か前まではトレッキングにガイドをつけることがマストな条件であったが、欧米人の大反対にあってそうした制度が廃止されたらしい。にも関わらず、周りを見てみると、大体みんなガイドを雇っているのはなぜだろう。シェルパ族の生計を考えてあえて雇っているのか、それとも、登山は全くの未経験者で、心配だから雇っているのだろうか。
12/26(金) 大阪⇒カトマンズ
年内最終日は会社で大掃除とかあるので有給を取るのは非常に心苦しかったが、一日早めるだけで航空券代が5万も違うので休ませてもらった。Oさんは一日遅れで来る形になるので、ポカラで合流することになる。一日前ということで関西空港に行くまでの電車や空港内も全く混雑しておらず、ちょっとした優越感に浸る。前回も利用した中国南方航空は、14時関西空港を出て、広州で1時間半での乗り継ぎを経て、カトマンズには22時10分着と、時間的にはかなり良い感じだが、いかんせん機体は古くて機内食もイマイチ。安いから仕方ないか。
カトマンズの空港に着き、まずはここでビザの取得が必要となるが、申請に必要な写真を持ってくることを忘れたことに気づく。どうしたものかと考えていたが、申請するところに行くと、機械が置いてあり並んでいる人がおり。どうやら、紙ベースでも申請できるが、こちらの機械でも必要事項を入力すれば申請ができるらしい。しかも、こちらはカメラ付きで、写真も不要らしい。ビザの申請にはかなり待たされたが、それでも以前に比べると便利になったものだと感心した。
無事入国の手続きが終わり、空港の外に出ると、タクシー運転手が大勢詰め寄ってきたが、どうせ皆タメル地区に向かうに決まっているので、その辺にいた日本人夫婦のタクシーに便乗させてもらうことにした。明日からエベレスト街道へ向かうというご夫婦は空港から全てパッケージとなっており、タクシーもそれに含まれているので、運よくタダで乗せてもらった。ご夫婦が泊まるタメル地区の南の外れでお礼を言い、私は前回も泊まったNorling Guest Houseで泊まった。日当たりは悪いが、部屋は清潔で安いし、オーナーも良い人なので結構気に入っている。一日目は特に問題なくスムーズに進んだ。
12/27(土) カトマンズ⇒ポカラ 天気:晴れ
9:10のフライトだったので、寝るだけの為にタメルへ向かい、早朝すぐに空港へ戻ってきた。タメルからは30分かからないぐらいだが、空港近くにホテルがあれば良いのに。。。国内線の待合ロビーは発着状況が電子掲示板で見れるようになった以外は特に変わっておらず、売店がちょっとあるだけで、空港とは思えないようなシンプルさである。
飛行機の席は早い者勝ちで、ポカラ行きは右側にヒマラヤが望めるので、搭乗が始まるとすぐに飛行機に乗り込み、右側の窓側を確保した。30分程度のフライトだったが、この日は最高の天気で、ランタン山群や、イモトも登ったマナスルも良く見えた。
ポカラの空港に着き、いきなりマチャプチャレが目の前にお出迎え。後でOさんに聞いたが、マナスル、アンナプルナ、ダウラギリと、8,000m峰が三つも見える町は世界でもポカラだけらしい。ポカラの街はフェワ湖の東側Lake sideと言われる地区が街の中心部であり、安宿もたくさんある。その辺にいた韓国人に便乗して前回も泊まったLake sideのGreen Tara Hotelへ向かった。このホテル、メインストリートから少し離れていて落ち着いているし、オーナーも良い人だし、なんと言っても屋上からのアンナプルナ山群の眺めが素晴らしい。着いてからしばらくは屋上でぼーっとしていた。
その日は、トレッキングの許可証を取得しに行こうと考えていたが、結局Oさんは明日まで来ないし、それほど時間もかからないはずなので、次の日Oさんと一緒に取得しに行くことにした。その後、昼近くになったので、ネパールでの最初の食事として、チベット料理のモモとトゥクパを食べた。うまかった。山に入ったらどうせダル・バートばかりになるので、できるだけそれ以外のものを食べておこうと思った。
その後、Oさんが予約していた明日のランドルンまでのジープ代を旅行代理店で支払い、その後はフェワ湖沿いを散歩したり、湖畔のカフェで読書したり、ただただゆっくり過ごした。こんなにゆっくりしたのは久しぶりだ。ポカラは圧倒的な景色が背景にあり、フェワ湖沿いはリゾート感あふれるオープンなカフェが軒を連ねており、カトマンズとは異国のようにゆっくりとしていて、それでいて夜はバーでライブやってたりと賑わっていて、これまで訪れた中でも3本の指には入るほど好きな町だ。山に登らなくても、十分来る価値がある。
夜は前夜祭ということで1人でインドカレーをビールを飲んだ。やっぱりうまかった。ネパール料理はもちろんのこと、日本食に近いチベット料理や、エスニックなインド料理と、私の好きな料理が安く食べられるという意味でも最高の国である。店の兄さんは若そうに見えて実は私と同い年で、話が弾んだ。田舎の方に妻子を残して働きに来ており、弟はドバイに出稼ぎへ行っているらしい。そういえば日本はインド料理屋が沢山あるが、ネパール人が出稼ぎで働いていることも結構多い。ネパールという国は農工的な産業が殆ど成り立たない貧しい国で、トレッキングを始めとする観光産業や、ピークを目指す登山隊からの莫大な入山料徴収や許可証代等が大きな財源となっている。走っている車を見ても、タクシーは日本で30年前に走っていたようなマルチスズキのアルトが殆どで、たまに高度経済成長期に走っていたようなカローラを見かけることもあるし、また、すこし町の中心部を外れると、最底辺に生きる人達がバラックのような家で焚火で暖をとっているような光景も度々目にすることがあり、トレッキングの聖地として世界各国から観光客が訪れ賑わう一方で、貧しい国としての側面も併せ持つ国であることを実感する。そんなことを考えながらその日は終了した。
12/28(日) ポカラ⇒ランドルン 天気:晴れ
朝、ランドルンまでのジープを手配してもらうEarth Travelの事務所に荷物を置き、そこからタクシーでOさんを空港まで迎えに行き、その足で許可証を取りに行った。アンナプルナをトレッキングする場合、許可証は、TIMS(Trekkers Information Management System)許可証とACAP(Annapurna Conservation Area Entry Permit)の2種類必要。それぞれ2,000ルピー程度。要は、トレッキングの許可証と国立公園入園料である。今回写真を忘れたのでEarth Travelの兄ちゃんに即席で写真を撮ってもらい写真屋で印刷してもらったが、時間も手間もかかるので、できれば日本から持って行った方が良い。TIMSの事務所もACAPの事務所もフェワ湖の南の方に隣接しており、取得は非常に容易。必要事項記入して提出すればその場ですぐに発行してもらえる。
許可証取得後Earth Travelに戻り、行動食やDiamoxとよばれる高山病対策の薬(血液が酸性となり呼吸が促進されるらしい)を買い出し、ちょうど昼食の時間になったので、たまたま通りかかった中華レストランに入った。なんとなく入った店だったが、びっくりするほどおいしい店で感動した。
昼過ぎにいよいよジープに乗り込み、一路ランドルンを目指す。シープというか実際にはランクルだったが、もしかしてジープというのはオフロード4駆車全般を指す普通名詞なのだろうか。途中のルムレまでは舗装された道路で、そこからは完全にオフロードの凸凹だらけ、ガードレールなどあるはずもなく、谷に落ちればあの世行きというある意味今回一番怖い思いをした時間であったが、なんとか16時頃にはランドルンに到着した。通常であれば登山口からここまで一日の行程なので、金に物を言わせて短縮したことになる。休みの限られる我々日本人にとってはメリットのある手段だ。
ランドルンはアンナプルナ・サウスとヒウン・チュリを望む絶好のロケーションで、一歩も歩かずにこんな素晴らしい場所に来れたことに少し罪悪感を覚える。二つの山のピークは稜線で結ばれており、ちょうど西穂辺りから眺める奥穂と前穂に似ている。私はこれをアンナプルナの吊り尾根と命名した。夕方は山の斜面が赤く染まり、初日から幸先の良いスタートとなった。ロッジでの夜、その日は全く動いておらず、昼食もたくさん食べた為、軽めに焼きそばのようなものを食べた。まずくはないが何かが足りない、今後トレッキング中は何を食べてもきっとこんな感じだろう。一緒に泊まっていた人たちは、UK、ブラジル、イタリア、アメリカと非常に国際色豊かであり、夜はみんなで焚火を囲んで話をした。アメリカ人は学生で若かったが、気違いのような強行スケジュールでABCまで行ってきた帰りで、道や雪の状況とか、いろいろ参考になる情報を入手することができた。彼の話を聞いていると、余裕でABCまで到達できるような気がした。
12/29(月) ランドルン(1565m)⇒シヌワ(2360m) 天気:晴れ
朝方もアンナプルナ・サウスの景観が素晴らしい。朝食に野菜スープとチべタンブレッドを食べ、ロッジの支払いを済ませ、いよいよ最初の一歩を踏み出す。最初は緩やかな下りで、ニューブリッジで橋を渡った後、いきなり今回最大の急登であるチョムロンまでの標高差800mを一気に登る。ひたすら階段状の登りで、相当疲れた。
昼過ぎに無事チョムロンに到着。この辺りではガンドルンに次ぐ大きな集落で、パン屋や土産物屋など、山の斜面に店が連なっている。そして、目の前には圧倒的な岩壁を誇るアンナプルナ・サウスの景観。地形と景観、町の雰囲気的に、ちょっとナムチェバザールに似ている。ちょうど昼ぐらいだったので、前の晩アメリカ人の学生に進められたジャーマン・ベーカリーのアップル・パイを頂く。中身が真っ黒になるほどシナモンが入っており、アメリカ人が言ったように「スパイシー」でおいしかった。
チョムロンから先は谷に入って行く為、景色はしばらくなくなると見え、この日はここで泊まることも考えたが、まだ時間も早かったし先も長いので、先を急ぐことにした。せっかく標高を上げたのに、また急激に沢に向かって急登を下り、橋を渡った後はシヌワまでだらだらと登る。チョムロンから見えたシヌワはそれほど遠くに見えなかったが、実際に歩いてみると果てしなく遠かった。LowerシヌワとHigherシヌワと二ヵ所あり、後者まで頑張って歩いた。ランドルンやチョムロンと比べるとロッジ古びた感じだったが、標高を上げるに伴い、クオリティーは下がり、物価は上がっていく。それは仕方ない。しかし、今回3年ぶりに訪れて前回と大きな違いを感じたのが、ロッジでは基本的にどこでもWifiが使えることであった。さすがに上の方は無理だろうと考えていたが、最後のABCまでWifiありのロッジだったので驚いた。世界各国から訪れるトレッカーのニーズに対応したものだと思うが、良いのか悪いのか、ネパールトレッキングはどんどん便利になっていく。
その日の夜は今回初めてのダル・バートを食べた。メチャクチャうまくはないが、おかわり自由なのでトレッカーの空腹を満たすには最適である。その先でも見かけることになるが、ダル・バートにキムチが添えられていて面白かった。たしかにキムチは保存がきくし、何より韓国人トレッカーが急増しているので、客受けするのだろう。韓国では今空前の登山ブームで、韓国国内にはそれほど大きな山がないので、日本を含め海外登山に行く人が大勢いるようだ。Oさんの話によると、人気の海外登山の中でも、ネパール、中でもアンナプルナは憧れの地として旅行会社などでも大きく取り上げているらしい。前々回、前回と、ネパールを訪れる度に韓国人の多さは感じていたが、この日のロッジも、半分以上が韓国人であった。
夕食時、同年代の韓国人二人組と仲良くなった。彼らも我々と同じような行程でこれからABCを目指し、初日の出をABCで迎える予定らしい。聞けば、来年30歳を迎えるに当たり、記念登山の意味も兼ねているらしい。おもしろかったのは、韓国でも最近は晩婚化しており、周りから結婚へのプレッシャーが激しく、いつもうっとおしさを感じているらしい。こうした文化は東アジアの仏教国ならではの悩みだろう。そういえば、中国では帰省時親を安心させる為、レンタル彼女・彼氏なるものがあるらしい。中国ではこうした傾向が特に顕著であると思われる。
その日は沢山汗をかいたのでシャワーを浴びたが日中の太陽光熱で温めたぬるま湯しか出ないシャワーで相当体が冷えた。考えてみるとこれがこれから急激に体調不良となるきっかけとなったのかもしれない。
12/30(火) シヌワ(2360m)⇒MBC:マチャプチャレベースキャンプ(3700m) 天気:晴れ
出発から谷沿いのトレイルをひたすら緩やかに登っていく。バンブー、ヒマラヤ、デウラリと順調に高度を稼いでいくが、道は単調で道中のことはほとんど記憶にない。デウラリで昼食後、MBCに向かって歩いていくと、徐々に草木がなくなって景色が荒涼となり、トレイル上にも雪が見られるようになってきた。いよいよヒマラヤにやってきたなという感じだ。
この日は高度順応も考慮に入れ、途中のデウラリ辺りで泊まることも考えたが、体力的、時間的に全然MBCまで行けそうだったこと、ランドルンで出会ったアメリカ人は我々以上に急激に高度を上げていたが、特に高山病にはならなかったこと、また、MBまで行けば夕日に染まるマチャプチャレを望めることなどから、少し頑張ってMBCまで行くことにした。
MBCはなるほど素晴らしい景観で、夕方少し小高い丘に登り、心行くまで景色を堪能した。次の日からは天候が徐々に悪くなっていったので、考えてみるとこの日の夕方が今回のハイライトだったかもしれない。夜はかなり冷えたが、ガスストーブでテーブルの下をこたつのように温めてくれたので、かなり暖かい状態で眠ることができた。
が、夜中急に気分が悪くなりだして咳も出るし、あまり眠れなかった。実は朝から少し風邪っぽい症状はあったのだが、きっと急激に高度を上げたせいだろう。この感じ、依然ナムチェバザールで味わった苦しさとと同じだ。高山病だと思った。
12/31(水) MBC(3700m)⇒ABC:アンナプルナベースキャンプ(4130m)⇒デウラリ(3200m) 天気:晴れのち曇り
最悪の状態で目が覚めた。全く食欲がなく、体がだるくて動く気がしない。ABCはすぐそこで、本当はこの日はABCで泊まり、新年を迎えるつもりだったが、とてもそれどころではない。ここまで来たのだからABCまではなんとか空荷で行って来て、あとはできるだけ高度を下げようと思った。紅茶とプルーン一個だけを口にして、Diamoxを飲んで、荷物はMBCに置いて、身軽な状態でABCを目指した。
ABCまでは一歩一歩が非常に重く、とにかく気分が悪くて途中で吐いたし、ほんとにきつかった。自分でもあの状態でよく行けたなぁと思う。ただ、ABCは目と鼻の先だったし、高度を下げれば体調は戻るだろうという確信があったので、何とか頑張ることができた。
ABCはまさにベースキャンプといった感じの8000m級の山々と氷河に囲まれた場所で素晴らしかったが、気分が悪すぎてあまり景色を楽しむ余裕もなく、写真を一通り撮り終えた後は、早々とOさんと別れ、ABCを後にした。とにかく高度を下げれば体調は良くなるということを信じ、ひたすら下っていく。だが、下りでもなかなかペースが上がらず、本当は3000m以下まで下りたかったが、デウラリで一杯一杯だった。
この日は朝から紅茶とプルーン1個しか口に入れておらず、ほとんど何も食べていなかったが、夜になって少し食欲が出てきたのでヌードルスープを食べた。ダルバートは二度と見たくなかった。
1/1(木) デウラリ(3200m)⇒チョムロン(2170m) 天気:曇り
新年を迎えた朝は体調もほぼ良くなっており、やはりヌードルスープを口にしてスタートした。外に出てみると、上空は暗く、この調子ではABCに泊まっても朝焼けは見れなかっただろう。
Oさんとどこで合流できるだろうかとゆっくり下って行ったが、なんと二時間ほど歩いたドバンで休憩していたら向こうからやってきたのでびっくりした。聞けば、やはり天気が悪く、早々に下りてきたらしい。ABCに泊まらなくて正解だったと思った。
この日はシヌワで泊まる予定だったが、早い時間に着いてしまったので、チョムロンまでがんばった。チョムロンのロッジは他の集落と比べて明らかにクオリティーが高く、何より食事のメニューに肉があることが驚きだった。元日ということもあり、夕食は豪勢にチキンステーキと焼き飯、モモをオーダーした。ツナモモというのを頼んだら中身はほとんどイモで相当腹いっぱいになったがうまかった。
1/2(金) チョムロン(2170m)⇒シワイ(1300m) 天気:雨
この日は朝から雨で、昨日歩いた谷を見るとうっすら白くなっていた。後から聞いたが、ABC辺りでは50センチほどの積雪があったらしい。同じロッジにいたフランス人グループはこれからABCへ行く途中でどうしようか考えていたが、とても気の毒で、我々はラッキーだった。前々回エベレスト街道へ行った時はベストシーズンと言われる11月で毎日快晴であったが、1月のネパールは一応乾季とはいえ普通に天候は崩れる。前回年末年始にプーンヒルへ行った際も、雨に降られて全く景色が見えない日もあったし、今回もこの後は帰国までずっと天気が悪かった。
苦労して登ったニューブリッジまでの急登を下り、後は川沿いにシワイまで緩やかに下る。終始雨に降られ濡れたが、今日はポカラで4日ぶりにシャワーを浴びれると思うとどうでも良くなった。
シワイには未舗装の車道が通っており、ちょうどバスが来ていたのでそれに乗ってナヤプルへ向かった。このバスは2時間おきに出ているようで、タイミング良かったなぁと思っていたが、道中乗合のジープと何度もすれ違ったので、あれに乗って行ったら良かったと後で少し後悔した。バスは普通に地元民も利用する路線バスなので途中でたくさん人が乗ってくるし、時間もかかるし、崖っぷちの道をバスで走るのはかなり寿命を縮める。ナヤプル手前でチェックポイントがあり、許可証の提示を求められた。そういえば入山の際はそういったポイントがなかったが、ランドルンに至るまでに知らずに通り過ぎていたのだろうか。
このままバスでポカラまで行っても良かったが、ポカラのバスターミナルは少し中心部から外れているので、タクシーに乗り換えた方が早いかなと思い、ナヤプルからはタクシーでレイクサイドのグリーンタラホテルへ行ってもらった。早速暖かいシャワーを期待したが、残念ながら断続的な停電により熱々のシャワーにはありつけず、ぬるめのシャワーでなんとか4日分の汗を流した。昨日から天候がわるく昼間の太陽熱が得られないことと、前日まで祭りがあったので、電力のほとんどをそっちに持ったことが原因というオーナーの説明でった。そう言われたら納得するしかない。恐らく同程度のホテルであればどこもこんな感じだろう。
夜は前々回2008年にも訪れたポカラステーキハウスでステーキを食べた。前に来た時は体調が悪く味もよく覚えていなかったが、300gはあろうという巨大なステーキで、相当噛みごたえのある赤身肉。これぞステーキという感じでうまかった。噛みごたえがありすぎて食べ終わる頃にはあごがつりそうなほど疲れていた。
1/3(土)ポカラ観光、ポカラ⇒カトマンズ
1/4(日)カトマンズ観光、カトマンズ(深夜)⇒
1/5(月)大阪着(昼過ぎ)
山行記録としては上記の通りなので、後は簡潔にまとめようと思う。
1/3はやはり天候が悪く、Yeti Airはカトマンズ行き全便欠航が決定した。ネパールの国内線は事故が多いせいか、視界が少しでも悪くなるとすぐに欠航となる。支払済みだった航空券の返金対応も迅速だった。Oさんはその日の深夜の飛行機で一足早く帰国する予定でその日中にカトマンズへ移動する必要があった為、昼ごろタクシーでカトマンズへ向かった。車で行くとトンネルの一切ないぐねぐねした山道で、相当遠い。6時間もかかった。しかも若いドライバーのカーチェイスのような運転で、おちおち寝てられなかった。途中3台ぐらい事故車を見かけたが、事故が多いのも納得である。夜はポカラで食べた絶品中華の味が忘れられず、歩き方に載っていた中華レストランに行った。うまかったが、ポカラの味は超えられなかった。その後Oさんと別れた。
1/4は食欲はあるのだが、朝から下痢で、おそらく前日食べた回鍋肉の油が強烈だったのでそれが原因だろうと思いながらも、食欲はあったので、残り一日はとにかくネパールグルメを食べまくった。なかでも一番オススメなのは、タメル地区北の外れにある、エベレストモモセンター。その名の通りモモしかメニューになく、潰れそうな小さな店だが、蒸し器で常に最高の状態にある熱々のモモと、それにかかっている少しクリーミーでパクチーとパセリがアクセントになっているスープが絶妙にうまい。70ルピーでモモ10個と死ぬほど安いので、カトマンズに行かれる方には是非行ってもらいたいお店である。
1/5到着の帰国便は予定通りであったが、飛行機に乗った瞬間から吐き気がしてきて、機内では下痢と吐き気との戦いであった。関空についても、容体はむしろ悪化する一方で、家に着いた後、夕方病院へ行って見てもらったが、細菌性の病気だろうと言われた。熱が39度近くあり、風邪のような症状であった。次の日は是が非でも出社しなければならなかった為、入念な手洗いとマスク着用を条件に出社することにした。いやはや最悪の仕事始めであった。
最後に、今回使ったお金であるが、本当は日々使ったお金を記録していたので載せようと思ったが、面倒なので、ざっくり、トレッキング中はロッジの宿泊・夕食・朝食の合計で、下の方のロッジで1200ルピー/人、上の方のロッジで1700ルピー/人、歩いているだけなら昼食含めても一日2000ルピー/人程度だろう。今回両替したのが、5万円ぐらいで、航空券等もろもろの交通費約14万円をプラスしても、20万円には届かない。カナダに行った時に航空券だけで18万円したことを考えると、ネパールトレッキングはやはり格安である。
終わり
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