下街道(善光寺街道)その2 〜春日井から内津峠越え多治見〜


- GPS
- 07:59
- 距離
- 28.2km
- 登り
- 296m
- 下り
- 217m
コースタイム
天候 | 晴れ後曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
先週、下街道を名古屋城下の札ノ辻から春日井の鳥居松まで歩いたので、今日はその続きを歩こうとJR中央線春日井駅にやってきた。
今日は昼は4月並みの気温になるようだが、朝の冷え込みはそれなりである。
今日特に関心があったのは、江戸時代の下街道をたどりながら、明治・大正の時代の生業、暮らしの変遷を見てみたいということであった。その意味では、坂下の養蚕・製糸業の隆盛、明治20年頃から本格的に始まった荷馬車、乗合馬車などの盛衰といったところが対象となる。
旅の安全を祈る馬頭観音も荷馬車などの運送業者が建てる時代となった。内津峠の馬頭観音(今回見逃した。)は、明治27年だという。
養蚕と言えば、坂下に製糸工場だった建物が二軒残っていた(最盛期5軒を数えたという。)が、坂下小唄の三番は「西尾、明知のヨイサ、桑の葉繁りゃ 黄金白金山と積む、尾張坂下そうじゃんや、チョルチョル」という歌詞だそうだから、その盛況ぶりがわかろうと言うものである。
今日は、思わぬ出会いが2つあったのが印象に残った。
一つは、神屋と明知地区で二十二夜塔に初めて出会ったことである。通常の二十二夜講は如意輪観音を本尊とするもので、女人講、念仏講であると言われているが、神屋の光明院のそれは、「秋の二夜祭りには、境内で棒の手、相撲、村芝居、盆踊りが行われ、沿道には夜店が出て近在の人が楽しんだ」というから、大変形態が違っているのに興味ひかれた。
もう一つは、多治見の池田宿の町屋郷土資料館での語らいだある。地域のアイデンティティーの歴史遺産を守り、活用しようという熱意には敬意を感じざる得なかった。ここにも、養蚕関係資料が保存されていたが、話では中津川ぐらいしか蚕霊神社、蚕霊塔はないということだったが、帰宅後調べてみたら東濃の各地にあるようだった。
(参考)「下街道(善光寺街道)その1 〜名古屋から春日井〜」2024年02月09日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6438797.html
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