【城跡ハイク】あたふたと「木曽福島城」散策
- GPS
- 01:05
- 距離
- 3.2km
- 登り
- 309m
- 下り
- 305m
コースタイム
- 山行
- 0:52
- 休憩
- 0:13
- 合計
- 1:05
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
飲料
GPS
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
|
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感想
えーと、木曽福島城へと行ってきました。
木曽谷を支配した国人領主である木曽氏の城跡ですね。
木曽氏19代目で木曽福島城の城主であった木曽義昌はビッグネームとはいいませんが、信玄の木曽侵攻がらみや天正壬午の乱で北信濃を撤収した森長可がらみでその名前をチラホラ目にする武将です。
その義昌は晩年には下総に移邦されたのですが(木曽福島城は廃城)、その転封された地がアタシの出身地からあまり遠くないエリアで、墓所のある東漸寺を訪ねたこともあります。
そんなこともあって、木曽氏の本願の地である木曽福島城には行ってみたいと常々思っておりました。
で、今回御嶽山へと登ったのですが、登山口のある王滝村に向かう途中に木曽町(旧木曽福島町)を通ることがわかり、これは木曽福島城に行かないわけにいかん! と欣喜雀躍した次第。
御嶽山への山行は、前日に王滝口(田の原口)の駐車場で車中泊することにしましたので、その前に木曽福島城に立ち寄るつもりでした。
調べると木曽町の城山は、児野山という名で、その山域にはハイキングコースも整備されているもよう。それならば御嶽山のウォーミングアップ(?)として、この児野山へも登っておこう…などと考えておりました。
ところが、御嶽山へと向かった当日は、台風の影響などもあり出発が遅くなりました。さらには道も混雑したため、木曽福島に到着したのは予定よりもかなり遅い時間でした…。
城跡まで行けない時間ではなかったですが、それをすると今度は車中泊予定の田の原到着がかなり遅くなる感じ…ってなわけで福島城の散策は諦めた次第。
木曽福島に来る機会などそうそうないでしょうから、コレは痛恨の極みでしたねぇ(T_T)
翌日は御嶽山へ登ったわけですが、頭の片隅には「早く下山すれば、帰路に木曽福島城に立ち寄れるかも」という思いがず〜っとありました。
そのせいか、計画よりも早く下山が完了(^^;)
時刻はまだ正午前だったので、これなら福島城に立ち寄れる! と、勇んで木曽町へ舞い戻ったのでした。
木曽福島の大手町駐車場にクルマを駐車したのは、13時を少々回ったところ。
児野山のピークまで行くとそれなりの時間がかかりそうだったので、城跡の遺構があるトコだけピンポイントで訪ねることにしました。
目的地である本丸跡の標高は1000メートルほどで、スタート地点からの高低差はおおよそ200メートルほど。小学校の脇からトレイルに入りましたが、傾斜がややキツい箇所もあり、気温も湿度も高いようで汗だくになりました。戦国時代の城跡ですから楽々ってコトはないのは重々承知してますが…3000メートル級の御嶽山よりもシンドカッタかも(^^;)
ともあれ、スタートから30分ほどで本丸跡に到着。
そこから南に向かって尾根沿いに二の丸、三の丸が続きます。
詰めの城だったようですから、居住する館などなかったのかもしれず、本丸ほかやや小ぶりの印象。曲輪の間は竪堀となっていて、自然の地形をいかして縄張りされたのがわかります…まぁいかにも山城って感じの城跡でしたね。
三の丸から先へは行かず、来た道を引き返しました。まだまだ見るべきところはあったのかもしれませんが、そこまでは時間はとれず…。
城跡もそうですが、木曽福島という場所が木曽氏の本拠であったことや江戸期には中山道の福島宿だったことで、いろいろ見所があるようで、また、市街地では前日から木曽の手仕事市というイベントを開催していて、それも面白そうだったのですが…。帰路を考えると長居はしておられず、後ろ髪を引かれる思いで木曽福島をあとにしたのでした。
遅筆につき詳細レポートはいずれブログにて
http://awaya-daizen.cocolog-nifty.com/
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