石狩岳
- GPS
- 07:50
- 距離
- 9.8km
- 登り
- 1,180m
- 下り
- 1,176m
コースタイム
- 山行
- 7:11
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 7:49
過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
石狩岳は大雪山の東、東大雪に位置する山である。流域面積日本第2位の石狩川の最奥にある。
当初、今回の北海道遠征計画の段階ではこの山に登る予定はなかった。遠征の後半は、日高山脈のカムイエクウチカウシ山(略称・カムエク)に当てられていた。ところが昨年に続いて林道が開通せず、計画変更となったのだ。くわえて、ニセイカウシュッペ山の山行記で触れたとおり、下山中転倒し、左大腿部裏側に違和感が残り、違和感は軽い痛みを伴った。薬局で貼り薬を買い求め応急手当。翌日予定されていた芦別岳は、無念残念だが大事を取りあっさり断念した。この様子では石狩岳もニペソツ山も多分ダメだろうと一旦は諦めた。ニセイカウシュッペ山からの下山で調子に乗って飛ばしすぎ、転倒したことが返す返すも残念無念。何事も調子に乗ることは禁物である。70才目前の年になっても治らない調子乗りの性癖を悔やんだ。
芦別岳はアッシー君に徹することにした。
H男さん、Oさん、Ye女さんを芦別岳登山口に送り、富良野市内の喫茶店で待機していると、H男さんから「無事登頂し、下山は14時30分頃になります」
と連絡が入った。登山口に迎えに行き、自分の務めを最小限果たすことができた。翌日は元々ハードな石狩岳とニペソツ山に備えて休養日に当てられていた。その間に足の回復具合を見て石狩岳に登るかどうか決めることにした。二日間休むと、違和感が薄らぎ痛みも取れてきた。石狩岳に登れそうだ。不調が出てきたら途中撤退するつもりで臨むことにした。
前日、途中合流したTさんからテーピングを勧められた。Tさんは若い頃の無理がたたって、膝が悪いのだ。違和感がある部位は左足の大腿部の裏側だが、膝頭の動きをぶれないようにしておくことは、大腿部の不安であっても何か有効ではないかと思われた。早速試してみる。膝頭を包み込むようにして2本のテープを「く」の字型に貼るのだ。7月12日早朝、左足の膝頭にテーピングをしなおして登山口に向かう。国道273号線を走り、十勝三俣から林道に入る。小一時間も走ってユニ石狩岳や音更山の登山口を見送り、二十一ノ沢出合の広い駐車スペースに着く。この味もそっけもない沢名は、原生林が生い茂る広々とした大地を流れる無数の沢にいちいち名前を付けるのが面倒になって順番に数字で呼称した名残だろう。ここは「御殿跡」と呼ばれているそうな。なんでもベランダ付きの木造2階建ての営林署事務所があったことに因むという。すでに5台駐車。福島ナンバーを除いて道内のナンバーだ。河原状の平坦地から残雪をいただく山並みが見える。帰宅してから写真を確かめると、正面奥左手の高みが石狩岳だった。
6時45分、シュナイダーコース登山口をスタート。高曇りだが快晴。これまでと打って変わって朝から蒸し暑い。笹の切開きに入って間もなく天狗信仰の小さな祠がある。中を覗き込んでみると、天狗に似たような岩が置いてあるだけだった。二十一ノ沢に沿って背丈ほどの笹の切開きを行く。第1ピッチから大汗をかく。丸太を渡してある二十一ノ沢を徒渉。出だしからジャボンして不快な気持ちで歩きたくない。念のためストックを出してバランスを取りながら渡りきる。
「シュナイダーコース 開削25周年 1986・9・5 足寄山友会」の看板が幹に立てかけられるようにして落ちている。ということは1961年、今から50年ほど前に開削された登山道だ。避難路として開削されたとのことだが、急峻なことで知られている。850メートルの標高差を直線距離にして2キロで登ってしまう。一名「熊ころがし」と呼ばれている。登山道に横文字が付くのは珍しい。調べてみると、「シュナイダー (ドイツ語: Schneider) とは、南部ドイツ語圏のドイツ語の姓、あるいはイディッシュ語(アシュケナジム)の姓。仕立屋を意味する」(ウィキペディアによる)。野沢温泉スキー場にも難コースで知られるシュナイダーコースというのがある。ここのシュナイダーコースの謂れについては、チロル生まれの登山家にしてスキーヤーだったSchneider.Erwinに因んだという説が有力だが、詳細はわからないらしい。
ここまで1時間ほど歩いて、左足のふくらはぎに張りがあること以外違和感はない。登れそうだ!一旦石狩岳も、ニペソツ山も諦めただけにそのことが何より嬉しい。急登が始まった。足への負担が軽くなるよう、念のためダブルストックで登る。山腹にジグザグが切られ、何度かジグザグをあえぐとヤセ尾根に出た。花は少ないがハクサンシャクナゲがぽつりと咲き、ゴゼンタチバナが足元を飾る。尾根に出て最初の休憩の腰を下ろす。女性たちから「早く荷を軽くしたい」と、ミニトマトとグレープフルーツの切り身が回ってきた。今日のメンバーのH男さん、Ye女さん、Yt女さんとは、3年前の秋、佐武流山と鳥甲山で一緒したのが最初である。あの時も女性たちからフルートが振る舞われたことを話題にした。寝不足で絶不調だった僕があの振る舞いで元気を取り戻したのだ。
幕営したという若者グループが下ってきた。左足の状態はいい。昨夜は十分睡眠を取った。入念にテーピングし、ダブルストックで臨んでいる。この調子が続くことを祈るばかりだ。左手にキュンと天を突く尖がりの山型が見える。果てなんという山だろう。樹間から石狩岳の稜線が見える。その稜線から幾筋もの残雪の白い糸が垂れ下がっている。1300メートル付近から露岩混じりの急登が始まった。ヤセ尾根だからジグザグを切ることができず、尾根筋にそのままルートが付いている。ストックをリュックにしまい、素手で枝、岩角をつかんでよじ登る。あまりの急登におしゃべりが続いた女性二人の口にもチャックがかかったようだ。今日は異常に暑い。汗がしたたり落ちる。H男さんの尻はズボンまで汗まみれになっている。下山後耳にしたことだが、十勝では台風の影響によるフェーン現象で30度にも上がったという。おまけに風が凪いでいる。
Yt女さんに足がつる症状が出てきた。しばし腰を下ろして症状が収まるのを待つ。彼女は近くに住む娘さんの孫守りに忙しく、最近山へは遠のいているという。しばらく一緒に歩いたが、彼女は
「石狩岳には一度登っているので山頂まで行けなくてもいい。マイペースで行きますから先に行ってください」
と申し出てきた。言葉に甘んじて僕ら3人は先を急いだ。ヤセ尾根の急登続きだが、木の根っこや岩角にホールドが豊富にあり意外と登りやすい。ヤセ尾根の岩場を乗り越えるようところにもホールドが随所にある。ダケカンバの樹間から左に石狩岳、右に音更岳を垣間見ながらぐんぐん高度を上げていく。ハイマツ帯になっても急登が続いたが、結局急峻といわれるシュナイダーコースに鎖場はなく、ザイルが一ヶ所架かっていただけだった。
10時11分、分岐に出た。徒渉地点から3時間50分のコースタイムのところ、2時間30分ほどで登ったことになる。特別急いだわけではなかったが、われら老兵の足としてはかなりハイピッチだった。不安視された我が左足に何の変調もない。ありがたやありがたや。真っ先に大雪山が飛び込んでくる。昨日のニセイカウシュッペ山から北側を望んだ大雪山は、峰々を無数に集めた大山塊という感じだったが、ここから眺める大雪山は、大雪山の懐を広げた奥に旭岳が鎮座している。音更岳がゆったり穏やかな山型をもたげているのに対し、石狩岳は見上げるようなピークだ。まだひと登りしなければならない。急登にあえいでいた時は凪いでいた風も、稜線に出ると微風を吹かせ、大汗をかいた背中に心地いい。腰を下ろしながら「あーあ、ええ気持ち」を連発した。
急峻に見えたがジグザグが切ってあり、快適なピッチで高度を上げる。シュナイダーコースには花らしい花はなかったが、足元にお花がにぎやかである。キンバイソウ、イソツツジ、チングルマ、エゾシバザクラ。1時間はかかるかと思えた山頂は、40分ほどで登りきった(10時57分着)。大雪山からトムラウシ、そして数日前に登ったオプタテシケ山に始まる十勝連峰の奥まで大展望だ。分岐から眺めた大雪山は音更山と石狩岳の山端に阻まれて、大雪山以外見えなかった。そのバリアが取り払われて、文字通り大展望である。24ミリ角でもワンショットで収めきれないほどに長く広い。この大長嶺を3カットにして収めた。これまで見慣れた大雪山〜十勝連峰の展望は西側から眺めたものである。東側から眺めたその展望は、随分と印象が異なる。帰宅してから石狩岳関連の文献に目を通していて、石狩岳を世に紹介した登山家・大島亮吉の「石狩岳の山頂よりは全く人間の住地である平原というものの片影さえも望見することはできない」という言葉を知った。その通り一切の人工物を排した、広々と深い原生林に抱かれたピュアな大山脈である。
隣のピークに10人ほどが編隊を組んだ人影が認められる。その人影は沼ノ原側から登ってきている。彼らは大雪〜十勝の縦走路の忠別岳から足を延ばしてきたのだろうか?そのピークは今立つここより1メートル高いそうだ。しかし一般には三角点のある今立つことろをもって石狩岳とされている。そこまでは目と鼻の先ほどの距離だったが、我々の中からはそこまで足を延ばそうという声は出なかった。大展望に大いに満足した僕らは、1メートルの違いなど些細なことに思われた。
シュナイダーコースの途中からずっと見えてきた尖がりが気になって仕方がない。居合わせた単独の女性に
「あの山は何というのですか」
と聞いてみると、やはり予想していた通りニペソツ山だった。彼女は
「深田久弥が未踏だったために、百名山に入れることができなかった山ですよ。いい山です。ぜひ登ってください」
と自慢げに紹介してくれた。確か深田久弥は「日本百名山」の後記で石狩岳のような山名をいくつか挙げていた。彼女はどうも地元の人のようだ。
「どちらから?」
と声をかけると苫小牧の人だった。急峻に見えるがシュナイダーコースほどではないそうだ。しかしニペソツ山を予定している明日は、雨降りの予報。降雨確率はかなり高い。ほぼ断念だろう。
急峻だったので下山は十分気を付けようと心した。ダブルストックで大展望を惜しみながら分岐まで心して下る。急峻なシュナイダーコースは、ストック使用はかえってうるさいと判断。リュックに収めた。それは正解だった。登りと同様、随所にホールドがあり下りやすい。みるみる高度を下げていく。途中でひょっこりYtさんに追いついてしまった。彼女は分岐まで到達し、引き返したという。彼女は足をかばいながら超スローペース。その超スローペースに付き合い、うだるような暑さが加わり閉口する。おまけに左足に違和感が出てきた。だましだまし下った(14時34分、駐車場着)。
ニセイカウシュッペ山の下山で転倒し、左足に違和感を感じ、いったんは諦めかけていた石狩岳。最後は違和感がぶり返してきたが、とにもかくにも無事登り終えることができた。それだけに今回の北海道遠征の中でもこの石狩岳に登れたことが一番嬉しい山となった。
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