金剛山登山口駐車場に停めました。朝から雨が降ったり止んだりでしたが、止んだタイミングで出発します。
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4/30 10:13
金剛山登山口駐車場に停めました。朝から雨が降ったり止んだりでしたが、止んだタイミングで出発します。
楠木正成によって金剛山の中腹に築かれた千早城。鎌倉時代末期の激戦地「千早城の戦い」の舞台となった城です。
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4/30 10:15
楠木正成によって金剛山の中腹に築かれた千早城。鎌倉時代末期の激戦地「千早城の戦い」の舞台となった城です。
千早城までは急な石段をひたすら登ります。金剛山を目指すだけなら千早城を巻くルートもあります。
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4/30 10:15
千早城までは急な石段をひたすら登ります。金剛山を目指すだけなら千早城を巻くルートもあります。
「まさしげくん」というイメージキャラクターがありました。楠木正成はかなりエゲツないことをした人物なので、ちょっとイメージに合いませんね。
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4/30 10:15
「まさしげくん」というイメージキャラクターがありました。楠木正成はかなりエゲツないことをした人物なので、ちょっとイメージに合いませんね。
鳥居が現れましたが、千早城跡も千早神社もまだまだ先です。
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4/30 10:17
鳥居が現れましたが、千早城跡も千早神社もまだまだ先です。
平らな場所に出ました。この辺りは四の丸があった場所です。千早城の遺構はほぼ残っていないのが残念なところです。
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4/30 10:28
平らな場所に出ました。この辺りは四の丸があった場所です。千早城の遺構はほぼ残っていないのが残念なところです。
こちら鳥居には狛犬が鎮座しています。
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4/30 10:29
こちら鳥居には狛犬が鎮座しています。
「千早城址」の立派な石碑がありました。この辺りが二の丸跡です。
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4/30 10:32
「千早城址」の立派な石碑がありました。この辺りが二の丸跡です。
千早神社が見えて来ました。元々は千早城の本丸があった場所ですが、後に神社が建てられたものです。
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4/30 10:34
千早神社が見えて来ました。元々は千早城の本丸があった場所ですが、後に神社が建てられたものです。
今の建物は明治7年に再建されたものです。登山の無事をお祈りして、先に進みます。
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4/30 10:35
今の建物は明治7年に再建されたものです。登山の無事をお祈りして、先に進みます。
千早城跡を過ぎて登山道と合流しましたが、石段はまだまだ続きます。山頂までこんな感じでした。
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4/30 10:55
千早城跡を過ぎて登山道と合流しましたが、石段はまだまだ続きます。山頂までこんな感じでした。
5合目には休憩所があり、仮設トイレが設置されていました。メジャーな山だけに、トイレには困りません。
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4/30 11:05
5合目には休憩所があり、仮設トイレが設置されていました。メジャーな山だけに、トイレには困りません。
ここには何故かウルトラマンとバルタン星人の石像がありました。『金剛山本道中間点 人生も山も苦しみも喜びも あと半分会 会長ウルトラマン 副会長バルタン星人』とあります。大阪が舞台になったのはゴモラでは…?
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4/30 11:05
ここには何故かウルトラマンとバルタン星人の石像がありました。『金剛山本道中間点 人生も山も苦しみも喜びも あと半分会 会長ウルトラマン 副会長バルタン星人』とあります。大阪が舞台になったのはゴモラでは…?
「河南八勝第五蹟」とありますが、これは楠公(楠木正成)ゆかりの8ヶ所の内、金剛山が5番目の場所という意味だそうです。他の7ヶ所も機会があれば訪れてみようと思います。
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4/30 11:25
「河南八勝第五蹟」とありますが、これは楠公(楠木正成)ゆかりの8ヶ所の内、金剛山が5番目の場所という意味だそうです。他の7ヶ所も機会があれば訪れてみようと思います。
金剛山の山頂に到着しました。海抜1125mとありますが、この地点の標高は1088mです。日付が入っているので登頂の記念になりますね。
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4/30 11:41
金剛山の山頂に到着しました。海抜1125mとありますが、この地点の標高は1088mです。日付が入っているので登頂の記念になりますね。
山頂は広く、視界も開けていますが、残念ながらこの日はガスガスで何も見えませんでした。
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4/30 11:42
山頂は広く、視界も開けていますが、残念ながらこの日はガスガスで何も見えませんでした。
なお、この場所は国見城のあった場所です。国見城は楠木正成が金剛山に築いた城砦の一つで、見晴らしが良いことから、司令部の一角として使用されていたようです。
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4/30 11:41
なお、この場所は国見城のあった場所です。国見城は楠木正成が金剛山に築いた城砦の一つで、見晴らしが良いことから、司令部の一角として使用されていたようです。
山頂近くには立派な造りのトイレがあります。
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4/30 11:57
山頂近くには立派な造りのトイレがあります。
金剛山転法輪寺に来ました。炎を纏った大日大聖不動明王が立っています。
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4/30 11:59
金剛山転法輪寺に来ました。炎を纏った大日大聖不動明王が立っています。
金剛山転法輪寺は665年に役行者によって開かれました。この山が「金剛山」と呼ばれるようになった由縁でもあります。
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4/30 12:02
金剛山転法輪寺は665年に役行者によって開かれました。この山が「金剛山」と呼ばれるようになった由縁でもあります。
次は金剛山の最高地点である葛木神社に向かいます。道中、灯籠がズラッと立ち並んでいます。
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4/30 12:04
次は金剛山の最高地点である葛木神社に向かいます。道中、灯籠がズラッと立ち並んでいます。
金剛山の最高地点である葛木神社に到着しました。こちらの神社が建てられたのも転法輪寺と同時代だそうです。
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4/30 12:08
金剛山の最高地点である葛木神社に到着しました。こちらの神社が建てられたのも転法輪寺と同時代だそうです。
なお、正確には葛木神社の裏が最高地点ですが立入禁止です。数メートル低いですが、葛木神社の参拝場所が到達可能な最高地点となっています。
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4/30 12:11
なお、正確には葛木神社の裏が最高地点ですが立入禁止です。数メートル低いですが、葛木神社の参拝場所が到達可能な最高地点となっています。
ひっそり佇む湧出岳(1112m)に来ました。ここには一等三角点があるので、「一等三角点百名山」の一座だったりします。
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4/30 12:24
ひっそり佇む湧出岳(1112m)に来ました。ここには一等三角点があるので、「一等三角点百名山」の一座だったりします。
湧出岳の近くには電波塔が建っており、少し興醒めな感じがします。必要性は分かりますが…。
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4/30 12:26
湧出岳の近くには電波塔が建っており、少し興醒めな感じがします。必要性は分かりますが…。
電波塔の先は10分ほど悪路が続きます。広い道まで戻ればここを通らなくても先に進めます。
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4/30 12:28
電波塔の先は10分ほど悪路が続きます。広い道まで戻ればここを通らなくても先に進めます。
ちはや園地の手前に展望台がありました。
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4/30 12:39
ちはや園地の手前に展望台がありました。
上はそこそこの広さがあります。天気が良ければ四方が見渡せそうです。
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4/30 12:40
上はそこそこの広さがあります。天気が良ければ四方が見渡せそうです。
ちはや園地に来ましたが、ひっそりとしています。金剛山ロープウェイが休止中なので、気軽に来れなくなりましたね。
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4/30 12:47
ちはや園地に来ましたが、ひっそりとしています。金剛山ロープウェイが休止中なので、気軽に来れなくなりましたね。
伏見峠に到着しました。この先は林道(関係者以外通行止)となっています。
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4/30 12:52
伏見峠に到着しました。この先は林道(関係者以外通行止)となっています。
もっと登山道寄りの林道だと思っていましたが、ガチ舗装路でした。脚に疲労が来そう…。
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4/30 13:05
もっと登山道寄りの林道だと思っていましたが、ガチ舗装路でした。脚に疲労が来そう…。
伏見峠から30分ほどで車道に出ました。ここから更に30分ほど舗装路歩きが続きます。
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4/30 13:23
伏見峠から30分ほどで車道に出ました。ここから更に30分ほど舗装路歩きが続きます。
この辺りの駐車場も500~600円でした。無料駐車場は無さそうですね。
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4/30 13:24
この辺りの駐車場も500~600円でした。無料駐車場は無さそうですね。
駐車場に戻って来ました。見所は多かったですが、最後は舗装路歩きが1時間続いたのでやや単調でした。
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4/30 13:52
駐車場に戻って来ました。見所は多かったですが、最後は舗装路歩きが1時間続いたのでやや単調でした。
下山後は「下赤坂城跡」に寄ってみます。観光用駐車場から片道10分ほどの距離にあります。
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4/30 14:17
下山後は「下赤坂城跡」に寄ってみます。観光用駐車場から片道10分ほどの距離にあります。
下赤坂城は楠木正成が築いた城で、「千早城の戦い」の2年前の1331年に幕府の大軍を相手に籠城戦を行った場所です。
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4/30 14:26
下赤坂城は楠木正成が築いた城で、「千早城の戦い」の2年前の1331年に幕府の大軍を相手に籠城戦を行った場所です。
残念ながら遺構は残っておらず、石碑が建っているだけです。
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4/30 14:28
残念ながら遺構は残っておらず、石碑が建っているだけです。
楠木軍500人に対し、幕府は正規軍4軍を編成して1万(太平記だと30万)もの大軍を差し向けています。この頃から楠木正成が幕府に警戒されていたことが分かります。ちなみに、4軍の大将格の1人は足利高氏(後の尊氏)でした。
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4/30 14:27
楠木軍500人に対し、幕府は正規軍4軍を編成して1万(太平記だと30万)もの大軍を差し向けています。この頃から楠木正成が幕府に警戒されていたことが分かります。ちなみに、4軍の大将格の1人は足利高氏(後の尊氏)でした。
楠木軍は寡兵ながら地の利を生かして1ヶ月に渡り互角以上の戦いを見せますが、兵糧攻めにより継戦困難となります。そのため、城を放棄して落ち延びますが、この時の経験が後に千早城の戦いで生かされることになります。
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4/30 14:39
楠木軍は寡兵ながら地の利を生かして1ヶ月に渡り互角以上の戦いを見せますが、兵糧攻めにより継戦困難となります。そのため、城を放棄して落ち延びますが、この時の経験が後に千早城の戦いで生かされることになります。
なお、下赤坂城のあった場所は「日本の棚田百選」に選定されています。棚田百選なんてあるんですね…。
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4/30 14:26
なお、下赤坂城のあった場所は「日本の棚田百選」に選定されています。棚田百選なんてあるんですね…。
のどかな風景です。約700年前に激戦が繰り広げられた場所とは思えません。
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4/30 14:26
のどかな風景です。約700年前に激戦が繰り広げられた場所とは思えません。
次は上赤坂城跡に来ました。こちらの駐車場は10台くらい停められます。
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4/30 14:47
次は上赤坂城跡に来ました。こちらの駐車場は10台くらい停められます。
本丸まで約20分と、そこそこ距離があります。こちらにも「まさしげくん」がいました。
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4/30 15:30
本丸まで約20分と、そこそこ距離があります。こちらにも「まさしげくん」がいました。
本丸跡までは山道を歩きます。整備された金剛山の登山道よりも「山道」という感じです。
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4/30 14:49
本丸跡までは山道を歩きます。整備された金剛山の登山道よりも「山道」という感じです。
「上赤坂城の戦い」は千早城の戦いと並行して行われた籠城戦です。楠木正成は千早城に1000人の兵と共に籠城し、こちらは平野将監と楠木正季(楠木正成の弟)が300人の軍勢で幕府軍を迎え討ちました。
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4/30 14:50
「上赤坂城の戦い」は千早城の戦いと並行して行われた籠城戦です。楠木正成は千早城に1000人の兵と共に籠城し、こちらは平野将監と楠木正季(楠木正成の弟)が300人の軍勢で幕府軍を迎え討ちました。
楠木軍は地の利を生かした山岳ゲリラ戦で幕府の大軍を相手に1ヶ月近くも互角以上に戦います。
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4/30 15:27
楠木軍は地の利を生かした山岳ゲリラ戦で幕府の大軍を相手に1ヶ月近くも互角以上に戦います。
力押しは困難と悟った幕府軍は水源を抑えて給水させない「断水作戦」を行います。これにより、継戦困難となった平野将監以下300名弱の兵は降伏します。(楠木正季は何とか千早城に逃げ延びた)
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4/30 15:24
力押しは困難と悟った幕府軍は水源を抑えて給水させない「断水作戦」を行います。これにより、継戦困難となった平野将監以下300名弱の兵は降伏します。(楠木正季は何とか千早城に逃げ延びた)
ところが、幕府軍は約束を違えて降伏した将兵を全員処刑します。このことが千早城の楠木軍の復讐心を駆り立て、死に物狂いの反撃を受けることになります。
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4/30 15:22
ところが、幕府軍は約束を違えて降伏した将兵を全員処刑します。このことが千早城の楠木軍の復讐心を駆り立て、死に物狂いの反撃を受けることになります。
上赤坂城を攻め落とした幕府軍は千早城の包囲勢力に合流します。吉野方面を掃討していた別働隊も加わり、千早城は圧倒的な大軍に取り囲まれることになります。
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4/30 15:06
上赤坂城を攻め落とした幕府軍は千早城の包囲勢力に合流します。吉野方面を掃討していた別働隊も加わり、千早城は圧倒的な大軍に取り囲まれることになります。
本丸跡に到着しました。上赤坂城の本丸があった場所には立派な石碑が建っています。開けていて見晴らしも良い場所です。
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4/30 15:07
本丸跡に到着しました。上赤坂城の本丸があった場所には立派な石碑が建っています。開けていて見晴らしも良い場所です。
中央の白い塔はPLタワー(PL教団のシンボル)です。高さが180mもあり、京都タワーや通天閣よりも高い建造物です。ちなみに、信者でなくても見学可能だそうです。(入れるのは1Fのみ)
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4/30 15:07
中央の白い塔はPLタワー(PL教団のシンボル)です。高さが180mもあり、京都タワーや通天閣よりも高い建造物です。ちなみに、信者でなくても見学可能だそうです。(入れるのは1Fのみ)
斜面は切り落ちており、登山道以外からのアクセスは難しそうです。
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4/30 15:09
斜面は切り落ちており、登山道以外からのアクセスは難しそうです。
こちらは二の丸跡です。周りは急斜面なので、やはり取り付くのは難しそうです。
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4/30 15:14
こちらは二の丸跡です。周りは急斜面なので、やはり取り付くのは難しそうです。
実はこの上赤坂城跡から金剛山まで登山道が延びています。機会があれば歩いてみたいところです。
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4/30 15:22
実はこの上赤坂城跡から金剛山まで登山道が延びています。機会があれば歩いてみたいところです。
ひと通り観光した後は「金剛乃湯」で汗を流しました。意外にも濃い目のナトリウム泉でした。
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4/30 16:19
ひと通り観光した後は「金剛乃湯」で汗を流しました。意外にも濃い目のナトリウム泉でした。
歴史登山お疲れさまでした。
「千早城の戦い」で、楠木正成が籠城して耐えたことが討幕のきっかけを作ったこと判りました。
足利高氏(尊氏)と新田義貞が急に朝廷側に寝返るとは、よほど幕府に不満を抱いていたのでしょうか。
コメントありがとうございます。
新田一族は清和源氏の家系ながら、源頼朝の挙兵に当初参加しなかったことで、鎌倉幕府からは冷遇され続けていました。不満は常に抱えていたと思います。
足利高氏(尊氏)は執権北条守時の妹を妻とするなど幕府の重鎮でしたが、下赤坂城の戦いの辺りから、北条氏と確執が広がっていたようです。
反乱軍の鎮圧に向かう途中で「天下を取れ」という祖父の書き置きを見て倒幕を決意したという説もありますが、事実かどうかは分かりません。
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