大門山


- GPS
- 02:46
- 距離
- 4.7km
- 登り
- 578m
- 下り
- 567m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とくに問題なし。傾斜が緩んだところはぬかるんでいる。 |
写真
感想
大門山は富山・石川県境の1500メートル超えの山である。金沢郊外の名峰・医王山の南に位置する。大門山は医王山方面から望むと端正な三角錐の山容に見えるという。登山口はブナオ峠。江戸時代のこと、前田藩が幕府に隠れて、当時藩領だった五箇山で黒色火薬の原料となる煙硝の製造を行っていたとされる。この峠を越えて金沢まで運ばれ、煙硝街道と呼ばれている。現在は峠へ富山県側からしか入れず、事実上富山県の山といっていい。
9月12日午前中、福井市内の所要が長引き、登山が危ぶまれた。ブナオ峠からピストンするだけなら3時間のコースタイム。14時に取り付けるなら可能と判断。北陸道、東海北陸自動車道を走り、五箇山インターで降りてブナオ峠に向かう。ジャスト14時、峠に着いた。駐車スペースには2台駐車。丁度富山ナンバーの単独の男が下ってきた。遅い取り付きに驚いたようだった。
「どこまで行かれます?」
「赤摩木古山にも足を延ばしたいが、もう遅い時間ですから大門山までピストンです」
「どれぐらいかかりました?」
「私はマイペースで下からあてになりませんよ」と時間を言わなかった。
「山頂まで2・7キロです」と距離が記された道標を指さして、「少し前に今日2座目という人が登って行きましたよ」という一言が安心させた。ピストンだったら3時間足らずの山。2座めざす人がいても不思議でない。先行者がいると聞いてほっとする。
標高差600メートル。距離は短そうだが、クマがよく出没すると耳にしているし、Y男さんから誘いもあった、先月末からの東北山行の御神楽山で、木から落ちたクマが目の前を走り去ったというびっくりするようなことを、ブログの記事で読んだばかりである。どうも餌を求めて木登りしていたクマが人気を感じて慌てて落ちたようだ。そんなこともあってクマ除けのベルの音がよく鳴るように入念に調節する。
大急ぎで身支度して14時10分スタートを切る。出だしからブナの巨木のお出迎え。さすが「ブナオ峠」。植林の類は一切ない。ブナとダケカンバ、雑木がびっしりの山道を行く。笹が刈払いされたばかりとあって強い草の匂いがする。刈払いされた笹が道一杯に散らかり、隠れた根張りに足を引っかけないよう気を払う。階段道の急登が緩むとぬかるむ。それをよけながら快適に歩く。肌をさらすことは避けようと薄手の長袖を付けてきたが、さすがにまだ暑い。袖をたくしあげる。微風はもう秋の風。火照った身体に実に心地いい。
真っ赤な実を付けたナナカマドがもう秋を準備している。「七度かまどにくべても燃え残る」ことから名付けられたというのは俗説という解説を読んだことがある。七度というのはともかく燃えにくいのだろうか。誰か確かめてほしいものだ。しかしこの赤い実は秋遅くになってもどこでも見かけるし、雪が来て真っ白の雪面に付きだした枝に赤い実が鮮やかに目立つ。雪が来れば餌も少なくなるだろうに、そんな状態になっても鳥についばまれることもないほどまずいというのは本当のようだ。樹間から大門山と思しきピークが何度も垣間見える。赤摩木古山への分岐から大門山は右手に回り込んでいるので、谷を挟んで望める位置にはある。しかしびっしり樹林が立て込んでいて、恥ずかしそうになかなか姿を現わさない。
50代半ばか60そこそこと思しき男が下ってきた。「名古屋ナンバーの車の人ですか。今日2座目らしいですね」と声をかけると頷く。
「今朝、青海黒姫山に4時間30分で登ってここへきました」
標高差1100メートルの青海黒姫山を4時間30分とは、相当の健脚のようだ。そこからここまで移動だけでも2時間は要するだろう。そのうえもう下ってくるとは。驚くやらあきれるやら。世に怪物君はいるものだ。樹間から大門山の手前のピークが見えてくると、15時25分、赤摩木古山分岐に着いた。そこから笹の刈払いされた山道をひと登りすると大門山は間もなくである(15時45分着)。
山頂は360度の眺望だが、灌木が伸びて今少し展望が得られない。南側に二つのコブを重ねて見える白山を遠望。手前の山塊は大笠山だろう。東側に山並みが見えるが馴染みがない。人形山だろうか。
しばし腰を下ろして、重い心筋梗塞に倒れた弟のことを想った。心筋の7〜8割が壊死し、医師から即死しなかったのが不思議といわた。人工心肺装置でかろうじて命を保っているにすぎない。余命2週間と宣告され、死線をさまよっている。今朝の福井での所要とは、その善後策のことだった。策といっても格別のことはない。葬儀の準備が主なことである。弟との山行の思い出といえば、登山を趣味にしているわけではない彼と燕岳から大天井岳をへて常念岳をめざしたことがあるだけだ。彼は大天井岳を越えたあたりで不調を訴え、やむなく常念岳を断念し二ノ俣谷を下り上高地に出た。その谷は地図でいえば破線のルート。朽ちかけた桟敷が架かる厳しい谷だった。弟が不調を訴えることがなかったら二ノ俣谷を下ることはなかった。常念岳のリベンジを果たしたのは、そのことから10年も後、雪がきた初冬の常念岳だった。もっと山行に誘えばよかったと悔やむが、今から思えば心臓に持病を抱えていた彼には無理だったかもしれない。
15分ほど腰を下ろして下山にとりかかる。いつもながら下山は快適なものである。あえいで登っているときには見えなかったほれぼれするような風景が広がる。ガサガサと動物が逃げる音がした。その音の大きさからいってある程度大型と思われるが姿が見えたわけでない。クマだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。それはどうでもいいことである。人間の接近を事前に察して獣が逃げたということが大事なのだ。きっとクマよけ鈴の音が届いたのだろう。ブレーキをかけセイブしながら下っているといっても、下りの方が足の運びがリズミカルになる。リズミカルな分鈴の音は大きくなるのだ。クマは出合頭の遭遇がもっとも怖い。出合頭の鉢合わせは双方がびっくりするが、びっくりしたクマは狂暴化する。本来クマは臆病な動物である。クマの方から人間を襲ったりはしない。それが鉢合わせすると狂暴になるのだ。だからクマ対策でもっとも大事なことは、鉢合わせしないことだ。ここはクマの生息地である。クマに出合っても一定離れたところで人間の接近を気づかせ逃げさせることだ。クマよけの鈴やラジオを鳴らして歩くことはそのためだ。クマには滅多に出合うことはないだろう。それはクマがいないのでなくクマを逃げさせた結果である。結果と対策の是非を取り違えてはならない。
15時57分、何事もなくブナオ峠に戻った。
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