山の辺の道(北編2)
- GPS
- 07:25
- 距離
- 18.7km
- 登り
- 463m
- 下り
- 451m
コースタイム
- 山行
- 6:11
- 休憩
- 1:37
- 合計
- 7:48
11:20正暦寺11:45
12:16宅布施神社
13:06レストラン鹿野園14:10
16:22奈良町(春鹿)
17:22近鉄奈良駅
歩行時間 7:25(昼食、休憩含み)
歩行距離 20.1km
高低差 300m
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰路 近鉄奈良駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
山の辺の道及び東海自然歩道なので特に危険な箇所は ありません。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
行動食
非常食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
コンパス
予備電池
GPS
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
常備薬
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
|
---|
感想
雨が上がり中、天候が回復することを期待して、山の辺の道(北編)
の一部を歩きます。
行程
近鉄奈良駅に集合して、バス(奈良交通バス)で円照寺バス停まで。
・円照寺
円照寺バス停から、円照寺参道を通り、山門まで。
圓照寺(円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺で、
山号は普門山、斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡
と呼ばれる門跡寺院です。
華道は良く判りませんが、「山村御流」の家元でもあるそうです。
通常は非公開で、拝観を認められていませんので、山門まで。
参道脇の万葉歌碑があります。
あしひきの山行きしかば やまびとの
われに得しめし山つとぞ此れ
(万葉集 巻20 4293 元正太上天皇)
あしひきの山に 行きけむ山人の 心も知らず山人や誰れ
(万葉集 巻20 4294 舎人親王)
この歌碑は見落としました(汗)。
円照寺は、三島由紀夫『豊饒の海』に出てくる「月修寺(月修院)」
のモデルと云われています。
第一部『春の雪』と第四部『天人五衰』に出てきます。
西国三十三ヵ所霊場と書かれた石碑の脇の石段を登ります。
石段を登り切ると右に太子堂あります。(山の辺の道)
山の辺の道と思しき山道を少し歩き、下りきると池に出会います。
竜王池です(竜王池の畔にも万葉歌碑がありました)。
影姫がこの道を歩いたのでしょうか、もっとも神代の時代には円照
寺は等の寺社はなく、寂しい杣道だったのでしょう。
・正暦寺
林道を歩き、山麓の正曆寺を訪ねました。
正暦寺は、山号は菩提山で真言宗のお寺です。
創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち
並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていま した。
平重衡の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領は没
収され一時は廃墟と化します。
その後、法相宗の学問所として再興して、昔に勝る隆盛を極め事に
なりますが、江戸時代以降は衰退し、ほとんどの堂塔・伽藍は失わ
れ、現在では福寿院客殿と本堂・鐘楼を残すのみとなっています。
当時の正暦寺では、仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」や麹
と掛米の両方に白米を使用する「諸白造り」、「菩提酛造造り」、
腐敗防止の火入れ作業行うなど、近代醸造法の基礎となる酒造技術
が室町時代に確立されていました。
「諸白」は、現代において行われている清酒製法の祖とされていて、
日本清酒の発祥地とされています。
お酒好きの人には、試飲ができないので辛いかも(笑)。
福寿院は、上壇の間を持つ数寄屋風客殿建築であり、国の重要文化
財に指定されていますと説明をして頂きました。
福寿院では県指定重要文化財の孔雀明王像、京狩野3代目 狩野永
納筆の襖絵、正暦寺の大自然を見渡す借景庭園、護摩堂を拝観。
ここにも万葉歌碑がありました。
あきやまのもみちをしげみ まどひぬる
いもを求めむ 山みちしらずも
原文: 秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母
(万葉集 巻2 0208 柿本人麻呂)
再び山道へ(ちょっとキツイかな)。
国有林の一部を経て、宅布施神社を右に見て鹿野園に向かいます。
アスファルト道路の両サイドは、不法投棄のゴミがありました、残
念なことです、マナーはどこに行ったんでしょう。
・奈良佐保短期大学のレストラン鹿野園
山の辺の道を外れて、少し遅い昼食に、奈良佐保短期大学のレスト
ラン鹿野園で昼食。
大学は高円山の山麓の高台にあり、レストランの大きな窓からは、
奈良の町並みが遠くに眺められ、一週間早ければ桜も見事だったと
思います。
メインディッシュもデザートも全部食べ放題で、この日は割引なの
か1,500円(税抜き)でした。
少々、いや大分、腹の周りが増えたかも。
・白毫寺
昼食後、重たいお腹を抱えて、山の辺の道を通って白毫寺に向かい
ます。
白毫寺は、若草山、春日山に続いて、南に連なる高円山の麓にあり
ます。
途中、二手に分かれて白毫寺へ。
私は、墓地脇の石畳の山の道を歩きます。
遠回りしただけかな・・・・・(腹ごなし)。
で、山門下の石段で合流。
「山門」から奥の石段の両側には土塀に沿って更に萩が密生して植
えられていて、時節には参道両側を萩が埋めつくし、境内ガイドで
「萩の階段」と書かれている場所です。
この萩と土塀とよく調和がとれ、独特の風情、雰囲気を醸し出して
いようです、是非、秋に訪れたいところですね。
空海の師・勤操大徳が開いたとも、天智天皇勅願寺とも伝えられて
います。
真言律宗のお寺で、総本山は大茶盛式で有名な西大寺です。
鎌倉時代、大宗一切経の摺本が伝わって以後は、一切経寺とも呼ば
れていました。
現在、宝蔵に安置する本尊の阿弥陀如来坐像や閻魔王坐像などは国
の重要文化財に指定されています。
境内からは、眼下に奈良の町、正面手前には矢田丘陵、二上山、信
貴山、生駒山などの山並みが見渡せます。
このお寺は、春の五色椿と秋のハギが有名だそうですが、訪れたこ
とはありませんでした。
五色椿は3月下旬から赤や白、ピンク、紅白の絞りなど、大輪の花
を一本の木に咲かせるそうです。
花期が過ぎたのか、大半は花を散らしていましたが、数輪残ってい
ました。
樹齢400年を超す古木で天然記念物です。
境内に歌碑がありました。
高円の野辺の秋萩いたづらに
咲きか散るらむ見る人なしに
原文: 高圓之 野邊乃秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
(万葉集 巻2 0231笠朝臣金村)
万葉の時代から高円山一帯はハギの花で知られ、万葉集に数多く収
められています。
秋の彼岸頃には、土塀と石段に沿ってハギの花枝が延々としだれ咲
く様は、万葉人ならずとも心動かされる風情ですね。
冬になるとハギの茎を刈り、それを軸にした毛筆が作られるそうで
す。銘も「萩のしずく」とか、風雅な趣向でいいですね。
・奈良町
目的地のひとつ、春鹿の今西清兵衛商店に向かいます。
試飲コーナーは、満席でした、人気があるのですね。
外国の人もおられました、順番待ちなので二班に分かれて行動。
試飲待ち組と奈良町散策組です。
集合場所は、YKさんのお薦めの居酒屋で。
お疲れ様会は、「魚創作料理(花しば)」で。
デザートは、京都ふたばの豆餅です。
(Tさんありがとうございました)
お土産は、YTさん手作りのぐい飲み。
(ありがとうございました)
Nさんのデコポンは、手土産となりました(感謝)。
NCTC会の皆さん、今日もお疲れ様でした。
沢山食べて、沢山飲んでしまいました。(汗)
コメント
この記録に関連する登山ルート
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今は野の花 がたくさん咲いてるので、
なかなか前に進みませんね…お互い
でも、ひとつ…、
どうしたのかな…、鹿の写真がないですね〜
今西さんちの鹿さんのが…
花レコになってますね。
先日、アメリカに住んでる娘から最近のヤマレコは花ばっかしや。
お父さんも写ってないいし・・・・と文句を言われました。
鹿は遭遇してませんが、春鹿は・・・・・。
八海山に遭遇。美味しかったです。
八海山は登るものかと思ってました〜
って嘘です。
そりゃあ美味しかったことでしょうね
去年、ほんとに登りましたよ、ロープウェイで。
最後は徒歩ですが、雨が降り出したので頂上は断念
しましたが。
「花しば」で八海山以外に幾つか銘柄を飲みました
が、八海山が一番美味しかったでかな。
本当は洗心が好きですが、ありませなんだ。残念。
レンゲソウなんですね。
「ゲンゲ」とあったので「レンゲ」と間違っているのではと思って(^_^;)
やっぱり面倒でも調べないといけませんね
昔ですが、シロツメグサをレンゲソウと思っていましたから。
同じようなものです。
思い込みですね。
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