小倉山から相模川ふれあい科学館(水族館)と旧石器ハテナ館での石器づくりー小倉山から相模川沿いを歩く
- GPS
- 08:41
- 距離
- 25.1km
- 登り
- 486m
- 下り
- 614m
コースタイム
- 山行
- 8:38
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 8:42
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
小倉山までは採石場から林道のような道が延び、そのまま稜線につながる道に出られた。一部の急な登降と若干蜘蛛の巣がある以外は、結構歩き易い道。相模川は川沿いの道はごく一部で、大半は川の見えない高台に道がついているようだ。 |
その他周辺情報 | 相模川ふれあい科学館は相模川をテーマとした水族館で、河の生態、川床の姿、生き物の姿が見られるなかなかユニークなアクアリウムだ。車でアクセスする以外は不便なのが玉に瑕。田名地区は旧石器時代以来、交通の要所で、湧水が豊富な暮らしやすい場所だったと思われるが、現在は交通の便が悪く、小田急の唐木田駅からの延長を求める立て看板があちこちに見られた。相模川段丘面の「ヤツボ」は今回立ち寄る時間はなかったが、相模野台地の湧水の歴史を知るうえでとても重要と思われ、次の機会には立ち寄ってみたい。 |
写真
感想
田名向原旧石器ハテナ館での石器づくり体験第二弾、「河原石での石器づくり」に参加するので、ついでにお墓参りと小倉山、相模川沿い歩きで田名向原に向かう。
最初、相模大野から上三増までバスで出て、お墓参りー草取りをして庭のボタンやベニウツギなどをお供えしたが、ザックに入れた花が大分落ちてしまった。手でぶら下げていくべきだったーー。今日はあまり時間がないので、すぐお墓参りを済ませ、霊園の山頂から軽い藪漕ぎでゴルフ場方面に出て、採石場から小倉山稜線への新コースを探索。採石場は現在操業しているかどうかわからないが、登る予定の枝尾根下に出る。藪がひどく、何処から入るか思案する。左に林道が上の方まで登っているので、まずこの林道を探索ーーするとどんどん上まで登っている。途中作業小屋の後のような柱の立つ場所があり、さらに登って、道が分岐している場所をさらに上に向かうと、道の切れるあたりにまた踏み跡が続いている。左右の稜線が見え始めているので、これなら上まで行けそうと踏み跡に入る。すると前回、祠のあるピークから登った尾根の踏み跡に合流し、今回は小倉山方向に分岐する文後を辿って稜線に出る。少し先で小倉山への手書きのテープの道標があり、急な登降を繰り返すと、ヤマレコでチェックした石仏のピークに出る。今日歩く予定だった枝尾根に入るとここに出る計画だったが、今回は作業道ルートを使った。予定より早く290mピークを通過、ゴルフ場を右に見下ろしながら足早に緩やかな道を下ると、石仏ピークから20分余りで林道に下る。林道を少し歩いて、まもなく山道に復帰、10分強で稜線に出る。展望台と小倉山の分岐だ。展望台にはいかずに小倉山まで急ぐ。小さなアップダウンを越えると14分で小倉山に出る。まだ9時47分、軽く補給して下山開始、8分くらいで作業道に降り立ち、そのまま歩道橋に向かう。10分足らずで歩道橋に出て、さらに小倉橋に向かう。少し先で圏央道の相模原インターチェンジを通過し、小倉橋に向かう。これまでの道は消失し、ぐるっと回って河原橋・串川を渡り、小倉橋に出る。h道教から小倉橋まではゆっくり歩いて30分くらいだ。橋を渡って散策道に入る。チャリダー、釣り人、散策者などとすれ違いながら進むと、茶店に出る。この先はキャンプ場遺構は行き止まりという。内水面試験場、自然村公園を通り抜けて、古民家の先から階段を上がって、上の老人施設前の道路に出る。ここからは相模川の見えない道を一時間強進み、水郷田名にある相模川ふれあい科学館に出る。10分ほど昼食休憩を取り、アクアリュウムを見学した後、バスで田名バスターミナルに出て、田名向原遺跡までバスを使う。13時40分のバスならちょうど石器づくりイベントに間に合う寸法だ。最後まで歩けなかったのは残念だが、今日のメインが石器づくりなのでやむを得ない。
14時前に田名向原旧石器ハテナ館に到着し、14時からの「河原石による石器づくり」に参加。前回と同じく、同館職員の和田さんが概要を説明し、河原に移動。
今回和田さんは、河原石の中でも主にホルンフェルスを使うように勧めた。また場合によっては緑色凝灰岩もお勧めという。ホルンフェルスと思しき縞模様のある茶灰色の石を拾って、台石にたたきつけて割り始める。剥片が採れるが、石斧になりそうな大きさのものが取れない。石は非常に硬く感じて、手首がおかしくなりそうだ。たたき石も使っていろいろは角度から敲くが、方向が悪いとバラバラに割れてしまう。石斧の大きさのものが取れず、あきらめかかったときに、ふと足元に石斧大の石を見つけ、叩いてみると半分にパカッと割れ、見事な石斧型の石が二つ取れた。最後の10分でラッキー、刃の部分と気に取り付ける部分を加工しようと石でたたいているうちに時間切れ、なんとか形は作った。河原からハテナ館に戻って、木の柄を取り付け、まとめの話しで終了。河原石の石器づくりは、石の性質を知り尽くさないと簡単でない。最後に石をたたくときは剥離面の先端と、敲台も先のとがった面を当てて敲くと、剥離しやすいと、見事なナイフ形の剥片を示した。石器づくりの天才少年現る!!??旧石器時代にもこうした天才が次々に現れて、石器づくりの技術革新を生み出したのだろうなとつくづく思った。良い経験になった一日でした。
なお、相模川沿岸歩きの途中にあった「ヤツボ」に関して、城山町の保阪氏の「屋根のない博物館」HPでは以下のように記している。
「城山町流れる谷津川や中沢は相模川段丘崖を縦に横断するような形で断層面を流れていますが、相模原台地を流れる鳩川、姥川、道保川や八瀬川は長い年月をかけてできた旧相模川沿いを流れやがて相模川に合流して行きます。
段丘崖からの湧水はそうした相模川が運んだ礫層と小仏層・中津層や依知礫層と呼ばれている基盤岩との接合部分から湧き出しています。
人々はこの湧水を利用しながら永い間暮らしてきました。大島地区ではそうした湧水地を特にヤツボと呼んで大切にしてきました。ヤツボは田名原段丘と陽原段丘が直接相模川に重なる箇所に多く、未だあるかもの知れませんが11ヶ所の報告例があります。
ヤツボに続く「水汲みの道」は、住居から崖に向かって下りて行くような形になっています。その構造は崖から湧き出す湧水がそのまま流れないよう、石で囲みダムのような形にして湧水を溜めます。また湧水は地下を流れて来ますのでどうしても泥が溜まりやすく、周囲からは落葉や土も入り込みます。そうした場合は一時的にダムを壊したり、栓を抜いたりしながら泥さらいをしました。
城山町の久保沢や小倉地区にも大島地区のヤツボと同じような構造をした湧水地があり共通の井戸文化を持っていました。」(相模川の段丘斜面の「ヤツボ」の説明)
またヤツボの語源については
「珍しいヤツボと云う語源を「おおさわ風土記 昭和57年7月発行」では「こんこんと清水が湧き出る泉があり、八ヶ所ある所から八ツ壺といわれるようになりました。」とあるようにヤツボのヤは数量を表わすと報告しています。これに対し地形的な立場から「「大島地区の自然と文化 おわりに」では、「ヤツボ」はやはり「ヤ(谷)」+「壺(ツボ)」と考えるのが自然のようである。」と報告しています。
今後の研究にその語源を委ねたいところですが、参考に城山町を流れる谷津川の表記のところで興味のある部分が見つかりました。作者の八木七之助は4枚の「久保沢と谷津川の絵図」の中から、現在私たちが呼んでいる谷津川のことを寛文想像図の中では「谷ツ」、元治元年図では「谷津」、明治9年図では再び「谷ツ」と表記しました。このことから「ヤツツボ」が「谷ツ壺」となり、いつの頃かは分かりませんが「ヤツボ」となったと考えられます。」と記している。
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