皇海山 1975 夏(Old Records)



- GPS
- 56:00
- 距離
- 36.7km
- 登り
- 2,333m
- 下り
- 2,335m
アクセス |
8月22日 原向駅−銀山平(幕営) 8月23日 銀山平−庚申山荘−庚申山−鋸山−皇海山−鋸山−六林班峠−庚申山荘−銀山平(幕営) 8月24日 銀山平−原向駅 |
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写真
感想
高校2年の夏、山岳部の先輩から皇海山へ行かないかと声を掛けられました。私が通った高校の山岳部は、毎年、5月か6月頃に新入生歓迎の谷川岳登山を行っていました。ところが、この年は残雪が多いようで、庚申山に変更になりました。先輩は、庚申山から望んだ皇海山に、心引かれたのか、それとも、深田久弥の日本百名山を読んだのか、はたまた、地元出身、木暮理太郎の皇海山紀行か。夏休みに、先輩のお供として一緒に登ることになりました。
初日は、足尾線の原向駅で降り、銀山平まで道路を歩いて行きました。今なら車で、難なく行ける道も、荷を背負って歩くと苦行となります。銀山平でテントを張ってベースキャンプとしました。庚申山荘に泊まるとか、山荘前にテントを張るとかまったく考えませんでした。5月に庚申山へ登ったときに、銀山平にテントを張ったので、同じように幕営地としました。
二日目は、まだ暗いうちに出発し、庚申山荘あたりで明るくなり、庚申山へ向かいました。庚申山から先、鋸山まで霊峰の名が付いた、いくつものピークを越えていきましたが、危ない思いをした記憶は残っていません。今よりも歩きやすかったのかもしれません。きつい斜面を登り切り、皇海山の山頂に、たどり着きました。帰りは鋸山を越え、六林班峠から山腹をまいて、庚申山荘へ向かいました。谷の形にそって丁寧に、くねくねと付けられた道は、何処まで続くのか、そう思っているところに、雷が鳴り出し、雨が降ってきました。最悪の展開です。やっとのことで庚申山荘にたどり着くと、布団が干しっぱなしになっていました。濡れ始めた布団を山荘の中に入れ、銀山平へ向かいました。
三日目は、重くなったテントを担いで原向駅まで歩き、足尾線に乗って高校へ戻りました。足尾線は1998年(平成10年)廃線となり、第三者セクターのわたらせ渓谷鐵道になりました。1975年当時は草木ダムの建設中で、この時は渡良瀬川沿いの路線だったと思います。翌年、乗ったときは長いトンネルに入り、路線が変わったと感じました。
現在、庚申山荘は、建物に使用上の不具合が判明したため、しばらく施設の利用を停止しています。皇海山へは、銀山平がスタート地点となり、ハードさが、さらにアップしました。不動沢ルートが使えた頃、もう一度、登ろうかと思っているうちに、皇海橋に通じる林道が使えなくなってしまいました。今は、松木沢をつめてモミジ尾根を登り、国境平でビバークし、皇海山から庚申山を越えて、中倉山への周回ルートを夢みています。
2024.09.09記載
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