富士山上井出口登山道再調査
- GPS
- 06:04
- 距離
- 15.5km
- 登り
- 726m
- 下り
- 710m
コースタイム
- 山行
- 6:05
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:05
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
一般の登山道ではなく、富士宮からの他の旧富士山登山道(大宮口=表口登山道、村山口登山道、カケスバタ口登山道)と比べてもルートが不明瞭で分岐している道も多いので一般の方は入り込まないで下さい。 歩いているとズボンにマダニが多く付着してきますのでダニ対策が必要。 |
写真
感想
富士宮からの5ツの富士山旧登山道を単独で歩き、調査していたが資料の少ない上井出口や人穴口登山道は中途半端で終わっていた。そこにUPAさんがやはり各登山道を調査していて、一緒に上井出口登山道を調査しようということになり5年前に富士宮市上井出から大澤の三ツ沢までを踏破できた。三ツ沢から先は鉄砲尾根を行くか大澤の隣の滑沢で富士山お中道大沢休泊所まで行くと推定されるので鉄砲尾根を時間的に許すところまで登って下りてきた。
その記録は以下の通り。
富士山上井出口登山道 - 2019年06月02日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com)
しかし帰宅して手持ちの明治末から昭和初期の1/25000地図に記載されている道とは少し違っているようで特にUPAさんは納得できずその後、数回、調査を繰り返し昨年4月に正規の旧上井出口登山道を制覇し、地図的にも間違いないことを確認された。その時の記録が以下のものです。
富士山 残っていた上井出口登山道 - 2023年04月09日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com)
そこで害獣駆除の狩猟期間合間の4月に、最近は非常に多忙で山も歩く時間が取れないUPAさんから私のために一緒に行こうと声を掛けてくれた。そこでお言葉に甘えて同行をお願いした次第である。またUPAさんから富士山を100回以上登っていて、最近は富士山の麓の歴史等に興味を持っている Iさんも誘ってもらい3人で出かけることにした。
実際に歩いてみると、現在の1/25000の地図からは消えてしまったが私が持っている昭和初期の地図に載っている上井出口登山道に間違いないことが確信できた。
新しい林道終点部下部の旧上井出口登山道は棘のある藪がひどく、帰路に少しの区間を歩いてみたがルートも明確なので無理して歩くことも無いと一致し、途中からまた新しい林道で戻ることにした。
しかしこのルートを最終的に確定するまでには、道の分岐も多く、不明瞭な踏み跡箇所もあるのでUPAさんの繰り返しの努力と繊細な観察・集中力が無ければ達成できなかったものと思われ、本当にUPAさんに感謝・感謝である。
また今回はUPAさんがマダニ対策のスプレーや線香まで用意してくださり、私はUPAさんに連れられてただ歩くだけの大名ハイキングで写真や詳細な記録もほとんど取らなかったため、詳細は上のUPAさんのヤマレコ記録を参照にしてください。
本当に、UPAさん、Iさん、ありがとうございました。
上井出口は余程人気が無かったのか資料が乏しく、地形図から推測するにしても、沢筋が現在の地図と異なっており、塚の位置も違っていたり、下準備の難易度が高かったです。
地形図の違いについては、学生時代に測量を学んだ身としては、高度・距離の測量ポイントは限られ、あとは感覚で描く、という予備知識があり、描く人によって違いがでるのは当たり前、という認識があります。山頂、見通しのよい沢底などは測れたとしても、木の多い茂った急な崖などは測りようがないですから、それっぽく描くわけです。荒っぽい原図に登山道を落とし込む場合、歩いてきた方位方向(ベクトル)、高度計を基にした情報、周りの関係性を基に作図したと思われます。
ベクトル、高度情報は間違いが少ないので、再現にあたり参考になります。
上井出口については調査の結果、以下の点が考察されます。
・地形図をさかのぼると、三ツ沢までの区間は明治29年の地形図に記載があり、もともと「道」が存在していた。それは明治初期のものか江戸時代も含むのかはわかりません。
・馬車軌道の上井出駅ができたことを契機に登山道が整備されたと言われているが、あくまで既存の道に看板を付けた程度と推測する。御殿場口の発展を習っての意欲があったと思われる。
・全般的に廃道放置されており、植林はグリッド重視で登山道にも植えられており、登山道を維持しようという気持ちは全く無いようである。これは船津口、山中口などにも見られる。沢底は水で流されるの植林しない。登山道は深くても水が流れないので植林する。よって植林された深い道が続いているときは登山道であったと理解できる。
・標高1240m付近は似たような道が交錯するため、ここだけ石積みが残り、登山道へ誘導した痕跡がうかがえる。唯一のハイライト。
・三ツ沢あたりは昔からの道だが、もっとも簡単に大沢を渡れるところ(弱点)を突いており、合理的なルートである。道筋は標高1320m付近で大沢に接近しているが、そこは沢との高低差が大きく対岸には渡れない。地形図では判読がむずかしいところ。
・三ツ沢からは大沢右岸の鉄砲尾根をのぼって御中道にたどり着くが、急な尾根を直登しているだけで、道を切り開いた印象は無い。なお現代は砂防工事で利用されており現役であるのが面白い。
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