お正月はお一人様で ★下田で快適ウォーキング(下田富士ー須崎遊歩道+弁天島ー片瀬山河津城山+東浦路)
- GPS
- 384:00
- 距離
- 17.3km
- 登り
- 671m
- 下り
- 645m
コースタイム
2日目:10:00福田屋ー11:15♨舟戸の番屋13:15ー16:30下田・喜恵門荘(泊)
3日目(元日):13:00喜恵門荘ー14:00和歌の浦散策15:30ー16:30喜恵門荘(泊)
4日目:9:00喜恵門荘ー10:00須崎港(須崎遊歩道・海廻り)12:00爪木崎(須崎遊歩道・山廻り)14:00須崎港ー14:20弁天島14:50ー16:00喜恵門荘(泊)
5日目:9:00喜恵門荘ー10:10伊豆急下田駅🚊河津駅10:30ー11:30片瀬山(166m)ー11:50河津城山(181m)ー12:10今井浜海岸駅🚊伊豆急下田駅12:30ー板戸浜散策ー13:00喜恵門荘(泊)
6日目:10:00喜恵門荘ー下田港散策ー13:00🚊伊豆急下田駅
■マップには「下田富士」「須崎遊歩道〜恵比寿島」「片瀬山〜城山城址」の3つの歩行ルートの軌跡を記しておきます。
天候 | 海のいろは日差しで変わる |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
帰り:伊豆急行・伊豆急下田駅から輪行帰宅 5泊6日:河津・福田屋、下田・喜衛門荘を拠点に持ち込みの自転車で臨機応変に移動します。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
河津の片瀬山は、頂上直前に通行止めの表示があったので反対側から直登。下山は通行止めの正規道を使用したが問題なかった。 |
写真
感想
大災害や飛行機事故があり大変な新年のなか、相変わらずのお気楽レコですが、どうぞご容赦ください。行方不明者の早期発見と復旧をお祈りいたします。
※テレビをつけないので事故を知ったのは1月3日
■Wi-Fiはいらない
宿泊所のHPによれば4泊する喜恵門荘にはネット環境の有無の記載がなかったけど(実際は有)、まぁネットがなくても名作文庫が一冊あればモーマン鯛 (^_^ (個人の感想ですw)
最後の1泊は散歩嫌いの友人と合流するので、それまでに己の趣味を楽しみます。
■チャリは要る (⋈◍>◡<◍)。✧♡
これはどこの土地でも重宝しますよ。サイクリングだけでなく買い出しやちょっとした散歩にも使えるし。雨と夜は苦手ですがね。
■長期滞在の楽しさ
お一人様なので宿は重要です。適度にアットホームで(この時点でリゾートホテルはボツ)、ツアーの対象宿でなく宴会場やゲーセンがないこと、部屋食であること。こんなんクリアしていれば何連泊でも可能ですね。
川端の時代の伊豆は観光というより静養がメインで普通に1ヵ月宿泊していく客も珍しくなかった。食事は目の前の川でとれたウナギとか鮎を出しました(福田屋の女将さん談)。。いやこれ理想の旅でしょ (⋈◍>◡<◍)。✧♡
部屋風呂もいらないかな。あっても入らんし。。
■2つ並んだ片瀬山(166m)と河津城山(181m)。鞍部への連絡道は「東浦路」?
5日目に登ったこの2つの山は、河津駅もしくは今井浜海岸駅のどちらからもアクセスできますが、
☆彡どちらの登山道も2つ並んだ山の鞍部に連絡している。もし山に登らなければそのまま隣の集落に通り抜けることができる。いわゆる「峠越え」である。
片方の山は昔の山城があったと言えど、アクセスの道が余りにもよく掘れていたので旧街道と疑った。このあたりの旧街道といえば「東浦路」だが、帰宅して調べたら見事正解でした‼
☆彡よくよく考えたら、前回だかの高根山〜寝姿山間にある「旧下田街道」(ガイド本にもそう書かれている)、しかし下田街道は下田から蓮台寺まで一直線に北上するので、ここも「東浦路」の可能性が高い。→これも正解でした。
※東浦路:車道(東伊豆循環道路or東伊豆道路)ができる前の平安時代からある東伊豆の海岸を廻る道。
■片瀬山ウラ話
河津の片瀬山は、頂上直前に通行止めとあったので反対側から直登。下山はその通行止めの正規道を使用したが問題なかった。
当日は東浦路を見つけたであろう喜びで一杯で、、「帰宅後に」下記のブログを読んだのですが、どうも近世の火葬場があったらしい。
この山中には他にも意味深な人工物が。。
・赤子を抱いていた地蔵があった刻まれた文字に文政八年、さらに「夭」
・常夜灯があった
・酒を注ぐような平小皿が多数落ちていた。
・古い焼却炉(昭和30年位?)のようなものがあった。→実は火葬の炉らしい
↓
当日の結論:古い常夜灯もあり峠の山守さんの家でもあったんだろう。
後日分かったこと
加えて火葬場跡があった。。新しい発見!
仮説:
1)この峠(鞍部)の十字路は東浦路+鎌倉時代の山城の連絡路だった。
2)山城落城後も東浦路の一部として機能し常夜灯と山守さん付きだった。
行き倒れの人のために地蔵を立てた。
3)東伊豆循環道路(昭和7年)東伊豆道路(稲取区間・昭和42年)が完成 →この道は過疎になり昭和7年以降に火葬場を押し付けられた。
4)昭和52年下田に近代的火葬場が建設され、片瀬山の火葬場は廃止。
5)ハイキングコースに整備され現在に至る。
参考HP
SLOW LIFE 伊豆さんのブログ
https://slowlifeizu.blog.shinobi.jp/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0/%E6%B2%B3%E6%B4%A5%E7%94%BA%E3%80%80%E7%89%87%E7%80%AC%E5%B1%B1
下田街道さんのHP 河津から見高に東浦路をたどる〜其の一
https://kodou.lolipop.jp/higasiura-midaka.htm
■下田富士
「富士山と下田富士とは姉妹であった。しかし遠く離れていたため、妹である美しい富士山は、妹をよく見ようと思ってどんどん高くなっていった。一方、あまり美しくなかった妹の下田富士は、恥ずかしがって見られまいと身を低くした。それで姉妹でありながら高さが違ってしまった。」
■下田富士の女人禁制の碑
日本の登山は趣味ではなく信仰や修行のためのもので、そのため信仰対象の山には女人禁制(相撲の土俵もしかり)。また男女かかわらず入山時期の制限や、山で見聞きしたことを外部に喋ってはいけない等の規制が行われてきた。
写真画像の伊豆の踊子の一部を見ても解るように「女は男の後に箸をつける、湧き水も同じく」とか、今だに一番風呂は男とかいう風習が残っている地域もある。女は穢れという訳でユダヤ教と発想が近いものがありますね。
■日常へ
つか6日目に友人と合流した瞬間がもう日常。常時スマホピコ太郎。まあこれが年齢かかわらず現代の風習(;^_^A
でも私を信頼して来てくれたのだから感謝であります (⋈◍>◡<◍)。✧♡
波波に光投げかけ初日の出 ほの香
コメント
この記録に関連する登山ルート
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金目と伊勢エビは結局合計何匹食べられたのでしょうか。
私も下田富士まで南下してみたいですが、日帰りは時間的に厳しいし、このような旅館に泊まらないと逆にもったいない感じですね。
その土地に長く留まれば留まるほど知ることが多くなり愛着や造詣が生まれるというか、、つか伊豆楽しい(⋈◍>◡<◍)。✧♡
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